8月31日
現在、世界の人口の約30%はマラリアの汚染地域に住んでいる。
マラリヤは感染者約8億人、毎年の新患者数約3億人、死亡者年間200万人も出している世界最大級の感染症である。
日本でも海外勤務や旅行者の増加による「輸入感染症」として増加している。旧厚生省の報告では一年間で100例の患者が発生しているという。実際はその数十倍であろうし死亡者も相当数であろうという。何故推測かというと、医師のマラリアに対する意識のなさや、治療薬の供給体制の不備や予防薬投与の混乱が加わって医療現場は混乱に陥っているのが現状という。
死亡率の高い「熱帯熱」型はアフリカに多く、54,4%。東南アジアや南太平洋諸島では20、3%が「熱帯熱」
マラリアは夜間吸血性のハマダラカによって媒介される。
古代ギリシャやローマ帝国時代にも幾度も大きな流行を繰り返した。ヒポクラテスは彼の著書「流行病」の中でマラリアのことを、「マラリアとは熱が突然出て突然亡くなる病気だ。その熱から毎日熱、隔日熱、四日熱と区別できる。この病気は悪い空気が停滞する沼地や湿地でかかる。」としていた。アレキサンダー大王を33歳で殺し、古代ギリシャや古代ローマ帝国の衰退や崩壊にも大きく関与したという。「ローマの道」は実は「マラリアの道」であり、「絹の道」は「痘瘡の道」「ペストの道」でもあったという。原因は長い間不明であったが、1880年フランス人ラブランがその病原体を、1898年イギリス人ロスがハマダラカによることを発見。どちらもノーベル賞を受賞している。
WHOは1999年に「ヨーロッパでのマラリア復活」に警告を発している。
何故撲滅できないのか。一つは有効なワクチンが無い。また薬剤耐性や殺虫剤耐性蚊とのいたちごっこになっているからだ。
マラリア原虫がヒトとハマダラカの間を行き来する複雑なライフサイクルをもつ、つまりマラリアは変身したり、細胞に入ったりしてヒトの免疫学的攻撃をかわしているのである。
8月30日
突然、インド。
普通我々はインドのことを「インド」とよんでいる。漢字で「印度」古くは「天竺」英語で「インディア」。実はこれは当のインドの人達が言っているのではなくて外国の人々がそう呼んでいるのである。『多様なインド文明』宮元啓一によると、「インドという名の起源はいろいろ考えられるが、サンスクリット語「スィンドゥ」(インダス河下流域の地方名)がそのまま漢訳されて「身毒」。
又やはり「スィンドゥ」がペルシャ人によってなまって発音されたもので「ヒィンドゥ」(のちに「ヒンドゥー」という表記が用いられるようになる)これが漢訳されて「賢豆」となり、つぎに「スィンドゥ」がビルマ風になまり「ティンドゥ」になり漢訳されて「天竺」となる。
ギリシャ人によって「ヒィンドゥ」は「インド」と発音され漢訳されて「印度」となる。」
このように「インド」の呼称はインダス河下流域のスィンドゥ地方の地名を外国人たちがそれぞれに発音したものである。
では、インドの人々は自分自身をどう呼んでいるのだろう。
「インド人が自分の言葉でみずからとみずからの国土呼ぶようになったのは、近現代のことであり、反英民族主義にもとづくものであった。その呼称は「バーラト」であり、現在の切手にもそう書かれている。この呼称は元来は、仏教興起をはるかにさかのぼる時代に、現在のデリーを中心にして繁栄していたアーリア人の部族バラタ族(バーラタ)に由来する。民族主義にめざめたインド人としては。このかつてインドの中枢地域を支配していたバラタ族の名称をもってみずからの名称とし、みずからの民族の誇り高い歴史を称賛しているのであろう」とある。
最近インドは中国とならんで、その人口の多さもさることながら、科学とITに力を入れすぐれた人材を大量に世界中に輸出しており、はやくもポスト中国と言われ、今後大いに注目していかねばならないのだがあまりにも情報不足、勉強不足なので今日は国名からスタート。
「宇宙の果てにせまる」野本陽代から
『人工衛星としての寿命を終えた静止衛星は、次の衛星に場所をゆずるために別の軌道へと移させる。そのあと、これらの衛星はどうなるのだろうか。どういうわけか、人間の管理下から解き放たれた衛星は、インド上空の一帯に向かって除々に移動を開始する。ここは人工衛星の墓場で、役目を終えた衛星は自然にそこに集まってくる。
ゾウの墓場というのは聞いたことがあるが、人工衛星の墓場というのは耳慣れない。人工衛星にも意思があるのだろうか。勿論それはない。インドあたりには質量の集中があるらしく、地球のほかの場所よりほんのわずかだが重力が強い。その重力に引かれて人工衛星が集まるのである。重力は目立たないが、人工衛星にじわじわと影響を及ぼすことでその存在をアピールしている。』
もう一つ、読んでいて笑った笑った。
『第二次世界大戦後、アメリカではドイツから戦利品として持ち帰ったV2ロケットを使って、大気の上空や太陽の観測がはじめられた(なにを考えていたのか)、最初の実験は爆弾を積んだままおこなわれたため、地上にもどってきたロケットが大爆発をおこし、せっかくのデータ―を回収できなかった。』とある。1948年、太陽からのX線がはじめて検出される時の話である。
8月29日
日本の医療の現状は
「日本の医療費は総額で年間30兆円と米国についで2位の水準。国内総生産比ではOECD加盟の中で20位に留まるが、現在約3分の1(約10兆円)を占める老人医療が急速に膨らみ、2025年にはGDP比で米国並に達する」という。
「主客転倒」「会話不在」「3分間診療」「病気を診て患者見ず」「医は算術」などいろんな表現で揶揄されるのも現実である。
