kantaのつれづれ1
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一段 白蟻
数年前 5月か6月のむしむしする日が3日続くと 必ず 職場の事務所が「虫かご」になる。
その数年前の事務所の改装時の木にどうやら 白蟻(注ー1)が付いていたらしい。
巣別れの前兆は むしむしだけではなく 臭いが強烈になる。
木を噛んで セルロースを発酵させる 独特の臭いだ。
「虫かご」は数本の殺虫剤でアウシュビィツになるが あとからあとからの出没に 仕事が手に付かない。
柱を指で押すとぼろぼろと入っていく。
残留組の白い羽なしアリが通路をせわしく歩き回る。
棒でたたくと ぽろぽろ落ちてきて 見る間にアリの団子になる
なにかの本に これを貴重な蛋白源として そのまま 踊り食いをする国もあるという。
敵の情報・実態をしるべしと調べてみると 家などの建物に被害を与えるものはほんのわずかで
多くは 自然の中にあって 自然の摂理・環境の道理にまっとうに組み入れられているものなのだろう。
俗に言う「害虫」とは人間にとってであって 彼らは当然の行為として整然と命を賭けて柱をかじっている。
確かに人間社会における シロアリの被害は甚大であろうが イエシロアリなどごく一部の種によって
シロアリのイメージをもってしまっているのも確かである。
思うに この国を「家」とするなら 願わくばごく一部であろう無為無策・税どろ・官僚(地方行政も同じ)や政治家 ダニ政商 無能力金融マン
彼らは まさにこのごく一部の「シロアリ」なんだと ふと感じた。
自分自身や自分の縄張りを確保するごとに「家」は傾いていく。
「シロアリ」は自分を害虫とは思わないだろう。しかし「家」にとっては存在悪なのだ。
結局のところ kantaの事務所のように
強制的に柱を入れ替えなければ「家」はもたない。
堪へ難き事なり。
参考資料
(注ー1)シロアリ目(ISOPTERA)〜有翅虫(ゆうし)の前翅と後翅が同形同大であるということから、ISO=等しい、PTERA=はねの名があり、
また体が白く アリににていることから「白蟻」とよばれるが 系統的にはゴキブリに近縁である。社会生活をする昆虫で,
有翅虫は結婚群飛ののち はねを落とし 雄と雌で巣をつこり 生殖段階である王と女王になる。
女王は卵巣の発達につれて 腹部が肥大する。王や女王が死んだ場合 有翅虫になる途中の若虫が副生殖虫になる。
働きアリはコロニー全体の90〜95%を占め 巣の建造や食物の採集 他の階級の世話をする。
兵アリは大きな頭と発達した大あごを持ち 外敵から巣を守る。
レイビシロアリ科やオオシロアリ科のように下等なシロアリでは巣や蟻道をつくらず 材中に穴を掘って生活をしているが
ヤマトシロアリでは巣や蟻道を加工し イエシロアリでは特別の大きな固定巣をつくる。
シロアリの多くは木材を食べるが そのセルローズは後腸に共生するべん毛虫によって分解発酵
がおこなわれて シロアリが吸収できる形になる。
シロアリには建築物の害虫が多いが 有機物の分解や土中に網目状に穴をあけることで
ミミズと同様に土壌にとっては有益なはたらきをするものも多い。
世界中から2100種 日本から16種類がある。・・・・・・・・(学研生物図鑑 昆虫Vより)
日本ヴオーグ社 昆虫の写真図鑑では
7科2750種からなるシロアリ目は北緯および南緯50度以上にはいない。代表的なものは淡色で体が柔らかく翅がない。噛み口と短い触角がある。
しかし集団の中では階級によってさまざまな特徴がある。繁殖は女王アリと王アリによっておこなわれる。兵アリは子供を生むことができず 働きアリよりも大きな頭をもち 眼はしばしば縮小するか なくなってしまう。。変態は不完全。
シロアリの種類
シロアリ目(等翔目)は普通、シロアリ、ノコギリシロアリ、ミゾガシラシロアリ、シュウカクシロアリ、
オオシロアリ,レイビシロアリ,ムカシシロアリの7科に分けられます。
日本にはシロアリ、ミゾガシラシロアリ、オオシロアリ、レイビシロアリの4科が棲息しています。
この中で、日本に広く分布し家屋に被害を及ぼす代表的な種は、ミゾガシラシロアリ科に属するイエシロアリとヤマトシロアリ。

イエシロアリは世界中のシロアリの中でも最も加害の激しい種といわれ、建物全体に加害します。
ヤマトシロアリは比較的低温にも耐えるため、北は北海道旭川まで分布している建造物の大害虫です。
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| イエシロアリの巣 | 職アリと兵アリ |
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| 女王アリと職アリ | 巣の中の女王アリ |
シロアリのコロニーとは
シロアリのほとんどの種は夜中にコロニー(シロアリの巣)を形成し、多い場合は100万を超える数がそこに棲息しています。
シロアリはその巨大な「社会」を支えるために組織的に採餌活動を行う、いわば社会性昆虫。
一匹一匹のシロアリは小さく弱々しいけれども、集団で加害するために家屋の被害の程度も大きいのです。
またシロアリには、生殖階級、兵蟻階級、職蟻階級がありますが、実勢に家屋を食害するのは職蟻だけ。
これらの理由から,今加害しているシロアリを駆除しただけではシロアリのコロニー本体に与える影響は少なく、根本的な防除は難しいといえます。
シロアリの好む木は
シロアリは一般的にマツ類(クロマツ、エゾマツ、アカマツなど)や柳などの柔らかい木を好む傾向があります。
また同じ木材でも,幹の中心部である心材より周辺部の辺材を好み、木目では木質が密な秋材よりも粗い春材を好みます。
つまり柔らかく食べやすい木が好みというわけです。
一方、ヒバ、ヒノキ、カシ、タブなどは積極的には食さない代表種。
ヒバ、ヒノキなどは殺虫成分を含むため、日本では対蟻性木材の代表といわれていますが、それでもしろありに加害されることもあり注意が必要です。
木を食べるシロアリはもともとは非常に重要な第一次分解者で、人家に被害を与えなければ森の掃除屋として自然界の益虫といえます。
シロアリの食事は
シロアリの栄養元は、木材や紙に含まれるセルロース類やヘミセルロース類。
ですから、コムやプラスチックなどは食べません。
しかしシロアリが土の中にトンネルを掘って餌場にたどり着くエネルギーは大変なもので、途中の障害物は噛み破って進んでいきます。
そうした理由により、工事などではときどき時々地下ケーブルに穴があけられ大きな被害を出すことがあります。
シロアリが家に住み着いた時
シロアリは土の中にコロニー(巣)をつくり餌場(被害場所)まで土中やトンネルの中を通るので、家に棲んでいるかどうかは一般の人ではなかなかわかりません。
シロアリが外に出るのは主に羽アリが飛ぶ時期なので、羽アリをよく目にするときは要注意。
羽アリが発生する時期は、イエシロアリは6〜7月の夕方から夜、ヤマトシロアリは4月下旬から5月にかけての日中です。
その他の注意ポイントとしては、家の土台や地面に近い壁に蟻道(シロアリのトンネル)が見つかったり、
柱や壁をたたくと空洞音がする場合はかなり加害されています。
シロアリがいると思われる際にはできるだけ早く調査することが大切です。
(本文はダウ・アグロサイエンス、セントリコン*・システム シロアリQ&Aより抜粋)
*ダウ・アグロサイエンス商標
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近頃 毎朝 鴬(注ー1)の鳴き声で目が覚める
なんと風流なことかと 最初は感動したものだが もうかれこれ1ヶ月以上もつづく。
しかも昼間も鳴いているらしく この界隈ではちょっとした「鶯谷」気分
