八十七段 ヨルダン・イスラエル・ドバイの旅(その2)
緊張が高まる
カメラも終わないと

多くのバスやタクシー・自家用車から入国者が荷物を降ろす
係員からの指示があるまでバスから降りれない

2~30分待っていると
全員下車の指示
バスからトランクが降ろされる
ここでヨルダンのガイドおじさんとバスは
2日後帰ってくるまでお別れ
各々が荷物を持ち20代のかわいい女性の係員に
入り口でパスポートを見せる
みんな顔をひきつらせながら笑顔
パスポートの顔写真と実際の顔を丹念に見る
グループに20歳代の男女2名が左の部屋に行け
と指と英語で指図を受ける
抜き打ち検査だ
やはり若い者はねらわれる
あとのおじいやおばあではなにもできやしない
残り25名はとりあえず通過
建物の中に入ると先ほどの多くの入国者が
全ての荷物のチェツクで並んでいる
すると我々一行(若い2名以外の)は
その検査場を横目に別の通路から最終のパスポート検査まで直行となった
ノーチェックだ
おそらく1時間は違うだろう
添乗員もにこにこ顔
みんなほっとして順番を待つ
あとはパスポートに入国のスタンプを押して貰えばOK
ただイスラエルの入出国のスタンプがあると
今後シリア・サウジ・イラン・リビア
などアラブ諸国の入国の際 拒否される
そのことは事前に了解を求められていた
しかし最近は各国からの要請もあったのか
スタンプの変わりに5cm角ほどの入国書のようなものをくれる
普段はパスポートに貼っておき
他のアラブ国に入るときは剥がせばいい
観光客誘致にはイスラエルもやるじゃん
入出国管理所を出るとイスラエルからの
出迎えの現地日本人ガイドとバスが待っている
荷物を乗せバスに乗る
若い2人を待つ
生贄の2人が帰ってくる
全員が拍手「お疲れ様」 出所祝いの雰囲気
かつて日本赤軍のメンバーがテレアビブ空港で
乱射事件をおこしているから
日本人には厳しいのかと思ったが
全く違った
結局なんじゃかんじゃで1時間30分
ヨルダンからすれば2時間はかかる
でも帰りはイスラエルは出国
ヨルダンはあまり厳しくないので入国は簡単なようだ
本当に荷物検査くらいでいいが
別室がガス室ならどんなことだろう

全員揃ったところでバスは出発
現地ガイドは40歳代の日本人女性
米国人のご主人の関係で16年前からいるという
でも少し日本語がおかしい
いや日本語は正しいが
感覚が焦点がおかしい
ジャングルから16年ぶりに帰還して
只今戻りましたと言う感じ
自分でもそう言って謝っていた
普段 英語とヘブライ語しか話さないという
イスラエルは岩砂漠の地
四国より少し大きい面積に人口は820万人(因みに四国の人口は約400万人)
平均月収は夫婦共働きで25万円程度
物価は日本と同じか少し高め
消費税は18%
健康保険・社会保険は給与の5%
生活は本当に苦しいですよ
と2人の子供をもつガイドの話
GDPは22兆円で埼玉県くらいだが
1人あたりは3万ドルを越えていて先進国並み
ただ貧富の差が大きく生活保護の割合も高い
農業(キブツ)の他科学技術(医療・軍事・IT産業)も発達
自動車は100%輸入
欧米や日本・韓国
日本車は一番人気(50℃を超える砂漠でもクーラーは動く)
だが高いので主に公用車中心
一番安い韓国のヒュンダイが多いという
べドウインの住居
1時間ほどでエレサレムの市街に入る
近郊は「赤い土」といわれる「入植地の住宅」が丘の上に並んでいる
通常の30~40%安価だという



