二十三段 掲示板投稿文(1)

2004年4月9日

以前から鬱積していた感覚に 「イラク人周辺の人種」のお粗末さがあります。
勿論 遠く離れた 人伝の報道からしか情報がなく そんなものだけで判断するのは危険なんですが 一応事実だと仮定して言わせてもらうなら 
とにかく 「行儀」が悪い人種だと思います。もともと 祖先は交易のピンはねを業として勢力を増した 「砂漠の盗賊」部族ですから 中国人の考え方「獲られるほうが悪い」式と共通しているのでしょう。
我々の「獲るほうが悪い」なんてやるとそこは嘲笑の世界。
これが今のイラク「殺される奴が悪い」 国立博物館の貴重な遺物も「獲られるほうが悪い」善良行為も「とらわれる奴が馬鹿」という図式なんでしょう。
職も食もない鰐の池に無防備で善良な人が水浴びするようなものなんでしょうね。

でも 人の子供だと思って簡単に言えますが 人質には「売れない役者」と交換したらどうですかね。

4月13日
もう桜も散り 昼間は少し汗ばむような 季節は一気に変わります。
病人が食べ残した 食パンのヘタや端切れをさらに砕いて ブロック塀の上においてやりますと いつの間にか全部無くなっています。
こちらとしては 鳥の餌と思っているのですが あまりにも見事な食べっぷりに本当に鳥なんだろうかと疑ったもので というのも近所の野良猫がその塀の上を歩いているを見かけたことがありますので 猫の餌となると近所の手前 すこしためらいます。
さてさて 大食漢の正体はといいますと。
餌を置いて3分ほどすると 塀の上の電線にスズメが2羽 止まって餌と周辺を見回しています。 私への警戒でしょうか 猫の襲来を気にしているのでしょうか なかなか降りてきません それで私自身を少し木の陰に移動してやる すると30秒後には まず1羽が餌から少し離れた所に降りてきました でもまだ周辺を気にしながらしきりにチュンチュン 鳴いています。
やっとつつき始めました パンが少し大きいのか 何度もブロックに叩きつけますが 其のうち大きな塊のまま 銜えてどこかに飛んで行きました。
同時に電線にいた他のスズメも2羽3羽と降りてきて ほとんど同じような仕草をして 最後は塊を銜えて飛び去ります。
もう一段高い電線でその様子を見ていた やせたカラスが1羽降りてきました さすがにおおきな塊も一口に食べます。あまり食が進まないのか 和食専門なのか 3片ほど飲み込んだら ゆさゆさと飛んで行きました。
とたんに どこから来たのか 2羽のハトが来て せわしなくつつきます。
夫婦かな 兄弟かな でも2羽が押し合ったり 餌を取り合います。 
食べるは食べるは 米搗きバッタのように 大きいのも 小さいのも バター付きもジャム付き メニューはおかまいなし。
あっという間に腹がパンパンになっていきます。
少し息をいれ周りをくるくる回って 残りも全部平らげました。
そうか こいつがあの食べっぷりの正体なんだ。
きれいに拭き掃除をしたように あとかたもなく消えています。
猫の入る余地も無かったです。
ふ~ん なんでこいつが 平和のシンボルなんだろう そうかそうだ 食べれるというのが平和なんだ。いや テロや拉致も無く 肥満ハトを観察していられる状態が「平和」なんでしょうね。


4月21日
kantaがここでいくら怒ったところでなんの変化も影響もないのでしょうが
大阪の肉屋のおっさんの 税金泥棒・詐欺事件には閉口します。
でもよく考えたら あんなのは政界・財界で日常茶飯事に行われていることで また何千年も前からこの図式は継続しているのですね。
なんのことはない今の三井・三菱・住友もこれの成れの果てなんですね。
いち早く情報を入れる為に情報の発信者(たとえば宗雄君とか ・・・君)に金で近づく
それで得た利益の一部をまた発信者に持っていく。
これは現在でも大手銀行・建設・医薬など法律や条例などで鎧のように守られている業界で特にその傾向が強く 情報の入手の有無が命取りとなるのでしょう。
しかし今回は単純な私腹のための詐欺・脱税行為なんですがこの国の病巣の一端をみたような気がします。 

