九十七段 メキシコ・キューバの旅
 その1

1961年 アメリカとキューバは国交を断絶した
今大きく変わる世界情勢の中 この2国間に新たな動きが出ている

歴代米大統領の偉業履歴願望の一つなのか
又 キューバに対する中国の大きな進出の陰もあってか
アメリカが動いた
50数年ぶりの国交再開は 両国 特にキューバにとっては
大きな変化が考えられる
2015年4月「テロ支援国家」の解除が米国会で承認され45日後に施行
このことがキューバにはことさら大きな影響を与えると思える
(米国国会の「テロ支援国家」は現在シリア・イラン・スーダンの3ヶ国 この指定を受けると
武器関連の輸出や経済支援が出来ない
米国の国内法ではあるが 米国を無視して支援する嘗てのソ連のような国は無い

kantaが学生の頃 「キューバ危機」が起こった
ソ連がキューバにミサイルを持ち込んでいることが判明
ミサイルを積んだソ連船舶の阻止を強行しょうとするケネディー大統領
それを突破しょうとするフルッショフ書記長

この「チキンレース」には地球の運命がかかっていた
船の進行状態が刻々と伝えられ 世界が固唾を呑んで見守った
最後の晩餐をする人もいた
(この時から世界中に核シェルターが出来た)


昨年末 国交再開のニュースが伝えられると ほとんど鎖国状態のこの国にスポットライトが当たり始めた
それで大きな変化が起こる前に 実際の現状を見てみたいと思った

しかし相手は地球の裏側 飛行機で14時間かかる
往復を考えれば出来ればせめてもう一カ国と思い 探すがなかなか適当な
ツアー企画が無い
 
3月のツアーに何とか1件見つけたが満席だった(この理由は後日知る)
しかし4月は人数不足で催行中止
この5月でなんとか催行通知が来た 参加者6名とある(10名以下でも催行するんだ!?)
このコースはまだまだ一般的ではないのだ



2015年5月13日~23日
1日目

成田空港 14:25分発メヒコ航空 でメキシコ空港直行 所要時間12時間45分とある

台風6号の後を追うように伊丹空港7時50分発成田行きのANAに乗る
(もう少し遅い便は取れなかったのかなと当初は思ったが台風で飛ばなかったら
新幹線の選択枝も出来る  自宅から朝5時25分の電車も少し納得)

台風一過 成田には9時に着く 空港で朝食を摂り 11時半に今回の
添乗員の待つカウンターに行き 必要書類と説明を受け
メヒコ航空カウンターで荷物を預け 航空券をもらうのだがこの時「アイルシート」(通路席)か否かが最重要事
5時間以上の飛行時間の時は絶対条件にしたいが 込み具合で旨くいかないときもある 

通路側はトイレに行くときも気を使わないし 足がむくんできたら 適当に運動もし易い
今回は幸いにも往復「アイルシート」 特に往は3人掛けのところ1人だった

本来は後ろ席の内側だったが 日本人個人客で医師親子3名の内 娘が離れていて
kantaと変わってくれと言う 「アイルシート」同士だったら問題はないので承知した

この日本人が何故医師だと判ったかというと 飛行機が離陸して数時間ほどして
機内アナウンスで「どなたかドクターはおられませんか」と呼びかけがあった
前の方で急患があったらしい

すると斜め前方の40才代の日本人男性と さきの3人家族の60才代のお父さんが立ち上がり
名乗り出た まだ10時間近く乗るのにと心配したが 命には別状無いようだ

日付変更線を越えるので着いた日も同じ日付 只時計は14時間バックさせる
最近は安物の時計をもう一つ持っていって それをくるくる回して現地時間に合わす



 機内食は パンとケーキとマカロニとわずかな野菜
蛋白類がゼロ(ああ バターがあった)





メキシコシティーに着いた
そこで初めて参加者とご対面
50~60歳代のご夫婦1組 40~50歳代の女性2名 50歳代の男性1名と多分最長齢の
kanta1名 ご夫婦以上は全員1人参加の 計6名である
  
空港には昭和27年生まれメキシコ在住30年の男性ガイドが迎えに来ていた
気さくで陽気でよく勉強している
日本人の勤勉さと メキシコ人の陽気さ合わせた様
バスは40人乗りのトイレ付き大型バス



