8月10日
こんな飛騨・高山に・・・
大原騒動と万人講
江戸時代、飛騨における最大」の百姓一揆が大原騒動である。当時飛騨は天領で、代官大原彦四郎、亀五郎父子が支配していた。大原騒動(1771〜88)は、断続的に続いた明和・安永・天明の一揆といい、、特に安永騒動(1773〜74)が激しさをきわめた。新しい検地命令に対し、その中止を求めて高山御役所へ陳情をし、らちがあかないとみるや、江戸で駕籠訴・直訴を決行した。これに対し幕府は、厳しい取調べと天秤責・車責などの拷問を以ってこたえた。
こうした中で「ひだびと」はさらに先鋭化し、数千人が水無神社に結集、一歩もひかぬ抵抗姿勢をみせた。そこで大原彦四郎は、郡上藩などの鉄砲隊で集会参加者に砲火を浴びせ、新検地を強行した。これらの一揆は、双方に獄門・死罪・遠島など約一万人の犠牲者を出した。特に江戸で直訴した農民などの首は、塩漬にして高山に送られ、桐生河原の刑場 万人講でさらしものにされた。
梅村騒動
1868年(慶応4)、明治新政府に接収された天領飛騨は、飛騨県となった。のち高山県と改正され、梅村速水(水戸藩出身)が知事に就任した。梅村知事はつぎつぎに新政策を断行した。商法局の設置・生糸や紬の専売制・卿兵隊の新設・山方米や人別米の廃止など、飛騨の実情を無視し、「ひだびと」の不満、疑惑をつのらせた。
1869年(明治2)2月29日夜、市内八幡市の不審火を契機にその不満は爆発、数千人の群集の蜂起は、焼失家屋29戸、打ち壊し108件などの被害を飛騨3郡にもたらした。折りしも上京中の梅村は、急遽萩原まで戻った。梅村帰国の報に飛騨は騒然となり、梅村を領内に一歩も入れるなと、約3000の群集がその宿舎を襲撃、銃撃と放火の凄惨な市街戦(萩原戦争)となった。梅村は命からがら中津川(苗木藩)に逃走、のち失政の責任を問われて逮捕され、29歳の若さで江戸で獄死した。
野麦峠と女子工哀歌
「野麦峠はだてには越さぬ一つは身のため親のため」。かつて飛騨の貧農の娘たちは秋の取り入れが終わると、野麦(熊笹のこと)があたりを覆う峠を越えて、はるばる信州へと出て行った。「口べらし」「銭とり」のため、泣く泣くキカヤ(製糸工場)の工女になったのである。
彼女たちは、高山江名子・美女峠・身座、そこから飛騨川に沿って甲・黒川・万石・寺付・中之宿・上ヶ洞を経て、阿多野郷寺坂峠、そして野麦峠を越えて信州まで、真冬の3泊4日を助け合って歩き通した。そしてカキヤでは「糸をとらぬかとらぬか女子(おなご)糸をとらなきゃ蓑着せる」とおどされながら、明けても暮れても劣悪で苛酷な労働を強いられた。明治42年11月、病気で気息えんえんの政井みね(20歳)は、迎えの兄にせおわれてた野麦峠で「アー飛騨が見える、飛騨が見える」と言って息を引き取ったという。今その碑が頂上付近に残る。
飛騨の匠
大宝賦役令では、「凡そ斐陀国の庸調倶に免ぜよ。里ごとに匠丁(たくみのよぼろ)十人を点えよ」とあり、毎年100人以上の匠丁が飛騨から上京した。それら飛騨匠の中で名工として名を残した者には、止利仏師の他に奈良時代の勾猪麻呂、「今昔物語」に出てくる平安時代の檜前杉光らがいる。また鎌倉末期には、群上郡の長滝寺大講堂うを建てた藤原宗安、室町時代には古川村の甚兵衛がいる。甚兵衛の子孫が城主の命によって五社神社造営の際、鯉の彫り物をしたところ、近くの宮川が吸い寄せられるように神社のほうに流れてきたので、鯉の目を削りとったという。今この鯉が社宝として伝わる。
江戸時代では、一刀彫りの創始者松田亮長、高山祭りの屋台の彫刻谷口与鹿、別名猿寺の浄願寺の猿を彫った甚五郎などがいる。
こんな飛騨・高山に、木彫の木と「温泉」取材の為訪れる。
「kantaのメモは」15日までお盆休み。
8月9日