医療制度改革が年末に向けて本格化する。より少ないコストでより質の高い医療をいかに実現できるのか、官僚機構や、不良債権問題などが多くの視点を集めるが、ことは生命に直接かかわる「医療」問題にもっと国民的関心があってもいいと思う。
「おまかせ診療」に甘んじる国民と、「甘えに乗じる医療業界」。
「医療事故調査会」が裁判所から鑑定を依頼されたうち463件について原因を分析。その結果9割近くが『医師の知識・技術の未成熟』だった」という。
東京の医科大学の医局長であるベテランの心臓外科医。着任して一年、担当した手術は46例。死亡率13%で、全国平均(6,1%)の2倍以上である。彼の執刀の時は他の担当医より3倍の点滴を用意したという。同病院の手術中止命令で免許取り消しもなく、今もどこかの病院で執刀しているという。
免許更新の試験がある米国では勉強や努力を怠ると現場に残れないが日本の免許は生涯有効。
欧米では20世紀初頭にはじまった品質管理の取り組みが日本では大幅に遅れている。
せめてカルテの開示を早急に義務つけるだけでも事情がかわるとは思うが。なんかその裏に一部の利権やエゴが優先する社会の存在が見え隠れするのだが。
「どんな医者に当たるか、そりゃあんたの運しだい」。
再生医療動き出す
人間のあらゆる臓器や細胞に成長する能力を秘めた胚(はい)性幹細胞(万能細胞)の研究が国内の大学で相次いで始まる。研究を解禁する政府の指針案がまとまったのを受け、京都大学が独自に万能細胞作りに着手、東京大学は細胞を輸入し増殖細胞の開発にのりだす。企業も情報収集に動いており、心臓や神経などの臓器を人工的に作りだし病気を治す再生医療の実現に向けた研究が加速する。
*胚性幹細胞と体性幹細胞〜胚性幹細胞は受精卵の分裂が始まった初期段階の胚の中に生じる特殊な細胞。万能細胞ともよばれる。様々な組織や細胞に成長していく過程をうまくコントロールできれば人為的に移植用臓器を作り出せる。
万能細胞とクローン技術を組み合わせれば、理論的にはどんな臓器のコピーでも無制限に作れる。
一方、成人の体内にも様々な組織に成長する潜在力をもつ細胞ば含まれており、体性幹細胞と呼ばれる。代表例は骨髄細胞で心筋や骨などを作り出せる。万能細胞と比べて作れる組織の種類が少ないという見かたも有るが、患者本人の細胞を治療に使え安全・倫理面で万能細胞よりも医療応用が容易とされる。
8月28日
最近ポリフェノールという言葉をよく耳にする。
ちょっと調べてみると、ポリフエノールといっても幾つか有り、その内「抗酸化性ポリフエノール」は主としてフラボノイド及びタンニンである。
フラボノイド類は多くの薬用植物や柑橘類などの果物,緑黄色野菜などに多く含まれている黄色色素で、抗酸化作用のほか、毛細血管強化作用、抗炎症作用などの機能をもつものが知られている。
赤ワインやブルーべりーなどの抗酸化性色素のアントシア二ジンはこの一種である。
タンニンは一般に「渋み成分」であり、下痢止め、胃炎、便秘などの消化管系疾患など有効で、世界各地で伝承されてきた薬用植物の多くに含まれている。ゲンノショウコ、ザクロ、ビワ、メグスリノキなど、又漢方薬として繁用される、芍薬、牡丹皮、大黄、桂皮などはタンニン含有生薬である。
また、柿、桃、ブドウ、リンゴ、カカオ、シソ、ローズマリー、緑茶、ウーロン茶、紅茶、赤ワイン、ビールなどもタンニン性素材である。最近ではさらにいろいろな働きが解明されつつある。前述の抗酸化など以外に抗う触作用(虫歯菌ストレプトコッカスの形成抑制・・要は虫歯になりにくいこと)抗発癌作用(緑茶の皮膚癌など他の臓器の発癌抑制)、抗菌、抗ウィルス作用(私は風邪の時お茶でうがいをする)。
タンニンは抗酸化性においては、ビタミンEやフラボノイドよりもその作用が強いという。
さきほどから抗酸化、といっているが、なんで大事かというと、本来酸素とは猛毒である。
その酸素を取り入れてエネルギーとしている生物の宿命が酸化所謂「錆び」である。特に酸素の通り道である血管は酸化鉄により赤く成っているように、一番「錆び」やすい即ち劣化し易いということである。特にマクロファージなどに含まれる、活性酸素は細胞を傷つけたり、コレステロールと結びついて動脈硬化の原因でもあり、この酸素からいかに逃れるかというのが抗酸化である。より強力な抗酸化を求めて研究が続いている。
いつまでも若々しい肉体、これを保つ食物が以外と周辺にあったのだ。
「豊かで健康的な食文化、和食」食文化史研究家 永山 久夫
『和食の基本的な組み立ては「一汁三菜」である。室町時代に、武士の作法に伴って生まれた、本膳料理の基本も一汁三菜であり、江戸時代から昭和30年代までの平均的な献立も「一汁三菜」であった。主食の「ご飯」の他にみそ汁がつき、三種のおかずが添えられるという意味。主菜は、煮魚や焼き魚、刺身などのように動物性蛋白質系。副菜の一つは、里芋や大根、昆布などの煮物類、副菜の二つは納豆、豆腐、おひたし、酢の物などとなる。
料理の材料は、季節の物を中心として、必要以上の人手は加えないで、持ち味を生かす。この和食がバランスのよい食事法として世界的に注目されている。
日本人は、ネバネバした食感を好む。その代表が納豆である。ついこの間まで「苞(つと)納豆」と呼んでいた。「苞」は万葉集にもでてくるが、ワラで作った容器のこと。その中にクリや胡桃、里芋などを入れておみやげに用いた。