毎年 3月前後に来て せいぜい3〜4日でもう姿がみえなかった。
ところが今年はどうなんだろう。
昼間 犬の散歩をしていても 家の裏の木の上から 「ホーホケキョ」 黒っぽい雀くらいの大きさの「ホーちゃん」
が まるで 村の有線放送のスピーカーのようにけたたましい。
さすがに最近ではちょっと飽食気味の感がある。
鴬といえば梅が定番だがそもそもこれは 「懐風藻」(注ー2)に読まれてかららしく それ以前は鴬といえば竹であったとか。
まあ 鴬ほど 古くから 歌や詩に読み込まれる鳥もない。
「春霞ながるるなべに青柳の枝くひもちて鴬鳴くも」万葉集 作者不明(巻十・一八二一)
「一の谷より鶯の谷渡り」 小田美千代
「鶯の渡る二の坂三の坂」 水原春雄
「鶯のうららかなる音に鳥の楽はなやかに聞きわたされ」源氏物語 胡蝶の段
李白「春日醉起言志」
處世若大夢 胡爲勞其生 所以終日醉 頽然臥前楹
覺来眄庭前 一鳥花間鳴 借問此何時 春風語流鶯
感之欲歎息 對酒還自傾 浩歌待明月 曲盡已忘情
など 枚挙にきりがない
ところで この鳥 いろいろと呼び名がある。
「春告鳥」「黄鳥」「匂鳥」「経読み鳥」
さらに 春を過ぎ 初夏から夏になっても鳴いている その夏鶯をさして「老鴬」とか「残鶯(ざんおう)」「乱鶯(らんおう)」などと呼ぶ
老鶯や天地かがやく丘に佇つ 角川源義
山一つ夏うぐひすの声を出す 平井照敏
とまあこんな具合
我等の「ホーちゃん」は結婚相手を捜しているんだとは近所の雀のうわさ
あれだけ 鳴いているのだから きっといい相手がみつかると思う
それにしても「ホーちゃん」のおかげで いい勉強をさせてもらった
| 聊乗休暇景 | いささか休暇の景に乗じて | ちょっと休暇の日をかりて |
| 入苑望青陽 | 苑に入って青陽を望む | 園に入って春の景色を眺めた |
| 素梅開素靨 | 素梅 素靨を開き | 白梅は白く咲きほころび 鶯はあでやかに |
| 嬌鶯弄嬌声 | 嬌鶯 嬌声を弄す | さえづっている うららかな景に |
| 対此開懐抱 | これに対して懐抱を開く | こころもほどけ |
| 優足暢愁情 | 優に愁情を暢ぶるにたる | 愁いもいつか消えていく |
| 不知老将至 | 老のまさに至らんとするを知らず | 老のことなどすっかり忘れ |
| 但事酌春觴 | ただ春觴を酌むを事とす | 盃を手に春の興にひたるばかりだ |















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四段 司馬遼太郎の「風塵抄」を読んで
最近 のんびりと好きな司馬遼太郎を読んでいる
だれの小説やフィクション物でも 読むと何故か いらいらするので 司馬の小説も 特に長編小説は例外とはならず ほとんど読んでいない。
もっぱら エッセイとか短編・中篇に指喰が湧く
「殉死」「新撰組血風録」「梟の城」「大坂侍」「上方武士道」「大盗禅師」「項羽と劉邦」
「空海の風景」「木曜会の夜会」「和州長者」「難波村の仇討」「法駕籠のご寮人さん」「盗賊と間者」
「泥棒名人」
「司馬遼太郎の日本史探訪」「歴史を紀行する」「歴史と視点」「日本人への遺言」「手掘り日本史」
「対談 中国を考える」「この国のかたち」「座談会日本の朝鮮文化」」、「座談会・朝鮮と古代日本文化」
そして「風塵抄」と 司馬WORLDのほんの 触り。
総てを読破するには まだ相当な時間がかかりそうである。
この「風塵抄」の101 正直さ(参考ー1)
というタイトルのエッセイは今から 8年6ヶ月前に書かれている。
バブルがはじけてもう10数年 このエッセイの頃は 住専公的資金導入問題だった
今思えば かわいい問題だったな〜
あの頃 政治家・官僚がもう少し 有能だったら 様子が変わったのかも
あれから 少しは良くなったのだろうか
2002年3月末の大手銀行は総て赤字 13行の不良債権残高は27兆円と 前年より9兆円の増加である。
もはや 公的資金の投入は避けられないし さらには国営化も視野に入る。
政府は5月の月例経済報告では「底入れ」を宣言しているが 冷え込んだ消費者心理からコートを脱がすには 余りにも環境が悪い
「政治家や官僚の言うことにはもうだまされないぞ」 この不信感はいかんともし難い。
「白蟻」駆除の出来ない構造的欠陥国家と 不信感と 将来に対する不安感 三すくみの状態で10数年が過ぎ去っていく
1996年 2月12日
司馬は逝った
それから 6年
今 彼ならなんと・・・
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参考ー1
司馬遼太郎 「風塵抄」101 正直さ
『 林の根方に落葉して 一面に夜霧が月光にきらめいている。
「黄金だ」
と、世間師のような人が叫び、やがて千、万の声になった。
ひとびとの心が、社会のただ一つの資産である。その無数の心に霧が入り込んだ。個人も大資本も争って各地の落葉(土地)
を買いあつめ、それを担保に
し、銀行で本物の日本銀行券に換えた。ころがすと、しばしば倍になった。二,三十年、このゲームがつづいた。
株も絵画もこの霧のような気分にあおられた。
こんな現象のことを、「虚仮(こけ)」という。聖徳太子のころからある日本語である。
「そんなものは、経済ではない」
という警世的なことばが、ついに政治の世界から聞こえて来なかったような気がする。
それどころか、政界にもひそかに落葉を金庫に詰めこみ、これを権力の源泉にしつつ、“国家・国民のため”というふしぎな呪文を唱えつづけた人もいた。
いまは、日本じゅうが醒めた。ただし、「あれは泡沫の時代のことでね」と、日本人の心と生産の基本をむしばんだこの霧の時代のことをひとことで片づけてしまう傾向がある。
太平洋戦争のことを、あれは軍閥がやったことで、とにべもなく言うのに似ている。
第一、バブルなどということばが、経済学用語にあるだろうか。政治学や社会心理学のほうにも無さそうである。
定義もないような言葉(バブル)をつかって、その時代の本質を語るわけにはいかない。
それがほんのこの間までの過去だった。いまはその“過去”にあらためて驚くことからはじめなければならない。
日本には多くの大学に経済学部や研究所がある。そういう機関で、あの現象についての研究が、すでにはじまっているだろうか。
なぜ生起し、どのように進行したか。さらにその結果としてのこの―死のような―不況の正体はなにか。また、経済学はこれを予測し、
阻止することができなかったのか。
政治家たちも、なにやら漫然としているようにみえる。
過去のことながら、政策論としてー解剖病理論的にー論議し、いままでの政治が怠慢もしくはまちがいだったとわかれば、その結果をせめて白書の形ででもーつまり解剖報告のようにーあきらかにしてほしい。決して退屈な白書にならないはずである。
私は偏食で、フォアグラを食べない。この名が”脂肪で脹れた肝臓”というフランス語だときいてから、気分がわるくなったのである。
周知のように、製造には、生きたガチョウが使われる。口をあけさせ、管をつっこんで、たべたものを流しこみつづけると、肝臓が脂だらけになって脹れあがる。
いまの銀行似ていなくもない。
どの銀行も、担保の流れの落葉(土地)をのどまで詰めこまれ、肝臓どころか、胃も腸もうごかなくなっている。経済社会そのものも、ガチョウになっているらしい。
「政府は、不況対策をしろ」
と、国会で質問が出るたびに、驚かされる。
ガチョウになるまで放置ーあるいは助長ーしたことの責任はどうなるのだろう。
経済には果報という不確定要素があるからいつかよくなるにちがいないが、ともかくも、私どもの病気は何でしょうという質問に対し、正直で根こそぎな回答が出なければ、不況対策もありえないし、経済社会の債権もありえないように思える
(1994年1月3日)
(原文)