「日本政府の透明性は世界最低」という記事が・・・
スイスのビジネススクール、IMDによる今年の「世界競争力年報」によると、分析対象の約50ヶ国の中で日本政府の政策・行政公開度はインドネシア、ベネズエラを下回り最下位である。
どんなところでそのような結論になったのであろうか。
日本の政府は中央官庁の官僚の数では「小さい政府」だが、
@役人が裁量行政により経済・社会を規制している面が強い
A巨額の公的資金を使いながらその経営が全く不透明な特殊法人がある。
などを考慮すると実は大きな政府である。
民間の銀行の不良債権も重大な問題だが、特殊法人が抱える不良資産、不良債権も大問題である。だがその実態は不明である。公的資金に依存する組織として当然公開すべき情報も公開していないし、多くの特殊法人は、そもそも自分たちの経営がどういう実態なのかを把握していないし、把握しようとする姿勢を欠いている。というようなことであろうか。
機関の経営、あるいは運営は情報を公開することにより健全性を確保できる。
情報公開により組織が外部から監視、評価され、組織の中にも自己規律が生まれる。
情報公開のない組織は必ず堕落する。問題が生じても隠蔽される。十分な情報公開をしないこと、虚偽の情報を提供することはともに重大なルール違反である。冒頭のIMDのランキングは日本のシステムが極端にゆがんだものであることを示唆している。
「国宝」について・・・古田紹欽
『国宝とは国の宝の意である。この宝には二義がある。一つは国の宝として尊敬すべき人、二つにはその宝として尊敬すべき物をいう。尊敬すべき人とは、国民の師表と仰ぐに耐える人のことであり、最澄は「国宝とは何物ぞや、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす」という。この道心であるが、大師は、古哲の言をひいて、国民の師表となる人にもまず三品の区別があるとし、すなわち「能(よく)言ひて行ふこと能(あた)はざる」ものは国師、「能行ひて言ふこと能はざる」ものは国用、「能く行ひ能く言ふ」ものは国宝であると。
道心とはつまり言行一致のところにあるとしている。
すぐれた行跡を残した僧侶のうち「国師」の尊称を受けた人々が歴史上少なくないが、まだ「国宝」の称を得たものはない。それくらい国宝は三品のうちでも権威をもつて考えられていた。』
現在では重要無形文化財を保持する人を「人間国宝」としているが、技術保持の為ではあるが、技術は物である。
8月8日
興味深い話題が続々と・・・
地震の巣解明へ〜海洋科学技術センターや東京大学などは日本列島が乗る陸側プレートにフィリピン海プレートが沈み込んでいる境界面(滑り面)の直接観察に成功した。滑り面の先にあり、東海地震や南海地震など駿河湾から四国沖の深海底の巣(プレートの固着域)の解明につながる成果という。国際深海掘削研究船ジオィデス・レブリュウションで室戸岬の南東約150kmの深海を掘削。フィリピン海プレートは深く沈み込むにつれて帯水層が薄くなり、プレート同士がくっつく固着域ができていると考えられている。固着域にたまったひずみが解放されると大地震が起きると考えられる。
素粒子クオークの謎に挑む〜物質を構成する究極の素粒子であるクオーク(kanta「メモ」6月25日参照)は一つだけ取り出して観察することはできないという不思議な性質をもっているが、大阪大学の研究グループはこの謎を解く実験に着手した。大型放射光施設「SPring-8」の強い光を陽子に当てて起きる反応から、クオーク間に働く力の強さを割り出す。物質の成り立ちの解明に役立つ研究で、一年後に結果が出る見通し。