4月26日
春過ぎて夏来るらし 昨日、久しぶりに考古学教室の講座に行きました。
演題は「万葉集からみた天武天皇と持統天皇」
講師は市立大学名誉教授 直木孝次郎
教授が40年ほど前に書かれた「持統天皇」という本がkantaが初めて買った考古学関係の本だと思います。
昨日もその本をご本人がもってこられ「今考えても 自画自賛になるが よく書けていると思う」とおっしゃっていましたが そうだと思いました。
さて 歴史学者でおられる教授が 専門外の「万葉」の世界から伺える「天武と持統」ということで ふだんとは少しかわった視点での「少しクダケタ立場から」ということで 会場は終始笑いが漏れておりました。
教授のお話は
 天武については 有名な額田王「あかねさす 紫野行き 標野行き・・・に対しは天武の「紫の にほへる妹を 憎く有らば・・・」
からするとどうも 天武は額田王にふられ いつまでもうじうじといいよっているような
どうも性格的にはウェットではないか
また壬申後 子供達を吉野に集め 「千歳の後に 事なからしめむと欲す」といって全員を抱きしめているのですが どう考えても英雄 豪傑 闊達というようなイメージが出てこない
また藤原夫人との有名なやりとり
「我里に 大雪ふれり 大原の・・・」 夫人返歌「我が岡の おかみに言ひて 降らしめし・・・」では天武のユーモア・お茶目さがうかがえる。
そして持統天皇に対しては
「春過ぎて 夏来るらし ・・・」のごとく 当時の女性としては珍しく はっきり物を言い切る また 天武崩御の挽歌「やすみしし 我大君の 夕されば 見したまふらし 明けくれば 問ひたまふらし・・・・」とように 夫や子供にかける 巨大な愛情の深さ(これが 後には大津皇子事件をおこすのだが)
また 天武が「日本書紀」の編纂や藤原京への遷都などの立案に対し 全て持統が実施完成させている
というようななかなか興味あるお話でした。
結論では どうも万葉からみるには 天武のウェットでユーモアでやさしさがありというのにたいし ドライで 実務的で実行型 その反面子供・家族にたいする溺愛があり情熱家でもあるという そんな2人の人間像が浮かんでくる。 人の上に立ち 政治を動かしていくというには どこか人間的な魅力があったのでは ということでした。
天皇の歴史上 天皇として最大の力を得た「天武と持統」についての興味は尽きぬまま
講演会は終わりました。
それにしても会場には200名予定が450名が押しかけ 隣のビデオ室でTVによる聴衆も出て 大盛況。 さすが高名教授 名前だけでなく お話のかたりぐさの旨さ 薀蓄のある豊富な内容 感激・陶酔の時間でした

4月29日
ある本に「熱力学の法則」というのがありました。
第一の法則
   宇宙における全エネルギーの総和は一定である。
第二の法則(エントロピーの法則)
   物質とエネルギーは使用可能なものから使用不可能なものへ ひとつの方向のみに   変化する。
 とありました。第一は物質はいろいろに変化はするが宇宙全体から見れば結局総体としては変わらないということだと思います。
問題は題2なんですが一度エネルギーとして使用した物質は不可逆的に決してエネルギーとしては使用できないという法則なんですね。 
人類は多くのエネルギー源を利用し消費してきました。
長くは木材が中心だったと思います。でもその成長以上に消費してしまうと当然枯渇します。
ヨーロッパでは13~16世紀の間に木材から石炭に変わっています。
今石油や天然ガスが主力なんですが さてこれが枯渇すれば人類はエネルギー源をどこに求めるのでしょうか。
原子力なのか 核融合なのか 太陽なのか 水力・風力なのか でもこれはそんなに遠い未来の話ではないと思います。