六段獄中からの手記 元「白蟻党」鈴本宗雄
「私は「白蟻党」を離党しました鈴本宗雄と申します。この度 あっせん収賄容疑で 国会に出された国会議員逮捕許諾請求が可決され
逮捕されました。
思えば この間30年 お国の為 ふるさとの為 粉骨砕身 全身全霊 がんばってきたつもりでございます。
世間で言われているような 数々の疑惑も 今直接問われている容疑もまったく濡れ衣です。
私は「白蟻党」の党議党則に忠実であり 先輩同輩諸氏がされているように その伝統的手法を踏襲し
合法的に 威圧的に かつ巧妙に 血税のほんの一部を 白蟻族の栄養源にさせていただいただけです。
我々白蟻族は 官僚を中心に白蟻党や商社や銀行や建設会社やそれにまつわる企業から構成され
同族がいかに繁栄していくか そのことのみに 命を懸けています。
その為に この国が多少衰退しょうが 後退しょうが 荒廃しょうが やむを得ないと思っています。
このことは 何も今に始まったことでもないし 又私だけが思っているわけでもないし 何で私だけが眼の仇にされるのか 理解に苦しみ
ます。
そりゃ 政治資金を大量に持ち込むところに見返りを施すのは当たり前だし 見返りがあるから 資金を出す こんなこと当たり前ではな
いですか。それを賄賂だなどと言われたら 「白蟻党」は存在できないです。
戦後何十年もこういうシステムで旨くいってきたではないですか。
これからも「白蟻養成大学」出身の「白蟻官僚」が旨く考えてくれますよ われわれはその実働体として 族の腹を肥やす作業をこなすだ
けです。私は 予算の少ない外務省で栄養吸収部門を担当していた献身的な働き蟻で 建設や大蔵 などに群がる白蟻からみたら ちっぽけな 割りに会わないポジションなんです・・・
なに この国が倒れ掛かっているて それは 私の知ったことではないですよ それは あなた方の問題でしょう。
「白蟻族」ではだめだと言われるなら 他の族を選択すればいいのではないですか。
何度も言うようですが 私は同輩先輩がしていることを 普通に当たり前に やったことで なんら悪いこと やましいことはしておりま
せん。嘘だと思うなら「白蟻族」全体をよく調べてみてください。」
だって。
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七段 最近の日韓関係に思う
日本考古学を少しかじっていると どうしても古代中国 古代朝鮮を避けて通ることは出来ない。
人種の坩堝 吹き溜まりのような日本列島で とりわけ朝鮮の存在は大きく その人々と共にその文化・文明が長期に大量にこの国に流入してきたのは確かであろう。
つい最近の天皇もその人的交流を認める発言をされている(桓武天皇のことをさしているのだろうか)し 人類学的 いやそんな難しいことを言わなくても 日本人と朝鮮人と混ぜて選り分けよといっても 我々ですら困難であるし それはアメリカ人とイギリス人を区別せよといわれた時と同じくらいに
その類似性を認めざるを得ない。
イギリス人を中心にヨーロッパ人が新大陸にその文化と共に移住したのは僅か500年程前。
有史以前から同じような移住が世界各地で起こっていただろうが残念ながら今 その痕跡は不腐敗遺跡・遺物・以文化・DNAを始め身体的特徴などから推測するしかない。
隣国でもあり 親・兄弟のような関係の日本と韓国両国の歴史も一筋縄ではいかない。
考古学の範囲の時代から飛び出して近年までの日韓関係を考えるに とりわけ最近の関係は つい50年ほど前の「不幸な出来事」から「不幸な関係」のまま推移してきた。
この異常な関係は本当に卑近なことで 狂癲秀吉の後の江戸時代にも 何度も「通信使」としての往来があった。
この時の関係は現代の欧米文化礼賛状態の比ではなく 尊敬と羨望の対象として篤くもてなしており 朝鮮通信使の日記を見ると「小人(しょうじん)の国の小人ども」という感覚ではあるが それなりに友好関係を保っている。
小人kantaも 両国の友好と親善になにかの形で寄与したく 模索はすれどまず言葉の壁はいかんともし難い。
ネット上で 片言英語か 相手の拙い日本語頼りで交流するも 他になすすべもなく ハングル辞書を買い求め 手習いするも 覚える尻からその3倍も漏れ出す始末。
年には勝てず アニョハセヨ(安寧してや)と辞書が恨めしそうにパソコンの横に鎮座ます。
しかし ここ2〜3年前から少し風向きが変わってきた。
「確かに我慢ならない過去を引きずってはいるが もっと前向きな関係を」という感覚が 韓国の若い人達に芽生え始めている
韓国の若者達は「不幸」をいびつにも思えるほど頭に叩き込まれている にもかかわらずである。
日本の若者はどうか これはほとんど 無知に近い状態で 異文化に接しょうとしている。
両者の内容に大きな違いはあるが 大衆文化の開放 サッカー共同開催 などを機に その「不幸の壁」の一部がほころび始めた。
それは 韓国が一時の経済破綻からの脱却に自信をもち 世界一のインターネット普及率を誇り 世界に通じる製品を生み出せるという自負と自信とそこからくる余裕が
そうさせているように思える。
最近のNHK番組「韓国事情」 シリーズを見た。
財閥体制から脱却 改革しつつある姿とその推進者達の紹介である。
特に感心したのは パソコンへの取り組み方である。文字通り「老若男女」であり、子供の習得の速さは勿論のことであろうが 70、80歳のお年寄り達が無料のパソコン教室に通う景色や インターネットでチャットやホームページ作りを楽しんでいる姿をみて そお〜っと我が周辺を見回す。
「元気」という言葉がそのまま 日本海の向こうに飛んで行ったような (サッカーなどに象徴される)
虚勢されたような 空ろな精神的 経済的 政治的状態の「日の沈む国」と 再建に燃える 「不幸」を乗り越えるだけの余裕を持ち始めた国の
これからの関係こそが 両国にとって重要なポイントになるのではないか
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八段 好評手記シリーズ 「ある県議員のつぶやき」
「本当に頭にくるべあ 。親父の出身地だというだけで 作家だか なんだかしらないのによ 突然知事選に乗り込んできて
クリスタルだかキズシタルだかよくわかんねえ英語を羅列して あれよあれよというまに 当選しちまいやがる。
まあ どうせ碌な事にならないんだろうけど 若いもんに一回ぐらい任して 政治の難しさ 世間の厳しさを知らしめてやれば すみませんでしたと尻尾を巻いて東京さ 逃げて帰るべやと高をくくっていたら なんとなんと 次から次と マスコミを旨く利用して おらたちの無能さと惰性・馴れ合い政治を暴露して
それだけならまだしも いっとう肝心な利権構造まで奪い取ろうとするには もうだまっておれん。
地方には地方のやりかたというもんがあるんじゃ。
おらが国さの殿様とゆうて ばっちゃま じっちゃま が清き一票をくれたんじゃ。けんど 県議には県議の仕来り 縄張り というもんがあって じっちゃまやばっちゃまには悪いと思うんじゃが 時には「税金泥棒」「県民無視」「環境破壊」「と言われそうな すれすれの決議もせにやならんのよ。
最初はおかしいなと思うこともあるが 何期もおると 抵抗してもはじまらん、なんでも賛成 賛成と言っておれば安泰ということが判る。
考えてみーや。 県議50名中 22人が土建関係あがりというからして 判るじゃろ。 いかにして中央から なんじゃかんじゃというて税金をひっぱりだすか。
多額で てっとりばやくて 何となく住民受けする「ダム建設」や「河川工事」や「高速道路」や「農林道」や「護岸工事」いわゆる箱物・土建物と言われる奴よ。
金目になるものは 片っ端から盗らまえないと もたもたしていたら よその県の奴らに盗られてしまう。
それが本当に必要か 環境にどうか なんて どうでもいいことよ。