アトピー性皮膚炎遺伝子の位置特定〜東農大でアトピー性皮膚炎の原因遺伝子の染色体上の位置をマウスで突き止めた。ヒトのアトピー性皮膚炎の発症や症状のメカニズムの解明につながり、治療法の開発に結びつく可能性もある。
汚れた環境に置くとアトピー性皮膚炎を自然に発症するモデルマウスを数代にわたって交配して調べたら、9番染色体上に隣り合って並ぶ六っの領域にある劣勢遺伝子がアトピー性皮膚炎の発症に関与することが分った。ヒトでは11番と15番の染色体に相当するという。将来的には遺伝子治療の可能性もあるという。
アジアの生命科学拠点〜アジアの生命科学の研究者の集まりであるアジア還太平洋分子生物ネットワーク(AIMBN)はシンガポール国立大学付属の分子細胞生物学研究所(IMCB)内に新設の研究所を創設した。生命科学に関するアジア太平州の横断的な研究組織となる。代表は東大医科研の新井賢一所長。アジア各国から200名ほどの研究者が集まり、ウイルス性癌のメカニズムなど広範なテーマに取り組んでいく予定。
紫外線が抜け毛促進!〜皮膚のシミなどを作る働きを持つエンドセリンという蛋白質が、抜け毛を起こしやすくすることが動物実験で確認された。エンドセリンは紫外線によって活発に働くことが知られており、夏の終りや秋口に抜け毛が増えることもエンドセリンの働きの可能性がある。エンドセリンは皮膚では紫外線が当たったときに色素細胞を活性化させる働きがあり、血管を新たに作るのに必要な物質としても知られる。
8月7日
水は物を動かす大きな能力をもっているが、水に二酸化炭素や硫酸が溶け込むと、水の溶解力は大きくなり、その水がケイ酸塩岩石と接触すると岩石からカルシュウムやマグネシュウムを水中に溶かし出し
「六甲の水」て・・・ 名古屋大学名誉教授 北野 康
岩石自体は粘土に変質する。このことを六甲山域でみると、六甲山は花崗岩の御影石でできていて、火山の名残で地下から表面に向かって二酸化炭素が出てきている。(そういえばみやげものに炭酸せんべいがあるな〜)
地表面からは雨水などが地下にしみこんでくる。地下からの二酸化炭素と地表からの水とが出会う、ある深さの場所でそこに存在する花崗岩はかなり激しく化学的な風化をうける、すなわち、花崗岩中の長石からカルシュウムが水中に溶かしだされ、地下のその長石は粘土になる。粘土はすべる性をもっているんので、豪雨などを通して水と圧力が加わると、地下の粘土面に沿ってすべり、その上に存在する岩石ともども大きな山くずれを起こすのであると想像する。
急斜面だからと思っていたが、目に見えないところで炭酸ガスの影響があるなんて。
烏(カラス)
最近、少し蝉がおとなしくなったと思ったら、烏がうるさくて目がさめる。鉄塔の上でギヤーギヤー、スレート屋根の私の2階の屋根をトントンドンドン跳ね回る。カラスに囲まれて鳥の籠の中に寝ているような錯覚に陥る。
そこで例のごとく烏孝である。現在では烏はその色とか鳴き声で忌み嫌われているが、おおむねユーラシアでは鳥(とり)は魂を運ぶものとされており、鳥葬などはその最もな例である、朝鮮では儒教が入るまでは、遺体を木につるして鳥につつかせた。土葬を定着させるのに李王朝は法律をつくり土葬から掘り起こして鳥葬をする人民を取り締まったという。本来日本でも、カラス信仰が盛んであった。特にミサキガラスが我々の行く末を案内する鳥だと考えられ、「御前」「御先」のことで、先導性を表している。日本神話にも八咫烏が神武天皇を導いたり、カラスの行方に人生を占ったり、変わったところでは、三本足のカラスというイコンがある。もともとは中国は西王母の使者であるが、神の使者とみなされ、三本足のカラスは太陽の化身とされる。
熊野神社や山王日枝神社のイコンになっている。最近では、Jリーグの日本サッカー協会が三本足のカラスをマークにしている。
