
寒波が急襲するという予報通り寒風が吹きすさぶ京都の町を散策した
今日はじじいの誕生日 その記念にと この日を設定したが寒波とは・・・
10年ほど前マチュプチュの旅の乗り継ぎでロスアンジェルスの入国検査で
大きな体の黒人の検査官がパスポートを見ながら何か言った
はっきり聞き取れなかったので「はあ~」と言うともう一度大きな声で彼は言った
「コングラチュレーシヨォン」
思わず手を挙げて「ハ~イ」と言って笑った
真っ白な歯を見せて彼も笑った
アメリカではこの日がじじいの誕生日だ
昨日ペルーのバス中で日本時間での誕生日を同行の皆さんから祝福されていたので
2度の誕生日を経験した
やはり誕生日に何かしておくとあの年の誕生日はああだこうだと思い出になる
余談はさておき
京都も寒い

七条大橋(鴨川でにかかる橋では一番古い)
橋と反対側 七条通りを東に向かう


国立美術館の手前の交差点を左に曲がれば「豊国神社」「方広寺大仏殿跡」「耳塚」
「つれづれ16段参照」
今回はつれづれ16段の続編である
国立美術館の前は三十三間堂

そして突き当りが智積院

大和大路と七条の突き当の智積院を左に曲がり「女坂」(京都ではひっかけ坂と呼ばれていた)を上がる

京都女子高校や大学が並んでいて多くの女学生がこの坂を行きかう


女子校の反対側に「新日吉神社」(いまひえじんじゃ)がある
HPによると
『新」は「いま」と読みます。「今」と同じ意味です。日吉=ひえ。「日枝の山」「ひえの神」
「比叡山の神」を祀りますので、新日吉で「いまひえ」社と称します。
平安末期、平氏・源氏・公家が争っていた時代、
後白河天皇は天皇を退位なされ上皇になられました。
この時代の実権は上皇が握っていました。
後白河上皇は院の御所をお定めになられましたときに
皇居の守護神として、比叡山の守護神/日吉社(現・日吉大社)
を勧請なされ、京都・東山の麓に「新しい日吉神社」を
創祀されました(1160年)。
創祀850年以上になりますが「新」が付いております。』


午砲の台座




「女坂」に戻り眼前の小山(阿弥陀ヶ峰)に向かう

「京都女子学園建学記念館〈錦華殿〉」

京都女子校の送迎バスは鳥居の下まで来る

送迎バスがズラリ

鳥居で一礼

拝殿の横に受付所がある
作務衣を着た叔父さんに志納金100円を渡す
とても愛想よくいろいろ教えてくれる
「初めてですか 往復30分かかりますよ 上には日本で一番大きな五輪塔があります
その左からは京都の町と清水寺の全景が見れます」

叔父さんがいない時はこの缶に100円入れる
いない時は「登拝券」はもらえないんだ
さあ 489段 標高196.4m「阿弥陀ヶ峰」にのぼるぞ~


唐門からまだ150~60段はある
寒さに備え何枚も重ね着をしてきたが休憩の都度に脱ぐ





こんな角度からの写真はここに来るか ドローンでしか撮れない


そもそもこの辺りは鳥辺野(鳥部野とも鳥戸野とも書く)
道端の案内板によると
「源氏物語ゆかりの地 鳥辺野」
『現在は西大谷一帯を指し、古くはこの阿弥陀ヶ峰(鳥部山)山麓付近を中心に、北は五条坂付近から
南は今熊野付近まで、東山付近から鴨川にかけてかなり広い地域を言ったもので、京の代表的な葬送地である。
「鳥辺野の煙」とあるように東宮実仁親王、藤原道長・頼道親子など多くの皇族・貴族がここで荼毘に付された。
東三条院詮子(一条天皇の母)の場合、暮れの雪の降る寒い日に鳥辺野で荼毘に付され、遺骨は木幡の墓所にへ運び
埋葬されている。また中宮定子は遺言により鳥辺野に上葬された(鳥辺野陵)
源氏物語では急死した夕顔のほかに葵上、紫上もここで荼毘に付されている。
葵上の葬儀の様子を「鳥部野に率て奉るほど、いみじげなること多かり、こなたかなたの
見送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし」(葵)と描写されている。』
とある
受付の作務衣の叔父さんが「お帰り」と迎えてくれる
「よく登られましたね 唐門から引き返す方も多いですよ」と褒められ ウシシ
受付所の後方に