そこに添乗員・ガイド・運転手を合わせても9名
贅沢な話でっせ~






(我々のバスの隣は現地の乗り合いバス なんとなく居心地が悪い ゴメンネ)

参加者が多いと座る席によっては走行中の撮影が出来ないときがある
右や左と言われても動き回れないし 逆光の場合も難儀である
今回は撮り放題 動き放題
しかしメキシコもキューバも 共通して運転速度が速い シャッターが切りにくい
客を乗せてよくこんな速度がだせるなと思った
ペルーの時もそう思ったがペルーではバス事故による死者が多いと後で知った

ここから先はガイドの話
メキシコ合衆国は英語読み スペイン語では「メヒコ」
国内では一般的に「メヒコ」である
公用語はスペイン語で 本国のスペインよりも綺麗らしい
キューバのスペイン語はひどいですよと言う

面積は日本の約5.2倍
人口は日本と同じくらいの1億2千万
 この首都メキシコ市圏に2500万の人が暮らす
もともと琵琶湖の1.5倍の湖の水をぬいて街とした
(自然も生物も関係なしの征服者スペイン人のやり方だとガイド)
従って地盤が軟弱である
1980年 300km離れた地点のM8の地震で この街で多くの建物が崩壊9800名が亡くなっている
何となくネパールに似ている



(左の黄色い建物などは波打っていますよとガイド)

メキシコのGDPは160兆円で世界第15位 スペインや 
韓国(170兆円)と同じくらいのなので一人当たりのGDPは韓国の半分以下である
日本と同じ人口ならば日本のGDP500兆円と比して
 その暮らしぶりも推測される
消費税は内税で15%
空港で1ペソ 12円位で変えた
10ペソ 1米ドル

今回あまり 町で買い物をしていないのでわからないが
物価は日本とそう変わらない
まあ安いのがあったり高いのがあったり
所得からすれば物価高だろう


緯度で言えば ハワイとかフィリッピンと同じくらいだが
海抜2200mにあるため過ごし易い
朝晩はすこし冷える 雨季も5月末から6月に始まるらしい

今回も朝はびかびかに晴れているが 夕方になると決って入道雲が出て 雷雨となる
 雪が降る事は無いらしい

メキシコシティー歴史地区観光に向かう
とにかく車渋滞がひどいという



(緑色の乗り合いバスはどれも前ドアがいつも開いている)

 




ラテン系特有の落書きの多い雑多な町並
人種も白人とインディアの混血(メスチソ)が60% 白人と黒人の混血(ムラート)が30% 白人9%
と多種だが
全体的に体型や顔つきはモンゴリアンのDNAを感じさせる
ローマカトリック信徒は87%




テキーラの原料となる「龍舌蘭」
使用するのは葉ではなく根茎




メキシコシティーの中心地 ①世界遺産 歴史地区(セントロ)
この一帯は先住民アステカの遺跡を破壊してスペイン風のカテドラルや宮殿が建てられた
ペルーのクスコと全く同じ様に

スペイン本国のカテドラルや宮殿 その他の建築物は世界中の金や銀など かねになるものを
根こそぎ略奪した結果の産物

イギリス・スペイン・ポルトガル・フランス・オランダなど
現地に残していった物は
宗教と言語とそして人の種




昨日は自宅朝5時10分に出て丸一日殆ど寝ていない
早くホテルに入ってシャワーしてビール飲んで寝たい
今日から同じホテル3連泊 いいですね~



市内の繁華街にある 「CALERIA PLAZA」 (4つ星)10階建て位の清楚なホテル



ホテルでTVをつけるとNHKが 日本とリアルタイムで放送している
通常NHKの海外放送は現地の言葉にされ内容も編集物
絵図らで想像しながら見ていたが 
これは全くのそのままの同時放送
朝8時の連続ドラマもこちらで夕方の4時頃見れる
ニュースや天気予報など
地球の裏側にいて同時に見れるて 本当にすごい
今あなたが見ているNHKがメキシコでも同時に流れているんです
只 TVのモニターはほとんど全て韓国製

