二十四段 掲示板投稿文(2)


5月3日


昨日は久しぶりに仏像教室に行きました。
久しぶりの感覚に心も浮き立ちました
今朝のNHKの放送に「大徳寺別院の襖絵の特集」を見ました
襖絵の紹介というより画家 千住博の製作過程のドキュメントなんですが
その作品の素晴らしさと共に彼の仕事に取り組む姿勢と感性に感動しました。
大徳寺の住職が彼の絵に感動し 伊豆に新設中の京都・大徳寺の別院の襖絵77枚を全て彼に依頼しました。
洋画家としての千住はニューヨークにアトリエを構え 製作はすべてアトリエなんですが 由緒ある名刹の襖絵とあってはその準備が大変だと思います。
本山の「永徳」の絵や襖絵や水墨画その感性・技法・背景から 今回は洋式ではなく邦式でいくと決定し 墨は奈良で和紙は福井で特注します。
スケッチはナイアガラやサハラ砂漠と世界中を駆け巡ります。
そしていざアトリエでその長き創造の世界が始まるのですが なかなか最初の一筆が入りません 思えばあの「狩野」にあとを継いでのこと 当然ながら比較対照に晒される。作家として不安・意欲が交じり合った独特の精神空白だと思います。
我々のような素人でも新しい作品の材料を前にした時 頭の中のイメージをその材料に思い切り描こうとする反面 いざノミがはいるとなると 何日も躊躇してしまいます。
そして一旦思い詰まってなにかの拍子に物の怪に取り付かれたように一気に作業に移ります。
そしてまた 進んでいくうちにパタっととまってしまいます。
その作品のイメージが狂ってきたり イメージがあやふやになったり 疑問が生じたりと理由はさまざまなんでしょうが もう一度初心に戻るって言う奴なんでしょうか 文献を見たり参考に作品を求め博物館や展覧会や寺社巡りをしてまたそのイメージを膨らませます。
ですからこの作家の心情がよく判ります。
でもその時の氏の絵に向かう真摯で誠実でもの静かな態度にまず感動しました。スランプというのか苦悩期間というのか創造の再構築というのか 言い方は幾通りもあるのですが その期間というのはとかく地味で苦しいものです。
最初の一打・一行・一筆とこの創造空白が創造者にとっては苦ともなり 空にもなります。
氏は千年先の為に使った材料を全て依頼者に明示し 7年間の製作を終えた。
画面を通じてですが出来栄えは素晴らしいと思いました。
禅道の壁画・茶室の「生と死」氏のモチーフである「滝と水」どれをとっても空間を分かつ壁が壁でなくより広い空間を さらには氏の精神空白の果実が静かな空間のなかから圧倒的に迫ってくるように見えました(是非現地で見たいものです)
高名の評論家が「これはいよいよ洋と邦の垣根がなくなるその先駆け的作品だ」と評していました。
500年1000年先の人々がどの様に評価するのか楽しみです。 

5月5日


隔世の感が・・・
昨今の「韓国ブーム」の盛況には少し戸惑いますが これが一時のものではなくこれを機会に完全に普通の国どおしの文化交流環境になってくればと願わずには居れません。
日本の歴史を知れば知るほどに 韓国・朝鮮のことを意識せざるを得ません。
もし周辺にかつての軍部が作り上げた「朝鮮人」のイメージのままに「朝鮮」を語る人がいるなら その人がたとえ高貴なお方 政治家・役人・経済人・学者であろうとも不勉強で不遜で無知な人としか評価できないでしょう。
でも少し前(そうですねわずか3~4年前)ではそんな空気が主流ではなかったでしょうか。

ハングルを勉強したくても「駅前なんとか」とか はでなコマーシャルの語学教室でも中国語は雨後の竹の子のようにあるのに「ハングル」はひとつもありませんでした。
数年前日本のタレントが独学で「ハングル」を話し韓国で現地の人と番組を全てハングルで進めているのを見て感動しました。

その後 音楽や映画やドラマなどの大衆文化の流入がうまく日本の若者の心をとらえたのでしょうか。いびつな型ではありますが韓国も徐々に「日本文化」の開放に向かっているそうですし 最近では「毒されている」と思われる日本の因循とした「おば様」までもワーワーギゃーギゃー てっきりビートルズでも来たのかと錯覚する光景です。
この光景を「毒した人々」や「毒された人々」はどのように感じたでしょうか。
「愛情」や「憧憬」は全ての時代・国境・政治・宗教・学問を超えたたところにあるんだと改めて思いました。