エレサレムの街に入ると独特の服装の男性を多く見かける
彼らは「超正統派」とよばれるユダヤ教の中の極右
全人口の10%を占め
特にこのエレサレムに多く30%を占めるという
問題は 彼らは働かない・兵役に行かない・国を認めない
などその不公平が問題視される
働かないで1日中聖書を読む
稼ぎは奥さんがする
当然収入は少ないので生活保護を受ける
子供はあちこちで15~6人をつくるという
したがってこの人種の数が増加している
したがってエレサレムの給与所得平均は他より
少ないという
男女共兵役の義務がある中で彼らは免除されている
なんでもユダヤの国はメシアの登場で初めて建国されるので
今の国は国ではないとする
しかしさすがに兵役義務だけは問題視され
法律改正し2017年から彼らも
兵役につくという
入隊してしっかり鍛えなおしてきなはれ
キブツなどの平等感が発達し
合理的で厳格な国だと思うのだが
どこの国も宗教には弱いんだ
ガイドにそんな話信じられないとなんども聞くが
彼らは自分たちが国を創っていると言い張る
んでしょがないどすな
インティファーダ(石の礫)により自爆テロにたびたび襲われた
乗り合いバス
ガイドは自転車で通勤していたが
バスのそばには寄らなかったいう


やれやれなんとかホテルに着きました
ここで2連泊
夕食までに少し時間があるので
フロントにいたガイドに「この近くにコンビニはないですか」
と問といきなり両目を輝かして 両手でkantaの手を握り締めてきた
「関西の方ですか」「はい」「うれしい 関西弁が話せる」
「どちらですか」「滋賀県なんです」
という会話
「一緒にいってあげます」
といって案内してくれた

コンビニというよりミニスーパー
ビールは8シュケル(1シュケル30円)
種類は少なく 店の端っこの方にあった
冷やしたのなんか売ってないが
価格は日本と変わらない
今回は3ヶ国ともドルが使えるというので
その国のお金を一切交換していない
ドルとカードのみ使用
買う前に店に何が使えるか確認する
カードやドルを見せて「カードOK」
「ドルOK」と言う
食後 皆にスーパーの場所を言うと
多くの人が行ったらしい
kantaは冷蔵庫で冷えたビールを取り出し
お先に寝まっさ
長い1日でした
4日目
5時半起床
7時ホテル出発
今日は午前中エレサレムの旧市街地観光
昼食後 パレスチナ自治区にあるベツレヘムに行く
自治区に入るときパスポートの提示を求められることもある
というのでパスポート携帯



8時旧市街地の門前に着く
ゲート前に多くの観光客がすでに並んでいる
我々のグループは旅行会社から支給された
帽子をかぶることになっている
この地域に3つの宗教施設があり
そこに入場する際に宗教によっては帽子を
ぬいだりかぶったりとややこしい
東洋人は我々だけ
なんとなく「万博」で並んだ記憶がよみがえる
ゲートで料金でも払うのかなと思っていたら
なかなか動かない
4~50分待つ
なんと
セキュリティーチェックだったのだ
横をすいすい通る人はなんじゃいなと思っていたら
あれは現地の人
並んでいるのは外来者
ヨーロッパ大陸・アメリカ大陸・アフリカ大陸

ときどき音楽隊や子供達 学生たちの集団がにぎやかに
通り過ぎる
この旧市街地
非常に複雑なバランスを保ちながら存在する
キリスト教の聖墳墓教会を中心としたイエスの遺跡
ユダヤ教は神殿の丘や嘆きの丘
イスラム教は岩のドームなど
この1平方キロに満たない地域に集まっている
セキュウリテーを抜けると
直ぐ「嘆きの壁」が見えてきた
白い傘の手前が女性 その向うは男性
神殿の丘に入ってから
下の壁に向かう
ガイドがメモをくばる
願い事を書いておいてくれ言う
嘆きの壁に行ったときの壁の隙間にお祈りをしながら差し込むのだ
過去数千年の間 いろんな王朝や人種や宗教が支配・征服を繰り返してきた
城壁の壁もなんども破壊された
今の壁は1540年頃に作られたという
岩のドーム
広場のあちこちで各宗教のお祈りや勉強会が開かれている
周辺には銃をかまえた兵士が多くというものの
こんな姿になるのに何千年かかったのだろう
将来も続くのだろうか
人間にとって宗教とはなんなんだろう・・・

kantaの祈り
この地で桜散る花吹雪の景色があったなら
世界の歴史はもう少し変わっていたかもしれない
嘆きの壁から町の狭い通路に出て
ピアドロローサ(苦難の道)を巡る
聖書や福音書にもとずき
イエスが刑を言い渡され死刑の前夜まで拘留されていた場所
から十字架を背負わされてゴルゴダの丘の処刑所までの道
とその後の復活までを
14留(14場面)にまたがって巡る
この場所や事柄の真実性は諸所説があるので
あくまでも「伝」としょう

