オオヤマト古墳群を巡る
~纏向遺跡から黒塚古墳へ~

橿原考古学研究所付属有史会設立70周年記念の一環として
将に王道の 考古ファンなら垂涎のコースとなった
一般参加も含めて200名以上の人数となった
主催者側も吃驚 KANTAも最近は特にこの暑さでの行進はあまり参加していない
少し暑もましになったとは言え残暑は厳しい
今回の訪問先は以前にほとんど行っている しかし最近の纒向遺跡の現状は知らない
先日21日の記念講演で概ねヤマトクニの生成過程が自分なりに判って来たので
さらに興味を持って参加した

行程は一部山野辺の道を含む約9km





今回の御案内役は橿原考古博物館学芸課長 青柳泰介先生

JRまほろば線巻向駅の周辺は遺跡の上にある
平城宮趾の近鉄電車の感じ
一般の家屋や公団住宅が点在する この地の発見はこの公団住宅の建設の前調査で判明したものと先生


三輪山


調査地域の保全も大夫進んでいる

ここで先生が非常に興味深いことはお話された

纒向の主要施設の辻地区から三輪山は中心線からはずれている
みどり○が三輪山 それでは赤〇はというと「穴師山」である纒向の主要施設は辻地区から線路
を跨いで布留のほうに移っている 本来三輪山が神奈備であれば三輪山の方向に移るはずである
どうも我々は三輪山ー三輪神社ー箸墓ー纒向というラインが記紀などによってゆがめられているのではないか
という話 では何故「穴師山」なのか そして穴師山が神奈備としての証拠になる様なものがあるのかどうか
これが今後研究である という話
今日はこれだけで来た甲斐いが有った
穴師山は少し奥まった所にあるのでこれから歩きながら確認していく


纒向石塚古墳
次に道路に出てまず箸墓周辺を歩き

200人を越えると隊列は2~300mを超える
最後の人が揃うまで説明は無いので時間がかかる
昼食予定地の相撲神社までは無理だ
ホケノ山古墳で昼食となった


ホケノ山頂上部からの箸墓
日本で最初の前方後円墳の箸墓の並びにこの墓があるのは意義深い


甕棺墓がある 本物ではないだろうな


食事タイム

先生は何度も「穴師山」のことをおっしゃる 相当注目されているんだろう
KANTAの推測では倭乱後 纒向の地に各地の豪族が集まりヤマト王国を立ち上げる
その時の神奈備は「穴師山」そして豪族の中でも有力なイズモ国は三輪山を氏族の神奈備としたのではないか
その麓に三輪山を御神体とした神社を建てた これがオオクニヌシノミコト
先生曰 時代が移り記紀が記される頃はイズモ派などの力が影響していつしか中心は三輪山に
なったのでは 記紀も改ざんが多いですからねという話
昼からは黙々と歩く
日差しがきつい 光を遮るものがないから 先生の説明も空ろ
まだ駅に近いからぼちぼち帰る人もいる
KANTAも場合によっては相撲神社で飯食って帰ろうかなと考えていた
でも山野辺の道も心地よく歩けそうなので続行した




綿の花

景行天皇陵

崇神天皇陵
この後 途中で半減したとは言え参加者もまだ多く黒塚古墳はパス
柳本駅の混雑を避けて早く帰る(
黒塚古墳参照)

柳本駅
もう暑さと足だるで15年前の様には歩けまへん