今日から3日間宜しくお願いします



ホテル近くのコンビ二 品数は少ないが コーヒなどが飲める様な
設備が充実している



疲れて何を食ったか忘れた

スープと魚料理だったか
しかし「ボヘミア」というビールは旨い
世界で金賞取ったとか



朝食はビュフェ
メキシコのコーヒーはどこで飲んでも旨い
日本のスタバなどここのだしがらの様

チョコレートは中央アメリカが原産国
紀元前からマヤ人たちはチャコ(熱い)アルト(飲み物)としてカカオの粉に
お湯と唐辛子などを入れて飲用していた

それをスペイン人が持ち帰り イギリスで砂糖などを加え固形化した
とされている

確かにチョコレートは沢山売られている
しかしこの暑さで日本にもって帰れるだろうか

2日目

朝6時半起床 8時ホテル出発
今日はグアダルーべ寺院と世界遺産2箇所巡る

②テオティカワン遺跡
③ルイス・パラガン邸

ホテルから30分ほどにグアダルーべ寺院がある
多くの信者がミサに参加していた




(新聖堂)旧聖堂の前に新しく建てられた 体育館みたい

ここはローマカトリックが認定した宗教上の世界三大奇跡の1つとして知られる
フランスの「ルルドの泉」ポルトガルの「ファティマの聖母」そしてここの
この聖母



上のミサの写真の右端に見えるのが上の聖母
その下が通路になっていてこの聖母を見上げながら会場に入れるようになっている

なにが奇跡なのか
「私は聖母マリアです この地に教会を建てなさい」といって
自分のマントに薔薇を包んで村の男性に渡した
開けてみるとこのマリア像があらわれた
このマント400年ほど経ているそうだが科学的にもどのように書かれたのか不明だという




(旧聖堂)地盤沈下ででこぼこになっている



信じるも信じないもあなた次第


さていよいよメキシコ旅行のクライマックス
②テオティカワン遺跡

バスはシティーから高速で郊外に出る
遺跡は街から北に50km



郊外周辺の丘や山は住宅がびっしり
地下鉄も市内は結構網目状に走るが この広がりにはついていけないのだろう
高速道路は非常に発達しているので 結果市内に集中
それに毎日といっていいほどデモがある
今日は教職員のデモが何時から何時までどこで
と日に2~3件はあるらしい
しかもデモによる道路閉鎖は認められているので 運転手やガイドは絶えずそれを気にかけながら
すすめているようだ



ガイドはよく勉強している
考古学の引率の先生の様だ

この遺跡
「神々の都市」と12世紀にアステカ人が発見して命名した
しかし誰が何時頃 何故消滅したのかという問いにいろんな学説があって不明なところが多い
大体のところ
紀元前200年から紀元700年の間
人口も22万人くらいと アメリカ大陸最大の都市だったようだ
人種は不明だがモンゴリアンは間違いないだろう
消滅は水の有無だろうとガイド
「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」などの名称があるが古墳ではなく神殿だったようだ

真ん中の大通りは「死者の道」となっているが生贄があったからか

 この地域は石灰で出来ており
この石灰を1100℃で焼いて生石灰とし水を加えてモルタルとして石組に使う
この石灰を焼くのに燃料である木を大量に消費したらしい
(木の消滅は文明の消滅を示す)



この鮮やかな赤色はサボテンなどに付く「カイガラムシ」を磨り潰したもの
土産物を売るおじさんが実際にカイガラムシを潰して見せてくれた

自宅の木々に付いていつも困っていたがこんな使い方があるんだ
古代日本での赤色は辰砂 無機物であるが
こんな有機物が何千年も保持出来るのであろうか

能面でも有機物の赤を使うが直ぐにカビが生える
やはり乾燥度の問題だろうな



遺跡の住居跡
漆喰で固められている

最初に「月のピラミッド」に登る 高さ46m


 
「月のピラミッド」と周辺の遺跡



日本の神社の様に主神以外の神々が祭られているのだろうか






前方が「死者の道」と「太陽のピラミッド」と周辺の遺跡群
このピラミッド
石と漆喰の層を4重 5重に重ねて盛り上げている
エジプトの巨大石を積み上げるのとは構造が違う