苞に煮豆を入れておけば、納豆になる可能性は高い。ワラ一本には、納豆菌がほぼ100万個も付着しているからだ。「納豆」の文字が登場するのは平安時代からであるが、普及するのはずっと遅く江戸時代になってからだ。忙しい江戸っ子の朝食に不可欠だった。最近、納豆のネバネバに含まれているナトウキナーゼが血栓を防ぐ作用で注目されている。
テンプラや蒲焼、にぎり鮨などを生んだのは江戸時代であるが、明治時代になってから誕生したのがスキヤキである。
明治政府は肉食を積極的にすすめた。日本人の体型が、西洋人に比べて劣っているのは、肉の摂取量が不足しているためという判断である。明治4年刊行の「安愚楽鍋」の中に「牛鍋食わねば、開けねえ奴」とある。この牛鍋がスキヤキの原形である。
スキヤキにシラタキを使用するようになるのは明治の中期でやがてシイタケや麩なども用いられるようになる。
ネギは最初から使用されており、コンニャクやシイタケは、牛肉の脂肪やコレステロールの害を中和する上でも役に立つ。』なるほど食の歴史も文化の匂いが。
8月27日
8月26日NHK日曜スペシャル「150億年の宇宙第5集」をみた。
以前にも書いたが、本当にいつも感動モノである。
最近の「宇宙」の情報はダイナミックである。考古学の発展もすごいものがあるが、ハップル望遠鏡以来、赤外線、X線、電波、直径6m地上望遠鏡と観察の為の機器が揃ってきて、いろんな推測や、学説が実証されたり、見直しされたり「人類の永遠の謎」が次々と解明される。
いつも本で読んでいることが上手く映像でまとめられているから、ほんとうに判りやすい。
普段何気なく言う「カルシゥム」も高温、高圧の巨大星の核融合から爆発消滅の過程で生まれてきた。特に「金」は中性子星同士の衝突から1兆度という高温と高圧により生まれてきたのではと言う。そりゃ稀有、貴重なはずだ。人類は今核融合、水素からヘリウムの実験をやっている。これが成功すれば、人類のエネルギーも明るいものになるだろう。それにしても、宇宙の偉大さにはほとほと感心する。150億年の宇宙の営みの中から生まれた元素から太陽や地球が生まれ、我々も星の爆発の欠片から生まれてきた、なんてつい数10年前に言うと気違い扱いされたのだろうが、
本当に幸せな時代に生まれたと感謝。
「遺伝子組替え食品」について
どうも理解できない部分が多いので、ネットで公開されているところに直接質問をした。
「なにがどう問題なのか」という質問を反対団体と推進団体双方に同じ質問をした。
さっそく推進団体からは返事、解答をいただいた。反対団体からは返事がないので、ネットで主張されているものの一部を掲載する。
反対団体の説明
●遺伝子組み換え食品の問題点
安全性の確認があいまい
遺伝子組み換え食品を流通させるときに、厚生省の安全性評価指針(ガイドライン)に適合しているかどうかを、メーカーが「確認申請」します。この申請をもとに、食品衛生調査会で確認をするのですが、このときの「確認」とは、メーカー側が出してきた資料をチェックするだけです。
しかも、「実質的同等性」といって、遺伝子組み換えをした作物、たとえば大豆が、大豆の形や栄養成分のままなら、「実質的に同等」だから、チェックする必要があるのは、組み込んだ遺伝子がつくるタンパク質などについてだけでよいという方針なのです。
虫が食べると死ぬトウモロコシと、虫が食べても死なないトウモロコシが「実質的に同等」だから、問題ないというのはとても不思議なことです。これによって、食品添加物の承認時に必要な安全性試験さえも行なわれません。
アレルギーの不安
除草剤耐性や殺虫性は、その性質を持つタンパク質によって生まれます。つまり、遺伝子組み換え作物には、これまで人間が食べたことのない新しいタンパク質が入っています。
急性毒性の試験や、人工胃液による消化試験はされていますが、長期的な試験や人体試験はもちろん行なわれていません。アレルギーの可能性を指摘する声があります。また、長期的に食べ続けた結果、人体にどのような影響があるのかは分かっていません。
未知の有害物質の可能性も
遺伝子組み換え技術は、とても歴史が浅く、まだよく分かっていない部分もたくさんあります。まったく種が違う生物の遺伝子が、遺伝子上のどこに組み換えられたのかすら分かりません。だから、その作物に予測のつかない物質ができる可能性もあります。
1988年から89年にかけて主にアメリカで起こった大規模な食品公害事件は、昭和電工が遺伝子組み換え技術で改造したバクテリアに作らせたトリプトファン(アミノ酸)製品を食べたことで、死者38人を含む推定6000人が健康被害を受けました。これは、遺伝子組み換えによって発生した未知の不純物によるものではないかという指摘があります。
また、同じ理由から、作物に含まれる栄養成分が変化される恐れも指摘されています。
抗生物質耐性遺伝子
遺伝子組み換えでは、組み換えが成功したものを選び出すための目印として抗生物質耐性遺伝子など(最近は除草剤耐性遺伝子も使われることもあります)が一緒に組み込まれています。抗生物質の液にさらすと、遺伝子組み換えがうまくいかなかった細胞は死んでしまいますが、組み換えがうまくいっている細胞は、抗生物質耐性遺伝子も入っているので、抗生物質が効かずに生き残るから、選び出せるのです。
遺伝子組み換え作物に組み込まれた抗生物質耐性遺伝子が、腸内の細菌に取り込まれて、抗生物質が効かなくなるという可能性もあります。この点の安全性は、確かめられていません。
環境や生態系にあたえる影響