5月9日
今ハ昔 古京ノ時ニ 一人ノ女有リケリ
孝養ノ心無クシテ 母ヲ養ワザリケリ
其ノ母 ヤモメニシテ シカモ家ニ飯ヲ不炊ザル時 「此ノ娘ノ家ニ行テ 飯ヲ乞テ食ハム」ト思テ 行テ 「飯ヤ有ル 食ハム」ト言フニ 娘ノ曰ク「只今 夫ト我トガ飯許有テ 母ニ可令食キ飯無シ」ト言テ与ヘズ
母幼キ子ヲ相具セリ 此レヲ抱キテ 家ニ返ルニ 道ノ辺ヲ見レバ 包ミタル飯有
此レヲ見テ取リテ家ニ持来テ 食スレバ 飢ヘ心失ヌ
「今夜食物無クシテ飢ナムトス」ト思フニ 此ヲ食テ喜テ寝ヌ

シカルニ 其ノ夜ノ夜半許過ルホドニ 人戸ヲ叩テ呼テ伝ク
「汝ガ娘 只今音ヲ高ク叫テ『我ガ胸ニ釘有リ 我タチマチニ死ナムトス 我ヲ助ケヨ』
ト告グ
母此レヲ聞クト云ヘドモ 夜半ナルガ故ニ タチマチニ不行ザル程ニ 其ノ娘遂ニ死ニケリ
シカレバ 母ト相見ル事無クシテ死ス

此レヲ極テ益無キ事也 母ニ不孝養ズシテ死ヌレバ 後世ニ又悪道ニ堕ム事疑ヒ無シ
飯無クハ 我ガ分ヲ譲テ 母ニ可令食キニ 我レ夫ト二人食テ母ニ不令食ズシテ死ヌル事
此レ 天ノ責ヲコウブレル也 日ノ内ニ現報ヲ感ズル 哀レナル事也

世ニ有ラム人 ナホモトモ父母ニ可孝養キ也 トナム語リ伝ヘタリトヤ

「今昔物語」巻第二十 大和国人為母依不孝養得現報語第三十一 より
  
      今日は「母の日」と「アイスクリームの日」だそうです。


5月11日
「目くそ鼻くそを笑う」寸劇が連日繰り広げられている
事の本質 本流でその功罪・出来不出来・有利不利・成否の論争の末の敗者が「腹を切る」というなら納得も出来ようが 勿論当人の資質の貧困・小人(しょうじん)さは覆い隠せないものの 枝葉末節をことさら事の本質の一大事かのような周辺の取り扱い方にも問題があるように思える
「目くそ鼻くそ問題」の如く 「この国の100年の計はどうあるべきか」 なんで巷でこれほど盛り上がるのだろうか

そもそも 「国が関与する頼母子講的保険業務」=「年金」
なんて本当に必要なんだろうか。 そこからしての議論がほしい。
簡保にしても 郵貯にしてもなんで国が関与していたんだろう
なんでつぶさない民間金融機関のようにつぶさない民間保険会社にまかせておけな
いのだろうか
どうも財投資金という名目で本当は官僚の天下り先を増やすだけ 個人的趣味(温泉宿泊施設や娯楽施設)の財源確保としか思えない。
あの運用の破綻の責任を誰か一人でもとったのだろうか。
どうせ責任を取らされるのはいつの世も「蜥蜴の尻尾・目くそ・鼻くそ」なんだろ
うて。

とまあここ数日こんなことを感じていました。
一体私は年金をもらえるのでしょうかね。

5月16日

朝青龍の連勝がストップしてしまいました。
女子バレーボールが韓国に勝ってオリンピックに出場出来るようになりました。
大リーグでは日本人が活躍しています。
スポーツたけなわ 蔓延とした日々の中のちょっとした山椒のような七味のような味がしますが
「今昔物語」にもいろいろな娯楽が紹介されています。
囲碁の世界も 時の帝が碁聖といわれる人物と碁を打つのですが 当時から 「何目置く」というようにハンディーをつけているのですね それでこの物語では帝に勝てば 褒美として黄金の枕を与えています。(物語では 帝この褒美を途中で家来に獲り返させており5~6回同じように取り返された碁聖はあるとき金色に着色した木の枕を懐に忍ばしておいて
家来にその偽の枕を渡し 持って帰った黄金の枕で仏像を作ったとある)
帝はそのことを聞いて「なかなかやる~」と笑われたと書いています。