秀頼の庶子「国松」の墓 8歳で斬首
多くの朝鮮半島の人々を殺害した秀吉
今では多くの女子が足元に寄って来て 花見の如く喜んでいるのではないだろうか 知らんけど
大和大路七条に戻り 智積院の庭園に行く
等伯さん(宝物館)も久しぶりに観たかったが今回はパス

総本山智積院
高野山根来寺が開創 秀吉に焼かれてここに移転(これも因縁か)
大本山に成田山新勝寺・川崎大師・高尾山薬王寺
教育機関に大正大学・智山専修学院など すごいお寺なんだ
隅から隅までお金がちりばめられている感あり
(ここは京都観光の穴場)
正門の右側から受付・入門 金堂の左側にある講堂の受付の自販機で300円

時間は11時を過ぎているというのに じじい以外は誰もいない
広々とした庭園や講堂の内部には人の気配も車の音も鳥の声もない


名将庭園
パンフによると
『智積院の庭園は、利休好みの庭と伝えられ中国の廬山を模して造られています。
祥雲禅寺時代に造られた石橋より奥の方は、自然石のみを用いて刈り込みを主体とし、深山の中にいるような
奥行のある野性的な雄大さを感じさせてくれます。滝の落ちている正面は江戸時代に修築されたもので、
石組と植え込みとが交互に並び、洗練された美しさが築庭の極限を表現しています。
庭を全体的に見ますと、小さいもの特有のきめの細かい所を見せながらも、他に類の無い雄大さと重厚味
を感じさせられます。名勝庭園傑作の一つであるこの庭は、四季折々の美しさを楽しめますが、特に
ツツジやサツキの咲く頃が一段と艶やかさを増します。』








庭をしこたま鑑賞して余りにも人も来ないので
座敷で大の字になって寝転んだ こんな時以外には出来ない所作
この庭も座敷も静寂も全て自分の物になった気分 超人気温泉風呂独り占めの時の気分



大和大路七条にあった正門の中側

帰ろうとして手袋を捜したが片方無かった
落とすだろうと思って100均の手袋をしていったので早々に諦めたが
やや!講堂の門前に落ちていた
大和大路を南にJR線を橋下に見てすぐのところに「新熊野神社」(いまくまの)がある
新という当て字は近年であろう嘗ては「今」が使われていたと思う
「今」は記紀では「今来」(いまき)として新しい渡来人などに使っている「今木」の表示の地名もある
5世紀後半の飛鳥の檜隈(ひのくま)周辺は今来集団として東漢氏(やまとあやが知られている)


大楠
寺の裏山は熊野古道を模した作りになり多くの仏の造り物や絵が並ぶ
作りが汚く稚拙なのでカット
一か所行けば西国三十三ヵ所一度に周れるとか 結構有る
昔は全部歩いて行くんだもんね 今ならバーチャーツアーもある

神社から5~6分ほど歩くと伏見街道に出る

街道通りに面して「瀧尾神社」(たきお)がある
今日のメインである

素晴らしい彫刻

ここにも猿が鎮座

目当ての龍が見つからない
もう一度案内板を読むと 「拝殿天井」とある
拝殿は当然本殿の前にあるはず

そうかこれだ 能舞台かと思っていた
下から覗き上げると


素晴らしい龍の木彫
これは誕生日にいいプレゼントとなった
今回の誕生日記念ミニツアーは大成功
京都は少し歩くとこんなにも
「遺跡の宝石箱や~」
了