殺虫性の作物を食べた昆虫が死ぬことは、その昆虫を含めた生態系に影響が起きます。昆虫をエサとする他の昆虫や、鳥はエサがなくなります。また、想定した害虫以外の昆虫にも影響が出るという研究報告もあり、遺伝子組み換えによる環境への影響が心配されています。また、殺虫性毒素が根を通して土中の微生物や昆虫を殺すという研究も報告されました。
除草剤耐性大豆の隣に植えたふつうの大豆が花粉を通じて交配し、ふつうの大豆も遺伝子組み換えになってしまうことや、近縁の草などに除草剤耐性が生まれてしまうことも考えられます。
遺伝子組み換えが、他の化学物質などと違うのは、遺伝子組み換えされた作物が一度自然環境中に出てしまうと自己増殖するため、もし何か問題があっても完全に回収することは不可能ということです。組み換え植物は、他の植物と同様に野生化しますし、花粉は近縁種と交配することがあります。さらに、組み換え遺伝子が、ウイルスなどによって取り込まれることなど、長期的に自然界に与える影響ははかり知れません。
家畜に与える影響
トウモロコシや大豆(カス)などは、家畜のエサとして利用されます。家畜は、人間と違ってトウモロコシを多量に食べさせられたりしますので、遺伝子組み換えの影響は人間よりも大きいと考えられます。また、肉や牛乳、卵に影響がでるのかどうかも分かっていません。
遺伝子組替え推進団体の解答
『遺伝子組み換え技術は、医薬品の開発や医療分野ですでに非常に重要な役割を果たしています。
インスリン等の生産やさまざまな薬品の生産に不可欠な技術として使用されています。
遺伝子組み換え食品を巡る現在の国際的な論争は、厳密には科学的な問題ではなく、技術そのものではなく、実用化の過程での検証や、南北問題、自国農業の保護、種子独占など、商業的や政治的な問題である側面が強いものです。
事実として、食料不足に最も深刻な状態にあるアフリカ諸国が頑強に反対しているのも、科学的な側面よりも、商業・政治的な側面があります。
例を挙げると最近問題となったエイズ薬をアフリカでコピーして販売する事の是非を巡る問題のように、いかに食料が増産され、収量が改善されるといっても「ただ」であるものではありません。 開発企業へのロイヤルティや継続した種子購入など、技術とは別の問題がある事になります。
純粋に科学技術の点からは、遺伝子組み換え技術は、多くの可能性を秘めているのは疑う余地はありません。ただ、科学技術自体は、善悪・良否いかなる色彩もなく、要は「運用次第」でどのようにもなる側面があります。 食料増産・より有用植物の開発など「良い」面と、特許による独占や農業生産支配の危険性という「負」の懸念が同時に存在する訳ですから、科学技術の誤った使用を抑止する為の国際的なルールは当然必要だと考えます。
一方、遺伝子組み換え農産物が「収量を増加させる」という説明にも留意が必要なのは事実です。 収量が増加するという事は、「雑草等へ養分を取られず結果として収量が向上する」「害虫による損失が減るの収量が増加する」という事であり、遺伝子組み換え農産物自体がエネルギー効率が高く「伝統品種よりもより多くの農産物を生産する」という事ではありません。
この過程で問題となる「害虫耐性」については、安全性の観点よりも環境面でのリスクに留意が必要でしょう。 害虫は耐性獲得しますので、Btコーンなどは、害虫の抵抗性獲得を促進するという危険性は指摘されています。実際、米国環境保護局は、このような害虫の進化を抑制する為の、通常品種栽培の並行生産(害虫がBtコーンを忌避して移動できる通常品種の畑)が必要との規制も行っています。
従って、科学的なリスクとしては、「環境面」「生態系」への影響がどのようなものであるかが、現実的な課題だと判断します。 これは「安全性」とはまた別個の問題です。
また医薬品と異なり遺伝子組み換え食品には、長期の安全性試験等は必要ありません。これが反対派からは「安全と証明されていない」という論拠となりますし、賛成派からは「実質的に同じなのだから無用」との反論となります。 実質的に同等という概念については、米国・日本はこれを支持していますが、欧州は否定しています(遺伝子組み換え故、同等ではないという考え方)。 つまり、まだまだ国際的には、合意を得ているものではありません。 この為、「金がかかるからそのような試験は無意味」というだけではなく、やはり安全性に対する継続した研究は必要ですし、実際、日本でも給餌試験などが実際に開始されています。 (国連でも安全性評価についてまさに議論している最中です)
以上のように、さまざまな議論は、科学的な側面よりも、「新技術を広範囲に適用する」過程での問題として捉える事ができると思います。 また現在流通している遺伝子組み換え食品は、収量や栽培のしやすさに起因した生産側の利益が中心であり、消費する消費者にとってのメリットはありません。 価格が安くなるという主張(増産により)も、穀物市況が低迷している中では、説得力を持ちません。 アフリカの飢饉を救うという主張も「反対の最強硬派がアフリカ諸国」という現状では、やはり説得力に欠けますし、アフリカ諸国などは、穀物を栽培したくても「水」がない(井戸の不足)、また食料援助も港まで届くが運べない(インフラの未整備)など、遺伝子組み換え食品だけが飢餓を救うものとはなり得ないのも事実です。
従って遺伝子組み換え技術は増産効果・塩害耐性等耕作不能地での栽培などの可能性を持ちますが、他の要因(水の確保やインフラの整備)も同時に必要です。 それ故、遺伝子組み換え食品が飢餓を救うというのもややプロパガンダ的な誇張であるのも事実でしょう。
