九十七段 メキシコ・キューバの旅 その2
4日目
5時モーニングコール 6時45分ホテル発

ガイドも見送りに来ていた
メキシコ空港でのガイドとの会話
「最近日本からのお客さんが少なくのは イメージが悪いのかな」
「そうですねネットでも麻薬組織の抗争の写真がばんばん出ていますからね
さすがに夜は1人で出れないですね
でも年間2500万人も観光客が来ているじゃないですか あの日本が
1400万人で大喜び 2020年のオリンピックの時でも2500万人の目標ですよ」
「本当だね日本は治安がいいし 最高なのにね もう日本に帰ろうかな」とガイドが笑う
でも実際 今回 メキシコが怖いという思いは全くしなかった
3日後にはメキシコのカンクンに戻ってくるので
メキシコペソも少し残しておく
さてさてキューバである
メキシコ空港から2時間45分のフライト

ハバナ空港に着きました
暑い!!

空港の両替所で「兌換ペソ」に替え
ハバナ空港には自称「シティーボーイ」 キューバ人のガイドのキューちゃんの出迎え
空港から旧市街をぬけ 「モロ要塞」「革命記念広場」を見学してホテルに向かう




いきなりの光景にただただシャッターを押し続ける





1961年から本当にこの街は時計を止めてしまった
街全体がテーマパークになっている
シャッター速度がこんなに遅く感じたことは無い
この街の景観がキューバの全てを表している様に思う
この国の面積は日本の3分の1
人口は1130万 このハバナ周辺に210万人が住むとガイド
1492年 コロンブスに見つけられインディオと呼ばれてから今日まで
スペインとアメリカに翻弄され続ける
上部構造は今の中国を重ね合わせれば想像がつく
不可解なのは下部構造である
つたない日本語のキューバのキューちゃんの説明では なかなか理解しがたい
「みんな 給料では食べれないですよ 土地のある人は貸したり 売ったり
農家は作物の1部を他に売ったり 外国に物を売ったときに少し高めに売ります」
それは利益を乗せる通常の経済活動なんだけど~
社会主義国で土地の私有が認められるなんて ほんま~?
400年間のスペイン支配からの独立時 ここでもメキシコと同じでアメリカが手助けの様子をして
結局スペインからフィリピン・グアム・プエルトリコを手に入れる
キュ-バはアメリカの傀儡政権を通じて半植民地と化す
この傀儡とアメリカに反旗を翻したのが
カストロとゲバラである
革命は成功しアメリカを追い出した
輸出の80%を占める砂糖をアメリカの代わりにその先をソ連に求めた
ソ連の石油と砂糖をバーターした
ところがどっこい1991年ソビエト崩壊
ここからこの国が混沌としてくる
世界的な砂糖価格暴落や禁煙運動の高まり
外貨が無い
石油や工業製品が輸入できない
食っていけないのである
今は観光収入が最大の外貨獲得手段である
現在公務員は470万人 農業が60万人 商業が14万人
1人あたりの年収は日本円で2000円
といっても食品の配給 医療・教育の無料などどう比較するかは難しい
2011年から5年をかけて 経済改革に踏み切る
公務員を50万人削減し 25万人に自営許可を与える
独立採算の農業組合を認める
食糧供給の段階的廃止 不動産の所有と売買の許可
そうなんだ これらは今現在進行中なんだ
キューちゃんのはぎれが悪いのは この国自体のはぎれの悪さなんだ
誰にもこの先が見えていないのだ
ここにねぎを背負って来たのが我々だ
この国には2種類の価値が異なるペソがある
「人民ペソ(CUP)」国民が通常使用する貨幣 1CUP 5円くらい
「兌換ペソ(CUC)」観光客用貨幣 1CUC 120円くらいである
こんな仕組みはおそらく世界で唯一だと思う
少し前までは国民は人民ペソしか持てなかったが今は兌換ペソも持てる
2011年の改革からこの両建ての矛盾が強く出る
CUCを持てる者と持てない者の格差 不満である
中国の都市部と農村部のようなもの
CUPで買える店には国内産で種類も少ない
一方「兌換ペソ」が使える店には最新の輸入品が揃っている
公務員の給料が2000円の国で 野球で何億も稼ぐ出稼ぎの仕送りや
CUCが入手できる職業からすれば公務員や特に農業などはやっとれんのだろう
キューちゃんも「なんであんなに汗かいて 農業なんかしますか みんな田舎から都会に
でてきてロシア語を習ったり 僕はシティーボーイなんです」 なるほど
それでこれもショックを和らげるため徐々にCUPの価値を高めながら
将来 1本化することが国会で決まり 現在 施行途上である
ここにアメリカとの国交再開 テロ支援国指定解除が加われば
本当にこの国の10年先きがどうなっているか 誰にも判らない
キューバに行くなら今ですよ今!!
実はCUPで言えば3CUPにはチェ・ゲバラの絵が書かれている
これが欲しくて空港でキューちゃんに会うなり
「3CUPが数十枚欲しいんだけど」というと
「ああ いいですよ 替えてきて上げますよ」
と軽く二つ返事をもらった
ところがこの国の銀行てなんであんなにどこも混んでいるんだろう
彼は日本語はへただが生真面目な性格なんだろう
ガイドの傍ら 我々が食事中とか手の空いたときに銀行に寄ってくれるが
銀行はどこも長蛇の列 1時間待ちなんてざら
結局枚数が揃ったのはハバナの空港から飛び立つ直前だった
後で添乗員に聞いた話では 彼のお父さんまで手伝ってくれたとか
勿論 幾ばくかの報酬らしきものを彼に渡したが
それが妥当な額かどうか 未だに悩む
その3CUPがこれ
ここでご愛読者にプレゼントのお知らせ
いつも拙い旅行記をご愛読いただき有難うございます
日頃のご愛読に感謝いたしまして
先着10名様に上載の3CUPをお一人1枚 郵送させていただきます
お名前と住所をメールでお知らせください
(なお現物は使用中の物なので写真ほど綺麗では有りません ご了承ください)
そうそう観光を忘れていた
ハバナ市からハバナ湾を地下道が走り ハバナ市が見渡せるモロ要塞に行く