まだまだ発掘途上の様である





「死者の通り」は4kmあるという



高さ65mの「太陽のピラミッド」に臨む




「太陽」からみた「月」



この周辺に22万人が住んでいた
発屈予定地域は金網で囲ってあり
それはこのはるか先の高速道路近くまで続いていた

登りの汗を頂上での風が爽やかさに変へてくれる

昼食はこの遺跡のすぐそばにあるレストランでビュッフェ



シティーに帰る途中
世界遺産③ルイス・バラガン邸に行く

高名な建築家の家だといえども
個人宅が世界遺産なんてびっくりとガイドが言う




確かに世界遺産の証明書が貼ってある

中は撮影禁止
氏はモダニズム建築の巨匠で日本の建築家にも大きな影響を与えている
白を基調とした大胆な色使いの壁をキャンバスにして光と素材のもつ風合いを
旨く調和させている
氏は世界中の建築を見て周ったとか
メキシコに多くある溶岩を床や壁面にしようする
この感じは「アルハンブラの天井」に見られる



(ネットより バラガン氏の作品メキシコのタワービル)

両開きの窓の内戸を閉めるとすこし隙間が出来る
その隙間が十字架になる
安藤忠雄はこれを教会に取り入れているのではとガイド



(ネットより安藤忠雄 茨木春日丘教会)

世界遺産は兎も角も なかなか興味深い

市内の戻り最後に「メキシコ国立人類学博物館」に寄る



ここの展示物は本当にすばらしい
ここだけでも2~3日欲しい
全て写真撮影許可
部屋は12室ある 全部見るにはとても1~2時間では無理
今回はアステカとマヤにしぼられる



これが琵琶湖の1.5倍のメキシコシティーの湖
右の大きな島にアステカの都があった
この水を左下の方からスペイン人が抜き取ったとガイドが説明
解説書では埋め立てと書いてあるのが多いが事実はわからない
が いずれにしても湖は無くなった
午前中に行ったテオティカワン遺跡は左上の赤い点々の部分
ガイドの話では右下の赤点から移動したという
高度は2200mである



食べて捨てられたマンモスの骨



メキシコの土偶



(ネットより青森・岩手出土の日本の土偶)参考




彼らの造形美はすばらしい

妊婦像が多いのはやはり生命の永続性を願ってのものか
日本の道租神に相通じるものがある



何千年も前から犬はペットなんだ



いたわりあう老夫婦



現代でも通用するデザインと色使い
日本のこの時代では考えられない



日本の獅子舞に似ている







マヤ バレンケ遺跡のバカル王(615~683年)の翡翠の仮面
と再現された古墳の石室




これがこの博物館の目玉
「アステカの暦石」

直径3.6m
1790年 わずかに残った湖のソロ地区で発見された
260日の祭式暦と365日の太陽暦の2つを併用している
太陽暦20日を1ヶ月として1年は18ヶ月(サラリーマンにはいい暦だ)
残り5日は不吉な日となっている
この5日間に産まれたものが生贄の対象となったとか
又この5日間に実際生贄の行事が行われた

この260日と365日の組み合わせが合致するのは52年
したがって52年の還暦となる

それにしてもマヤ文明は何故滅亡したのか
「環境変化説」「疫病説」「内部対立説」「交易経路変化説」「支配者交代説」「異民族の侵入」
などの説があるが
今後 マヤ アステカ インカとそれぞれ研究が進めば本当に面白いと思った



甕棺墓 先月行った吉野ヶ里と同じだ          右の像はお腹に生贄の心臓を入れる穴がある



午前中に行ったテオティカワンの彩色の部分を実物大に再現レプリカ




スペインに滅ぼされたアステカの神の顔がつぶされ
その横に立てられた十字架

これは対スペイン独立戦争時の後ろ盾だったアメリカが
スペインに変わって支配の手を伸ばす
その後対アメリカ戦争に敗れ「テキサス・カリフォルニア・ネバダ・ユタ・ワイオミング・コロラド」
と国土の3分の1を取られれしまうという現状

この造形物はこの国民にとって過去の「十字架の頚木」のままでいくのか
それを断ち切ってあらたな希望の十字架となるのかは
この国の人々次第である



大阪万博のシンボルタワー
岡本太郎の「太陽の塔」を彷彿とさせる





手塚治の火の鳥のモデル ケツァールの羽根を使った王冠
スペイン人には下の金にしか興味が無く 羽根は全部捨てられた

名残惜しいが時間の制約がある
博物館を後にする
カイロの国立博物館や台湾故宮 大英博物館にも相当するくらい面白いと思った

夕食はホテル近くのレストランで
マリアッチと肉料理






メキシコのビールは旨い!!