中央「白蟻党」のミニ版として この地方では党派を超えて 「白蟻族」を形成しているんじゃ。
何十年も 目立たず 怪しまれず ばれずに 皆で美酒に酔いしれていたのに なんてこっちゃ
どの県もやってることは似たり寄ったり。 40何県もあるちゅうのに なんで我が県なんぞに立候補するの。
きつい殺虫剤を持参して 乗り込まれたんでは たまらんわい。
今度こそ 皆で寄ってたかって 追い出しを図るんじゃーと言うが 奴の言う事ももっともらしいから 県民も目覚めだしている
それより マスコミの所為で 関係ない全国他県民からも注目されてしまっては下手な田舎芝居も出きん。
これから先一体どうなるんじゃろ。薮蛇に あの件は ばれないだろうな。
うらめしきかな クリスタル」
だって
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台風と聞けば 2つの台風を思い出す
一つは 伊勢湾台風(台風15号) もう一つは第二室戸台風(台風18号)である。
伊勢湾台風は 1959年 9月21日にグアム島近辺で発生し 26日午後6時20分潮岬付近の上陸 中心気圧929.7mb 最大風速48,5m 満潮時に伊勢湾を通過したため
高潮などで被害が膨らみ 死者・不明5098人にのぼるという記録がある。この死者・不明数は先の阪神淡路震災にも匹敵する。
kantaはこの日に 伊勢神宮方面への修学旅行に当たっていたが 当然延期になり 高台にある親戚の家に避難していた。 ざわつく大人たちの姿をみながら なぜかワクワク
数ヵ月後 伊勢神宮に参拝すると 放置されたままの巨大な倒木を見て 初めて台風の恐ろしさを知った。
因みにこの年には現天皇と美智子妃の結婚(4月10日) 長島の展覧試合にサヨナラホームランを打つ(6月25日)という
それからもう一つは2年後の1961年9月16日 この年は ケネデーが大統領に ボストークに乗ったガガーリンが人類初の宇宙飛行(1時間半で地球一周)したというが
室戸台風とほぼ同じコースということから 第二室戸台風と命名された18号
この日は朝から比較的穏やかなで 後に続く地獄絵など想像も出来ないような天候であった。
まさに「嵐の前の静けさ」とはあのことだった
窓から遠くの空を見上げていると 西の方角から ゴーという竜巻のような真っ黒な雲と音がしてきた その音がまじかになるや 周りの風景が一変した。
それは一気に 隣の家の瓦がまるで紙の様に パラパラパラと真横にすっ飛んでいくのを 見た時から始まった。
家全体がぐらぐら揺れだし 同時に天井から砂が落ちてくるのだろうか バラバラバラという。
窓という窓は外から 板を打ち付けているが 玄関の戸を押さえるも今にもはじけそうに弓なりになる。
床の下から 吹き込んでくる風で 廊下の板や 畳が持ち上がってくる
大人たちは そこらにある 重いものを廊下や畳の上に乗せて回る。
玄関の戸が破れると叫ぶと 太い棒をたすき掛けに補充してくれたが 腰が砕けてもう全身の力が抜けてしまった。
蝋燭と携帯ラジオの部屋に全員集まって ひたすら 通過を待った
途中 ピタと風が止んだ ラジオがしきりに 「今台風の目に入っていますから 外に出ないで下さい」を繰り返す
まもなく家はぐらぐら 砂はバラバラ 「 エ! まだ半分だー」と本当に思った。
翌日は 台風一過 板を外し被害状況を見てみる 瓦が相当数無くなっているが大きな被害はなさそうである ところが なんと 向かいの家はこの近辺では珍しい かやぶき屋根だったが そのかやが全部無くなっている。
骨組みだけが日差しに曝されていた。そして道路といわず 多くの家や庭など村中「かや」だらけになっていた。
車で周辺の視察に行くも 国道筋の家がばたばた倒れていて道路を塞ぎ 通行止めだった。
瞬間最大50とか60mと 後で聞いた。
死者不明 202人 家屋損害約50万軒
さてこの台風 我が兼ちゃんは「野分のあしたこそおもしろけれ 言い続くれば 皆源氏の物語 枕草子などにこと古りにたれど 同じことは今さらに言はじとにもあらじ」
私なんぞが 今更同じことは言いませんよといっている。
ではその「源氏」にはどう書かれているのかというと「野分の段」に 源氏が大宮の病中見舞いと玉鬘の件で訪問した場面『この年になるまで こんなひどい野分にはまだ一度も遭いませんでしたよ と大宮は震えて震えておっしゃいました。庭の大きな木の枝などが風に折られるのを見るもとても恐ろしいのです』
『夕霧の中将が紫の上のお寝所あたりの高欄に寄りかかって庭を見渡しますと 築山の木々も風が吹き倒し 枝が沢山折れ付しています。
草むらの荒れた状態はいうまでもなく 屋根を葺いた檜皮や 棟瓦 あちこちの立蔀(たてじとみ) 透垣(すいがい)などのようなものがおびただしく散乱しています。』
『吹き乱る風のけしきに女郎花 しおれしぬべきここちこそすれ』
とある。
又「枕草子 百八十八段」では
『九月つごもり 十月のころ 空うちくもりて 風のいとさ はが(わ)しく吹きて 黄なる葉どもの ほろほろとこぼれ落つる いとあわれなり。
桜の葉 椋の葉こそ いととくは落つれ
十月ばかりに 木立おほかる所の庭はいとめでたし。
野分のまたの日こそ いみじうあわれにおかしけれ
立蔀 透垣などの乱れたるに前栽ともいと心くるしげなり
大きな木どもも倒れ 枝など吹きおられたるが 萩 女郎花などのうえによろこばひふせる いとおもわずなり』
とある。(紫式部は 「枕草子」を読んで 意識的に挿入しているのかな)
歴史上台風で有名なのは 「蒙古襲来の神風」
文永十一年(1274)10月はじめ(太陽暦11月10日頃)
蒙古軍2万 高麗軍1万 900艘の船団である。
只この時の戦闘は一日だけであった しかし 日本側は完敗で 悲惨だったにもかかわらず 翌日 志賀島に難破した1艘を残して姿を消してしまったという
このことは必ずしも台風によるものとは考えにくく 歴史的にも謎とされている。残された一艘の乗員120名すべて切り殺された
弘安四年(1281)6月はじめ
博多湾岸に石築地が累々と築かれその上に多数の旗をが立っているのを見た蒙古軍は隣の志賀島に停泊
日本軍との戦闘はその後2ヶ月続く
その間 日本軍の船に対する夜襲などから 900艘を紐で繋げて固定した
このことが 「神風誕生」をもたらしたとも考えられる。
7月31日深夜から8月1日未明「風神到来」
多くの船は繋がったまま炎上沈没したという。
「方丈記」では
治承四年(1180)四月二十九日
『大キナルモ小ナルモ ヒトツトシテ破レザルハナシ サナガラ 平二倒レタルモアリ
栃 桂バカリ残レルモアリ
門ヲ吹キハナチチ 四 五町ガ イハムヤ家ノウチノ資材 数ヲツクシテ空二アリ
檜皮 葺枝ノタグヒ 冬ノ木ノ風二乱ルガ如シ
チリモ煙ノ如ク吹キタテレバ スベテ目モミエズ タビタタシク鳴リドヨムホドニ モノ言フ声モ聞ケズ』
とある
げに恐ろしきは 野分かな。
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十段 人間という動物の異常性
近年 世界各地で勃発する戦争や地域紛争は 世界のマスメディアの決死の努力もあって
「お茶の間の戦争映画やパソコンゲームの感覚で」という批判が起こるほど 瞬時に 詳細に報道される。
今は常識化となったその報道形態は イラク戦争頃から始まり ヘレツゴビナ 新しくはアフガニスタン パレスチナは連日 テロと報
復の惨事をリアルに タイムリーに捉えている。
一方 受け手である我々は 報道が遅ければ イライラして 「宇宙衛星があるのに」となじる。
報道が始まると まるでサッカーの試合を観るように 「贔屓のチーム」を心密かに応援している。
その功は「人殺しの悲惨さの確認」であり戦争の無残さ 空しさ の惹起であり もし この形態があの「ベトナム戦争」にも適応されて
