6月29日
ジョイセフが国連人口賞に
6月27日の朝のTVニュースで今年度の国連人口賞に日本の家族計画国際協力財団(ジョイセフ)http://joicfp.or.jp/jpn/index.htmlが受賞したとあった。
主にアジア、アフリカ、南アメリカなどでの人口抑制活動が評価されたものである。彼らは現地での地道な活動を通じて人口問題を考えている。ただ「生まないよう」というのではなく、その地域の慣習や、生活環境などを考慮しつつ少産少死をめざす。
これは世界の人口増加の推移を表している。(国連人口部の推定による)
西暦1年 2億5000万人
1600年 5億人
1850年 10億人
1930年 20億人
2000年 60億人
2010年 68億人
2030年 81億人
2050年 89億人 詳細はhttp://www1.ipss.go.jp/tohkei/Mokuji/4_World/W_Detail.asp?fname=2_Pop/900.htm&title1=2.人口統計指標(中位推計)&title2=<B>世界全域</B>
この統計で判るように爆発的な人口増加とそれに伴う無計画・偏在的大量消費が、病める地球の元凶ではないのだろうか。
今、地球温暖化京都議定書批准が問題になっているが是非人口問題もリンクして考えたいものだ。
日本の1999年度のエネルギー源は52%が石油、石炭17%、天然ガス13%、水力4%、風力など1%未満。
同じエネルギーを生み出す際のCO2排出量は石炭、石油、天然ガスの順であり、今後天然ガスへの転換が望まれるが、なぜ風力、地熱、潮力、太陽熱への推移が進まないのだろうか。
数年前北京を訪れた時、石炭を満載したトラックが街中を走り回っていた、あの人口とあの石炭・・・・
6月28日
人工で生命を造る?
今 から40年ほど前アメリカの科学者ハロルド・ユーリーとスタンリー・ミラーは原始地球上の環境を実験室の中で再現し生命体をつくっている分子を生成しょうとした。
我々の体の細胞の大きさは1〜10ミクロン、その細胞の中の遺伝子はすべての生物、アメーバ―や大腸菌、植物、ヒトに共通している。このことは生物が共通の祖先から進化したとも考えられる。
36億年前に現れ、地球上で知られている140万種にのぼる生物の共通祖先とは一体なんであろうか。そこでこの実験では、まず当時の大気成分として,アンモニア、メタン、水素をフラスコの中に入れ、水蒸気を循環させた。当時の気候は雷の発生がひんぱんにおこる不安定な気候であったが、雷は大気にエネルギーをあたえ化学反応を促進した。実験では、雷の効果を再現するため、六万ボルトの電圧をかけて一週間にわたり電気放電をつづけた。これは原始地球上の自然エネルギー五億年分に相当する。一週間後に生成物を分析したところ、酢酸、乳酸などの有機分子ができあがっていることがわかった。さらに驚くべきことは、タンパク質の構成分子であるアミノ酸―グリシン、アラニンおよび少量のグルタミン酸とアスパラギン酸―が観測されたのである。
次の課題はこれらの分子からどのようにして生命がうまれたのかを明らかにすることだろうが、
なんとなく知りたいような、知りたくないような。
「韓国の伝統打楽器と和太鼓の共演」
韓国を代表する打楽器奏者の金徳洙(キムドクス)が、和太鼓の林英哲と日韓両国で共演する。それぞれグループを率いて、共同で公演を構成・演出。両国の伝統曲や民謡を素材にした創作曲も披露する。韓国のサムルノリが、形式の違いを乗り越え、和太鼓とどう融合するのか興味ぶかい。
サムルノリは、鼓や銅鑼(どら)など四種の韓国の伝統打楽器のアンサンブルのことだが、この演奏スタイルを創造した打楽器集団の名でもある。金を中心に結成されたサムルノリは、エネルギッシュで創造的なリズムが評価され、ジャズやクラシックとの共演機会も多い。ジャンルを越えた活動は、和太鼓ソロという様式を創始した林と重なる。金は「伝統音楽が廃れるなか、打楽器だけは両国とこにブームが根ついた。伝統を現代に再構築しょうという思いが共通している」と林を評する。二人の共演は昨夏に大阪で初めて実現。それが今回の企画に結びついた。
