二十二段 父と子
子にとって この人との付き合いはもう50数年になる。
考え方 食べ物 趣味 服装 どれをとっても一致するものは無い
随って交わされた会話も殆ど記憶に無い
しかし 幼稚園から小学校の頃 帰宅すると ほとんど毎日 父の両足の上に自分
の両足を乗せ両手を上にかざして 人間竹馬と称して遊んでもらったり ズボンか
らはみ出したシャツをきれいに元に入れてくれる その時私のおちんちんを細長い
手でぺろっと触る 私が身を捩じらして 「わー」と声を挙げると 「へへへ」と
笑う。
春思期にも相談したとか 議論をしたという記憶がない。
なにか判断を仰いでも 「さあ~」・「わからん」という返事が返ってくるのが視
えていた
苛立ちと腹立ちと情けなさが反抗心となった時期もある。
しかし 結果的に私の自立心の醸成にはこのことがおおいに役立っていると今は思
う。
そんな父が病に倒れた。高齢者にとって肺炎は命取りである。
主治医の往診のその場での緊急入院指示である。
意識混濁と微熱 食事・水分は点滴 危機的状況である。
しかし 4日目くらいから意識も大分もどり 熱も下がり 重湯が出るようになる
が一口も摂れない
7日目くらいから重湯に口を付け出し おかゆに変わる。
食べるものは何でも食べさせようと イチゴ・バナナ・ケーキ・ジュース・チーズ
・アイスクリーム・プリンなど取り揃える。
喜んで食べるのはハーゲンダッツである。「アイスが一番美味い」。10日経過。
結局点滴とアイスで何とか乗り切った。いよいよ明日は退院かと勇で病院に行くと
点滴の袋に絶食の札が架かっている。
「なんで」と思う。看護師に聞くと なんでも昨夜「下血」したという。
「へえ~」となんか狐に抓まれた思い。医師に呼ばれて説明を受ける
どこからの出血か調べるのに 内視鏡を経口と肛門からやるという。
検査結果は 直腸のポリープからの出血で 現在はクリップで止血しているらしい。
しかし医師はそれよりも 肺炎の再発を問題にしていた。
絶食により体力低下から再発したのである。
検査前はかなりの食欲に達していた 表情もにこやかで 普段に戻っていた。
抗生剤もより強力にしていると医師は言うもののじりじりとした時間が過ぎる。
時間が許す限り横に付く 相変わらず「ハーゲン」が主食である。
救いは牛乳を結構飲むのと咳・痰が思いのほか少ない。
だんだんと表情が戻る また重湯がでる。熱が鈍くなる。
峠は越えた。
お粥になり 鳥や魚が出る 量が多くなる。笑顔が戻る。10日経過。
いよいよ退院かと 病院に行く。
私の顔を見るなり 「腹が痛い 痛み止めを買ってきてくれ 医者を呼んでくれ」
と身を悶えながら真っ青な顔で訴える。「なんで~」と我目を疑う。
詰め所に走る「昨夜からイタイイタイと言われるので 2回ほど痛み止めを注射し
ているんですが 今日の9時以降でないと主治医が来ないので」と応急処置だけし
ているという。
主治医のもと 検査が始まる。CTにはっきりと「総胆管結石」が写っている。
胆汁排泄の緊急ドレナージ架設手術である。同意書にサインする手が鈍る。
ドレナージは最低限度必要であろうが ERCP(内視鏡による経口胆石除去術)まで
果たして体力が残っているのだろうか。
家族との悲痛な会話が続く。最悪を覚悟しなければならない。
すでに親族には連絡した。意識がある内にと皆来てくれた。
ERCPを実施するか 一晩家族とも悩んだ
もし受けなければ 数ヶ月以内に衰退死するだろう でも仮に「胆石」が取れても
この体力で持ちこたえるだろうか
実施日の朝 医師にもう一度確認して納得でき無ければ中止を求めようという結論
であった。
外科医は明るく「う~ん 大丈夫でしょう」という 昨夜「おじいちゃん 生きて
いてほしい」という家族の一人の言葉が頭によぎる ここは「先生」を信じるしか
ない
意識朦朧の中病室に戻ってきた 「痛みますか」と看護師の問いかけにかすかに首
を横に振る このままほぼ2日間 いびきをかいて昏睡した。
重湯が取れるようになってきた 痛みもなく 心配された すい臓の感染症もない
今のところ 肺炎の兆候もない
医師の説明では 少し石が取り残されているが胆管は開通した 一応成功だ。
重湯が出るのにはそんなにかからなかった 痛みが無くなると 本人はけろっとし
ている あとは食欲が出て回復を待つのみである
事実 アイス意外にも7部粥まで戻ってきた。鳥や魚は食べる
しかし野菜類は相変わらず一切 手をつけない 家でも殆ど食べない ひどい偏食
家である。
退院を待つばかりの朝 外科医が「取り残しの石が またいつ詰まるか判らない
明日もう一度ERCPをやるので同意書にサインを」と有無を言う暇な
くサイン書を持ってくる。
一度目がそれほど身襲を感じなかったから 先ほどの深刻さは無かった
しかし結果的にこの2度目が非常に心身に負担をかけたのであろう
まったく食欲も気力もなくなってしまった 肺炎も無く 胆石も無くなって医学的
に全くの健常人になった今が一番弱っているように思えた
病気を診て患者を視ずだとも思った
チューブで生きている 理論上は食べれるはずである 出されるもの毎日全部捨て
る また ハーゲンと牛乳の世界である
医師もこれほど食べないのは胃腸が悪いかもしれない もう一度内視鏡を使いたい
と言う
しかし父はその後 内視鏡による検査を一切拒否する お腹をぽんぽん叩いて「ど
うもない 悪くない 痛くない」と必死に訴える。
私はもう2度とサインはしないと思った。
2回にわたるサイン拒否のあとは「食欲」との戦いである。
爪を切りながら 電気カミソリで髭を剃りながら 父の手をさすりながら
「頑張って食べようね」と言う
「頑張ってるつもりやけどな」
「でも 家にいる時の四分の一やで」
「アイスが一番美味いは」
「アイスだけでは生きていけないよ」
「あと 食べれたら退院やのにね」
「先生も半分食べれたら 合格と言ってはるわ」
私はなすすべも無くベットの横のパイプ椅子にぼんやりと座っている。
翌朝 朝食の食パンが全て食べられていた 昨日は四分の一だったのに
昼食の8部粥も二分の一が食べらる 副食の鳥も全部 牛乳も180cc全部
ご褒美のハーゲンも250cc全部食べる。
目を疑った これが同じ人物なのか 2人でピクニックに来ているような 軽い晴
れやかな気分である。
「お父さん 帰るよ」
病室から出る私に 骨に干からびた皮だけが付いているような手を挙げて 「有難
う」と言う
父が私に初めて言った言葉である。