1留 ピラトの官邸
大祭司から死刑の判決を受けたイエスは総督の官邸
つれてこられた
今は小学校の校舎となっている
授業終了後しか入れない
2留 鞭打ちの教会

イエスの痛々しいステンドグラス
頭には棘の冠をかぶせられ 紫の服を着せ鞭打った
3留 イエスが最初につまづいた場所

左のⅢの門の地下に坂の途中で倒れるイエス像
地下の隣はお土産物店
4留 マリアの教会

3留のすぐ隣 苦しみのイエスと母が遭遇したといわれる
青い光のあたる床にぞうりの跡があるという
5留 シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所

各遺跡はこんな狭い坂道の途中にある
沿道は商店や住宅でびっしり
6留 ベロニカの教会
ベロニカがイエスの顔をハンカチで拭ったところ
7留 イエスが2回目にたおれた場所
狭い通路は巡礼者や観光客でいっぱい
8留 聖ハランボン・ギリシャ聖教会
イエスはが丘に向かう途中に泣き悲しむ婦人たちに声をかけたという場所
修道院となっている
9留 聖墳墓コプト会
イエスが3度目にたおれたとする場所

10留~14留:聖墳墓教会内

コプト教会の前を右に曲がると
聖墳墓教会の屋根が見えてくる

教会の内外は人であふれている
10留 イエスが服をぬがされた場所
11留 十字架で釘付けにされた場所
12留 磔にされ息を引き取ったとされる場所


祭壇のしたには十字架が立てられたという穴があり
銀製のプレートがある
それに触れるために順番に並ぶ
1人づつしか入れないので 長い列ができる
13留 マリアがイエスの遺骸を受け取った場所
教会の入った正面に大きな絵がある
その前に石棚がおかれている
この棚に遺骸を横たえ埋葬を整えるために体に油をぬったとされる
「塗油の石」
多くの人々が手に触れ 十字架を押し当て祈る
14留 遺骸が安置され 3日後に復活したとされる場所
この建物は12世紀に十字軍により再建されたという
入るのと出るのとすれ違いしか出来ない
狭い入り口の為1時間並ぶ
また万博を思い出した
待っている間 ガイドが一生懸命 聖書やらガイド本を読んで
イヤホーンガイドを通じて説明してくれる
内部は2~3人分の狭い空間
ここで復活したんだ~(月の石を見た時の感じ)
14留見終えて外に出ると相変わらず広場は人であふれている
ここからアルメニア人地区に行って
アルメニア料理の昼食

野菜が豊富味も旨い ヒヨコマメのペーストはどこでも出る
でもご飯が大量に出たり パンも御代わりをどんどんもってくる
日本人ではとても食べきれない
食後シオンの丘エリアに行く
上はダビデ王の像
その先の建物に「最後の晩餐の部屋」がある
「伝」ですよ「伝」
ダ・ヴィンチの絵は直線の長机とイスになっているが
机はL字型で短い足の机(ちゃぶ台状)で 13名は胡坐だったと
ガイドの説明
少し歩いて
マリア永眠教会
続いて鶏鳴教会
イエスを有罪とした大祭司の家の跡に建てられた教会
この教会の地下にイエスを1晩拘留したという牢屋がある

牢屋
イエスが引きずり出され歩いたとされる坂
ここから10km バスに30分乗って
イエス生誕の地とされるベツレヘムに行く(生誕教会)
この地は現在パレスチナ自治区の為
検問を通過しないといけない
グループの中に以前に来たことがある人の話では
検問所でバスを降り
ペレスチナのバスに乗り換えていたという
今は5分ほどでそのまま入れる
高い壁はあるものの 緊張感は全く無い
景色も全く変わらない
変わるとすれば店の看板がヘブライ語からアラブ語
それと各家の屋根にある給水搭の色が白から黒に変わったくらい