最近 海洋資源の乱獲である種の魚が絶滅するという報道を見ました。
キンメダイとかマグロやカレイなどもその中にあったようです。
エネルギーの消費のしかたとこの魚の乱獲とどうも共通するように感じました。
目先の利益にわれ先がちに捕獲しようとする漁師の姿は エネルギーの確保に血眼になる国同士の諍いの姿とダブルのです。
特別頭がいい人でなくても 生産される以上に獲っていけばそのうちになくなるというのは自明の理。
いつか見た大量発生のバッタやねずみの大群が最後は共食いとなって自滅していきます。
成長・拡大が人類の目的あるいは幸福に本当につながっていくのでしょうか。
限りなく再生される人類に限りなく再生される資源を神は給へたまふといふのでしょうか。

4月30日

「日本の古典を読むシリーズ」と称して
今「今昔物語」と平行して「井原西鶴」を読んでいます。
「好色一代男」「好色五人女」「好色一代女」と所謂好色物を続けて読みました。
開幕後80年ほどの比較的安穏とした江戸や上方の市井の情景が普遍的な人間の欲情や愛欲の世界から垣間見れ また当時の色町の様子など興味深く読みました。
どの時代でも所代わり品変わろうとも 男女の欲情・愛欲にはなんら変わることが無いなと思いましたが ひとつ驚いたのは 今では「ホモとかレスビアン」とか言うとなんとなく奇異な感じがしますが この時代ではそう珍しくないのでしょうか。例えば「一代男」の主人公「世之介」は生涯に肉体的に関係した人の数は女3742人 男725人となっています。
女性に比べ数は少ないのですが 文中でも別段取り立てて奇異なことでもなく普通の男女愛のようにさらりと書いてあるというのは 当時 愛欲には男女の区別は無いのですよということで認知されていたのでしょうか。
そうだとすれば日本こそ「同性愛先進国」ではないのでしょうか。
いやいやそうでもないかな 「千一夜物語」でも中国の「宦官」などみてみると結構でてきますね。

洒落ているのは なんでも「男娼歴代番付表」のようなものがあり 横綱は天下の美少年秀次公の小姓「不破万作」だとか。
洒落ているといえば 遊女屋のオーナーのことを亡八(ぼうはち・くるわ とも読む)というのですが これは儒教の八徳「仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌」を忘れさせてくれるからとかいてあります。
もうひとつ興味深かったのは 遊女にも大きなランクがあり最高位が太夫で以下 天神・鹿恋(格子・散茶)・見世女郎とあり太夫は容姿・品格(?)だけでなくあらゆる芸事にも通じさしづめ高級娼婦というやつですか。
でも年食ったり 客の評判が悪いと「太夫落ち」の天神といって降格もあるのです。 
揚げ代も太夫で38匁 天神26匁 鹿恋(かこい)は15匁(揚げ代が15匁で十五と書いてかこいと読むところからきた名前)
因みに 38匁とは現在ではいくらくらいでしょう。
当時(1650年前後)での貨幣価格をみるのに 米の価格で比較すると少し高めの米で10kg5000円くらい それをもとに換算すると小判が銀60匁で12万円くらい ということは1匁が2000円。
ということで 38匁×2000円で7万6千円(消費税別)
鹿恋の15匁で3万円 見世女郎では1匁からあるといいます。
これが高いか安いかはあなたしだいです。

これを頭に入れておくと よく落語やら歌舞伎などで「廓狂い」の放蕩息子が勘当されたり 身上をつぶしたりという場面がでてきますが 「太夫」を独り占めにすると 一ヶ月え~と228万円それに周りの太鼓持やらやり手ばばあや衣装代 土産代とおそらく300万とか400万円はかかると思われますので大体想像がつくと思います。
世之介も勘当されて親父が亡くなるまで 貧乏暮らしの中でも色の道を追及するのですが やはり所詮は成金親父か高級役人の世界のようです。

「五人女」とはお夏・清十郎 おせん・長左衛門 おさん・茂右衛門 お七・吉三郎 おまん・源五衛門
の五組の人情物なんですが どれも当時実際におこった出来事をヒントに脚色したものらしいですが確か「ボバリー夫人」も実際のことを題材にできたとか 洋の東西を問わず ほんに この「道」は不可解で深淵なことでありんす。