カラス文字という護符用の絵文字もあり、「熊野山宝印」という。そのほか厳島神社、伊勢神宮、玉津島神宮など多くの神社縁起にあらわれる。
勿論神の使者はカラスだけではない。八幡さんの鳩、サギの諏訪神社、金の鷲の鹿島神社、トビの愛宕権現、キジの能登気多神社など鳥と神社の関係は深く、鳥居はまさしくその象徴であり、屋根の止まり木は全て神の使者の為のものである。
カラスに囲まれて寝ている私は神に召されるのかな〜
8月6日
「格」「様」「礼」に対する「破格」「異様」「無礼」とは・・・
禅僧は応年元年(1394年)の生まれ。応仁の乱、一向一揆の頃である。
幼くして安国寺、建仁寺に預けられ、17才で西金寺で謙翁宗為のもとで禅の修業に入る。宗為が死ぬや、生きる望みを失い、琵琶湖で入水しようとするが、母親の諭しでやめるも「大死一番」堅田の華叟宗曇(そうどん)のもとに過酷な修行をおこなう。トランス状態の中でカラスの一鳴きで開悟。この禅僧はこの時点から「風狂」に生きる。「全ての善は偽善であり、善をなすものはつねに悪をかくす。自分の中にある悪辣なものと対峙する。」その為には、当時の偽善と思われるものには徹底的に批判をする。時の権力者日野富子、兄弟子、将軍ですら「なすすべなし」といわしめる。そして自分のことを狂夫、狂客、狂雲子、風癲漢と呼ぶ。当時の動乱期の宗教界を治めるのは彼しかいないと、大徳寺の官長の座を命じられる。
最晩年、森女(しんにょ)という盲目の尼僧と愛し合う。森女との交流を通じて禅僧はもう一度他の禅僧たちがかつて体験できなかった時空間を生きた。禅ではもともと女犯禁止であるが、「女がすきで、男も好き」と公言してはばからない。女性と平然と交わりながら、壮烈な修行をし、常にあらゆる社会的権力と対抗する。
彼の漢詩集「狂雲集」に
狂風偏界不曾蔵 狂風偏界かつてかくさず
吹起狂雲狂更狂 吹き起こす狂雲 狂さらに狂
誰識雲収風定処 誰か識る 雲収まり 風定まる処
海東初日上扶桑 海東の初日 扶桑に上がらず
(この風によって吹きあがってくるの雲は狂ほしいほどである。
一体どこにこの雲が収まり、風が定まるものがあるのだろうか。
そんなものが本当にあるのだろうか。おれがそれを収めよう。)
彼、禅僧の名は「一休」である。
包丁とは・・・
木彫仲間では、彫刻刀のことを洒落で「包丁、包丁」といっている。「この包丁は切れないは」とか「包丁を研がないと」などである。ところでこの「包丁」の意味など考えたことがなかったが、ある本によると。
包丁というのは正しくは庖丁と書く。中国は梁の君子に恵王という王がいた、その王の為に牛を切り裂いたりする料理人に丁さんという人がいた。丁さんは料理する時の手のうごかしかた、刀を手にしたときの肩の入れ方、足のふみよう、ひざの曲がり方などそれらの動作は妙を得ていた。王は感嘆して質問をした。丁さん曰く「私の好むところは技ではなく、道であり、道を超えたものであります。はじめは牛を割く時、牛の姿が見えますが、3年後はその姿に囚われることもなく、今日では見る感覚は止まって心だけが働きます。普通の料理人は刀を1ヶ月で駄目にし腕のある者は1年で駄目にします。私は19年も使いますが、まだ新刀同様です。骨と肉の間には必ず隙間があり、その間に刀の刃先をいれるのです。」
養生とは自然の理に従うことにほかならない、としている。庖というのは料理とか料理人という意味、要は庖丁とは「料理名人丁」のことで人名だったんだ。
ふ〜ん!!(参りましたの意)
8月3日
北朝鮮の身分規制
「3階層51成分」なんてあるらしい。
3階層とは @トマト階層(核心階層)〜金日成体制を支持する忠誠階層でピョンヤン市民のほとんどはこの階層といわれる。彼らは文化的・経済的な恩恵を受けていて、食料危機といわれるこの時期でも一日650〜700gの米と雑穀が支給される特権階級のことでトマトの中味も皮も赤いところからトマト階層と言われる。国民全体の約30%という。
