二十五段 観音正寺を仰ぐ
数年前から待ち焦がれた西国三十三札所の三十二番観音正寺にでかけた。
このお寺平成5年5月22日に本堂・本尊ともに焼失。足掛け11年目の今年5月2
2日と23日の2日間に落慶法要がある。
数年前に京都の大仏師松本明慶がインド政府の許可を得て輸入された20数トンの白
檀でご本尊の「総白檀千手千眼観世音菩薩丈六坐像」を彫られているということを知
り その完成を待ち焦がれていたという次第である。
法要は朝10時からなので早朝からでかけた。
山のふもとに寺からのマイクロバスが待っていて 駐車場に車をおいてそのバスに乗
り変えて 山の8合目くらいの小さな駐車場まで送ってくれる。
最近山から遠ざかっている怠け者には8合目からでも相当息がはずむ。
真新しい本堂には色とりどりの幕が張られ 一般参詣者は堂前のテント 寺関係者・


来賓(三十三箇所の他の寺の住職や町長や教育委員など)は堂内に着き当住職の一声
から始まった厳かな声明は爽やかな初夏の繖山(きぬがさやま)(海抜432.9
m)に響き渡る。ご本尊は堂外から覗き見るに 思いの他やさしいお顔立ちで 色も
薄い黄銅色でこれも思いの他白ではなかった。
流れる声明と 観音様をじっと下から見上げながらこれから何百年何千年先の多くの
人がこの観音様に触れる その最初の日に今ここにいると思うと感動せざるにおれな
い
ご本尊に使用した白檀のあまり木で作られた「御身分け念珠」を買ってしまった。
第一期総工費8億5千万の一部になるのであろう。


観音正寺略縁起(同寺パンフレットより)
近江国は日本のほぼ中央に位置するが その近江
国でもまた中央 すなわち日本の「臍」ともいうべき要衝に位置するのが繖山 別名
観音寺山である。
西国三十二番札所・観音正寺は貴人にさしかざす衣笠のようにふんわりとした美しい
山容から名づけられたこの繖山の山中にひっそりとたたずんでいる。
寺伝によると 往古 聖徳太子がこの地に来臨された折節 湖中より人魚がでて「我
前世に殺生をこととして渡世せし故 その業により此身を受けたり 願わくば 此
地に伽藍を建立し 我を度せしめん」と乞いしにより 太子みずから千手観音の像を
刻み 堂を建立されたのが 当寺の縁起であるという。
以来 太子が近江国に創建なされた十二箇寺中の随一の寺院として 湖東地方に勢威
を振るってきた。ところが応仁。文明の乱に際し 近江国守護職・佐々木六角氏がこ
の山に居城を築いたため 寺は兵乱にかかったり 山麓に移されたりするなど苦難の
道を辿る事になった。その後永禄11年(1568年)織田信長により六角氏が滅ぼ
されたため 慶長2年(1597年)再び三条に堂塔が営まれることになったが 往
時をしのぶべくもなかったようである。
古来 万事吉祥の縁結びの祈祷道場として老若男女の尊崇を集め 四季を通じての景
勝の名刹である。
JR安土駅下車 桑実寺を経て90分
この山の隣につながっているのが安土城址。眼下に広がる平地は万葉でも有名な蒲生の里(「あかねさす・・・」額田王
「紫草の におへる妹を・・・大海皇子)
なおこの山の麓に「楽市楽座の発祥の地」という案内文があった
「16世紀後半 戦国大名が座や市などの同業組合的な特権をみとめず,座に属さない新規の商人にも自由に営業させた政策。 戦国大名が国内の商工業の発展、城下町の繁栄をはかるためにうちだしたもので,特に,1577年織田信長が安土城下に出した楽市・楽座令が有名である。楽市とは,寺社や公家におさめる市場税・営業税の免除および座商人の特権の廃止をいい,楽座とは座そのものの廃止をいう。」
(学研学習辞書より)
下山して帰路につく頃には丁度お昼時
国道沿いに「近江牛」の入ったすき焼き定食1600円を食べた
帰途に西国十三番札所石山寺があるので 寄る事にした
想えば石山寺なんて小学校の遠足以来かな
同寺パンフレットによると
「聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辨僧正によって開基され 歴朝の尊崇あつい由緒ある寺院である。
西国巡礼十三番の札所。
本堂は懸下木造建築最古のもので、内陣は平安中期、外陣は淀君の修補になるもの。
本尊観音は勅封になっている。
堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」を書いたところと伝え 本堂下の御堂は蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれるので
その形見と伝える蓮如鹿の子を安置している。
多宝塔は美しい均斉美をもった鎌倉期の建築であり、鐘楼・大門は共に鎌倉初期の建立になるものである。
境内の奇岩はいわゆる石山の名の出た石で硅灰岩からなり 天然記念物に指定されている
とある。
なるほど確かに石山寺だわ
ご本尊は33年に一回のご開帳ということで厨子の前にご本尊のミニチュアがまつられている
ここのご本尊は「如意輪観音」
300円だせば 内陣の展示物が拝観でき
その中に秘仏のご本尊の写真が飾られていた
なかなかりっぱそうであるが なにも33年なんてしなくても いつでも拝観できればいいのに
なんで衆人にお会いにならないのか 意味が判らない。
たださすがにその由緒は随一であろう 古典を読んでいると必ずと言うくらいに「石山寺」がでてくる
帰る路地に突然青鬼が現れた
門の付近から太鼓の音が聞こえる

青鬼祭りとやらで 門前は人だかり
いっとき 太鼓の音の中 悠久の時の流れの世界に浸っていた。
ひる時のビールも手伝って最高の気分で帰途に着いた