いたなら「人殺しの形態」も随分と違ったものになったのではないだろうか。
その罪は 「人殺しに対する麻痺」である。自分はいつも画面の外にいて このことは 戦争責任者はいつも安全な場所から指令を出し
パネルや机上の作戦をやる 罪人はそれ以上に無責任かつ 通俗的に 「人殺し」の現場を覗く。初期は多少の嫌悪感からはじまり い
つしか イッパシの大将か 監督か ローマコロセイムの観衆 はたまた ギロチン下のマリーアントワネットを前にした群衆の如くに変
化する。
人類は過去に いろんな名目で一体何人の人々を殺してきたのだろうか。
今年も「原爆」(参照ー1)や「終戦」や「靖国」の話題が多くなる季節がやって来た。
毎年 何となく(自分は関係していない 歴史的過去としての客観的 教科書的な捉え方)その報道を聞いたり 見たりしていたのが
「よくよく 考えてみると あの 一発の爆弾で 一瞬にして十数万の人々が しかもいわゆる一般市民と言われる人々が 焼き殺された
んだ」と。
人類の虐殺の歴史で これほど 大量に 瞬時に殺った という例があるのだろうか。
過去にも世界各地でジェノサイド(大量虐殺)はあった。
古くは 司馬の「項羽と劉邦」にも記されている中国は秦での兵士の「崖落し」(20〜30万人)
日本兵による「南京大虐殺」(10万とも言われるが 疑問視もある) ルワンジにおけるツチ族 トルコにおけるアルメニア人
そして その最大かつ 未曽有のナチスのホロコーストによるユダヤ人絶滅作戦の600万人(参照ー2)
殺さなければ 自分が殺されるという自己防衛で相手を殺傷するというのではなく その多くは非戦闘員たる女・子供を標的にする。
そこには 人間としての 尊厳 慈悲 知性 全てが欠落している。
勝てば官軍と 戦勝したからといって 許されるものではない。
憎悪という悪魔がとりついているとしか思えない。
時代が経ても 水爆という「ジェノサイド専門兵器」の更なる効率化に余念が無い 大量殺人兵器が世界に拡散し 「悪魔の使者」はそ
の使用の機会を虎視眈々と覗っている。
1000年先の宇宙小学校の「しゃかい」の教科書の一行に
「昔 昔 白人と黄人が戦争をしました 白人はなかなか降伏しない黄人に 早く戦争を終わらせようと 一発で10万人も殺せる新兵器
を開発し 戦は終わりました」とある。
「焼き殺せる」という結果を知りながら この兵器を使用(しかも2度)したのも 焼き殺された人々と同じ人間という動物だったとは・・・・
参照ー1
広島の原爆 昭和20年8月6日 午前8時15分 高度9600m 投下
長崎の原爆 昭和20年8月9日 午前11時2分 第一目標の小倉が雲で隠れていたので 第二目標の長崎に投下
原爆のエネルギーは 熱線と爆風と放射線であり 熱線は 爆心地の地表面温度は3000〜4000℃になり爆心地から4kmでは熱傷がおこる
全エネルギーの50%は爆風である。2km以内の一軒家は全壊
放射線はγー線と中性子線が中心で 初期放射線・誘導放射線(放射性アイソトープ)・放射性下降物(ウランやプルとニゥム)・残留放射物とある
被害状況
熱線と爆風により広島で13km2 長崎で6,7km2で灰燼に帰す
| 投下前戸数 | 全壊全焼 | 全壊 | 半壊半焼 | 大破 | |
| 広島 | 76000戸 | 62.9% | 5% | 24% | 96.9% |
| 長崎 | 51000戸 | 22.7% | 2.6% | 10.8% | 36.1% |
| 広島の人的被害状況 | 死亡 | 重傷 | 軽症 | 行方不明 | 無傷 | 計 |
| 爆心から 0.5km | 19329 | 478 | 338 | 593 | 924 | 21662 |
| 0.5〜1km | 42291 | 3046 | 1919 | 1366 | 4434 | 53036 |
| 1.0 〜1.5 | 37689 | 7732 | 9522 | 1188 | 9140 | 65271 |
| 1.5〜2.0 | 13422 | 7627 | 11516 | 227 | 11698 | 44490 |
| 2.0〜2.5 | 4513 | 7930 | 14149 | 98 | 26096 | 52686 |
| 2.5〜3.0 | 1139 | 2923 | 6795 | 32 | 19907 | 30786 |
| 3.0〜3.5 | 117 | 474 | 1934 | 2 | 10250 | 12777 |
| 3.5〜4.0 | 100 | 295 | 1763 | 3 | 13513 | 15671 |
| 4.0〜4.5 | 8 | 64 | 373 | 4260 | 4705 | |
| 4.5〜5.0 | 31 | 36 | 156 | 1 | 6593 | 6817 |
| 5.0km以上 | 42 | 19 | 136 | 167 | 11798 | 12162 |
| 合計 | 118661人 | 30524 | 48626 | 3677 | 118613 | 320681 |
広島における戸外での情況
| 集団名 | 作業状況 | 爆心からの距離 | 人員 | 死亡 (即日) |
死亡 (一週間後) |
死亡 (2週間後) |
死亡 (3週間後) |
生存 | 死亡率 | |
| 北冶山女学校 | 朝礼体操 | 800m | 52 | 10 | 42 | 0 | 0 | 0 | 100% | |
| 大竹勤労奉仕小方村隊 | 家屋疎開 | 900m | 87 | 80 | 3 | 0 | 4 | 0 | 100% | |
| 大竹勤労奉仕玖玻村隊 | 川船へ瓦積み込み中 | 1.1km | 101 | 43 | 38 | 10 | 0 | 10 | 90% | |
| 大竹勤労奉仕長門隊 | 道路上休憩中 大部分2階屋陰 |
1.1km | 165 | 2 | 4 | 0 | 72 | 87 | 47.2% | |
| 大竹勤労奉仕日野隊 | 道路行進中 | 2.3km | 580 | 2 | 7 | 0 | 0 | 571 | 1.6% | |
長崎の人的被害状況
| 死亡者数 | 73884 |
| 負傷者 | 76796 |
| 一般被災者 | 120820 |
| 計 | 271500 |
非日本人の人的被害
朝鮮人
| 艘被爆者数 | 死亡者数 | 生存者数 | 帰国者 | 僑胞残留 | |
| 広島 | 50000人 | 30000 | 20000 | 5000 | 5000 |
| 長崎 | 20000人 | 10000 | 10000 | 8000 | 2000 |
| 計 | 70000 | 40000 | 30000 | 13000 | 7000 |
他に中国人が 広島・長崎で220名 台湾人 同 20名
長崎の捕虜収容場にいたイギリス・オランダ人480名中60〜80名の死亡 200余名の重軽傷者
広島にいた アメリカ軍捕虜 10数名は8月中に死亡
「広島市 長崎市原爆災害誌編集委員会編」より 抜粋
参照ー2
1941年6月22日 ドイツ・ナチスはソ連との不可侵条約を破り モスクア・レニングラード・スターリングラードと侵攻
同時に ヨーロッパのユダヤ人絶滅作戦も展開された。
3000人 4大隊のナチ親衛隊・機動隊 は6月24日にはリトアニアのユダヤ人を手始めに同年12月までに老若男女区別なく50万人を銃殺
(これは当初 戦争の巻き添えという偽装)
ポーランド・ソ連 ミンクスの射殺現場を視察したヒトラーは不満を表明
「もっと効率よく 敏速に殲滅せよ」と
以後 毒ガス設備の建設に取り掛かるが その間 捕虜(ユダヤ人)をトラックに積み込み その排気ガで殺害 そのまま墓穴まで運んだ
| 虐殺されたユダヤ人の数と主な殺害方法・手段 |
