六十九段 エジプトの旅(その1)

一度は行ってみたいと思うエジプト(人口約8300万人)にいった
エジプトはまさに「光と陰の国」である
その「光」とは今から4700年ほど前から栄えた人類最古の文明の地
そこに残されたすばらしい遺跡の数々
それはとても1週間や十日の旅行では見切れないし言い表せるものではないが
とりあえず 著名な所は訪れたと思う
左の地図で説明すると 大阪関空から直行でカイロ(市街地人口1200万)へ  時差は7時間
カイロから国内線に乗り換えテーベ(現ルクソール)に行く



    


ルクソール(人口50万)からクルーズ船で三泊してアスワン(人口28万)までナイル川を遡る 
アスワンからバスでスーダンの近くアブ・シンベルまで行く
アブ・シンベルからまたバスにのってアスワンに戻り
アスワン空港から飛行機でカイロに行くカイロで同じホテルに3泊する
その間ギザのピラミッド・スフィンクス見学
列車でアレキサンドリアまで日帰りで往復
最終日はカイロ市内のカイロ博物館や旧市街地などを見学して
カイロ空港からエジプト航空にて直行便で関空に帰る

まず「光のエジプト」の紹介
パンフによると『エジプトに人類が移住してきたのは約3万年前
この頃から砂漠化は始まっていた様で 水をもとめてナイル川沿岸に定住
「上ナイル」と「下ナイル」の2つの王国ができたがBC3100年ころ(日本の縄文中期)統一されファラオが統治する
古王国時代エジプトが首都メンフィスに誕生
この時期にサッカラの階段ピラミッドやギザの3大ピラミッドなどが完成
やがて国力が落ち分裂するがBC2050年ころルクソールにて再統一される
がBC1700年頃遊牧民ヒクソスに征服される
BC1570年頃苦戦の末 国を奪回しその後古代エジプト最強の国となる
トトメス3世 ラムセス2世 などのファラオを輩出 新王国時代の幕開けである
新王国時代が終わると国土は分裂 国力が弱体 ヌビアやアッシリア ペルシャ
などの支配下に置かれ BC332年アレキサンダー大王に征服され後のプレトマイオス王朝へと続く』とある



関空23時15分発 エジプト航空カイロ直行    機内食はパンとおにぎりと冷麺とオムレツ(!?)



機内は空いている 3席に1人と横に寝れるラッキー



カイロ空港 飛行時間14時間  1時間半後にカイロ空港からルクソール行きに乗り換え飛行時間1時間10分



カイロからルクソールまでは砂漠  ルクソール現地時間8時10分着



ルクソールでは早速 バスでカルナック神殿見学















色が残っている



カルナック神殿は大きくアメン大神殿 メンチェ神殿 ムート神殿とあるアメン信仰の発祥の地として中王国時代に
建てられ約30haもあり 134本の大柱列は圧巻である

続いてバスで
3km先のルクソール神殿に行く この神殿とカルナック神殿は両側にスフィンクスのある参道で繋がっていた







ルクソール神殿 と門前風景
丁度エジプトの休暇時期なのでエジプト人の観光客でどこもごったがえしている
ガイドは外人客が半分くらいしか来ていないと嘆く
カルナック大神殿の付属神殿であるがラムセス2世の中庭 アレキサンダー大王の間など
があり 又第一塔門にあるオベリクスはもとは2本あったが1本は現在パリのコンコルド広場
のオベリスクとなっている












もう一日目でその素晴らしさに圧倒されてしまった

その後バスでナイル川沿岸の港まで行き 3日間の宿泊所となる
クルーズ船に向かう





クルーズ船の部屋




船窓からは明日訪れる「王家の谷」が対岸にみえる

 
  
船内ラウンジと食堂




食事はバイキング ビールは観光客のみ許されている
従って以降どこに行っても350ccビールで7~8ドルと目茶苦茶高い
旅の途中で馬鹿臭くなって水500cc2ドル専門になった



デッキから見るナイル川の夕日



翌朝船をみると同じ高さの船が何艘も重なって停泊している
岸から最端の船まで行くには何艘も通り抜けるようになっている
うまく考えている



バスで対岸(西岸)の「王家の谷」「ハトシェプスと女王葬祭殿」「メムノンの巨像」に向かう
エジプトでも西は死者ご住まう極楽浄土思想があって
ピラミッドを初めお墓の遺跡は全て西岸にある