競馬(くらへうま)も当時盛んだったようですが賭けの対象だったかは不明です。
特に面白いのは相撲(すまひ)の記述で 平安時代では全国各地から選抜され 東西ではなく右方 左方という両陣営に別れ 各トップには最手(ほて)(今の大関)というチャンピオンがおり
その下は腋とも脇(今の関脇)がいます 横綱というのは近年のことですが 大関の中で特別強い人が腰の横に綱を張ったことから横綱というのができたといいます。
天覧試合とか節会相撲とか 催されていたようです 褒美とか懸賞があったは定かでないのですが 当時は相撲に勝った方が負けた方を手を叩いて笑うというようになっていたようです。
飛鳥時代の本では 相撲はスポーツというより 見世物としてあったと有ります。
今も昔もそれぞれに適当に楽しんでいるだなと思いました。
TVでみる大リーグの白熱した画面からは 戦争中の同じ国だとはとても思えないのですが
お互いプロとして命を賭けて戦うということで共通しているのでしょうか。



5月25日

24日の日曜日に滋賀県近江八幡にある33の第32番札所 観音正寺に行きました
10年ほど前に火災に見舞われ 本堂・本尊とも焼失し このたびインド政府の協力で得た「総白檀では世界一の千手観音」が完成 その落慶法要がありご近所のかたと行きました
帰りに13番石山寺にも立ち寄りました

午後3時過ぎに家に帰ったそうなんです。
自分のことなのに人ごとのように言っていますが 実はここから夜10時過ぎまでの約9時間の記憶が全く飛んでしまったのです。
後でみんなの話から推測するに ご近所のかたとも普通の挨拶をして別れ のびていた庭の木の手入れを脚立にのってしていたらしいのですが 脚立が横倒しになって右顔から落ちたらしく 目の周りに傷と腫れがあり口を開けるのも目も見えないほど腫れていました
その間に家族が病院に連れて行ってCTやらレントゲンをかけ先生の問診には一応答えていたらしいのですが「何も覚えていません」を連呼していたらしいのです。
自宅にもどりその夜ベットで気がつき「何で顔が痛いの」といい言いました。
翌日専門の先生に受診して一応「一過性虚血性記憶喪失症」と診断されました
後遺症も反復もないということなので しばらく様子眺めとなりました
記憶が喪失したなんて生まれて初めてなので 少し狼狽しております。
久しぶりにパソコンや新聞をみました。
日曜日の写真の編集やレポートも手付かずです。
もう少し時間をおいてまた活動をいたしますので しばらくご容赦ください。


5月30日

記憶喪失と打撲の後遺症が続いています
顔面の脹れはだいぶひきましたが 目の横のおおきなコブがなかなかです。
左手の親指の付け根が痛くて力が入りません
持病の腰痛誘発が一番つらいです。
幸い MRIも異常がなく 器質的にはあと「脳波検査」を待つだけです。
今思いますに 人は認識と記憶で生きているんだと思いました。
日々出会う多くの事を認識し それらを頭脳というハードデスクに記憶・ファイルして自分の生存を確かめているんですね。それらのデーターを認識・確認・行動で適所・適時に利用して日常の生活が可能だと思います。どの一つが欠けても 一つの手順が狂っても通常生活は不能でしょうね。
 逆に言うと 認識・記憶が出来ないというのは 人として生存できない あるいはする価値がないのではと思いました。
このことは 所謂「脳死問題」「尊厳死」など人の生命の生存条件の問題にかかわってくると思いますが 本人の生存認識のないまま 言い換えれば「肉体の生存」のみの生存というのはどうなんでしょうか。意識の無い本人からの回答はないのですが おそらく早く肉体も消去してほしいと言うのではないでしょうか。
私は幸いにも7時間後に認識が戻りましたが あのまま なんの意識も記憶もなく即「自己の生存認識」も回復しなかったら それでも「生存」の必要性があるのでしょうか。

それにしても 認識・記憶の喪失はどんな痛みも苦しみも恐怖も全てを無くしてしまいます。卑近に言えば 世界中で報道される悲惨な人々の死も突発性であればあるほど 我々が映像から受ける悲惨・残虐さも本人には認知・記憶されていないとなると 少し救われるような気がします。
武士の情け「介錯」という瞬時の脳虚血 絞首という瞬時の脳虚血 ギロチンという瞬時の脳虚血 これらは全て死に逝く者には最良の 情け有る「生存の抹殺方」ではないかと思うようになりました。
家族や皆様にはご心配をおかけしましたがなにか貴重な体験をさせていただいたような 不思議な世界を覗いた様な 亡羊とした日々が経過しております
完全復帰には今暫くご猶予を