| ケルム | 15万人 | トラックの排ガス |
| ベルツェク | 50万〜60万人 | モーターの排ガス |
| ソビドール | 20万人 | 同上 |
| トレブリンカ | 120万人 | 同上 |
| マイダネクルブリン | 20万人 | 毒ガス チクロンB その他 |
| アウシュビッツ | 250万人 | 毒ガス チクロンB |
上記に ソ連における射殺 100万人
ヨーロッパ各地における ユダヤ人の強制労働 収容における 飢餓・疾病による死者
推定死亡者総計 600万人
言語録
1941年10月上旬
ベルリンのSS(親衛隊)長官ヒムラーがアウシュビッツ収容所司令官ルドルフ・ヘスに言った
「ユダヤ人はドイツ民族のつきない敵であるゆえ 根絶しなければならない
もし我々がユダヤ人の生物学的基礎を破壊することが出来なければいつの日か ドイツ民族を滅ぼすであろう」
1945年4月2日
ヒトラー
「人々は私がドイツと中央ヨーロッパのユダヤ人を絶滅したことと 国家社会主義に対し永久に感謝するであろう」
同年4月29午前5時
ヒトラーの遺書中
「私は国民の指導者とその民に対し 人種法の厳守と 世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し
容赦のない抵抗を続けるよう義務づけるものである」
同年 4月30日未明 自殺
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旅行中に我が家の「大蔵」「外務」「厚生」「農林」「環境」を一手に引き受けていた
大臣が 転倒骨折をし緊急手術 目下入院中である。
「通産」と「運輸」しか担当したことがない無能大臣にとっては 青天の霹靂。
学生の下宿時代以来の「大蔵」「厚生」「農林」「環境」である。
これで実質的に臨時総事大臣に就任した。
しかし 我が家の会計は一体どうなって どこにお金があって どこから出金したらい
いのか どこに支払いがあるのか
冷蔵庫に何があって 賞味期限はどうか 米の水加減は 塩・砂糖はどれ モヤシは日
持ちしないがニンジンは結構いける サトウのチンして2分のご飯は美味い コンビニ
の惣菜は高いから近くのスーパーで買う 惣菜も独り分では結構量が多いから残りを見
ながら次の惣菜を買う ゴミの出し方は透明の袋を買ってきて分別の仕方は近所の人に
聞いてそれに従う 犬の餌は朝晩2回でドッグフードに牛乳をかける散歩は朝晩2回イ
ンキの多くかかったチラシを2枚持っていきウンチをその上にさせて持ち帰ったウンチ
は庭の一角に穴を掘って埋める。庭の雑草取と水遣り。
学生時代の洗濯機は脱水はローラーだったが
今は スイッチと洗剤を入れれば 水量 洗い すすぎ 脱水 あとは 物干しだけ。
「外務」では お見舞いの対応 整理。
と 生存の為の生活が待ち受ける。
当初は多少の戸惑いもあったが 時間がたつにつれ一般的に言われる「主婦の世界」が
垣間見える。
スーパーでの価格 商品事情 多くの人間関係 多数の生きる為の生活情報など日頃
見えなかった知識が 新鮮で興味深く開拓されていく。
ゴミの分別の煩雑さ 洗濯物の種類によるスイッチの選択と乾燥方。
報道で知る 某ハムの現状とか 産地の顔を強調した肉の売り場の表示
季節感の無くなった生鮮売り場の中に 細くなるスイカの切り売りに変わり 「梨」や
「ぶどう」や「松茸」もちらほら。
「生存」生活で食事がなんといっても最大の行事。
毎日の買出しで 栄養とカロリーのバランス 賞味期限と購買量と在庫調整 希望と価
格の比較 特に在庫調整には苦労する。
パック物の量が多すぎて ついつい 毎日同じ惣菜になってしまうし そうかといって
材料を買えばほとんど冷凍にしておなねばならないし 「農水省」としては この辺の
タイミングや調整は今後の課題である。
両眼で生活周辺を見渡すことが出来ると 「今日は何食べる?」「なんでもいいよ」
という会話に対する反発の意味が解ってくる。
靴下を丸めて放り出したり 冷めた頃にお風呂に入ったり 帰りが遅くなるのに電話を
しなかったり 趣味の作業で部屋を汚したり
休日は遅くまで寝ていたり とまあ日頃の小言の意味がよく判る。
臨時総事大臣の職をまっとうすべく 鋭意日々善戦している。
それにしても 「生存生活」のなかからは 「趣味の世界」なんぞはまったく視野に入
ってこないことが判明した。おそまつ・・・・
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十二段 拉致
最近の 報道物で「拉致」という言葉を見ない日はない
「北朝鮮による 日本人拉致事件」のことである。
当然のことながら その行為は許されるべきものではないし 即刻開放 帰国させるべきだし 補償すべきである。本人・家族 関係者の苦痛は推し量るべくも無い。
しかし翻るに 古今東西人類の歴史は殺戮と侵略と拉致監禁のつみかさねではないのだろうか
大きくはスペインを始めとするヨーロッパ諸国とムーア人 モンゴル人の侵略 欧米による植民地化など 又各地域における領土 民族紛争による略奪と民族浄化など凄惨で大規模なものも多い。
そして日本人による他地域の侵略と植民地化もあった。
そのひとつに『朝鮮征伐』がある
、
子供の頃 「加藤清正・朝鮮の虎退治」を武勇伝として記憶しているが なんのことはない「虎」ならぬ「鼻・耳狩」だった。
1592年 秀吉は「仮道入明」(明に攻め入る為 朝鮮はただ途中の通る道)を表明して朝鮮侵攻を開始した。「やきもの戦争」とも言われる「文禄・慶長の役」のはじまりである。
秀吉の真意は定かでないが(一説には 狂癲したともいわれる)結果的に多くの朝鮮の市民を殺傷しその死体数の確認の為 証拠として耳や鼻をそいで 塩漬けにして京に送らせたという。
現在も京都・七条の豊国寺門前に耳塚があり 毎年関係者による慰霊祭が盛大に催される。
この時 派遣された各藩主(小西行長・加藤清正・黒田長政・島津義弘・毛利吉成・鍋島直茂など)が当時 青磁から白磁の生産に移行していた李氏朝鮮の陶磁器の生産地を襲い 窯を徹底的に破壊し陶工の多く(男女を問わず 窯焚きにいたるまで)を自分の領地に拉致し 住まわせ陶磁器の製作にあてさせた。伊万里・萩・唐津・波佐見などの窯はすべて拉致された朝鮮人陶工によるものである。(参照ー1)
これにより朝鮮国内の窯は全滅し 再興されたのは27年後であった。
秀吉の死後 徳川の時代になって 両国の交流は再開されたが 家康はその陶工たちの帰国を許さなかったという。
もうひとつに 太平洋戦争突入前夜の国家体制となってきた1938年4月に公布された「国家総動員法」その翌年の「国民徴用令」により すでに「日韓併合」(参照ー2)下にある朝鮮・半島内では450万人が動員され その他150万人が日本島に搬送された。(参照ー3)
主に石炭山(60万人)金属山(15万人)軍需工場(40万人)土建業(30万人)港湾荷役(5万人)とこの他 軍人 軍属として36万余人(厚生省調べ) それに7〜8万人の従軍慰安婦。
として徴用され
「日本が戦争に勝つ為には 石炭が必要である 諸君は産業戦士として国のため天皇陛下のために働かねばならない 天皇陛下のおかげで ご飯を食べて生きていることを忘れるな。
おまえ達は天皇陛下の赤子として お国の為にご奉公する これが忠義というものだ。即ちこれが名誉の戦死であり 敵と戦って死ぬことと同じだ。喜んでお国の為に命を投げ出してくれ」
と言ったそうだ。
戦局が思わしくなくなる頃には まさに半島では 「拉致」同然の徴用であったという。
担当官も 人狩りに必死だったんだろう。最初は「道・野畠」にいる者を手当たり次第 その内恐れて昼間は山に姿を隠して逃げ 夜 家に戻って寝ている人々を「拉致」搬送という。