個人的には、遺伝子組み換え技術は、技術のもつ潜在力としては革新的なものであり、今後も発展すると考えます。 特に医療分野ではさらに急速に実用化が進むと判断します。 一方、食品分野では、現在の国際的反対運動のもとは「消費者の不安を軽視した急速な新技術の展開」にあったと思います。 これは科学の問題ではなく、「商業化を急いだ」ものでしょう。 それ故、「潜在的な恐怖感」「技術の専門性(なかなか簡単には理解できない)」、「除草剤耐性や害虫耐性への不安」が消費者の不安を加速させたと思います。 (欧州では狂牛病等他の要因があったのも大きな原因と思いますが)
食品安全性については、「長期的な環境評価試験」「長期安全性試験」等を導入し(なぜか過去されていないケースが多いのですが)、その結果を公表する事で不安に応える事が不可欠と考えますし、国際的な安全性評価手法の統一も緊急の課題でしょう。 「不安である人の口を無理矢理開けて(食品を)押し込む事はできない」と米国政府関係者が述べたように、現状の状態で「不安・反対」は現実に存在する訳ですから、これを「無知」として無視する事はできません。 かつてホンダの創設者の本田宗一郎氏が述べたように「技術とは科学と消費者を結ぶ架け橋であり、どのような優れた技術でも消費者が評価しなければ価値がない」というのが重要だと考えます。
遺伝子組み換え技術を適用した製品は医薬・農業分野で将来的に大きな役割を果たす事はそれでも間違いないでしょう。 現状は、その過程における大きな混乱であるのと思います。ただし、消費者はいずれ忘れるという考え方は、「遺伝子組み換え技術」そのものの否定にまで発展する可能性を秘めている為、危険な考えであると判断します。
大きな潜在力を持つ技術だけに、ある意味で地道な情報の開示と継続したリスク(安全性・環境要因)管理を行い、消費者の信頼を積み上げていくしか、「漠然とした不安」を和らげる方法は、ないと思います。
また一方で反対派についても、技術そのものの否定なのか、「技術管理」としてリスクをどう管理するかの議論なのかを明確にしないと、ただの平行線となり、なんらの進展もないと考えます。 また、最近の「テロ」的な行動は、弁解の余地はありません。 しかし、不安感を背景とした反対に対しては、地道に情報開示を行い、議論をいとわないという姿勢を持たない限り、これを取り除く事は極めて困難でしょう。
以上、ご質問とはやや異なるかもしれませんが、現状についての私見です。』
ジェネティックID株式会社
H・T氏 kanta様
8月24日
「茶のわび心」とは・・・
新古今集に「花をのみ侍らん人に山里の 雪間の草の春を見せばや」というのがある。
利休はこの歌に「茶のわびの心」を託している。
利休はわび茶の祖である。茶をただの飲料としてではなく、またただ遊びとしてではなく、心の修行として考え、茶による得道を志した。きびしい禅の修業をつんで、茶禅一味の境涯をきわめた。
さてこの歌は「人は花の咲く春をあこがれ、花の美しさだけを見ようとしている。目で見る外景だけを楽しもうとしている。利休はその美しさもさることながら、わびの心からするともう一つの美しさのあることを教えている。雪一色に埋まったなかから陽春の訪れと共に、雪間に萌え出た青い芽その美しさである。雪一色に埋まった世界とは無一物の世界である。その無一物の中から見られる美しさ、この美しさをつかまないと本当の美しいものは判らないと」している。心眼を開かないと、こういう見方はなかなかできない。
「縄文のビーナス」とは・・・
国宝の縄文土偶通称「縄文のビーナス」が出土した長野県茅野市で、新たな視点から縄文文化をとらえ直そうとする運動が起きている。
同市には、ビーナスが出土した棚畑遺跡のほか、瀬戸内など各地からの需要を満たした黒曜石の集積・加工・搬出の拠点だった駒形遺跡、高さ34cmもある仮面土偶が出土した中ッ原遺跡など数多くの重要遺跡がある。また尖石遺跡をはじめ海抜千m前後の高地に立地する遺跡も多く、同じ縄文遺跡でも、海辺に近かった青森県・三内丸山などとは異なる文化を持っていたと見られている。
事実この地域の遺跡から出土した土器は、顔面杷手付土器、吊手土器、有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器など特異な形態をしているものが多い。
「尖石は縄文集落研究発祥の地。地域に根ざした研究の積み重ねがあって初めて縄文文化の本質が見えてくる」とは戸沢充則・明大教授。
8月23日
「生ゴミが生プラの原料になる」
北九州市は1997年、日本で第一号のエコタウンとして国から認定され、ゴミゼロ社会の実現をめざしている。若松区響灘区は「北九州エコタウン」としてペットボトルや自動車、家電などのリサイクル工場が集中している。
そんな中に生ゴミを発酵させて生分解性プラスチックの原料となる乳酸を取り出す実験が行われている。
従来、生ゴミを回収すると、その運搬過程で野生の乳酸菌による発酵がすすみ、D−乳酸が生成する。
実際にはD−乳酸は生プラとしては不透明なので使えない。そこでプロピオン酸菌でD−乳酸を押え、L−乳酸で生ゴミ中の糖分を嫌気的に発酵させる。問題は生プラ生成のコストである。コンビニやデパートなどから出るゴミは糖分を含んだ生ゴミが多いが平均して生ゴミの10%は乳酸に変換される。今のところ、年間数10万tの生ゴミが必要なので複数の都市から集めなければならず、運送コストなどが問題になりそうだという。
なお北九州市のリサイクル産業は
ペットボトルリサイクル事業(西日本ペットボトルリサイクル(株))
OA機器リサイクル事業(株)リサイクルテック