公演では、尺八や笛、バイオリン、韓国舞踊なども織り交ぜる。「韓国は三拍子、日本はニ拍子と一般に言われるが、それは西洋の基準。完成された伝統芸能の前にあった、神楽や農楽などの根っこの部分は同じなのでは」と金は語る。
日韓の芸能のルーツも感じさせるステージになりそうである。
28日名古屋市民会館、29日に大阪・フエステバルホール、7月6、7日に東京・オーチャードホールなど。9月にはソウルなどでも公演する。とある。
6月27日
「癌転移抑制遺伝子」の発見
癌は早期発見早期治療がおこなわれればかなりの確立でコントロールすることができるが、治療開始が遅れたり、再発進行癌となった場合は有効な治療手段がほとんどないのが現状である。最近の治療の考え方は、たとえ癌そのものを消し去ることができなくても移転や浸潤さえしなければ生命予後に与える影響はかなり小さくなる。このたび国立がんセンターがん抑制ゲノム研究プロジェクト室で癌転移抑制遺伝子TSLC1(Tumour Suppressor in Lung Cancer 1)が突き止められた。
癌は段階的に進展する疾患で、その過程には多数の遺伝子異常が認められるが、今回発見のTSLC1は癌の後期に病態に関与する遺伝子で、この遺伝子に異常があると癌細胞の浸潤や転移が引き起こされるという。
このTSLC1は癌細胞を死滅させる毒性はないが、腫瘍抑制機能を発揮し、ほとんどの正常細胞に存在することから、生体に投与しても特に悪影響をおよぼすことは無いという。以前から抗接着分子(細胞と細胞がくっ付くには特定の蛋白ファミリーグループがあるのだが、例え癌細胞が遊離し血液やリンパ管により別の場所に運ばれどこにも接着しないで分解、排泄されれば転移はおこらないのである。)の発見がのぞまれていたが、そんな抑制遺伝子があるとは。
「ハッブル定数」
一様に膨張する宇宙では、銀河が遠ざかる(後退)速度は銀河の距離に比例して大きくなる。
この比率は宇宙の膨張率をあらわし、発見者にちなんで「ハッブル定数」とよばれている。遠方の銀河団の距離を精度よく測るとこのハッブル定数を求めることができる。
渦巻銀河M100は銀河系に最も近い銀河の大集団である、おとめ座銀河団の中にある。
この銀河を観測したハッブル宇宙望遠鏡は、1997年、52個のセファイドを発見した。このタイプの変光星は光度と周期との間に一定の関係があり、その変光周期を測定すれば真の明るさ(絶対光度)を求めることができる。セファイドは膨張と収縮を繰り返す赤色巨星で、その変光周期は星の絶対光度が大きい(明るい)ほど長くなることが理論的にも解明されている。したがって変光周期から絶対光度を求め、それと見かけの光度をくらべることで、星までの距離を算出できる。
セファイドから計算されたM100の距離は約5200万土600万光年。これまでにない高い精度で測定されたのである。
セファイドを使って求めたおとめ座銀河団のいくつかの銀河の距離とおとめ座銀河団の平均後退速度から算出したハッブル定数は、100パーセク(326万光年)はなれるごとに、秒速約70kmだけ速くなるというものであった(約70km/秒/メガパーセク)。ハッブル定数の値については、長いあいだ100k/秒/目がパーセクを主張するグループと、50k/秒/メガパーセルを主張するグループが論争を続けてきたが、最近の測定結果はその中間の値に落ち着いてきている。
ハッブル定数が70k/秒/メガパーセク程度だとすると、宇宙の膨張が減速していくという標準モデルでは、宇宙の年齢は100億年程度となる。これでは球状星団の年齢より短くなってしまうので、宇宙膨張の加速を考える説が脚光を浴びてきている。宇宙膨張が加速していれば、宇宙年齢は標準モデルより大きくなる。