そもそもこの「日韓併合」のいきさつをみても これはまさに「国家拉致」ではないのだろうか。
先の日清・日露はこの朝鮮の分捕り合戦だったし 当時の欧米諸国もどこを「拉致」してやろうかと虎視眈々。
アメリカはハワイを「拉致」同然のやり方で「併合」しているが「日韓併合」の当時 アメリカはフィリピンを「拉致」しかかっていたので日本の「拉致」もすんなり認めている。
弱い者が「拉致」「監禁」されてもやむをえないという こんな弱肉強食の世界情勢がつい最近まで続いていたなんて 信じられないことだ。
戦時下である「北朝鮮」の「戦争・拉致行為」は「民主・人権」を謳う欧米や「平和ボケ日本」からすれば それは「ならず者国家」であり 「許されざる行為」なんだろう。
責任者の先の「謝罪」は本意とは思えない。おそらく ラインを超えて半島の人々は心深くこうおもっているに違いない「なにを 5人や10人 拉致 殺害されてわめいてるんじゃ おまえ達がもし 何十年も 何百万人も 拉致 監禁 殺害されておれば 相手をどう思うのじゃ」と。
それからすると 「北朝鮮」はよほどに切羽詰っているとも思える。
そして 戦争をテーマにしていていつも憂慮することは
たとえ 当時の状況からして やむを得ないことだったとしても 命令を下した張本人は当然ながらも 下されて残虐行為をした 一般の「加害者兵」 の謝罪の声が聞こえてこない(参照ー4)のは 「現在の経済敗戦国 この国」の声無き張本人たち と共通しているとkanta は思うのだが。
参考文献「清算されない昭和」岩波書店
「韓国併合 」岩波書店
「小西行長と沈推敬」日本図書刊行会
「街道をゆく・韓のくに紀行」朝日新聞社
「拉致・朝鮮人陶工たちの記録」長崎造船労組支部
参照ー1
伊万里焼
1598(慶弔3年)鍋島直茂は金公ら67名の陶工を拉致。佐賀の金立山の麓で焼いてから1614年に伊万里郷藤の川内山に移りついで市ノ瀬山に入った。
盛大な時は300戸を超えたが陶土の問題で四散した。
有田焼
多久安順は1597年(慶長2年)鶏龍山金江島から李三平ら150名を拉致。
1637年日本人陶工826名を追放 朝鮮人陶工1127名を隔離して 大川内山に鍋島藩の御用窯を造り 幕末まで約240年間「色鍋島」や「古伊万里」などを生産させた
泉山の陶石は厳重に管理された為 幕末まで有田での磁器生産はされなくなった。有田焼という名がつけられるのは明治以降である。
三川内焼
平戸藩内、現在の長崎県佐世保市三川内町で焼かれた磁器。平戸焼とも呼ばれる。釜山近くの熊川から連行された朝鮮人陶工、巨関を開祖として17世紀初めに起こり、有田の影響を受けながら発展した
萩焼
朝鮮人陶工 李勺光が始めた 1657年秀吉から毛利輝元に預けられ 萩城下に毛利藩の御用窯として開窯した。
黒牟田焼
「文禄・慶長の役」の際 後藤家信が朝鮮から宋博ら900名の陶工団を拉致し 古唐津系の冬季を製造した。古九谷との関係が注目されている。
参照ー2
(『官報』明治四三年八月二九日号外)
朕 枢密顧問の諮詢を経たる韓国併合に関する条約を裁可し 茲に之を公布せしむ。
御名 御璽
明治四三年八月二九日
内閣総理大臣 侯爵 桂小五郎
外務大臣 伯爵 小村寿太郎
条約第四号
日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下は、両国間の特殊にして親密なる関係を顧い、相互の幸福を増進し東洋の平和を永久に確保せんことを欲し、此の目的を達せむが為には韓国を日本帝国に併合するに如くかざることを確信し 茲に両国間に併合条約を締結することに決し、之が為、 日本国天皇陛下は統監子爵寺内正毅を、 韓国皇帝陛下は内閣総理大臣大臣李完用を各 其の全権委員に任命せり。
因て右全権委員は会同協議の上、左の諸条を協定せり。
第一条 韓国皇帝陛下は、 韓国全部に完する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す。
第二条 日本国皇帝陛下は、前条に掲げたる譲与を受諾し、且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す。
第三条 日本国皇帝陛下は、韓国皇帝陛下・太皇帝陛下・皇太子殿下 竝 其の后妃及後裔をして各其の地位に応じ相当なる尊称、 威厳及名誉を享有せしめ、且之を保持するに十分なる歳費を供給すべきことを約す。
第四条 日本国皇帝陛下は、 前条以外の韓国皇族及其の後裔に対し、各相当の名誉及待遇を享有せしめ、且之を維持するに必要なる資金を供与することを約す。
第五条 日本国皇帝陛下は、勲功ある個人にして特に表彰を為すを適当なりと認めたる者に対し、栄爵を授け且恩金を与うべし。
第六条 日本国政府は、前記併合の結果として全然韓国の施政を担任し、 同地に施行する法規を遵守する韓人の身体及財産に対し十分なる保護を与え、 且其の福利の増進を図るべし。
第七条 日本国政府は、誠意忠実に新制度を尊重する韓人にして相当の資格ある者を、事情の許す限り韓国に於ける帝国官吏に登用すべし。
第八条 本条約は、日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下の裁可を経たるものにして、公布の日より之を施行す。
右証拠として両全権委員は本条約に記名調印するものなり。
明治四十三年八月二十二日
統監 子爵 寺内正毅
隆煕四年八月二十二日
内閣総理大臣 李完用
参照ー3


拉致の現場写真

参照ー4
「謝罪の碑」
ソウルから南に約84kmのところに「望郷の丘」がある。
この「望郷の丘」の墓地には 異郷の地で故郷を思いながら亡くなった人々の霊が祀られている。
その中に一つの碑がある
『あなたは日本の侵略戦争のために徴用されて、強制連行されて、強制労働の屈辱と苦難の中で、家族を想い望郷の念もむなしく 貴い命を奪われました・・・』
と 1m四方の謝罪の碑である。
戦時中 朝鮮人を強制連行をした 当時山口県労務報国会動員部長だった吉田清治さんの自費で建てたものである
1983年12月
吉田は自ら加害者責任を認め 頭を地面にすりつけて謝罪したという
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十三段 kantaの初夢
kantaが子供の頃 新聞の記事に毎日と言っていいほど 経済的理由で 首吊り 飛び込
み 睡眠薬 練炭などによる 一家心中 親子心中 夫婦心中が連発していた。
最近 その時ほどにはあまり目にふれない。 報道が取り上げないのか kantaが見逃してい
るのか はたまた 心中まで行かないような社会体制に進化したのか。
いづれにしても 未曾有の不況といわれるにもかかわらず クーデターが起こるとか
殺戮 強奪が頻発し 夜は6時以降外出禁止なんていう様相もない。
社会的にも個人的にもまだまだ余裕があると解釈出来るのか。
それとも 体力のない老人が風邪をひいても もはや発熱すらないのと同じ様に 反発
する気力 体力の喪失と解釈すべきなのか。
閉塞感に診まわれて久しいが いつまでもそうそうとは言っていられない。
30年 50年先を見据えてこの国はこうあるべきだというビジョンが示され それに
向かって一丸となる時期がきている。
忍耐や犠牲と同時に腐敗部分や失策無能部分の切除と糾弾はやむをえない。
製造原価の内人件費が20分の一の国と競争しても勝ち目が無い。
この国が日本並みの人件費になるには300年かかるという。
現在の産業構造と既存の意識でかつての栄華を取り戻そうとしてもそれはもう不可能である。
新しいビジョンと新しい国民意識と新しい産業・政治構造の三位一体が必須条件ではあ
るが、これらを集約していまこそ 早期の決断と果敢なる実行に移す最後のチャンスだと思う。
ところでこの新しいビジョンとか新しい産業てなんだろう。
