秋の京都公開寺院を巡る
蔵林寺・聖護院・大徳寺塔中総見院
2025.10.23

昨日の予定だったが雨と低温で中止
今日は快晴で温かい
ローカルTVの京都放送で「秋の公開寺院」の紹介があった
今回の3つの中 蔵林寺は初めてである それもそのはず 公開は最近からで
しかも今年は10月22日と23日しか公開しない
聖護院と大徳寺の塔中は10月末から11月末位まで紅葉の時期に公開する
聖護院の門前迄は来たことが有るが拝観は初めて
大徳寺は高桐院(
つれづれ46段)・黄梅院(
つれづれ65段)などの塔中の紅葉は素晴らしかった
今回は蔵林寺の公開日に合わせたので紅葉は無かったが 比較的観光客も少なく(外人は多い)
落ち着いて観れたのがよかった
黄檗山萬福寺(
ミニ旅)の門前を通り過ぎて住宅街の奥まったところに蔵林寺の門が有る

ところが公開は13時からとなっている
なんということだ!!
年に2日間だけの御開帳で13時からとはこれ如何に
取り敢えず本堂を写す

蔵林寺はNETによると
『平安時代の寛和2年(986)恵心僧都により開基されたと言われるお寺で
そこから山号を「源信山」と称された。
正面内陣に本尊阿弥陀如来坐像が安置され、左右の脇陣に諸仏像が安置されている
本尊「阿弥陀如来坐像」印は来迎印(上品下生)を結ぶ』

定朝様の優しいお顔・肩を下げ ふっくらとした平安調仏像

薬師如来像
少し厳しいお顔 衣のひだは浅め
NETからの写真しか掲載出来ないのが残念
駅に向かう途中 おばさんから蔵林寺の場所を尋ねられた
この先すぐですが拝観は13時からですよというと「え~ なんと そうしたら
貴方はもう1度帰ってくるんですか」と聞かれたので「いえ 今日は公開寺3か所巡る予定なので
もう帰ってきませんが もう直ぐの所だからお参りして下さい」と言う
本当に京都根性まる出しの寺だと 一人でぶつぶつ(仏・仏)
萬福寺を通りぬけ 隣の「出世地蔵」(今更出世もないもんだが)と宝蔵院にご挨拶して駅に向かう


京阪電車で中書島に戻り「神宮丸太町」駅で降りる
ここから吉田山までは京都大学の縄張り
広大なキャンパスと付属病院が有る
この駅で降りるのは京大関係者と病院関係者とその患者が多い
現に今年のノーベル科学賞受賞者北川進氏は京阪沿線の〇〇川市にお住まいとか
丸太町通りを東に10分 東大路北西角に「熊野神社」がある
京都には熊野神社が三社有る(聖護院山王町・東山の新熊野・左京区若王子町の熊野若王子)
これは吉野の熊野大社・速玉大社・那智大社をを模している
今でも三社を参るのは大層なことだが この時代では「蟻の熊野詣」も並大抵ではなかったであろう
今で言うバーチャル詣でかな


その角を北に上がって300m行くと大きな病院が有る

その信号を渡って東に向かうと北側に聖護院がある
此の周りには聖護院八つ橋の店が並んでいる


りっぱな門構えの店も結構リーゾナブル


仮御所にもなっただけあって立派な門

撮影は1室を除いて室内は禁止
中から庭などを撮るのはOK

聖護院とは 聖護院ホームページより
『当院の沿革は寛治四年(1090)、白河上皇の熊野
御幸に先達を務めた増誉(ぞうよ)大僧正が寺院を賜り、
「聖体を護持した」というその功績から「聖護院」と称したことに始まります。
後に戦乱・火災によって京都を転々としましたが、延宝四年(1676)、創建の地でもある現在の場所に再建されました。
秋の大峰奥駈修行をはじめとする入峰修行には僧俗を問わず多くの方がその当初から皇室と深い結びつきのあった聖護院では、
出家された皇族や摂家の方がたびたび住職を務められました。
このような寺は門跡(もんぜき)寺院と呼ばれ、日本国内でも数少ない、格式高い寺院とされています。
特に聖護院は江戸時代、天明の大火を逃れて来られた光格天皇が三年間ほど御在所とされた事から、
「仮皇居」の史跡指定を受ける唯一の寺院です。寺内には花鳥や賢人、また雄大な自然が描かれた貴重な金碧障壁画が数多く残され、
京文化の美を感じることができます。こうした雅な側面の一方で、聖護院は野山に分け入っての修行を旨とする「修験道」を実践する、
本山修験宗の総本山でもあります。春の葛城修行参加され、自然の中に仏の教えを観るという山伏の信仰を現代に伝えています』

狩野永納など狩野派の襖絵など200枚ほどあるので 撮影はこの部屋のみ
仏像も流石に役行者の寺だけあって不動尊はりっぱ

全体にミニミニ御所という感じ
丸太町駅まで戻ってきたが 駅近のバス停から大徳寺迄行く予定が そのバスが無くなっている
スマホで捜すと京阪電車終点の出町柳の高野川と加茂川の合流の合川橋と出町橋を渡った
河原町通りのバス停から205番に乗れば大徳寺に行ける
後から考えたら丸太町河原町からでも行けるんではと思った
河原町出町柳の商店街の1軒に人の群れ 「出町ふたば」という餅屋
並んでいるのは殆ど外人
SNSの影響だと思うが 何で知ってるのと驚くほど彼らの情報力はすごい
大徳寺までの参道はいつも大混雑なのに閑散としている
そうか いつも紅葉シーズンしか来ないのでいつも混んでいると思っていたが
観光地の閑散期はみすぼらしく見える
関西の紅葉も11月中頃から12月だもんな~まだ 外人は皆 半パンに半袖

金毛閣
金毛閣の前を通り一番北西にある塔中「総見院」に行く
この大徳寺はどこを採っても絵になる
周りが全部塀と日本家屋と石畳の道 タイムスリップしたような落ち着きと
心地よさが有る




石田三成公墓

大徳寺本坊 釈迦如来

信長没100日後秀吉によって法要が行われた
秀吉により2体の木造物が造られた
一体は遺体の見つからない遺体の代わりにすこし小さ目の香木の像だったらしい
像は高い香りを放って供養された
もう1体は目の前に有る 生前の像である
顔は原寸大の大きさ 胴体は錨型の不自然な造り
その眼光は見るだけで恐ろしい
あんな目で睨まれて 恫喝されたら トランプより恐い
ハラスメントなんて生易しいものではない 即切腹もあり得る


ここも内部は撮影できない
総見とは信長のことである(総て見てるぞ~ということか 光秀だけは見れんかったな・・・マズッタナ)


加藤清正が朝鮮から持ち帰った石をくり貫いたと言う井戸(係の女性がデンチで底を
照らしてくれる 相当深い)
尚 背後の比叡山が見える墓地には織田家の供養塔が並べられている


比叡山を横目に山を火あぶりにした信長の供養塔

信長の長女徳姫

濃姫(斎藤道三娘・信長公御台)とお鍋の方(信長側室)の供養塔
この時代の権力者も滅茶苦茶ですな~


紅葉は見れなかったが その分落ち着いて総見(歳林寺以外は)できた
帰りのバス内は万博になっていた
バスの前の出口に移動できないので 後ドアから降りて前に回って料金を払っていた
なるほどこれは良いアイデア
でも外人はおろおろして降りれない 日本人が「まだ降りる人が居ます
後を開けてください」と大声で言う これが京都の現実なんだ
いい天気で楽しい1日でした
了