6月26日
「ローマン」に浪漫が
考古学に興味をもって初めて訪れたのが、明日香の西方3km程の所にある「新沢千塚」である。理由は名前からして一度に沢山の古墳が見れると思ったからである。名の通り小山全体が古墳の集合体である。千は無いが数百はあっただろう。
大小横穴式と木管直葬の盛土墓であるがその中の126号墳は他より少し大きく、案内看板もりっぱだった。これは後で全部知ったことだが、この126号墳は考古学をやる人なら大概は知っているほど有名な古墳である。なんで有名かと言うと、その出土品である。青銅器の鐫斗(足のついた鍋)、四神図を絵図けした漆器、金銀装飾品や2点のローマン・グラス、トンボ玉などがある。数年前韓国・慶州国立博物舘の展示物を観て驚いた。「新沢千塚」の展示室にあるものとほとんど同じようなものがあった。特にローマン・ガラスは全く同じだった。非常に興味が湧き調べてみた。ガラス製品2点の内、紺色ガラス皿は高台部分が中空の環状台に作られており、新羅出土の特殊技法でありもう一点のカット・グラス碗は、エジプト北岸から地中海沿岸、黒海北岸、北部カフカ―ズ、中部ヨーロッパ、スカンジナビィアの2〜4世紀の遺構より、多くの類似品の出土が多くあり、これらは中国や新羅以外の朝鮮から出土していないという。アレキサンドリアからナイル川を少し上がったところにあるカラニスは、イギリスの考古学者ハ―デン卿により発掘されたローマン・グラスの中心地であるが「新沢千塚」のこれらのガラス製品・トンボ玉はエジプトのアレキサンドリアから、北海北岸のタナイスを経由して、新羅に入り、この明日香に来ているのである。
本当に「ローマン」を感じるな〜
「古代日韓交流シンポ」国立歴史民族博物館
日本列島に国家が出来、文明化していく三世紀から七世紀にかけて、朝鮮半島との間にどのような交流があったのかを議論する国際シンポジウムが来年3月、千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館で開かれる。
シンポジウムは「古代東アジアにおける倭と加悦の交流」。六世紀までの数百年間、半島南部に存在した加悦という小国家と日本とのかかわりを探る。加悦は鉄資源を供給し、陶製技術や騎馬文化を伝え、五世紀以降列島に急速な文明化をもたらした。最近の研究では日本書記に出てくる「任那日本府」は、日本の出先機関ではなく、加悦だったとの見かたが定着している。シンポは同館の白石太一郎教授ら日本の研究者と韓国、中国の研究者を招き、4日間の日程で行われる。
いきたいな〜
畏友の句に
梅雨晴間からりと猫の砂乾く
のら死ぬと伝へ聞く夜や走り梅雨
会ひたくもなき人に会ふ梅雨曇
夏茱萸を四五粒つまみバスを待つ
魂を抜くてふ読経木下闇
6月25日
我思う・・どうも社会科学が
現在と時間と空間を追求する者として最近の自然科学の発展は目を見張るものがある。
人体においてはゲノムが解析され、最後の領域である脳についても次第に明らかにされつつある。
時間においても最近の新しい技術測定法の確立で科学的考古学の台頭もめざましい。
空間における科学も特に宇宙科学や素粒子研究にはずみがついている。確か中学校の時には物質の基は陽子と中性子をそれを取り巻く電子で出来ている、と教わっている。今その陽子や中性子などの素粒子が「クォ―ク」と呼ばれる基本粒子からなる「クォークモデル」が一般的となっており、物質の基本的素材は電子とクォ-ク(陽子はアップクォーク2ヶとダウンクォーク1ヶ、中性子はアップクォーク1ヶとダウンクォーク2ヶの構成)であるといわれている。因みにクォークとは信販会社の名前では無い。ジェームス・ジョイスの小説「フィネガンズ・ウエイク」に出てくるカモメの鳴き声から洒落たもの。
