二十段 金正日を読む
北朝鮮の最高学府金日成大学総長 最高人民会議議長 朝鮮労働党国際担当秘書
最高人民会議外交委員長 北朝鮮の指導理念の「主体思想」の創始者
とまさに北朝鮮の顔とも言うべき人物が1997年2月 韓国に亡命
韓国の対北「太陽政策」の障害になると長年幽閉状態にある。
国に残された家族・親族はことごとく死に絶えたという。
一体何故 こんな人物がここまでやるのか 出きるのか 現在でもおおくの推理説がある。
本人からの声は全く閉ざされていた
かねがね 非常に興味があり その人なりを知りたいと思っていた
2001年4月 長い沈黙を突然破り日本の出版会社から
「金正日への宣戦布告」 文芸春秋から出た
その人物の名は黄長燁(ファン ジャン ヨブ)
国を捨て 家族を捨て 名誉も冨もあるいは自分の命をもすてたかもしれない
一体なにがそうさせたのだろう
「戦線布告」ではタイトルほどには その対立姿勢は感じられない
自分の生い立ちを通じ 自分の思想確立の成立経過
を誇り気に滔滔と述べている。
その思想・学問と 現実の政治現場も金日成の元では それなりに夢と希望をもってこなしていく
楽しし家族との団欒 なに不自由なく出来る学問 彼の人生で一番華やいだ時期であろう
しかし 彼は何度も繰り返して懐述しているののであるが
「この国がおかしくなったのは 金日成が亡くなる2年前
息子の金正日が実権を掌握した頃からだ」
と明言する
秘密のベール・鉄のベールに包まれていた 金一族の一端が内部からしかも
最も深部からの報告となった。
しかしその切り口も 自分の思想と政治姿勢が息子の代になって 相容れないものになってきた
それも学者として 思想的に どうも自分が意図している「主体」ではないのでは。
という 極めて卑近な状況変化からの懊悩である。
しかし 第八章になると はっきりとその対立姿勢を著す。
『わたしは彼(金正日)がいつもいつもわたしたち幹部に言っていたことがを思い出した。
「諸君から党(金正日)の信任を失えばなにが残るのか。たんなる肉の塊にすぎない。」
権力だけで人の価値を評価する金正日の封建的な思想方式に対し、わたしは憤激をかろうじて
押さえながら心の中で叫んだ。
<もしわれわれが肉の塊ならば、おまえはいったいなんだ。 おまえもまた権力を離れれば、人民の
審判を受けて八つ裂きにされてしかるべき肉の塊ではないか>
わたしはこれ以上 金正日にへつらって生きることはできないとの結論を下さざるをえなかった。>
と 単に氏の個人的境遇の変化にたいする呻吟から
氏の学者としての 祖国と人民を愛する人間としての 義憤と抵抗心が
次第にたかまってくるのである。
ここで氏は初めて 金正日体制を「首領絶対主義」という表現を使っている。
しかし 全体として タイトルほどの過激な挑戦というより 個人の亡命に対する
理由づけ 供述のような なにかどこかに 遠慮とか過去に対する未練が感じられた
読み終えて改めて この本の巻頭にある 「序章 妻に書いた遺書」が 氏の家族に対する
気持ちが理解でき 涕泣せざるを得ないものである。
しかし 2000年1月に出版された「続・金正日への宣戦布告 狂犬におびえるな」 文芸春秋刊
では これはまさしく「宣戦布告」。
『北朝鮮同胞を飢餓と貧困、人権蹂躙に追いやり 人民を塗炭の苦しみの中に追いやり
南侵戦争準備にばかり没頭している金正日個人軍事独裁体制は
南北韓のすべての同胞の敵である。』と何度も呻吟し
大韓機爆破事件 ビルマ・アウンサン廟爆破事件 対南政策 拉致事件 贋金 麻薬
など全て「金正日」の指令・命令のもとにおこなわれており
下部組織の暴走などありえないと明言する。
この2冊目の「宣戦布告」は 亡命後 幽閉に近い境遇の中で 彼の思想と亡命の理由を鮮明に
総括し 史上まれなるヒトラー以上の「独裁者」と位置づけ 対北融和策などまったく意味しない
ただ 金正日の排除しか 解決の方法はありえないのだ という論調を発展させていく。
氏のこの2冊の本が彼の学者としての 人間としての良心から 愛国心から 人間愛からの叫びなの
かそれとも一部言われる「対南同化戦略」の一環なのか それは歴史が判明してくれるだろうが
私は前者を信じたい。