Aブドウ階層(敵対階層)〜トマトとほぼ同数の約30%を占め、皮も中味も赤くないといい、有事の際には真っ先に現政権に背を向けると考えられる。彼らは地方の炭坑や鉱山地域に居住させられている。
Bリンゴ階層(動揺階層)〜@にもAにも属さない、皮は赤いが中味は白く国民の40%を占めるといわれ、思想改善の必要があるとさけばれている。
1966年「住民再登録事業」が行われ、個人の家系を三代前まで遡り、徹底的に国民の素性を再点検した。この結果をもとに、国民は51の成分に分類された。
もっとも成分がいいのは、金日成とともに抗日パルチザンとして戦った部下で、次は共産主義闘争に携ってきた人、第3が労働者、第4が貧農の小作人。逆に第51が地主で第50が資本家、49富農、48中農、47越南者(韓国に亡命した者)の家族、46処刑者の家族、45キリスト教者、・・・38植民地時代に区長以上だった親日派、25酌婦・妓生、24在日僑胞など。
北朝鮮国民は生まれたときから、階層、成分で居住地、職業、教育、結婚、社会福祉、食料配給などの待遇が決められるという。
この話ほんまかいな?!
世界国際マラソンが始まるが・・・
マラソン競技は、紀元前490年、アテネがペルシャの大軍をマラトン(英語読みでマラソン)の野に敗った勝報をアテネ市民に伝えた働きを記念して第一回オリンピック大会から始まった。
しかしこれにはいくつかの謎がある。まず第一に勝戦を知らせに走った者が本当にいたかどうか。「ペルシャ戦争史」を書いた歴史家ヘロドトスは、おもしろい話なら逃すことなくその歴史に載せているのに、この話は全く記していない。これだけ後世に有名な故事んもかかわらず、使者の名前はペイディビデス、テルシュポス、エウクレスなどいろいろ伝えており、正確にはわからない。それとマラソン競技の距離が約42,194kmとどうして算出したのかわからない。1927年にマラトン―アテネ間を測定したら、36・75kmしかなかったという。
不良債権
五木寛之と筑紫哲也との会話に五木「経済が悪く、銀行や会社が潰れてもいいのですよ、今まででも、日本人は20年で立て直して来たのですよ。問題は『心の不良債権』です。和魂洋才といいますが、無魂洋才でやってきたのです。バックになる精神的なものが無いままに才に走ってきたのです。魂がなければ楽ですよね。でも今やっとなんかおかしいと気づいてきたのではないですか。新聞や報道を見るていると本当にこの国はどうなってしまったのかという事件ばかり。」という。氏は今、日本の心を求め、全国「千所千泊」を試みている。
8月2日
選挙とは・・
中国は早く周王朝の時代から統一国家であった。勿論王朝の興亡が繰り返されており、何度も複数の王朝が並び立ったが、大体において統一国家であった。その際、皇帝が最高位にあるわけだがその皇帝の手足となり中央集権国家を支え、貫徹するのに必要なのは優秀な、忠誠を誓う直属の官僚であった。そんな官僚を生み出すのは隋、唐代あたりからの科挙の登場であるがそれ以前は、相当に問題があった。漢代では、推薦が中心であり、その推薦を受けた者が、天子から口頭試験を受けた。しかし、推薦制というものには、どうしても情実がはいりやすく、下らぬ人物が選ばれるというようなことが多かった。それに売官売爵もあった。魏晋南北六朝時代になると、約400年にわたり九品官人法という方法となる。これは中正という選抜官が推薦するわけだが、これも推薦制にありがちな情勢に流れ、有力貴族の子弟が推薦されるということで崩れていく。