道路に座る老人                 早稲田の発掘隊などがある谷



途中のみやげ物屋の呼び込みが激しい 「やまもとやま」「ワンダラー(一ドルのこと)」「3つで千円」
というのがこれから先々どこにいっても聞ける

この谷に住んでいた住民は政府が全部買い上げて移転させている
彼らは夜中に家の下を掘り下げ 墓の遺物を掘り出し 世界中に売っていた
すごい金持ちが多かったという
今はその生活保障でみやげ物屋などをさせている
「王家の谷」はカメラ持込禁止になっていて バスに全員置いていく
携帯で撮っているところを見つかれば5000円くらいの罰金だとか
『王家の谷は第18王朝トトメス1世にはじまり新王国時代の歴代ファラオが埋葬されている
ファラオたちは盗掘を避けるため深い谷を掘り下げて墓を建てた
ツタンカーメン ラムセス6世 セティ1世 トトメス3世など 現在60基 発見されている
現在11基の墓が入場できるが通常の切符で3箇所を選んで見学する
ただしツタンカーメンの墓は別料金となっており
合計4つの墓に入れる
結構奥深いのもある
ツタンカーメンのはそんなに深くはないが 石室には棺と
ツタンカーメンの本物のミイラだけが置かれている
ここからの遺物約2500個は最終日に行くカイロの国立博物館にある
写真が写せないのを見越して絵葉書の売込みが激しい
仕方なく買った 





展示されているツタンカーメンのミイラ


 発掘時の模様







本当に何千年もよくこんな綺麗に残っているもんだ
カメラが当たって壁に傷がいくという事故以来禁止だとか
以後カイロ国立博物館など他でも禁止である

谷の左横にハトシェプスト女王葬祭殿がある
『岩壁の傾斜を利用して造られた3階立ての葬祭殿で古代エジプト建築の傑作の
ひとつ 壁面には交易の様子や神々の姿などがある
ハトシェプトトはエジプトで初めての女王で アメン神 父親のトトメス1世 そして自らのために建造した葬祭殿







こことナイル川対岸のカルナック神殿とは直線で結ばれる
この葬祭殿で過去(1997)にテロがあり 日本人を含む11名が殺されている
したがって入り口には機関銃をもった兵隊が数名いる
また写真のおっちゃんらも服の下に機関銃をしのばせている

我々のツアーのバスには運転手とガイドと日本の添乗員と
もう一人機関銃をもった黒い背広姿の護衛人が乗っている
これはツアー最後まで同じである
いずれも撮影禁止だと言われた



メムノンの巨像と川沿いのやしの木とさとうきび畑や野菜畑
メムノンは西岸遺跡の入り口に立つ2体のアメンヘテブ像(高さ約21m)

エジプトはさとうきびの大産地であるが 国民の砂糖好きは半端ではない
一人当たり砂糖使用量は日本国民の3倍
そのため国内生産では足らなくて輸入している
その証拠に 食事に出されるデザートの全てのお菓子は一口食べたらもうあせが出る
甘いのなんのって ケーキは角砂糖を食べているようだ
従って国民の中年は男女を問わず太っているし糖尿病も非常に多いという

観光はこれで終わり船に帰る



ガソリンスタンドの周りは一日中車の列が出来ている
国に金が無いので石油の輸入が出来ない ガソリンも割り当てだとガイドが嘆く
早朝から何100台も並んでいる



どの家も2階 3階の上は柱と鉄筋が残されている 南米の旅の時もどこも
同じようになっているので不思議に思っていたら
グループの1人が「家が完成したらその時に税金をとられるので 未完成の状態で置いてあるそうです」
と教えてくれて納得

途中
パピルス館に寄る



パピルスを使って紙が出来るまでを実際に見せてくれる
その紙に手書きの絵が売られている
市中の売店にも多く売られているがパピルス自体が少なく
値段の安いのはほとんどサトウキビかトウモロコシの繊維でつくられ
しかも印刷なので本物の5分の一で売られているという
このパピルスに限らず一般的に
偽物とか安いものは ターバンにしろスカーフにしろ 置物
など殆どが中国製


13時半ころ船に戻り昼食
14時半エドフに向けて出港 いよいよクルーの出港だ
エンジン音もほとんど無く振動も無い揺れも無い
船でゆっくりクルーを楽しめるので本当に楽だ



船首からみたナイル川



船室から






本当に静かだ
船はゆっくりゆったりナイルをさかのぼる
朝の5時 沿岸の塔からコーラムが聞こえてくる以外音が無い

16時半から1時間デッキでティータイムがありクッキーや紅茶が無料で楽しめる




   
                             一応プールも有ります



ナイルの夕日



バイキングの夕食後ラウンジで乗務員の紹介やカクテルパーティーなどが催される
昨夜はベリーダンスショーがあったらしい

夜10時過ぎにガイドさんから電話があり今からエスナ水門を通過しますので
デッキまで来られませんかというので上がった



水門通過には順番があり 我々が通るのに2時間ほどかかった
船はぎりぎりの狭さ こんな時間にこんなところにも「ワンダラー」「3つ1000円」が来ていた
夜中だったので厚着をしているのに寒さで風邪を引いてしまった
のどは痛いは鼻はずるずる 体も熱っぽい とにかく寝よう



朝5時になると暗闇からいたるところでコーランが響く



ナイルの朝焼け

朝7時エドフ着 バイキング朝食後下船して港から馬車で『ホルス神殿』に行く



ところが上の道路の方で怒鳴り声が聞こえる 客の配分で馬車通しがつかみ合いの
喧嘩をしているのだ 我々としては喧嘩が収まるまで待つしかない
そのうち 馬喰の親分が来て鞭を振り回して喧嘩を終わらせた
おっかなびっくりでおそるおそる2人づつ馬車に乗る