水素から出発した元素は高温・高圧から変化し温度の低下とともにいろんな元素、鉄や酸素や炭素などが生まれ、やがてアミノ酸が生まれ生物が発生する。(このことは後述)
人体を構成する元素は水素(63%) 酸素(26%) 炭素(9,5%) 窒素(1,4%)
海を構成する元素は 水素(66%) 酸素(33%)
宇宙を構成する元素は 水素(91%) ヘリウム(8,1%) 酸素(0,0057%) 窒素(0,045%) 炭素(0,021%)
地球も人間ももとをただせば水素なんだな〜
これらの発展に比し、人間、社会科学の進歩が今一つさえない。相変わらず自己中心的な欲望と確執に囚われ、自らをも破滅する方向に行っているということが判りつつも改善できない。自然科学が発展し、上手にそれを利用していく(原子力を爆弾ではなく平和利用するなど)のは社会科学なんだが・・・・・。
* ハワイにある国立すばる天文台で星空を見て下さい。 http://www.naoj.org/Gallery/j_pressrelease.html
天体観測衛星「はるか」
http://wwwj.vsop.isas.ac.jp/
「能・狂言面の募集」が・・・
「横浜能楽堂が開館五周年を記念して能・狂言面を公募したところ、全国から能面326点、狂言面66点の応募があった。この中から観世流シテ方の梅若六郎と、和泉流の狂言師で人間国宝の野村萬がそれぞれ面を選び、その面を使った記念公演が6月24日おこなわれた。応募作品は小面(こおもて)、姥(うば)などの女面から中将、俊寛などの男面、飛出(とびで)、尉(べしみ)などの鬼神面、翁など能面約80種、狂言面約20種と実に多彩。応募者の最高齢は九十二歳の男性、最年少は二十八歳の男性、女性は15%ほど。審査は「飾る為でなく使われてこそ面」という視点から行われた。
能・狂言面の製作は静かなブームだが、面は打つが能はあまりみないという人もすくなくない。」という記事が。
すみません。あまり観ません。
6月22日
「東海地震」新聞より
『中央防災会議(会長小泉純一郎)の第6回「東海地震に関する専門調査会」が6月19日開かれ、東海地震の想定震源地を22年ぶりに見直す中間的な報告書を公開した。新たな想定震源域は静岡県西部から遠州灘にかかるひょうたん型の地域。
1944年の東南海地震で、岩盤が崩れなかった”割れ残り”領域を前提に、近年の研究やプレートの形状などを考慮してはじき出した。22年前の当初想定域より全体的にやや西に移動、拡大している。面積は2割ほど増加されるマグニチュード(M)は従来通り8程度だという』
参考「揺れる大地 日本列島の地震史」 寒川旭より
1923年(大正12年)加藤友三郎首相が病死し、8月28日から山本権兵衛のもとで組閣作業が進められた。そして運命の9月1日、関東の一部では朝から小雨が降っていた。10時頃にはあがり薄雲に覆われた空の下で蒸暑い一日が始まった。午前11時58分過ぎ、中央気象台の地震計が細かく震え、15〜16秒後には針が飛び散った。首都圏に住む数百万の人々の眼前に空前の地獄絵図を展開した「関東大震災」はこの瞬間はじまった。
1853(嘉永6年)7月8日ペルーが浦賀沖突然あらわれ、1854年3月31日に条約を締結、それに続けとフリゲート艦「ディアナ」にのったロシアのプチャ―チンはその年12月23日下田に停泊していた。午前9時「安政東海大地震」にあった。船体の損傷ははなはだしかったが、かろうじて、840軒も流失して壊滅状態の下田に上陸した。尾鷲では959軒中651軒が流れ、浜名湖の北岸の気賀では湖岸が水没、掛川宿の9割、袋井宿も一宿残らず焼失。
1854年12月24日午前4時頃、「安政大地震」より約31時間後に「南海大地震」が発生。
紀伊半島〜四国にかけて、串本の沖波15m、高知の久和で16.1m大阪湾の安治川で2m、道頓堀・大黒橋では千五百石船が打上げられた。
1680年館林(群馬県)藩主徳川綱吉が5代将軍となった。