この要塞はスペインがイギリスの海賊の攻撃から守るために1500年半ば頃 建造


要塞内にある葉巻店
この店でさっき空港で日本円10000円分を兌換ペソに両替したが
「キューバで葉巻を買ってきてくれ」と依頼されていたので
ちょっちっと買えばすぐに無くなった
おまけにツアーグループの方に借金までした
あとで考えたらこの国の公務員の給料の5年分を10分足らずで使ったことになる
店の人は平気な顔で受け取っているが
ギネスブックに掲載されている 世界一長い葉巻


要塞から見たハバナの街


ホテルに向かう前に革命広場に寄る

内務省の壁にゲバラの肖像画
情報通信省の壁に カミーロ・シェンフエゴス(ゲバラから敬愛されていた革命の同志)の肖像
革命記念日にはこの広場に20~30万人が集う
ホテルに向かう



ホテルに向かう途中えらい華奢な家が並んでいるなと思ったら
この地区はハバナでも最高級住宅街
東京の田園調布 関西の芦屋である
アメリカと断交の時点で住民がごっそりアメリカに脱国したので
空家をレストランや各国大使館として使用しているという
今日と明後日に泊る「MEMORIES MIRAMAR」ホテル

予想外に良いホテル
夕食は近くのレストランでチキン料理らしい
集合時間に玄関に出ると 添乗員が
「サプライズでレストランまでオープンカーを用意しました」
と言う
なんとピンク色のクラシックオープンカー2台と白のそれが1台
合計3台 迎えに来ている
車にあまり興味の無いkantaもさすがにこれには興奮!!
(車音痴には車種はわからないが マニュアなら涎が出るのでは)

後ろから「パアパア~ パアパア~」とクラクション
なんか優勝パレードの様
TVで見る「勝者のオープンカー市中パレード」てこんなに気持ちがいいんだ

ピンクの車 クラシックカー オープンカー 全て生まれて初めての経験
長生きするもんですね~
いいサプライズでした


5日目
6時30分起床 8時出発
今日は世界遺産⑦「トリニダ」(キリスト教の三位一体の意味)に行く
途中サンタクララの革命広場 チェ・ゲバラ霊廟 装甲列車襲撃記念碑を見学
昼食後
トリニダに向かいトリニダで「サンマルシェ広場」「サンマルシェ教会」
名物ドリンク「ラ・カンチャンチャラ」を試飲
そしてカリブ海に面したオールインクルーシブル(24時間ホテル内の飲食はフリー)のホテルに1泊
と旅行タリフに記されている
(昼は食べないが朝食はしっかり)
サンタクララまで高速道路?で3時間

沿道は延々と煙草・サトウキビ・マンゴ・バナナ・椰子が続く
(キューちゃんと愛車の「ゲバラ君」)
地図で見るとハバナはメキシコ湾に面し
サンタクララから山越えをしてカリブ海に面するトリニダをめざす
今回はこの島の西半分を周ることになる
ハバナから北88kmにフロリダ半島がある
途中休憩でおじいさんが店の裏で出来たバナナやマンゴをくれる

マンゴが道端にたわわ 安いはずだ
サンタクララ革命広場
雨季に近づくと天候の変化が激しい
ゲバラ像
この裏がゲバラと共に戦った同士達の遺骨と共に眠る「チェ・ゲバラ霊廟」
とゲバラの生い立ちの写真や闘争時の遺品などの展示館がある
カメラ一切持込禁止
ゲバラは日本に2度来ている様だ
館内に別の客に付いていた日本語ガイドの話を横聞きしていたら
「東京のプリンスホテルに泊ったとき私が通訳で同行したんです」
と話している
80才前後のかっぷくのいいキューバ人ガイド 胸に日の丸を付けている
日本語は完璧
「日本に行きたい」を「帰りたい」と言う
今後日本とキューバ親善のお役に立ちたいと意気揚々の素敵な
おじいちゃん
山越えの前に腹ごしらえ

