八十七段 ヨルダン・イスラエル・ドバイの旅(その1)
新聞やTVのニュースでよく見聞する中東の国々
しかし実際はどんなところかよく判らない
シリアは考古学(パルミラ遺跡は橿原考古学研究所の発掘)でよくでてくる遺跡の宝庫
かつてはシリア・ヨルダンという旅行コースが多かったが
今は勿論行けない
ヨルダンには「ぺトラ」と「死海」という世界的な観光地がある
十数年前 知り合いの世界中を旅行されている老女が
「ぺトラは素晴らしいですよ」と言う
kantaは知らなかった
「インディージョンズの最後の聖戦」の舞台として画かれていて納得
一度は訪れてみたい世界遺産であった
世界的宗教の発祥地のイスラエルと
いまや成長著しい中東の星 ドバイと
非常に興味が注がれる地域である
夜11時30分 関空発のエミレーツ航空(アラブ首長国)でドバイ経由ヨルダンの首都アンマンまで行く
マイナーなコースは全国から集客をしている
今回も成田から18名と添乗員
関空からは9名の総勢27名(関空組は漸次搭乗するのでだれがメンバーか判らない)
ドバイ空港で合流する



飛行機は777型 先日に不明になったマレーシア機と同じ型
飛行時間は10時間30分
食事は2回出る 早速「レッドワイン」を注文していい気分
席は半分空いている
出だし好調

ドバイは雨だった
この空港の規模は半端ではない 面積でも世界一の規模を誇る
施設とその建築もすばらしい



ターミナルの移動の地下鉄も日本の地下鉄の1駅分はある
ところで成田組が来ない
アンマン行きのゲートで待ち合わせだが
搭乗が始まったのに姿が無い
もし来なければ先にアンマン行きに乗ってください
という指示は印刷物に有ったので 搭乗しょうとしていたら
添乗員と18名が来た
1時間遅れである 飛行機ではよくあることだそうだ
とりあえずアンマンまで行く
アンマンまで3時間20分
時差は日本とドバイが5時間 ドバイとアンマンが1時間

現地時間10時に着く
アンマンの空港でヨルダン人のおじさんのガイド(英語)とバスの出迎え
荷物を積み込みぺトラに向け出発
車窓の風景を見ながら添乗員の通訳でおじさんのガイドを聞く
ヨルダンは
シリア・サウジアラビア・イスラエル・パレスチナ自治区・イラクと国境が接している
まさに紛争の真っ只中に位置する立憲君主制国である
人口は700万で首都アンマンに300万人がいる
今回アンマンの中心部に行けなかったのは残念である
面積はポルトガルと同じで日本の約4分の1
GDPは島根県くらいで果実(オリーブ・オレンジなど)を中心とした農業と
肥料となる隣鉱石の輸出 ・サウジアラビアなどへの出稼ぎなどで
平均年収は約6000ドル
通貨は1ヨルダン・デナールで約150円
物価は高く消費税は16%
スンニ派が92%でキリスト教徒が7%
ヨルダン西岸は第3次中東戦争でイスラエルにより占拠されたが
現在は放棄して イスラエルとの国交を開いている
シリアからの難民200万人を受け入れている為
物価はどんどん上がる
特に飲料水などの課税が高い(コーラは300円だった 値段を表示しないで客の顔を見て値段をつける
アラブ式にひっかかったかも))
日本も数千億円の難民支援をしているが
バスの車窓から見渡す限りの荒野をみていると・・・ 本当にね

ぺんぺん草を食べる羊
荒野の真ん中のレストランで昼食
野菜も多く ヒヨコマメのペーストも旨い 味は総じて良い

この国のヨルダン川(死海に注そそぐ川)北西部流域は農業が盛んで緑地帯であるが
東南部はご覧の荒地である
数千年の歴史のある国なのに なんともならないのだろうか
それほどに厳しい自然環境なんだ
ガイドのおじさんが突然日本語で「君が代」を歌いだす
車内は喝采
それに気を良くしたか アラブ語の歌を次から次に歌いだす
添乗員も意味が判らず笑うしかないよね
「荒野に向かう道より 他に見えるものは無し」♪♪
このまま宿に入るには早すぎるということで
ペトラの町の近く ペトラ遺跡の裏側にある
「リトル ぺトラ」に急遽寄ることになった
その名の通り ぺトラのミニ版である
べドウイン(砂漠の民)と羊
しかし暑い 30℃以上あるかな
ぺトラとは「崖」を意味する
この崖を先住民がここを住まいとしていた
べドウインも最近までそうだった
政府は観光資源の確保の為ぺトラの町の近くに
6000名の規模のべドウイン専住地を造り移らせた
その代わりの条件として
ぺトラ遺跡周辺の経済活動を保障している
これはエジプトの「王家の谷」周辺の住民に対する政策と同じである
ここでは上の写真の土産物屋などがそうである
崖の間をすり抜けていく
居住跡の穴がいたるところにある
岩は砂岩なので加工しやすいのだろう
ただし風化も激しく風が吹けば砂埃がきつい
本番のぺトラは明日だから
今日はこれくらにしておいてやろう
ああしんど
ホテルはここからバスで10分ほどのぺトラの町の中
小奇麗な宿である 今日から2連泊


