三十四段 野洲市をサイクる
例の如くの「サイクるシリーズ」である。
今回は滋賀県の湖東 野洲市に参るぞよ。
野洲市は04年10月1日に野洲郡中主町・野洲町が合併したできた新しい市ではあるが 県の南西部に位置し、琵琶湖に面し
近江富士と呼ばれる三上山のもとに広がる平野部に野洲川が流れ、県下でも有数な穀倉地帯として栄え また「銅鐸のまち」として知られるように、
数多くの史跡・文化財が残り、江戸時代には中山道・東海道の街道文化が栄えるなど、歴史深いまちでもある。
人口は約49000人 古いものと 新しい住宅と田園が入り混じった非常に爽やかな匂いがした。
京都からJR快速電車で約30分途中の大津は当然ながらも 途中の駅や街もほとんど家が詰まっており 嘗ての「田園」というイメージは最早ない。
野洲駅もりっぱな玄関駅舎だった。


J
R野洲駅 駅前の観光案内所
早速予約している駅前の観光案内所にいって自転車のレンタルの開始である。
例の如くレンタル所で地図や道や観光情報をたっぷり仕入れる
この観光案内所のおばさんは非常に親切で 地元をこよなく愛しておられるのだろう
誠心誠意のアドバイスをいただける
地図を片手に「祇王の誕生地・寺」や「平家一族終焉地の石碑」「芭蕉の先生北村季吟の句碑」「摩崖仏」など
知らなかったことが次々と案内される。
もうこの段階で興味深々。興奮抑えきれず いざサイクるぞ~。
駅からまっすぐ新幹線のガードをくぐって国道8号線に出る。国道を渡ったところに地図上では「越前塚古墳」になっているが
人家の裏山らしい 廃棄物などに埋った坂道をおそるおそる上がりって行く やっぱりここではないかなとおいう不安が過ぎったとたん頂上付近に
石碑が建っている。
やった!今日はじめての訪問古墳 これは幸先がいい。
5世紀末の全長50mの前方湖円墳と説明ではあるが後円部頂上に50cmほどの穴が開いている
これは盗掘穴なのか 覗いてみるにかなり深くて暗い とても入る気になれない


越前塚古墳の石碑と開口部
未調査なのかあまり資料がない やはり気持ち悪いのかな
あとで市の学芸員の方とお話が出来たが やはり入ったことがないらしい
外から拝んで退散。 でも何故か征服感だけは残る
国道8号線沿いに5~600m走って山手のほうに入ると 「福林寺跡と磨崖仏」に行き着く。
人家の裏山に分け入ってみると 薄暗い山のすそに 「廃寺跡の石碑」と岩に仏の彫刻が施されたものがころがっている
室町時代のものらしい。出来はもう一つ 多分一般の信徒が彫ったのであろう



今は薄暗い藪の中に石だけが残され残酷な時間というナイフに切り裂かれているが
当時の人々はどんな思いで彫っていったのであろうか。
実はこの近辺にもう一つ寺跡(妙光寺)がありそこにも磨崖仏があるというが山道往復30分かかるので今回は断念。
この地からまた国道8号線に出て国道沿いに10分ほど走る。
やや!! お椀を伏せたような小山が見えてくる 国道の直ぐそば しかも新幹線の高架との間に3個ある。
これが「大岩山古墳群」の一部「桜生史跡公園」(さくらばさましせきこうえん)である。
現在は史跡公園として立派に整備されており かつて韓国の慶州の「古墳公園」を彷彿させる
整備前と整備後の写真を併載した


整備前の天王山古墳(左上=同公園資料より)と古墳上からみた国道8号線
天王山古墳は全長50mの 前方後円墳西に入り口をもつ横穴式石室を検出
後円部に6世紀に追葬されたもの
出土品は土師器 須恵器 乾式系土器 など

左上は整備中の「円山古墳」 右上は開口部まで整備された歩道
下は玄室と石棺
「円山古墳」は6世紀はじめと推測される直径28m高さ8mの円墳
玄室は長さ4.3m幅2.4m高さ3.1mの横穴式
刳抜式石棺が一つとその奥にもう一つ組合式石棺がある。
出品は鉄製武器を中心に銀製の耳飾 冠に取り付く装飾類 ガラス玉など
轡や鞍 鐙などの馬具も出ている
ところで玄室の写真を撮ろうと近づいたところ 突然石室が光り 女性の声がする。
もうおったまげたのなんのて。
本当に心臓麻痺を起こしそうだった
墓の写真を撮ろうとして墓が光り 声がしたらだれでもびっくりするわいな
センサーで人が近づくと石棺が輝きスピーカーから女声で案内してくれる
いろんなお墓を見て周っているが こんな親切なお墓ははじめでじゃ
一言 近づくと「光ります」「声がしてきます」くらいの案内してくれないと
心臓に悪い
でもたいしたもんだ