左がイスラエル 右がパレスチナの給水搭


紛争さえなければ ちょっと隣の町に行く
という感じ
エレサレムからわずか10kmの間に大きな壁があるんだ
上の写真をみてだれがパレスチナと思いますか

バスの駐車場から歩いて10分
生誕教会が見えてくる
また並ぶんだ
それもそのはず入り口は1人づつ
しかも背かがみでしか入れない
自然と頭を下げるようだって
まるで茶室の躙口(にじりぐち)

正面の右にまた大勢の人が並んでいる
戒壇の下がイエスが生誕した場所としている
そこも1人づつしか入れない
3~40分待つ
この穴の奥なんです!!
次の次の次くらいかな
穴の門はぬけたが階段の下も混雑
この右の下に生誕した馬屋の籠がおいてあったという場所
そこも1~2人くらいしかもぐり込めない
そこには星型の印があるという
よしもぐって1枚写してきます!!

もみくちの中バッチリ撮りました
正面の下 暖炉のようになっている中が生誕地
本当に大変なんだから


教会の周りは土産物屋や礼拝者・観光客で混雑
ベツレヘムはパレスチナが観光に力を入れている
自治区を出てホテルへ
途中スーパーマーケットに寄る
スーパーに入るにも荷物チックがある
こうゆうところをみるとやはり普通ではないんだ

今日は目一杯見て回りました
夕食後 部屋で昨日のビール飲んで速寝るべ~
明日は移動日
午前中残りの市内観光
昼からヨルダンに向けて国境超え
ヨルダンの空港から一路ドバイまで
5日目
朝6時起き
7時荷物出し
8時ホテル出発


朝から「オリーブ山」のエリア
万国民教会・ゲッセマネの園・主の涙の教会
に行く

オリーブ山からは旧市街地区が全望できる
多くの国の観光客で賑わう




本当に今回は東洋人が少ない
ガイドに問うてみた
やはりキリスト教とかイスラ教やユダヤ教
の信者数が少ないせいかも
それと危険だというイメージもね

万国民教会


椅子に座ってミサを見ている
賛美歌がドームに心地よい響きをもたらす
この地でイエスがユダに裏切られたという説と
マリアが埋葬されたという説がある


ゲッセマネの園
イエスが好んで礼拝したといわれる




主の涙の教会
人によって破戒されていく神殿の丘をみてイエスが涙したという場所
1日半かけてイエスの生誕から復活の地を
駆け巡った
その間ガイドやキリスト教信者の方もおられ
細かい説明を受けた
だがあまりにも長い歴史と膨大な内容を含むため
非信者にはとうてい理解できない
ここはこの様な言い伝えがあります
という姿勢で臨むしかない
だが宗教のもつ力・エネルギーを全く知らない
と言う訳にはいかない
エレサレムの街をあとにする
グループの中にイスラエルが4回目と言う人も居た
なんとなく納得する
国境まで1時間ほどである
途中関所があるが 今回は問題ない
しかし イスラエルの出国がやたら混んでいる
バスのクーラーも止められてしまった
オーバーヒート気味である
トイレだけはしっかりでる
トイレと言えば
空港やレストランでトイレに入ったら
女子用に間違えたのかと勘違いする
普通小便用が10ヶあるとすれば大便用は2~3ヶ
くらいだと思うが
この地域は全くその反対である
ひどいところは小1 大5なんてざらである
なんでや と思っていた 不思議だった
途中でわかった
ここらの人は「カンヅゥーラ」のようなすその長い民族衣装
用を足す時は下から全部巻き上げないと
つまりお尻を丸出しにしないと出来ないのではないか
たぶんそんなことだと思い納得した
余(る)談しているうちにヨルダンに入った
空港の手前で昼食