夕食まで少し時間があるので町の散歩

ホテル周辺を散歩するのが大好きである
そこに住む人々の生活の臭いが
旅に来たという思いを高めてくれる
ホテルにはプールと温水プール サウナがある
乾燥地帯のホテルのバスタブには風呂栓がないことが多い
ここもお湯を溜めては入れない
「死海」用に水泳の準備は万端である
早速 温泉プールで汗と砂埃を流した
そうそう 宗教戒律の厳しい国
町中にもホテルにもアルコールは無い
さびしいね~
睡眠足らず 早く寝よう 明日は6時起きだ
2日目
8時 ホテル出発
ぺトラの入り口まで15分
観光バス2番乗り位の早さ
今日も暑そう

入り口からシーク(岩の割れ目)まで400m
その間 馬や馬車も乗れる(勿論有料でチップ代プラス)
シークの入り口
所々に変装のおじさんが
下手に一緒に写そうもんなら速集金
最近京都の祇園を歩くと舞妓の姿で歩く人がいて
外人が一緒に有料で写真を撮らせている
あれと同じ
数百年前の姿
上に橋がかかっているが過去に何度か地震があり
崩落している
後で行くローマ時代の遺跡も地震で崩落
明日行く「死海」もアフリカ大陸とシナイ半島が年間数センチ分離
していく大地溝帯の割れ目
当然地震も多いはず
その割には建築物はほとんどレンガや石やブロックを積んだだけ
トルコでも同じだった
今泊まっているホテルもどんなんだか
シークの下の側溝
湧水を引いていたのだろう


下はコンクリートなので昨日より埃が無い

通称「象の像」(kanta命名)

ゆっくり歩いて50分
やがてパンフレットのような光景が
シークから出ると大きな広場
「エル・ハズネ」(宝物殿)
宝物殿前は観光客とべドウインの土産物屋と変装おじさんと馬・ロバ・駱駝
でごったがえしている
ここから先1時間30分歩いてレストランで昼食
途中ローマ時代の劇場跡や列柱通りを見る
ここからはシークは幅が広いので陰がない
汗が吹き出る 500mlのペット水2本で足りるかな
因みに乗馬(驢馬)賃は宝物殿からレストランまで片道2000円
レストランから上の神殿まで同じく2000円
たぶん馬車・駱駝はもっと高いと思う

ぺトラ名物の「砂絵」
砂の名入れを注文しておけば帰りに出来ている
因みに名入れの一番小さいので15ドル
洞窟の中に掘られた墓
円形劇場
さすがに乗る人も増えてきた
ワジ(枯れ川)
列柱通りと凱旋門と変装おじさん
元の姿
ようやく木の下のレストランが
ほんまにオアシスじゃ

レストランは満員 何故か「FUJITSU」の幕が
350mlの冷えの悪いビール 10ドル!
べドウインに足元見られてしまった
さて昼食後
ここから先は戻る人 先に行く人と別れる
朝の入り口の門に17時集合である
850段ほどの階段の先に「エド・ディル」(神殿)と展望台がある
往復約2時間
乗り物も驢馬だけ
金比羅山のような駕籠かきはいない
「エド・ディル」
ここは宝物殿と違って立ち入ることが出来る
映画では宝物殿の奥は深く長い洞窟があって
地下深くに秘宝があるという設定
当然長いトンネルがあると思い込んでいたが
実際はこんな洞穴だろう
この神殿は奥のへこみに祭壇があったのだろう
このぺトラも長い歴史がある
BC1200年には人が住んでいたという
古代ナパテア人の都市として栄え
宝物殿とされているところは王の墳墓として造られた
BC100年頃ローマの支配下になったため
ローマ式の建築物がある
前回のギリシャのメテオラといい カッパドキアといい
マチュピチュ そしてぺトラと人と岩とのかかわりが面白い
日本なら こんな場所があれば住むというより
神懸りの場所 神奈備 カムイとして有るのではないだろうか
宮崎の天孫降臨の地とか
奈良の桜井の三輪山のように山全体がご神体
山中は注連縄付きの岩があちこちにあり
禁足地である
神殿からさらに10分ほど上がると展望台に着く
展望台からの神殿
ここも映画「トランスフォーマー」の舞台となっている

展望台から神殿と反対側の景色
地球は広いですな
ぺトラは1985年に世界遺産となっている
全体をみるには3~4日かかるとか
これが真夏ならとてもとても
さあ門をめざして歩こう
人が擦違いが出来るほどの道を
驢馬が駆け下りてくる
普通後ろから車だ来たら「車 車」と前の人に注意を呼びかけるが
ここではヒズメの音がしたら「馬 馬」と言う
運転手が乗っているときはいいが
時々驢馬だけで降りてくるときがある
すごい勢いでぱかぱかぱか まさに「暴走族」
事前に馬が来たら谷ではなく壁側に寄りなさいとは言われているが
靴は完全にインディージョンズ状態
そうかホテルの玄関の靴みがきの機械や
バス車内の通路に絨毯の切れ端のようなものが
いっぱい敷き詰めているのはこの為だ