神殿まで10分ほどだが道が悪いし路地みたいなところを行くので
楽しむどころではない 恐怖そのもの
馬に何度も鞭打つので馬も興奮している
馬車の音と馬の糞の臭いと 埃とでここは別世界のようだ



『はやぶさの姿をしたホルム神に捧げた神殿
保存状態がよく浮き彫りのレリーフがきれいに残っている







上のレリーフは医学が書いてあるらしい
お産は穴の開いた椅子に座って分娩 その右には手術用の器具が書かれている
ここのレリーフも多くの部分を大英博物館に盗られている
政府の返還要求も適っていない



見学を終えまた例の馬車にのる



我々の馬車だけコースを離れて狭い路地に入っていく
なんとか広い道路に出たと思ったとたん 馬と車がぶつかった
右の赤い車だ
馬は顔あたりをぶつけたが立ち上がっただけで無事だった
車は傷がついているだろう
運転手が降りてきてわあわあ文句を言ってきた
するとどこからともなく 数台の馬車がきて車の運転手をとりかこんだ
我々の馬車は何事も無かったようにさっさと船着場まで帰ってきた
現地でも「泣く子となんとやら」なんだろう

やれやれ船に戻って12時半から昼食
船は次の観光地コム・オンボに向かっている
昼食後 船内見学



食堂                      操舵室と船長(親子代々の世襲制)



操舵室からみたナイル

15時から船内で「アラビア文字教室」があるらしいがキャンセル
船内で寝る




17時コム・オンボ着
船を下りたすぐ目の前がコム・オンボ神殿



「コム・オンボ神殿」はナイル東岸の小高い丘の上にある集落で
2重構造が珍しいコム・オンボ神殿がある
入り口が2つにわかれ 2組6神を祀り2つの至聖所がある 
ワニのミイラ館があることでも有名



左端の赤いシャツの人が 我々のガイド「アラさん」
カイロ大学経済学部卒業でアラブ語 イタリア語 日本語を自由にこなす
ガイド界でも有名人 3月6日の21時 日テレの番組に出るという
グループの一人がカメラをどこかでなくしたという
帰るまでみんなで同情していたら 「アラさん」の携帯に電話があり
どこかの砂漠にカメラが落ちていて みたら「アラさん」と一緒に
写っていたので知り合いが電話してきたのだ
メンバー全員が拍手をした






ワニのミイラ



路上で1エジプトポンド(約15円)コブラをもたせてくれる
エジプトは殆どアメリカドルで事足りる
只 トイレはほとんど有料で 1エジプトポンドでいけるので
それがほしいのだが
硬貨の原価が高いからかあまり出回っていなく 両替商でもある時と無い時がある
しょうがないから紙幣の5エジプトポンド(約75円)を使う場合もある
たかが75円なんだがとてもくやしい思いが
これも「バクシー(喜捨)」・・・



丘の上から夕日とナイルとクルー船

部屋に帰るとベットの上に



バスタオルとテッシュとベッドカバーで洒落たこと
今日が最後の宿泊

夕食後プラベイヤーパーティーがあるという
みんなアラビヤの服(船内で買ったり借りたり)を着て飲食をする
風邪のkantaはとにかく寝る
明日はアスワンで下船 5時30分起床 6時15分に荷物を出さないといけない

アスワンの港を7時半に下船してバスに乗り アスワンハイダムに行く






アスワンハイダムは1970年に完成し翌年から貯水を開始した
幅3600m 高さ111mの世界有数の大規模ダム
これにより洪水をなくし 伝記や水の供給の安定がはかられたが
多くの遺跡が水没した



ダムの下流                  アスワンの砂漠の砂は世界一きれいという 皆ボトルに詰める


 
砂漠の砂をペットボトルに詰めた後 バスは「香水屋」に寄る
坊主にカンザシのkantaには関係ないと思っていたら
ガイドの「アラさん」が今の砂を香水瓶に詰めてお土産にしてください
という
なるほど なるほど 香水瓶は市中でも小さいのは100円位で売っている
ここでもまたガラス管から手作りを見せて 耐熱の手作りですと
5倍くらい高い
  
店を出てバスに乗り「未完のオベリスク」のある石切り場に行く





長さ41.75mの切りかけのオベリスク 途中でひびが入り放置された
もし完成していたらエジプト最大といわれている
赤色花崗岩製
周りの石を掘り込んで最終的には下も掘り込むと言う
この作業には「侏儒(小人)」が使われた そのため侏儒は当時 位が高く高貴なところから嫁を迎えたと言う

見学後バスに乗り砂漠の中を3時間アブ・シンベルに向かう
途中船でもらった弁当を車中で食べる



弁当を楽しみにして開けたら サンドイッチとバナナとみかんとジュース



3時間どこまでも砂漠
この辺は世界有数の「蜃気楼」発生地



新聞に この直線道路で2週間ほど前 交通事故で現地ガイドが死亡 日本人3人が重症とあった



アブ・シンベルのホテルに着いた まさにオアシスだ

その2に続く