イスラエルもヨルダンもアルメニアも料理は
味も材料も殆ど変わらないが
まずいと思ったことはない
早く切り上げてレストラン周辺をぶらつく
写真を撮っていると道路わきの車が
ひつこくクラクションを鳴らす
しまった!撮影をするなとい言われていると思って
急いで立去ろうとすると ひつこく鳴らす
運転手を見ると両手で懸命に手招きする
ああ写真を撮れと言っているんだ
と思い カメラを向ける
すると道の反対側から友人らしき若者が走ってきて
カメラに収まった
それが下の写真

映像を見せると2人歓声をあげた
でも少し不安だったので
「ありがとう」と言ってそのままその場を去った
空港まで1時間足らず
17時30分 ドバイ行きのエミレイツ航空に乗る
夕食は機内食である
飛行時間2時間45分
ホテルには夜10時過ぎに着いた




オオ! 豪華じゃん
明日観光最終日
ドバイ市内観光
今日も疲れました
おやすみ
6日目
モーニングコールは無し
荷物出しは11時
ホテル出発は11時50分
なんと だがあとのスケジュールをみれば納得
1日市内観光の後
帰りの飛行機は夜中の午前2時50分ドバイ発関空
空港には24時くらいに入れば十分である
朝9時に食事をとって
ドバイ市内を散歩
ロビーにかっこいいおじさんがいたので
英語を話す人にお願いして
一緒に写真を撮らせてもらった
頭の白いスカーフは「GUTRA」その上の黒いわっぱを「AGAL」
純白のワンピースを「DISDASHA」という
ガイドの話では1日3~5回は着替えると言う
先日日本のTVでこの生地は日本のものがほとんどで最高だそうだ
人のいいおじさんで
他のメンバーも次々に撮らせてくれた
この民族衣装ドバイではあこがれ 富の象徴である
アラブ首長国はアブダビ首長国・ドバイ首長国など
君主国7つが集まって連邦国を形成している
日本の5分の1ほどの面積である
だいたい北海道と同じくらい
人口は830万人
公用語はアラビア語
外人が多いので英語も一般的
また出稼ぎの多いインドやフィリッピンの言葉も話される
首都はアブダビ
で歴代アブダビの首長が大統領になる
その内ドバイは奈良県や埼玉県と同じくらいの面積
人口190万人
人口の80%は世界181国からの出稼ぎ者
現地の国籍を持つものは20%しかいない
出稼ぎと自国民とは徹底した差別化をする
出稼ぎには家族同伴は認めない
職が無くなれば強制送還する
長期滞在者もまず国籍が取れない
とれても選挙権は与えない
自国民は教育・医療は無料 所得税も無い
ほとんどが公務員となる
UAE全体では日本より少し低い所得水準
だがドバイでは2~3000千万が普通らしい
ドバイの空港で民族衣装を着た若い(30前後)男性の入国審査官
がkantaの顔を見てしきりに何か言ってる
「ありがとう サンキュウ」「ありがとう ウエルカム」
またその逆を言う
となんども繰り返す
そうかウエルカムをなんというのか聞いているんだ
う~ん 考えて
「ウエルカム ようこそ」と言った
するとうれしそうに
「サンキュウ ありがとう「ウエルカム ようこそ」と
繰り返す
kantaが「YOU STADY」と声をかけると
白い歯を満面に浮かべて「ようこそ」と言ってパスポートをくれた
そうかあの若い公務員も3000万もらっているんだ
さすが 余裕があるね


車はやはり日本車が一番人気
王様やセレブはすべてマツダ
ガイドもなんででしょうねと首をかしげていた
ドバイは日本の中古車の一大販売拠点となっている

外国人労働者が80%というから
いろんな場所にいろんな雰囲気がある
地下鉄も発達しているので一度乗ろうと思ったが駅名が読めないので
やめた
後で旅行案内書を読むとドバイの地下鉄は厳しい
車内での飲食は一切だめ(ガム・飴・水もだめ)
車内の居眠りも禁止
駅構内車内は禁煙
チェック係りが頻繁に巡回していて違反者には速罰金
ガムかみながら 人前で化粧して 股おっぴろげて眠りこけてたら速死刑だな
暑い35℃近いのでは
でもビルに入ればどこも冷房が効きすぎる位効いている



