二十九段 大山崎を歩く


古戦場「天王山」の麓大山崎町を歩いた。
古来この地は古都の出入口にあたり 天王山と淀川に挟まれた要衝の地である。
淀川も今よりもっと山よりだったので 1kmくらいの幅だといわれる。
今はこの細い首のようなところに新幹線・阪急電車・東海道線・名神高速道路が並んでいる。
山崎の津は河内のなたね油や荏胡麻油の集積地としても栄えた。
かつては山城の国府もおかれた。
阪急電車大山崎駅を降りて歩いて2~3分のところに町営大山崎歴史資料館がある。
「天王山の合戦」の案内はTVの画面と大きなパネルによる解説がなかなかおもしろく
まるで戦争の作戦本部で戦況を見ているような気分である。
展示物としては「長岡京跡出土遺物」「大山崎遺跡群出土遺物」「百々遺跡出土遺物」
「離宮屋八幡宮文書」などなど
それに妙喜庵(室町時代後期に東福寺の僧春嶽が開山国宝の茶室待庵があり、千利休が唯一残した茶室であるといわれ
小間の茶室の原点といわれ、待庵以後このような形の茶室が一般化したものと考えられる。)
の原寸大のレプリカが再現されている。

「離宮八幡宮」関係が多いのは860年(貞観二年)に僧行教が宇佐八幡神を嵯峨天皇の離宮の一郭に勧請したことにより、離宮八幡宮が誕生し 平安時代末頃に当地で始まった荏胡麻油生産は中世になると活発化し、生産者たちは八幡宮を本所として油座を組織し、全国の油専売権を握り、販売を独占した。その当時の様子は司馬遼太郎の「国盗物語」の中にも描かれている。

        「アサヒビール大山崎山荘美術館」が今回のメイン目的なんだがその前に「美術館」の真裏にある

         宝積寺の三重塔(HPより)                                 宝積寺(ほうしゃくじ)通称宝寺にいった 宝積寺「三重の塔」奈良時代に聖武天皇の勅願を得て、僧・行 基が開いたとされ多くの重要文化財を有することでも知られ、鎌倉時代の傑作ともい  われる「十一面観音立像」が本堂に、収蔵庫には「閻魔王を含む五冥官群像」などがあり、いずれも他を圧倒する迫力を持っている。

また参道沿いに立つ重文の三重の塔(写真)は、「一夜の塔」の別名を持ち、 羽柴秀吉が「山崎の合戦」の際に一夜にして建てたという言い伝えが残る塔で、 桃山時代の美しい建造物として、多くの人々に親しまれている。

境内を散策していると 天王山頂上までの入り口と看板に書いてあり
そうか前から一度は登りたいと思っていたあの天王山だ。
と思ったのが悲劇の始まり 岩の多い急斜面を登り始めた
10分ほど登るともう汗が吹き出る
何か靴が変だ・・・
ちょっと休憩のついでに靴をみる
何と靴底が剥がれかかっている 今日は登山の心算ではないので普段履かないスーツ用の靴なので この岩路に糊がはがれたのだ。
なんとか踏破したいし 靴がパクパク喘いでいるし。
左足のパクパクに気を使って歩いていると今度は足がつってきた。
山中で戻るも適わず登るも地獄
足のひきつりの回復をまって思案六歩。 そうだとりあえず靴はポケットにあるハンカチを靴に巻いて 丁度鼻緒が切れたわらじを底から足に括り付ける様に
して歩いてみると非常に軽くスムースに歩ける。 でもすれ違う人にカッコが悪いし それでズボンを出来るだけすそにずらせて どうにかひきつりが回復したところで又登り始めた。
頂上まであと600mと表札 丁度真ん中くらい 急勾配の600mは非常にきつい
なんとか 中ほどよりすこし上7合目くらいだろうか十七士の墓まで来た

十七士

十七士の墓(HPより)
十七士の墓は禁門の変(1864年)の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した長州軍の隊長真木和泉守以下17名の眠る墓で
新政府の誕生は変の4年後のことである。

しばしまた休憩

 八合目付近に旗立松という展望台がある 1582年におこった山崎合戦の時、秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げたところ、戦局に大きな影響を与え勝利を収めたといわれ眼下には淀川の流れ、大阪平野、京都盆地が望まれ 対岸は八幡の男山・橋本 その横に楠葉の町並みがほんの目の前に見える。淀川があるので両岸は別の国の様相だが距離にすればほんの数キロなんだ。

ここからはかつての古戦跡が手に取るように見える 「天王山の戦い」というのは今まで この山の中で戦われたと思っていたが実は眼下にある
当時川と山の間のわずか1kmの間に陣取った双方が方や備中高松城水攻めから急遽引き返した豊臣勢3万5千 方や親戚や加勢すると思われる人々から見放された明智勢1万5千が正面衝突 わずか2時間の戦闘であったという。
天下分け目のとか さぞ攻防戦の激しい 行き詰まるものだと思っていたが 事実は最初から勝敗が決まっていたような戦いだ。

展望台近くでまた足が引きつったが自玉手祭来酒解神社 (酒解神社)にたどりついた
ここからは少しなだらかな道で頂上までもう一息


酒解神社(HPより)

喜式内社で乙訓地方で最も古い神社で
本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の
建築でわが国にある板倉では最古の例で、
重文に指定されている 
板倉は分厚い角材を組み上げた
形のもので非常に珍しい建物

さていよいよ頂上 もう足も靴心臓もぼろぼろ
なんとかたどりついたが 少しの空間があり 石垣らしい痕跡と飲料水用の井戸跡がある。

天王山頂・山崎城跡は標高 270.4m を測り、丹波山地の東南端にあたり山頂付近には中世以来たびたび城が築かれたが今日残る城跡は 1582 年 (天正 10 ) の天下分け目の天王山の戦いで勝利した羽柴秀吉の築城によるもの。
周りは木が茂り何も見えない 結局8合目の展望台でしか風景は見えなかった
下りはあの急斜面で足全体がこわばって何度か立ち止まる。
一歩一歩踏ん張って下まできた 
もう気力も無くなってきたが目的の「美術館」がまっている
駅から坂道歩いて10分くらいの中腹にある。




アサヒビール大山崎山荘美術館は大正初期から昭和にわたり建てられた山荘を修理、復元し美術館として開設している
。大山崎山荘美術館内には民藝派の巨匠、河合寛次郎氏、濱田庄司氏、バーナード・リーチ氏等陶芸家の作品が主に展示されている。また、隣接し新築された「地中の宝石箱」 と呼ばれる円形の建物は安藤忠雄氏の設計による絵画館であり、内部には印象派の画家、モネの「睡蓮」 他が展示されている。
入館料700円 多くの人が来ている。
内部は神戸の異人館のような洋風の建物と家具 敷き詰めた絨毯 とてもお洒落で 展示物はそれほど多くないが 2階は喫茶室になっていて
ベランダからの眺めもすばらしい
個人の別荘だったというから 我々庶民には思いつかない規模である。
新設の別館は本館から続きで地下に降りていく
安藤さん独特のコンクリート打ちっぱなし
この人の設計は本当に素晴らしい どこか人間味を感じる
モネの睡蓮は2点 これだけでも相当な価格だろうなあ

建物・敷地自体が美術館のような所から帰路に着いた
使い果たした足を引きずりながら 駅のホームでそっと足に巻いたハンカチを解いた