使用済み自動車リサイクル事業(西日本オートリサイクル(株))
家電リサイクル事業(西日本家電リサイクル(株))
使用済み蛍光管リサイクル事業((株)ジョイ・リライツ)
医療用具リサイクル事業・発砲スチロールリサイクル事業 など
本当に組替え食品は悪いのか
最近遺伝子組替え食品に対して表示義務とか、「使用していません」とか、なんか毒物のような扱いだが、なんで組替え食品が危険なのか、理解できない。本来品種改良とか、突然変異を利用してより効率のよいもの品質の都合の良いものを選択してきたのではないのか。自然的に遺伝子組替え(交配と言う)が行われているのに人工でやると悪なのか。
アメリカのトウモロコシ栽培に甚大な被害をもたらすコーン・ルートワーム(ハムシモドキ科ウリハムシの一種でトウモロコシの根を食害する)は、輪作や大量の農薬で駆除してきた。しかし輪作も限界があり、農薬の大量使用は人体や土壌にたいする影響からも限度がある。そこでルートワームに有害な2種類の蛋白を含んだ形質転換に成功しその普及に努めているが、それを受け入れる体制の問題である。勿論それ自体の安全性が大前提であるが、それがクリアーできれば、人工問題等の観点からも、いたずらに不安がるのではなくもう少し容認していってもいいのではないだろうか。もっとも生態系や環境に与える問題も当然クリアー出きるということも含んでの話であるが。
8月22日
「満州の誕生」久保尚之より
1907年(明治40)夏目漱石は旧友満州鉄道総裁中村是公の招待で満州を訪れ各地を廻っている。そのことは帰国後1909年、東京朝日新聞に「満韓ところどころ」として連載している。
『中村是公と二人、馬車に乗って市外をはずれた高台のほうへ来ると、「高いオベリクスが、白い剣のように切ったって青空に聳えている。」電気公園である。大連市内、大連湾が一望できる眺望のよいところである。「内地にないものだ。電気仕掛けでいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養させるために、会社でこさえているんだ。」満鉄の附帯事業のひとつである。温室、花園、演芸館、射撃場、動物園、喫茶店、簡易図書館、支那料理店、ボーリング、メリーゴーランド、ローラースケートなどの遊技場。夜は活動写真を開園し、全園にイルミネーションを点すという。
そしてその年、大連ボーリング・リーグが発足し、第一回大会が電気公園で開かれた。リーグ会長はアメリカ副領事ウイルソンであった。ボーリングは東京、大阪にない新遊戯と地元の新聞は伝え「球が平板の上を轟々と転がっている。徳利がぱかりぱかりと倒れる」と紹介している。
ハルビン駅一番ホーム
奉天駅で撮った記念写真がある。シルクハットをかぶり白い顎髮の伊藤博文は、両手をステッキにのせまっすぐカメラを見据えている。伊藤のすぐ後ろ後ろにいるのが、満鉄総裁・中村是公である。
1909年(明治42年)10月26日午後9時、伊藤を乗せた東清鉄道の特別列車はハルピンに到着した。ロシアの大蔵大臣ココーフツォフが車内に乗り込み、伊藤を迎えた。9時25分、各国の領事団やロシア軍、日本人の出迎えを受けるために一番ホームに降りた、その日のハルピンは寒かった。随従者は外套を着ていたが、伊藤はフロックコートのままであった。
儀杖兵に近づき閲兵しながらゆっくり歩いていたとき、ブローニング式7連発の銃口から6発の銃弾が伊藤をめがけて放たれた。9時30分であった。6発のうち3発が伊藤の体内に残り、残る3発が随行員の森秦二郎、満鉄理事の田中清次郎、川上ハルビン総領事を負傷させ、中村是公と室田義文の衣服を貫通した。
「(満州)から帰るとすぐに伊藤が死ぬ。伊藤は僕と同じ船で大連へ行って、僕と同じ所をあるいてハルビンで殺された。僕が降りて踏んだプラットホームだから意外の偶然である。僕も狙撃でもせられれば胃痛でうんうんいうよりも花が咲いたかも知れない」とベルリン留学中の寺田寅彦へ宛てた漱石の手紙である。
8月21日
ほぼ同時に命の記事が・・・
新聞に『平均寿命 再び延び最高」女性84,62歳 男性77、64歳 男女とも世界一の長寿国。女性は16年連続で世界一とか。癌、脳・心血管疾患を克服できればあと8歳は延びる』という。感染症では、最大のものはインフルエンザによる死亡。世界的には毎年200万人の人が「マラリヤ」で死ぬ。とは言っても人生50年という時代からは隔世の感である。
歴史をしていると時の政権もこの寿命の綾が多くある。日本の歴史も随分変わっていただろう。支配者とはその生命力の強さでもあった。人間の寿命は本来120歳位といわれている。しかし最近日本のベンチャー企業が「若返り遺伝子」をみつけた。
遺伝子病の一つで、普通の人の3〜4倍も早く老化する「ウェルナー症候群」からヒントを得て突き止めたという。この遺伝子はDNAの傷を修復するのである。うまく行けば180歳まで生きられる可能性もあるという。秦の始皇帝もびっくり。
こうなるとやっぱり人工調整問題が重要だと思うなのだが。
そして同時に『昨年1年間に自殺した人は31,957人で3年連続3万人を超えた。借金や失業などの経済生活問題を動機とする自殺は6838人であり、全体の6割が50〜60歳代であり、男女比は7割強の2,2727人が男性』という記事があった。ということは今自殺年齢真っ只中。
上記の人生80歳とすれば50〜60歳はまだおり返し過ぎたところ。でもなんとなく解らないでもないな〜。