この店は外国人労働者の為の店だろう
帰国時のみやげまで売っている
ホテルに帰るとホテルの屋上のプールに入っているメンバーもいた

集合時間 ホテルで昼食
バスに乗り「ドバイ博物館」から始まる



人形が良くできている
佐渡島の金山坑内の人形もよくできていて1体5~60万円するといっていたが
ここのもなかなかだ
さて次は
アブラという渡し舟に乗って対岸に行く

さすがに旅行会社もこれをクルーとはうたわないわな
対岸に下りたところは「スパイススーク」
というスパイス専門の市場
すんごい臭い
少し歩くと「ゴールドスーク」
金の店が並んでいる
出稼ぎのインド人が結構買うそうだ
加工賃が安いので外国人にも人気だとか
民族衣装の金持ちグループの姿も目立つ
ガイドが民族衣装の説明をしている
まあ口から生まれてきたような子
機関銃のように早口でしかもよくしゃべる
なんども「すみませんね しゃべりだすと止らないいです」
エレサレムといい本当に日本語に餓えてるんだな
日本人はあまり来ないんだ
イスラエルから来た日本人団体は初めてです
イスラエルてどんなとこですかとガイドが聞いてきた
皆顔を見合わせて「いや まあ 普通ですよ」
さていよいよ新市街へ
バスで3~40分
海岸に近い砂漠に建設途上の楼閣
でた~「バージュカリファ」
あそこに登るんだ
エレベーター予約は5時になっているとか
その前に世界で2番目に大きいと言うショッピングモールへ
世界一はカナダにあるらしい
最近自宅の近くに西日本で2番目に大きいモール街ができたが
総店舗数が250店
ここは1200店だって
エレサレムのガイドが行きたい行きたいというはずだ


民族衣装族は大概ブランド物の袋をぶらさげ
子供はバギーに乗せてフィリピン女性が押している
80%はこのパターン
目玉は水族館



回転すし
世界一高いビルは世界二広いモールとつながっている
高さ828mの「バージュカリファ」
17時の予約切符
チケット売り場
因みに料金は1人12000円
インターネットで予約すれば3000円
予約で全て「SOLD OUT」

登れるのは124階 452mまで
エレベーターも1分ほど
ギネス認定書
ただし現在サウジアラビアで1000mのビルが建設中とか
ほんまに こいつらなにをするんじゃ
この海岸の沖に壮大な人工島を建設予定
ドバイ危機で一時中断しているが再開されるだろう
しかし先日TVで世界的に建築用海砂が不足していて
不法採取が横行しているらしい
ドバイもアフリカやインド インドネシアの海岸から大量に海砂
を輸入している
海岸の砂を取られる砂浜は無くなり小さな島は沈んでしまう
取り締まるも 砂マフィアがいてどうにもならない現状とか
周りが砂漠なのにと思いながら見ていたら
砂漠の砂は風化で丸くて細かいから
セメントと混ぜても固まらない
角張った海砂でないといけないらしい
川砂はとうの昔に採り尽くされている
水は100%海水を真水にしている
野菜は80%の自給率
本当に金があればなんでもできるんだ
楼閣から降りると前の池で噴水ショーとか
30分おきにやるらしい
夜は光も入る
年末のカウントダウンはこのビル全体から花火
周辺の花火と合わせてその数もギネスに載る
上はその時の写真が飾ってある
ガイドが ものすごい人でひどい目にあいましたと言っていた
石油に出来るだけ頼らないで将来を見越して
この国の首長は頑張っているんだ
UAEの石油輸出の一番客は日本である
複雑な心境で楼閣をあとにする
この後も飛行機の時間調整で
モール街に2時間ほどいた
kantaは足が疲れて椅子に座って人を見ていた
空港に近い中華料理屋で最後の晩餐
空港には11時過ぎに着く
空港のロビーで成田組 関空組が向かい合わせで
蛍の光を歌って2手に分かれターミナルに向かった
9時間10分のフライト
真夜中2時50分発の飛行機はガラガラ
4つの椅子を占拠して横になって寝る
日常では考えられない世界
に迷い込んだ子羊のように
戸惑い 疲労も多かったが
それ以上に楽しい旅だった
了