もう一つは「甲山古墳」上は整備前 下左は遠景 と整備された石室と石棺
名前の通りの「甲山」
ここもセンサーが働いていると思われたのでそっと近づく
やっぱり あるある でももうびっくりしないぞ
直径30m高さ8m
6世紀中頃の横穴式石室をもつ円墳
やはり武器 武具 馬具 などが多く出土
この古墳の向こう側のすぐそばが新幹線の高架
滞在中も何度も列車が走る
ほんの数十メートルもはなれていない よく壊されずに もったものだ
でも綺麗に盛り土されているが 列車の振動で山がくずれるらしい
一日何万人も横を駈けて行くが こんなものが真横にあるとは だれも知らないだろうな
kantaもしらなかった
さてこの古墳の丘で昼飯じゃ
征服感と達成感と感動でコンビニの弁当も今日は美味いと思った
食事後公園内にある案内書に立ち寄って資料の数々を手にし
おじさんが発掘時のビデオをみせてくれた。
さていよいよ今日の第2の本命 「銅鐸博物館」へ
滋賀県の「希望が丘文化公園」の入り口にあり 「大岩山古墳群」の中核・管理 研究所として位置し
広い敷地内には「宮山2号墳」や「弥生の森歴史公苑」があるがある

整備された「宮山2号墳」


銅鐸博物館

弥生の森歴史公園
博物館は入場料200円
明治14年 この館のすぐ裏山から14個の「銅鐸」が発掘されさらに昭和37年に10個
合計24個の銅鐸が見つかっている
これは現在のところ日本の最多発掘数であり 町のいたるところに「銅鐸の町」というコピーもうなずける
銅鐸は青銅製で2000年前頃大陸から伝わり 使用目的は推測ではあるが 最初は鐘のようであり
後には装飾的・象徴的見世物となったのではないかと言われている
展示物も本当にりっぱであるが 展示館もすばらしい
地方の自治体がこれほど予算がとれるのは驚きである。
我々ファンにとっては ありがたいことであるが こんな素晴らしい物を素晴らしい場所にもかかわらず
訪れる人はデズニーランドの何万分の一であろうか

出土した銅鐸と同じ大きさのレプリカ 当時の人々の服装 貫頭衣を着て記念写真
館内では受付の女性や学芸員のかたの親切な案内や説明に聞き入った
館の外庭にある竪穴住居の中に入ってみた
結構広くて清潔そう
でも一つ不思議に思ったのは 何故わざわざ1mも掘って低くしたところに居住していたんだろう
本来なら1mほど盛り土をしてもおかしくないのに
本当はあの穴の上に台をしつらえて そこで寝ていたのではないだろうか
高床式と逆行する居住様式には納得できない
この館のすぐ裏手に「銅鐸発掘地の碑」が建っている
本当の場所は明冶のことなので不明らしい また昭和の発掘地はもう削られてないという
十二分に楽しんで館を後にした
今度はJR線の反対側をサイクル
この地域の古墳分布は JR線で中断されている
この古墳群の盟主の集落はいくつかの候補遺跡はあるが同定されていない
りっぱな総ガラス張りの市立図書館のそばの田んぼの真ん中に
これまたりっぱに整備され「大塚山古墳」がある
周濠には木屑を施して 造りだし部に葺き石を整備した「大塚山古墳」
直径58m帆立貝式とされている
円筒埴輪や石見式盾形木製品などが出ている
のどかな田園風景から1500年前の姿は想像できないが のどかで 豊かな大地であったろうと思われる
桜祭りが行われるという綺麗な水の小川のそばに「亀塚古墳」がある
もうほとんどその姿をとどめていない

この被葬者はどう思っているだろう
そろそろ太陽の光が斜めになってきた
駅にもどる途中住宅街の中にある小さな公園が「古冨波古墳跡」今は平地化し公園となっている
そのベンチに腰掛けて休憩する
近所の子供達10人ほどが興じている
小学校の1~6年生くらいであろうか
最近あまり見かけない光景にほのぼのとした 懐かしいものを感じた
飽きることなく暖かい日差しの中で子供達の歓声と笑顔をみていた
本当にここは素晴らしい街だと思った
住民の皆さんには申し訳ないが 皆さんの税金でこんなにも 平和で文化的な一日を過ごさせてもらった
感謝 感謝 本当に感謝
完
追伸
家に帰り 「野洲市のホームぺージ」をみていたら 「市長あてメール」というのがあったので早速
今日のこの感動と感謝のメールをしたところ下記の「ご返事」があった
メールありがとうございました。
野洲市の「銅鐸」いかがでしたでしょうか。
お褒めのお言葉を頂戴しありがとうございます。早速市長へ報告いたしました。
また、文化財担当課へも報告いたしました。今後の励みになることと思います。
本市も昨年10月に合併し、旧野洲町の三上山をはじめとする丘陵地と、
旧中主町の琵琶湖を併せ持つこととなり、自然をはじめとする観光資源も充実し、
また、県下でも有数の文化財を誇るまちとなりました。
今後とも、「人権と環境を土台に生きる意味が実感できる社会づくり」をめざして
まいります。 以上お礼まで。
野洲市役所 広報秘書課