1703年12月31日午前2時頃関東地方南部が激しく揺れ動く、当時湯島に住んでいた新井白石」は「折りたく柴の記」の中で、「夜半過ぎる程に、地おびただしく揺れ始めて、目さめぬれば腰のものどもととして起き出るにここかしこの戸障子皆倒れる」とある。関西も地震の活性期に入ったという。
太陽系の果てはどこか
正確な定義はないが、かつては土星が太陽系の果ての惑星であった。天体望遠鏡の発達により天王星、そして20世紀には冥王星が発見された。そして現在、CCD(電荷結合素子)という「電子の目」が冥王星の外側に広がるエッジワース、カイパーベルトを解明しつつある。すでに180個ほどの天体が発見されており、その数は数万に上がるだろうといわれている。ボイヤー1号は現在74天文単位のところにおり、これから星間空間に入るかもしれない。60億キロかなたから送られてきた、ファイナルショツトの「太陽と地球」の写真でのその地球は将に宇宙の塵だった。
6月21日
「この国のかたち」司馬遼太郎より
『薩摩藩士51人の自刃
現在の日本の汚職というのは構造化しています。役人も代議士や市会議員、、県会議員もアジア化している。
最近は公共の土木事業における談合が問題になっていますが、江戸時代の土木というのはたとえば宝暦の木曽川の治水工事は、江戸幕府が薩摩藩にただでやらせます。薩摩藩をほとんど疲弊さすまでにさせるわけでしょう。薩摩藩は自領と何の関係もない濃尾平野の治水をやって、伊勢までにいたる三百余ヶ村をうるおすことになります。費用は全額薩摩藩負担で、予算は二十万両ほどだった。それが結果としては四十万両になり、藩に迷惑をかけたというので総奉行平田靱負以下51人の藩士が工事が終わってから現場で切腹して死ぬ。これが江戸期の役人道でしたし、土木工事でした。』とある。
予算を使いすぎて破産状態になって切腹していたら、今この国には役人など一人もいない。
因みにアジア化とは『中国の清朝末期までの行政組織というのは、一種の群がって食べるための生物的な組織、とでもいうべきもので、人民にとって王朝こそ敵でありました。王朝の目的はごく単純で、人民を搾取するためにありました。中央から官吏が幕僚を連れてきます。土地には吏というものがいて、これはノン・キャリアで、ただ事情に明るいベテランです。それが官吏を担ぎ上げ、倉庫にはこれだけのものが入っていますとか、取りたてはこれだけのもので、あなたはパーセンテージこれだけが懐に入る、とかを教えます。その間に彼らは自分の懐を肥やすわけで、そういう人たちがおってその町はみんなめしを食っているし、商業機構も動いているし、職人もそうやって動いている。ですから清官がくると、町の経済はなりたたなくなるわけで、そういうことが古いアジアというものでした』とある。
今まさにこの国は「古いアジア」そのものではないのかな。清官はいつの世もいじめられるようになっているのかな。
「断片」
*靱(うつぼ)公園〜昭和20年3月靱は米軍の空襲で8割方灰になった。米軍は焼け跡を軍用の小型飛行機の発着場にした。昭和27年大阪市に返還、昭和30年大型の公園に仕立て直した。広さ27762坪、当時若木だった木々もいまは鬱然としている。
*径山寺(きんざんじ)味噌〜臨済宗の覚心(1207〜98)が四三歳の時中国は宗・浙江省の寧波の径山にはいった。
印可を得、紀州由良に戻り西方寺に住した。径山で覚えた味噌の味が忘れられず、炒った大豆と大麦のこうじに食塩を加えて桶に入れ茄子や白瓜などをきざみこみ密封して熟成させる。なおこの時桶の下に溜まった液が醤油の元となる。
*ニシンはアイヌ語で、和名は「かだ」という。「かずのこ」は本当は「かだのこ」と言うのが本当。
6月20日
宇宙の誕生から150億年の現在
宇宙誕生から150億年経つという。150億といっても実感が湧かない。そこで150億年を一年のカレンダーにしてみると判り易い。一秒482年、一分2890年、一時間171万年、一日4110万年、一月12億5000万年となる。