「健康問題」が約半分を占めるという。馬車馬のように突っ走ってきて、リタイヤするころは、内外から粗大ゴミ視されそこに長年の無理がたたって体の倶合いが悪くなる。「老人性鬱」が問題になっているが、いくら平均寿命が延びたと言っても、その中味が大事だと思う。「心身ともに健康のまま老いる」こんな総合的研究が望まれるのだが。
敬愛する友の句に
巴旦杏落して猫が庇へと
猫眠る移る緑陰外さずに
かはたれの涼しさを猫戻りくる
気のふれしごとくに真夜の蚤潰す
空蝉の去年と今年や捨てきれず
8月20日
紙というのはエジプトのパピルスからきていると思っていたが・・・
陳舜臣「紙の道」によると『紙の製法が中国から西方世界に伝わったのは、八世紀半ばのことである。751年イスラム軍と唐軍がタラス(現カザフスタン共和国)で衝突、その時の唐の捕虜に紙漉き職人がおりやがてサマルカンドに製紙工場がつくられたという。
ではそれ以前はどうか、西方での最古の筆写材料は粘土版である。これは保存性にはいいが持ち運びに不便。やがて紀元2500年頃エジプトでパピルス(カヤツリグサ科)を材料に、その維管束を縦横に編む、紙というより布に近いものである。この欠点は脆い、書きにくい、それにエジプト政府の専売品のため入手しにくいこと。
紀元200年頃ベルガモン(現トルコ領ベルガモン)におこった王朝エウメネス二世は「羊皮紙」を開発、牛や鹿などの皮も利用した。これはパピルスより書きやすく強靭である、しかし、非常に高価なものになる。バイブル一冊を書くのに羊500頭分の皮が必要であった。
インドでは古くから「ターラ」という棕櫚に似た植物の葉を8cm×60cmの長方形にしたものに先のとがった筆でひっかいた(漢語では貝葉とか貝多羅という)おそらく天竺に渡った玄奘もこの貝多羅を持ち帰ったのであろう。
日本では長く木簡である。
紙を発明したといわれるのは明帝の永平(58〜75)末に宮廷に使えた、宦官蔡倫。字は敬仲、桂陽(現在の湖南省南部)の人。蔡倫は和帝が10歳で即位(88年)した時尚方令に任命された。これは宮廷工房長というような仕事だろう。従ってコストを無視して紙の開発実験を繰り返した。そして苦心の末に104年紙を発明して和帝に献上した。
これは「蔡公紙」といはれその後彼の弟子左伯(生没不詳2世紀末没)により改良され「左伯紙」として重宝がられた。
それ以前は絹や簡に書いていた。なお皇帝への献上品の目録に「紙墨」とあるので、同時に墨筆の技術も開発されていたようである。
ところで、最近の新聞によると、電子ペーパーが開発され2005年には500億の売上が見込めるとある。
電子ペーパーとは、紙のように薄く、丸めて持ち運ぶことができるディスプレイ(表示装置)。現在は研究開発段階だが、紙に代わる情報伝達媒体として将来、普及が見込まれている。ディスプレー上に各種回路を作りこんだ薄い紙のようなパソコンや、ポスターのような「壁貼り」テレビ、電子新聞が実現するとされている。ディスプレー技術はいくつかあるが、炭素・水素・酸素である有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)はその有力候補となっている。
1900年前の蔡倫がこんなの見たら何というだろう。「おお紙様・・・」なんて・・・
「kantaの温泉巡り」の飛騨・高山偏。編集完了。
8月17日
「韓国人の歴史観」黒田勝弘より・・・
『ぼくらは日韓の歴史について「謝罪と反省」のあまり、韓国側に身を寄せすぎることで、「日本人の歴史」がみえなくなっていたように思う。たとえば日本は韓国支配の中で王妃・閔妃暗殺事件を引き起こし、さらに五百年続いた朝鮮王朝(李朝)までもなくしてしまった。その王族の一人だった李鑢殿下は日本の敗戦直前、広島にあった第二総軍司令部の教育参謀(陸軍中佐)で八月六日朝、出勤途中、原爆に遭遇し翌日、死亡する。この朝、たまたま出勤に同行できず難をのがれたお付き武官の吉成中佐は通夜を済ませ八日朝、出棺を見送った後、殿下が被爆した朝の出勤にお供出来なかった責任意識から自決した。ここまでは史実としてそれなりに知られている。
ところが死亡した李鑢殿下の遺体は八日午後、広島にあった吉島飛行場から陸軍の双発練習機で玄海灘を飛び故国の京城(ソウル)に運ばれ、雲覗宮の夫人のもとに届けられた。葬儀は陸軍葬として八月十五日、正午の天皇陛下の終戦を告げる放送があった後、午後一時から東大門運動場で阿部信行総督以下、各界要人が参列してとり行われた。』
とある。あの一筋のキノコ曇の下にはいろんな人生、ドラマが数多くあったんだろうなあ。
海ゆかば 水漬く屍(みずくかばね)
山ゆかば 草生す屍(くさむすかばね)
大君の 辺にこそ死ねめ
かへりみはせじ
作詞 大伴家持(万葉集巻十八 天平感宝元年(749年)五月に作る)
作曲 信時潔(東京音楽学校教授(1887−1965) 昭和12年 作曲
8月16日
8月15日のメールに・・・
シニア―のネットグループから以下のメールが入っていた。
『東条英機はにくい。戦争に追いやった張本人で、シンガポール陥落の和平も聞き入れなかった。あたら尊い命を犠牲にした戦争に巻き込んだ。今だから言えることでしょう。当時は、征戦と称して国民一丸となって「撃てし止まむ」鬼畜米英に立ち向いました。戦争が終って、負けるのがわかっていた、神風なんて信じて馬鹿なことだ。これは戦時中、有識者は別として信じていました。そんな時代に、戦争そのものには何の疑念も抱かず死んでいった人達を私は、拙かった特攻隊員を馬鹿な行為であったとは、言いたくありません。今その行為が、国のためで、命を賭して、侵略行為と今は言うが、純粋な気持ちで敵艦めがけて突っ込んでいったのです。私はそれは、崇高な気持ちだと思います。それは洗脳された若者の暴挙であったなど誰が思ったでありましょう。