今日も1日しっかり観光できました

3日目

今日は④世界遺産ポポカテぺトル山麓の修道院群の1つ
⑤世界遺産ソチカルコ遺跡
⑥世界遺産メキシコ国立自治大学の壁画
に行く
8時ホテル出発
途中常春の保養地クエルナバカを通って
9時40分 修道院に着く



世界遺産のフランシスコ会修道院群の1つ



入り口の上に「どくろと骨」がある スペイン人の感覚がわからん



この修道院にきた訳は修道院内の壁画にある
豊臣秀吉による「キリシタン禁止令」による長崎二十六聖人が貼り付けになる
絵が壁画となって残されている
日本人が20名 スペイン人4名 メキシコ人1名 ポルトガル人1名
なかには12歳の子供もいた

このことは当時日本国内よりもヨーロッパに広く知られていたという
教会を通じて世界に広まったのだろう






当時の侍の姿も建物も想像で書いたのだろう

それにしてもつい1ヶ月前 長崎大浦教会(26聖殉教者堂)にいったところ
なんと地球の裏側でまた会えるとは



この時期あちこちに咲くこの木はなんだろう
ジャカランダは3月で紫色だし




次は世界遺産⑥ソチカルコ遺跡
ここは昨日行ったテオティカワンが衰退する時期に現れたという
AC650年~900年くらい
メキシコシティーを挟んでテオテカワンの反対側に位置する
クエルナバカの小高い丘にあり 城壁などに分厚く擁護されている





蝉の声がうるさい日本のとはすこし音色が違う



人の顔の額がないのはマヤ系だと思うとガイド





球戯場跡

球技といってもそれは命を掛けた戦いである
負ければ生贄となる




面白いのは城郭の片隅に天文台と称する真っ暗な部屋があり
そお天井には穴が明けられ 光が床に降りる
この床の光が太陽が真上になってくるある時期に鮮明となる
この光の具合をみて農作物の植える時期を決めたという




暑さと歩き疲れでガイドさんすみません あまり頭に入りません
昼食もなんだったか覚えていない
ここでなんか食べた

シティーにひっかえす途中⑦世界遺産メキシコ国立自治大学に寄る



この大学の在校生12万人 別のキャンパスにも12万人いるという
移動はシャトルバス
この国は医療と教育はすべて無料

ただ卒業できるのは15%くらいだろうとガイド
そうなんですよね 日本もそうすればいいんです
まずだれでも入れてやって 本当に勉強したものだけを卒業させればいいんです
正しい



図書館 壁面は全て天然石で描かれている
その形のものとしては世界一大きいらしい



この図書館で全員トイレをお借りました
学生がいそがしそうに動き回っていた



岡本太郎にも大きな影響を与えたシケイロスの「文化の権利」



ラテンアメリカの結束を訴えたシケイロス作「大学の新しいシンボル」



シケイロス「民衆から大学へ 大学から民衆へ」



道路一本はさんだところに「1963年10月メキシコオリンピック」
のメイン会場がある
海抜2240mは10%ほど空気が薄い
多くの反対を押し切って開催された
今のブラジルの様に国内でも反対運動があり学生1名が死亡とガイド

日本は男子レスリング 男子体操など11ヶの金メダル
マラソンでは君原健二が銀メダル

「こんな国でよく出来ましたね」
「本当 本当 私も思います」とガイド

渋滞が来ないうちにホテルに帰ろう



夕食はホテル近くの和食の店へ(メキシコ市内に300件ほどあるらしい しかし日本人の経営者が
どれだけいるかは不明)
店の前の歩道が日本庭園様 歩道にこんなんしていいのかな
入り口の造りも何となく気持ち悪い日本様 ここの経営者は外人だな
店の名前は「TOKYO」




鳥の照り焼き 海苔巻き 酢の物 味噌汁 チャーハン風の味ご飯
なんか違和感がある
でも食べると全体が少し甘いが結構旨い

値段はいくらぐらいか知らないが現地の人で満席

さあ明日から第2弾 キューバに向けてGO GO





 その2に続く