一月一日0時0分約1cmに満たない宇宙が突然「ビッグバン」した。
2月になると水素ガスの収縮により多くの原始的な銀河が形成されるようになる。
9月に太陽系が出来始め地球などの惑星が誕生し、9月の終りには地殻が形成される。
10月には、微生物が生まれ、生物の連続的な進化がはじまる。単細胞生物は原核細胞から真核細胞へと進歩。更に多細胞生物へと発展。
12月20日 古生代デボン紀には最初の両生類、イクチオステガ表れる。
12月25日 中生代全般(1億6000万年)の間、恐竜の世界。
12月29日昼過ぎ、突如として体重9kg以上の動物はすべて姿を消す。メガネザル、キツネザルなどは生き残る。
12月31日、夜11時56分頃人類の祖先ネアンデルタール人が出現。
ガリレイやケプラーなど近代科学の萌芽は、最後の1秒のこと。
キリストであろうが、阿弥陀であろうが、アッラーであろうが、所詮宇宙からすればせいぜい極々最近の、わずか4〜5秒前のことなんだな〜。
ついでながら、太陽が出来たのは50億年前(宇宙誕生から100億年目)。「核融合反応」により太陽の中心温度1600万度表面温度6000度、その核融合反応によりヘリウムが蓄積されていく。これから50億年ほどたつと、中心部の水素は全部ヘリウムに変わり太陽の明るさは今の約数100倍になり地球の軌道を飲み込んでしまう。やがて水素の核燃料が燃え尽きると、次第に暗く小さくなり、最後には白色矮星となって一生を閉じる。
*太陽の質量くらいの大きさで寿命は100億年だが、一般にその質量が大きいほど寿命は短い。太陽の3倍の星で5億年、20倍の星で1000万年という。
火の島は夏オリオンを暁の空 中村草田男
アラビアの空を我ゆく夏の星 星野立子
6月19日
大津皇子に会ってみたい
歴史上、大津皇子(六六三《天智天皇二年》〜六八六《朱鳥元年》)ほどロマンとぺエソスを感じる人物はいない。
天武天皇の第3皇子。母は皇后(持統天皇)の姉、大田皇女であったが早いころ死別した。少年時代に壬申の乱を経験している。文武にすぐれていた。懐風操に「皇子は浄御原の帝の長子なり。状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。」とある。 鵜野沙羅(後の持統)の長子、草壁皇子との対比になり、大津が陽であるなら草壁がいつの場合も陰であった。当然大津に対する世間のおぼえは良いわけだが、そのことは持統にとっては身を切られる思いであったのだろう。天武が死ぬや持統の攻勢が始まる。ここでもし大田皇女が生きておれば、大津が当然皇太子であっただろうし、次の天皇でもあろうから悲劇も生まれなかったに違いない。実の子に対する母親の盲愛、大津に対する憎悪、妬みからか結局大津は「反逆の皇子」の汚名とともに臨刑とされる。
臨終の歌に
金烏臨西舎 きんうせいしゃにのぞみ 太陽は西に傾き
鼓声催短命 こせいたんめいをうながす 夕べの鐘に短い命が身にしみる
泉路無賓主 せんろひんしゅなし 黄泉路を行くは一人の旅
此夕誰家向 このゆうたれがいえにかむかう 夕暮れどこへ宿ろうとするのか
同じく万葉に
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
皇子二四歳の十月三日のことである。
死を覚悟していた大津は伊勢の斎宮(このことも持統の策略か)であった大来に自分の苦しい胸の内を明かしている。この姉弟愛も又ぺエソスをひろげるものとして世に知られている。
「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時、姉の大来皇女の哀しび傷む御歌二首」
現身の人なる吾や明日よりは 二上山を弟背と吾が見む
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありといはなくに
「老いと死」を語る・・・中村元より
『日本人の生の自覚として、私が特に思い出すのは、西行法師の
年たけてまた越ゆべしと思ひきや
命なりけり さやの中山
という歌です。「ああ自分は生きている。年を経て、またもう一度ここを越えることができるであろうとは思わなかった」という意味でしょう。生きているということ、これは根本です。ところが、死を離れた生はあり得ないわけですから、実は生の裏には死があるわけです。つまり、生は死に裏付けられているわけで、生と死とは我々が生きていることの相反した両面に他なりません。「生を明らめ、死を明らむるは、仏教一大事の因縁なり」と、道元禅師(1200〜1253)は言っていますが、これは仏教全般、さらに宗教全体について言えることではないかと思います。』とある。
*中村元(1912〜1999)松江生まれ。東大教授、文学博士。日印文化協会会長。52年文化勲章受賞。
6月18日
つばめの巣が・・・新聞のコラムを読んで
『すずめが少なくなった」と日本野鳥の会、京都支部の中村圭子さんが嘆いている。自然豊かな広沢池界わい(右京区)でも鴨や鷺が激減したそうだ。
それでも鳥たちは、懸命に子供を残そうとしている。今年春、京都市の中心部の鴨川で、京都府の除草作業の直前、イカルチドリが抱卵した。野鳥の会が作業を延期してもらったが、カラスの襲撃に遭う。鳥たちも必死に卵を守って、なんとか数羽が産声をあげた。カルガモも今年数羽が子宝に恵まれた。ヨチヨチと母親にくっいて泳ぐ様子は、何時間でも見飽きないが、鳥たちは大変だ。梅雨時の流れは速い、まもなく1mもある堰をかけ登る特訓も待っている。
母親が手本を示し、根気よく子供の成長を見守る。四ヶ月も過ぎたら大人の仲間入りだ、そのころはマガモもおしどりもどこからか鴨川に帰っている。ユリカモメが川面に舞、アオサギが悠然とあたりを睥睨する。
周辺部で野鳥の少なくなったのになぜか鴨川では種類も増えている。20年間に120種が確認されている。上流からの土がつくった中洲と草が鳥たちの安住の場所なのであろう。
中村さんたちは鳥を増やす為には、中州の除去も除草もやめてほしいと思っているが「治水上完全にやめるわけにはいかない」と京都府。鴨川の水は平成の世でも意のままにならないものだ』という。
職場の建物の垂直の壁に1週間ほど前からツバメの巣作りが始まった。
こんなところにと思っていると、3〜4日で完成した。よくもまあ落ちないものだと感心しているまもなく、卵を抱いているのか雄か雌どっちかが巣に残る。昨日の朝、巣の下に子供が2〜3人上を見上げている、不吉な予感。近づくと走り去った。2日目になるが若夫婦は帰ってこない。巣の中に卵を残したままなんだろうか。わけもなく「ごめんね、ごめんね」とつぶやきつつ彼らが帰ってくるのを待っている。
親燕出入りさかんに旅人宿 加藤耕子
機町を知りつくしてや夏つばめ 伊達外秋
安野光雅がすばらしい
6月17日の「NHK日曜美術館」で安野光雅を観た。正直あまり知らなかった。せいぜい司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの挿絵の画家、程度だった。それもあまり好きでなかった。
無知とは、情けなくもあり、可愛くもあり、滑稽でもある。
津和野から出発した世界の風景画は今郷里の津和野で集大成されつつある。
誰にでも描けそうな絵なのに、その色合いと線の柔らかさは氏の心のタッチそのものだろう。その肌合いは誰にもあるものではない。初期の作風から心と技との成熟の課程が示されている。書(文字及び文章、俳句、詩など)も絵もその他造形全てこんな過程を経るのだろうか。甘くせつない故郷を描く氏の横顔はいつまでたっても 童子だった。風景画「津和野」、「平家物語」のあと、きしくも津和野出身の森鴎外の翻訳による「アンデルセンの童話」を創作中という。