東条英機も同じように、少しヒトラー的盲信や権力に溺れたとしても、矢張り物資の少ない日本の現状を打開しようとしていたのでは、と思うのです。その点は、ある意味で共通している。行為の善悪は兎も角、国のために尽くそうとしたことには、手段は誤りであっても考えていたと思うのです。東京裁判がありました。それは戦勝国の論理での判決です。人権意識を表面に出しての裁判であったでしょうか。教科書問題も靖国問題も、戦勝国の論理だと私は思うのです。国内事情を摩り替えている。憲法に平和を希求することを明示してあります。靖国に参ることが、侵略戦争への足がかりになぜなるのでしょうか。なぜ悪いか。日本人の精神生活の一つの行為としての参拝をとやかく言うのは可笑しいと思うのです。
どうも上手く表現できませんが、政教分離も、内閣総理大臣の外交的配慮がない、とありますし、A級戦犯の合祀もとやかく言いますが、戦勝国の論理で裁判も受け、絞首刑になって罪を償ったそこでも矢張り罪人扱いが続くのでしょうか、南京大虐殺はあったことしょうが、それならアメリカの広島長崎の民間人を中心とした無差別爆弾はどうなのでしょうか。
この地区の追悼の言葉に、戦争は反対、戦争のない人道的な世紀にするといい
つつ。この無差別原子爆弾に何ら抗議の声がなく、アメリカの謝罪のないのも私は不思議に思うのです。
この意見は支離滅裂で、申し訳ないし、危険思想だといわれそうですが、まとまらない意見を書いてみました。取るに足らなければ、不問にし抹殺してください。私は、72歳。軍隊にも1年いました。航空兵です。』
『小泉首相の特攻隊員の遺稿に涙したお気持ちは、そのまま単純に理解するわけには参りません。靖国問題の疑問を国民に明らかにし、戦争を再び引き起こさないための総括をしようとの意志がくみ取れませ。小生は終戦時には現役の年代でした。多くの友人、知人が戦死しました。特攻隊員としてつっこんだ同級生も数人おりました。戦時体制を作り上げて国民を集団催眠にかけていった事実、ラジオ、新聞などのマスコミの果たした役割、行政、町内会などの自治組織のあり方、など解明しておかなければならない問題が多いと思います。誰が何のために、どんな団体や組織が靖国神社参詣を推進しているのですか?最近の時勢の動きから、嘗てのヒットラーの幻影を感じています。ヒットラーも初めは変わったおじさんでした。8月15日ではなく、12月8日に(忘れてはいませんか?)不戦の日として戦争犠牲者を祀ればよいと思います。』
『宣戦の詔書(現代文書き下し)
天の助けを持ち、万世一系の天皇の位につく大日本帝国天皇は、まさに忠誠で勇武なるあなた方国民に示す。
私はここに、米国および英国に対して戦争を布告する。陸海軍の将兵は全力をふるって交戦に従事し、官僚は職務を全うし、国民はそれぞれの本分を果たし、全ての国民が心を一つにし、国家の総力を挙げて戦争におもむく目的を達成するために、手落ちのないように心がけてほしい。
そもそも、東アジアの安定を確保し、これによって世界の平和に寄与することは、おおいにかがやかしい皇祖考(=明治天皇)、それを立派に受け継いだ皇考(=大正天皇)が述べられたことであり、私もそれを心に留めてきたところである。多くの国と親しく交際し、あらゆる国とともに共栄を図ることは、帝国が常に国交の重要な意義としているところである。今や、不幸にして米英両国と戦いを始めるのが避けられなくなり、これは私が望むものではない。先に、中華民国政府は、帝国の真意を理解せず、無用に事をあらだてて東アジアの平和を撹乱し、ついに帝国と戦争を行うに至り、すでに4年を経過した。幸いなことに国民政府がこの状態を更新しようとしており、帝国はこちらと国交を結び互いに提携するようになったが、重慶に残存する政権は、米英の庇護を頼り、自国内で争うことを止めようとしない。米英両国は、残存政権を支援し、東アジアの騒乱を助長し、平和の美名の下に東洋制覇の高望みを強くしている。さらに、同盟国を誘い帝国の周辺に軍備を増強して我が国に挑戦し、帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついに経済断交を行い、帝国の生存に重大な脅威を加えている。私は政府に、平和のうちに回復させようとし、じっと我慢をしていたが、あの国はほんの少しも互いに譲り合う気持ちがなく、無用に時局の解決を引き延ばして、その間にさらに経済上軍事上の脅威を増大し、我が国を屈服させようとしている。このようにして、東アジアの安定に関する帝国の長年の努力はことごとく水泡に帰し、帝国の存続がまさに非常に危険な状態に瀕している。このような事になり、帝国は自存自衛のため、勢いよくたちあがり、一切の障害を破砕するほかにない。
天皇歴代の祖先のみたまが我々にはついている。私は、あなた方国民の忠誠さ勇武さを信頼し、祖先の遺業を成しとげ、すみやかに災いの元を除き去り、東アジアの永遠の平和を確立し、これによって、帝国の栄光を保全しようと思う。
(この文章は、富山いづみが「宣戦の詔書」を現代文に書き下したものです。一部意訳した部分があります。かっこ内は意味をわかりやすくするために補ったもので、原文にはありません。)
8月15日ではなく、12月8日に(忘れてはいませんか?)不戦の日として戦争犠牲者を祀ればよいと思います。』
戦後生まれで戦争を知らない私は送られてくるメールをじっと読む。
「木と水と温泉を求めて」は「kantaの温泉」に掲載