結果、隋代になって試験制の科挙制が布かれ(587年)、以降、1905年に至るまでの1300年間、それが続くこととなる。すなわち、人物を「選び挙げる」(選挙)方法が推薦制(推挙)から試験制(科挙)へと変わったのである。
人を選ぶということはその制度、方法、基準、時代・人心背景などいつの世も完璧なものはないのかもしれない。
もうひとつ
イギリス議会のことを英語でパーラメント(parliament)というが、この言葉はもともと「話し合い」という意味だった。この言葉が使い始めたのは、13世紀中頃のことであるが、当時は国王から土地を与えられていた家臣たちの話し合いをパーラメントと呼んだ.今日でもイギリス議会は政府与党と野党の話し合いという性格を持ちつづけており、その議場は長方形で、与野党が向かい合って座り、閣僚や党幹部の席はそれぞれの最前列である。その前には、それぞれ赤線が引いてありこれは「剣の線」といい、両側の議員は演説中はこの線から前にでてはいけない。数百年前、剣を腰につっていた時代の知恵である。
議会政治の本家といわれるイギリスでも19世紀初めまでの選挙法は非合理的で、400年前に決められていた選挙区と規定のままであった。例えば、産業革命で発達、10万人以上に人工増加したマンチェスターが一人も代表を出せなかったのに有権者が7人とか、人口が半減した地域から2人の代表をだすなどの不合理があった。このような選挙区を腐敗選挙区と呼んだが、これが改められるのは、1832年のことだった。
8月1日
日本の離婚率は世界一?・・
1995年の日本の離婚率は約1、61(人口1000人当たり)なおその後も増加しているが、アメリカ(93年4,6)イギリス(91年2,96)フランス(1,98)スエーデン(2、53)であり、まだまだ低いと言えるかもしれない。
しかし戦前の家族社会学者戸田貞三によると、明治、大正期の日本は実は世界でも有数の離婚国であったという。
江戸時代はさらに多く平均離婚率は4、8でアメリカ並である。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」というが、結婚を試してみて、だめならさっさと見切りをつけるべきものであったようだ。結婚後五年以内に2割が離別している。
このことは、社会生活の単位が夫婦中心ではなく「家」であり、この嫁は「家」にとってどうかということだから嫁や婿は単なる部品のようにいくらでも取り替えたのであるという。
そう言えば、TVの時代劇で「婿どの!」といつでも放り出されそうな与力が思い出される。
またこの時代、処女性とい観念は存在せず、明治以降にヨーロッパから導入されたものであるらしい。
ということは、今時はこの観念だけは江戸時代に戻ってしまったのかな〜
韓国の梵唄て・・・
癒し系音楽の流行とともに声明(しょうみょう)ファンが増えているが、韓国にもお経に節をつけて唱える梵唄(ボンぺ)がある。韓国で唯一の国指定重要無形文化財の法要、ソウル市・奉元寺の「霊山斎」が日本で初演される。奉元寺は八八九年創設の太古総本山で、霊山寺はかっては三日間にわたって行われたが、現行は旧暦の五月五日に催される。
サンスクリット(梵語)と漢語と自国語の唱えあることや、一音を伸ばしたり短くしたりする方法などは声明と同じだ。
違いは舞や楽器が多彩なこと。白い僧衣に笠をかぶって舞うナビの舞い、大型のシンバルを打ち鳴らしながら舞うバラの舞い、太鼓を打ちながら踊るポプコの舞いなどがある。楽器も、どうやら木魚のほか、ラッパや太鼓で構成される吹打(チッタ)と、胡弓や笛などによる三弦六角(サミヨンユッカク)という二つの編成がある。極彩色のにぎやかなさで迫ってくる梵唄と、厳粛な墨絵のような声明とは対照的。が、根っこを同じくする仏教の祈りの音楽的表現であり、それぞれの国民性が浮き彫りになっている。