ここで
「トラベルはトラブルその①発生」
昼食は野菜か果物だけにしょうとしているが
パイナップルがあったのでがぶりとやった
この地のパンアップルは日本の様に何ヶ月も船に乗ってきていない
甘みが少なくごりごりと硬い
それを前歯で噛み切ろうとしたら 前歯3本繋がりの差し歯が「ボキッ」と折れた
旅先では初めての経験
パイナップルだけの性ではなくもう地盤が悪かったかもしれない
3本を2点で支えているから前歯で硬いものはだめですよと医者からも言われていたのに
一瞬頭が真っ白になった
奥歯は大丈夫なので以後食事には困らないが
なんといってもみっともない
それにしゃべると空気がもれて 意味不明になる
「歯無し ふがふがじじい」となってしまった
なんとか歯を差し込むと入ることは入る
でも物を食べたり しゃべると落ちてくる
まだ旅は半分
日本の行きつけの歯医者の顔が浮かぶ
瞬間接着剤なんて売っていそうなところはなさそうだ
なんとかだましだまし・・・・・
ショックがさめやらぬまま
次の観光地「装甲車襲撃記念碑」
「1958年12月29日ゲバラ率いる革命軍18名は
バティスタ政府軍の
装甲列車をサンタクララで襲撃、この成功がもとで革命軍は勝利する」
とある ふ~ん
ここから山越え
山といっても小さい島 最高峰でも1974m しかも殆ど島の南西に集中している
しかし山手に入ると極端に道路が悪くなる
いつかのネパールほどではないが 写真がとりずらい






これがキューちゃんの忌み嫌う農家の暮らしか
農業が国の基礎だと思うし
まあのんびりしていいと思うが
でも食えなきゃね
もう一皮も二皮も剥けないと農業回帰にはならないだろうな
ぼっこん ぼっこん道を抜けてトリニダに着く
砂糖産業で栄え500年の歴史を持つ
現在は煙草加工と観光が収入源
植民地時代のコロニアル様式という住居がそのまま保存された町並はサンティマ教会
などを含んで1988年世界遺産となった

世界遺産の町に着くと景色が一変する
やはり「兌換ペソ」の影響か



上の写真をクリックすれば音楽が出ます
(念のためボリュームを落としてから聞いてください)

土器にラム酒と蜂蜜とレモンと冷水が入っている
木の棒で底に溜まってる蜂蜜を混ぜながら呑む 冷たくて甘くて旨い
「ラ・カンチャンチャラ」
何とリズムが良い音楽なんだろう
「サルサ」「ルンバ」?
本当にリズムがいい 自然に体が動く
メキシコより数段にリズムがいい
又皆んな 踊りが上手い
隣に座っていたなんでもないおばちゃんとおっちゃんが突然踊りだす
なんとセクシーで魅力的なんだ
盆踊りも踊れない者にとってはカンチャンチャラで酔うしかない


この国の硬貨25セントターボの模様になっている鐘楼
今夜はすぐ近くのカリブ海に面したホテル「BRISAS TRINIDAD DEL MAR」

最近流行のオールインクルーシブル
要は料金の中に 24時間何時でも飲み放題 食い放題が出来るというシステム
広い敷地のあちこちにレストランやバーがあって
近くのバーでビールと言えばビール カクテルと言えばカクテルが飲める
腕にこのワッパを巻いておけば良い
部屋からの眺め
海はもう少し先で見えない
日が落ちぬ間に早速水着に着替えて海に行く

kantaとカリブ海(老人と海) 夜6時ごろ
(朝7時前の浜辺)
ツアーの予定でこんな時間帯しか写真がとれないのは残念
そうそうこの写真
沖にいた白人夫婦が浜に上がってきた
2人とも水着が無い 目の錯覚かと思った
あわててカメラを反対に向けてた
2人はタオルを巻いてホテルに戻っていった
話は戻る
夕食はビュフェ
いつもなら現金で払う飲み物代
「今日は全部kantaの驕りだ」 は嘘
今夜はビールもワインも飲み放題
と 言われてもな~老人の腹と肝臓には自ずと限界がおまっせ
食事の後プールサイドでショータイム
この時もカクテルなど取りに行けばなんだけど・・・
と言いながらも何杯か飲んだ
もう目がもたない
お先に・・・・
朝 聞いたら グループの人達は朝近くまで飲んでいたとか
(kantaはちゃんと朝7時前の写真を撮って 仕事してまっせ)