二十一段 伏見・酒蔵と寺田屋
京都・伏見は奥深い処である。
歴史のどの時代を切り抜いても 何かの形で関係する。
それというのも
京都の南の玄関口に位置し それは大坂に繋がり 東にとれば大和。北にとれば近江から 越後 さらには尾張から江戸に通じる
陸路のみならず 水路での要衝でもある。西から桂川と鴨川とが合流し更に東に宇治川 泉川(木津川)が合流して伏見の南で 河内湖に注ぐ山城川(淀川)に全てが合流するという地理的要因があるのであろう。
水路は現代のハイウエイ 伏見~大坂の「三十石舟」は浪曲・落語でもお馴染みである。
伏見の港は 現在の観月橋付近にあり 今は観光用に大蔵酒造の横から「十石船」が40分程のコースで遊覧している。
この日はあいにく雨交じりのため アベック一組が 出港定員待ちをするが いつ出るかうらめしそうに 土手を見上げていた。



伏見銀座碑
伏見を出ると次は「枚方の港」 船の客に「くらわんか」(食べませんか)という掛け声から 今は
枚方名物「くらわんか餅」。枚方駅近くには宿跡「鍵屋」が市の史跡として保存されている。 その次は「守口の港」守口駅近くに数百メートルに及んで当時の淀川の旧堤が住宅街に溶け込んでいる。
ちょっと余談になってしまったが 伏見は水・陸のインターチェンジであった。
豊臣秀吉は ここに伏見城を築いた。続く徳川家康も江戸に引っ越すまでの数年間はここで政権の準備期間をとった 人はこの間を「伏見幕府」と言う。
この「伏見幕府」の全国初の統一銀貨発行という命で慶長丁銀を造らせた。その場所が「銀座」と言われた。
江戸の「銀座」は江戸幕府に移行してから出来たものである。
今も「銀座町」「両替町」の名と製造所の史跡碑が建つ。
伏見の酒処は 大消費人口と近江などの良質米と酒造り技術者(杜氏)それを運ぶ交通 それになんと言っても「伏水」と言われる名水が湧き出る この三位一体で成り立つ。


大蔵酒造記念館
余談だが この杜氏制度は良く出来ている。
杜氏の多くは 丹波や北陸の農閑期の人々。
酒の仕込みは年に一度 ということは 蔵元にとっては年一の為に多くの技術者を抱える負担は少なくない。一方 農閑期の農民にとって酒造りは格好の出稼ぎ先。両者にとって実に旨い話である。
1637年この地の利に目をつけて 「笠置屋」(現大倉酒造)の初代・大倉冶右衛門が酒造を始めた。当時は公家の近衛家の「伊丹酒」が市場を独占しており その後の江戸遷都もあって 八十数軒の酒蔵の経営も決して安泰ではなく 維新時の「鳥羽・伏見の戦い」ではほとんどの蔵元が焼失 当初から継続現存は大倉酒造と北川本家の2軒のみであることからも伺える。
明治以降再び活況を呈し 現在伏見酒造組合登録は 黄桜酒造(黄桜) 宝酒造(松竹梅)大倉酒造(月桂冠)キンシ正宗(キンシ正宗)北川本店(富翁)など30軒。

黄桜通り この奥が寺田屋
高瀬川沿いの漆喰の白壁と焼板の黒塀 煉瓦の赤い煙突 この街の一角は「白と黒と赤」の時代村。
名古屋の「明治村」と太秦の「東映映画村」を合わせたようなセットの街中に自動車が走る
そんな趣の 今風の感覚で「洒落た町並み」という。
黒塀の酒蔵はレストランや博物館や酒・みやげ物販売所となり 定期観光バスのコースとなり 多くの見学者が 酒の試飲を楽しむ。


キンシ正宗 伏水(ふしみ) 大蔵酒造元本社今は喫茶店・酒・土産販売
酒好きにとっては まさにカッパ天国 しかし 酒をめぐる環境は決して甘くない。
アルコール飲料の多種化によって 日本人にとっての日本酒の位置付けは スポーツ競技の多様化の中の「相撲」とイメ―ジが二重写しになるのだが。
カッパ天国黄桜展示館の黒塀の通りをぬけて「竜馬商店街」を横切ったところに「寺田屋」がある。
幕末の薩摩藩指定宿「寺田屋騒動」の舞台である。
間口は三間ほどの京の「うなぎ床」。奥行きも四部屋と狭い庭がたてに並ぶ程度。
死闘の舞台は玄関入って左の奥の階段を上がった右手の3番目の部屋。
部屋の前の柱には「刀傷」が残っている。
こんな狭い所で 刀を振り回とは 無茶するもんだ。
文久2年(1862)薩摩藩同志の内紛である「騒動」では9名が死亡。
続く慶応2年(1866)には 薩摩藩同志に扮して宿泊していた坂本竜馬が伏見奉行所の獲り方に囲まれて深手を負うが西郷隆盛らによって逃げ延びるという事件もある。
ここは後に竜馬の妻になる おりゅうとの愛の巣でもあり 竜馬の定宿でもあるのか 部屋の隅々に竜馬の手紙やら 写真 使用していたピストル(展示はレプリカ)など竜馬一色である。
宿屋の横の小さいスペースに竜馬の銅像があり 碑があり 祠がありとさながら「竜馬神社」。
見学は400円で午後三時半まで それ以降は素泊まり7000円の「本当の宿屋」になるというから その商魂に海援隊もびっくり。
これも余談だが その後竜馬は慶応3年11月15日京都・土佐藩近くの醤油屋・近江屋新助宅の二階で中岡慎太郎と共に殺害されるのだが犯行は 近藤勇ひきいる新撰組となっているが 真相は諸説頻繁定かではない。
どうも先ほどの試飲が効いているのか ほろ酔い気分で 黒塀と柳と川伝いに「いやさ お富」の世界から抜け出して もと来た道を駅に向かう。


寺田屋隣にある銅像と碑 竜馬の部屋 右下にピストルのレプリカ 3時半以降は素泊まり宿に変身