レルトランまで降りてきた
さすがに乗る人が多くなる あちこちで値段の交渉がはじまる
15ドル いや12ドル
日本人同士で「馬に生まれなくて良かったね」と会話する
本当にね 金比羅山のように自分の体で稼げよね

赤く染まった宝物殿まで帰ってきた
もう思考能力も無い
殿の前で映画かTVのロケをしていた
なんども同じ音楽を鳴らし 男女のめぐり合いのようなシーンを
場所を変えて撮る
ベンチに腰を下ろしてそれを見ている
撮影が終わると男優が著名人なのか多くの女性が取り囲む
少し我に帰ってきたので残り1時間 最終の門までのシークを歩く
シークは涼しい


シークもぬけた
そうだこの門前でどうしてもコーラが飲みたくて
買ったら300円と言われた
またベドウィンに砂だらけの足元を見られた
ホテルに帰り温水プールで体をほぐし
汗と砂埃を流す
明日は5時起きで「死海」まで
そして国境越えでイスラエルのエルサレムまで行く
寝るしかない
3日目
真っ暗な5時起き
6時45分ホテル出発
死海まで休憩を入れて約4時間30分


野を超え町超え
山超え砂漠超え
海抜0mに来た
記念碑が建っている
アンマンとエレサレムの間の「DEAD SEA」は390m下で
今あなたは赤い点「YOU ARE HERE」です
ありがとう
ところがこの390mという看板は毎年更新しないと正確ではない
死海はヨルダン川の流入で出来て 流出するところが無い
しかし水の蒸発で塩分が海の10倍 濃度が30%となっている
最近水の流入が少ないのか
死海のミネラル分を経済活動として過剰採取する影響からか
毎年50cmほど下がり続けている
このままだと2050年には本当の「DEAD SEA」になるという
皆さん来れる人は早く来てくださいネ
ここから海抜-400mまで一気に下がる 少し耳がおかしい
添乗員がペットボトルを見てくださいと言う
そういえば少し変形している
過去に-400mて経験あるかな
ちょっと思い当たらない
死海が見えてきた琵琶湖の1.5倍あるそうだ
対岸はイスラエル従ってイスラエル側からも死海に入れる
今回我々はヨルダン側だけ
湖畔の「高級」ホテルで昼食とこのホテルのプライベイトビーチで泳ぐ?浮かぶ

皆様飲み物はいりませんね と添乗員が言うので
ちょっとムとして「ビールはいくらですか」と言うと
「14ドル」と言う 思わず「なんで」と口に出る
「高級ホテルなんです」と一言いわれて
どうもすみません
食後ホテルの更衣室で水着に着替え海岸へ

タオルを受け取って
「アリガトウ」


ここはもとはビーチ際にあったんだろうな
今は高台になっている
白人も黄人も黒人もみんな黒人になってつるつる
お断り
この被写体は紛れも無くkantaですが
浮遊体験を説明すべく断腸の思いで老体を衆目に晒す決意を固めました
ただし顔 特に腹部は皆様に不快感をお与えしますので
あえて 偽造ではなく隠蔽掲載いたしました
ご了承ください
被写体は新聞を読んでいる状態になるには少しコツが要る
とにかく足は沈まない
沈めようと 立ち上がろうとするとくるっとひっくり返る
大きな浮き袋やカヌーに乗っている感じ
方向転換や先に進むには両手を櫂にする
2~3人の人が立ち上がれないので手を貸すが
水はぬるぬる
日本の温泉でもここまでは無い
和歌山の龍神温泉の2~3倍はぬるぬる
石鹸水のような手では引っ張り上げれない
顔を浸け様ものなら髭剃り跡
特に目に入れば想像を絶する痛みだそうだ
傷のある人はまず無理だろう
皮膚の為には10分くらいで出てくださいとのこと
全員が写真を撮り終えたところでシャワー室へ
添乗員がなんとなくぴりぴりしている
どうやら今から30分ほどのところの
国境越えのことらしい
ヨルダンは出国なので問題ないが
問題なのはイスラエルの入国である
非常に厳しく 係員も横柄で文句を言おうものなら即
別室で取り調べがあるという
現に最近も日本人の男性がひっぱられたとか
とにかく何があろうがニコニコしてください
と車内で何度も繰り返す
最低3時間はかかりますからと言う



ヨルダンからの出国はバスから降りることなく
全員のパスポートを添乗員が集めて一括審査

2~30分で終わる
ただし出国税として一人15ドル必要
因みにイスラエルのそれは54ドル
合計69ドルの徴収である
「BON VOYAGE」(ごきげんよういい旅を)
とフランス語
ヨルダンの審査所からイスラエルまでの1kmほどは緩衝帯
駱駝の放牧が道を阻む
左はヨルダン川
渡る橋はライオン橋
いよいよイスラエルだ
やがてイスラエルの国旗が見えてきた