思うに この国が 世界に先駆けて 徹底的した「地球環境にやさしい豊かで安心して
生きられる社会構造」というビジョンの元、それに向かうべき新産業
例えば 風力 波力 地熱 太陽熱 水素(脱二酸化炭素排出)などのエネルギー利用
の徹底化。緑と水と都市環境 文化遺産の保護整備 宿泊設備の利便さ などの整備による観光立国化。
ブロウドバンドやデジタル化による高密度情報化。
水素自動車 ナノテク バイオ など 超高度知識集約型産業の構築。
従来の人力集約型 大量生産型の産業は他国にまかせればいい。安くていい物を作って
くれるはずである。
我々は国の存在自体が緑と美しい水と伝統の歴史と共にクリーンで省資源で 超高度知
識で地球存続に貢献することめざしそれを世界に示し実践する、今年はそんな「輝かし
い未来ある国」の出発元年としなければ、
と訴えているところで目が覚めた
kantaの初夢。
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一四段 辻邦生によせて
無知とは 実に恐ろしきものである。
こんなに素晴らしい作家が存在していたなんて 自分の浅学には恐れ入る。
図書館で何気なく目にした作家「辻邦生」のことである。
代表作品に「嵯峨野明月記」「西行花伝」「背教者ユリアヌス」やエッセイなど多数。
今回年末から読んだのは「嵯峨野明月記」「西行花伝」「微光の道」「海峡の霧」である。
前記2作品においては全篇にながれる 森羅万象のもつ 生きるものの憐れみ 悲しみ 喜びをその時代の覇者の姿の変遷を
一介の市井の人物や 世俗を離れた人物から しかも 複数の人物の目線を通じて訴えていく
その構成の面白さは 立体的でもあり 推理的でもあり 奥深さと鋭さを感じぜざるを得ない。
司馬の人物描写は 「空海」にしても「項羽と劉邦」「千葉周作」「坂本竜馬」にしても写実的で描写的である。
この描写からどう感じるかは読者の問題であり 第三者的な立場としての描き方であるが
辻は多くの人物の体を借りて それぞれ時代の背景を借りて 人の世の 人の生の 生き物の生の悲哀 苦しみ 憐れみを読者に激しく迫る。
あたかも 己が 「西行」になったかのように世俗を離れ 森羅万象に心を移し ものの憐れみを感じ
水の如く時の流れの見事さを言い表し
また「嵯峨野」においては 三人の人物(誰かというのは内緒)から同時進行に同じ時代を生き
それぞれ違った環境から最後に合体して偉業を成すという構成自体も面白いが
特に感動的なのは両本において「後白河 平家 源氏 」「織田信長 羽柴秀吉 徳川家康」という激動の時代の都や下町の庶民の生き様が
同じ町人(まちびと)という彼らの目線から人々の移り変わる支配者に対する思い
またそんな流れの中において彼らの生活感や人生観が 具に観察できるという こんな歴史小説なんて 他にあっただろうか。
後2作品はエッセイであるが 「微光の道」は彼の作品のいでたちや彼の思考的背景が羅列されている。
非常に奥の深い インテリジェンスに富んだ思考形態には驚かされる どんな立場から書いているのかが伺えて
読み終えた本の再考 またこれから読もうとする本の指針となる。
「海峡の霧」は機智に富んだ 人物評や芸術論 旅行 思想など
彼の人なりや思考的背景の断片が多数にちりばめられている。
精力的な脳と五感の活動が執筆という形で爆発的に飛び出してくる というその才能とエネルギッシュな感性の回転は
とても 簡単に征服できる代物ではないことだけは明白である。
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十五段 「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」を読んで
ベンジャミン・フルフォード著
「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」
― 最後の社会主義国家はいつ崩壊するのか? ―
を読んだ。
カナダ生まれで 米経済紙「フォーブス」の東京支局長を経 帰国後「日本の危機」というコラムを掲載中。
主要目次 は
1.Ths Yakuza Recession(ヤクザが不況をつくった)
2.Japan's Underground Society(日本の裏社会)
3.Media's Cozy Relationship With Authority(メディアの癒着)
4."Makeup" Called Structural Reform(構造改革と言う名の化粧直し)
5.if I Were The General MacArthur(本当の改革とはなにか?)
となっている。 各目次の要約は
1.〜不良債権の処理が一向に進まないのは、担保不動産の売却をヤクザが邪魔している。
その意味で、今の日本は「ヤクザ不況」である。日本における政治家と闇社会の癒着は根深く、公共事業の3
0〜50%がヤクザに関係していると言われる。
2.〜日本の「言論の自由」は、見せかけだけのものに過ぎない。
日本のメディアには「書いてはいけないタブー」が巌然と存在する上に「権力の監視機構」が皆無だからだ
また、日本では中立であるべき裁判官が金融機関の利益代表になっており、司法の場でその貸し手責任を追
及するのは不可能に近い。
3.日本がこれまで北朝鮮に巨額の援助を行ってきたのは、北朝鮮の現体制と日本の政治家や官僚がつながってい
るからだ。北朝鮮の現体制が崩壊すれば、日本の政権もただではすまないだろう。
4.日本という国はすでにピークを過ぎている。人口が減少の一途をたどる一方で、高齢化は加速している。
これでは「内需拡大」は望めない。また、「団塊の世代の引退」とともに、これまでの「日本株式会社」のシステムは
崩れていく。
さらに「中国の発展」や「経営ルールのグローバル化」(「四半期会計」「減損会計」)などが、日本の衰退に追い討
ちをかけている。
この国を崩壊に導いている「鉄のトライアングル(政・官・財)」が実はそれに「ヤクザ」が加わり「鉄のカルテット
」だという。我々も薄々には感じ取っているが 実態も明らかにされていないし 確かに「天皇」の部分と同じに「ヤ
クザ」の部分というのは タブー視されているのかもしれない。
現に それを正視しょうとする人々はすでに8人も変死しているという。
つい最近もどこかの街の土木関係の市役人が入札の不正ので是認問題をめぐって拉致監禁されたあげく殺害されている
。このことは 映画やニュースでみる イタリアやロシアのマフィアが政財官の中枢に入り込み 国を食い物にしてい
ると 半ば嘲笑気味に「ああ あそこは」と言う。
しかし この国はもっと以前から もっと深く もっと大規模に入り込み 先細りの古木を腐らせ倒壊させようとして
いる。しかも全くその実態も明らかにされず 正していこうという空気も流れも無い。
異邦人の新聞記者からみた 日本の現状を 日本人ならなかなか言いにくいことを率直に 感じたままを述べている。
勿論 否定的根底ではなく なんとかもう一度立ち直ってほしいという著者の切実な願いが感じ取れる。
では「本当の改革」とは何か
アルゼンチンがだめになったのは社会の上部層の腐敗を改革できなかったからだと氏は指摘し 同じことが日本にも当
てはまるという。「根回し」という手法や護送船団方式ではもう通用しない。老人を中心とした各界の中枢は即刻排除
し社会的公正さを取り戻し まさにゼロ・ベースからの再出発を本気で目指さなければもう立ち上げれないともいう。
「大体5万人くらいの「カルテット集団」を銃殺しなければ」という氏の冗談まじりのため息が聞こえてくる。
了
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