6月18日につづく

6月15日

「この国の失敗の本質」柳田邦男  から
 『スキャンダルで危機を演出している官僚や企業人のエリートたちは、戦後、社会が安定し経済発展を至上目標とするエスカレーター社会が形成された時期に大学を出て就職をした世代であり、様々な社会問題を露呈している若者や子供達はそのおとなたちの息子や娘の世代だということだ。つまりこの国の危機は高度成長期初期に実社会に登場した世代とその子供たちの世代の二層構造で同時進行の形で表面化しているのだ。勿論それは時代論、世代論である。ちやんとした家庭もまだたくさんあるなどと言うのは、事態の深刻さに対する想像力の欠如以外のなにものでもない。
日本は今、「第2次敗戦」を迎えているという見方が登場している。私もその感を抱いているが、世にいう「第2次敗戦」とは、経済の側面に偏っての時代認識と言ってよい。状況はもっと深いところにおよんでおり、私は「心の敗戦」と呼びたい。しかもこの「心の敗戦」によってもっとひどい状況が生じるおそれは十分にある』とある。まったく同感。

本日初配信の小泉内閣からのメルマガより
● 政治家・小泉純一郎のこと(塩川財務大臣)
 私と小泉総理とは30数年来の朋友です。総理のご尊父の小泉純也先生は私が初当選の時(昭和42年)防衛庁長官をしておられ、私の後援会大会応援のために、河内長野市に来て貰ったことがあります。
 ご尊父は、寡黙で怖そうな人でしたが、非常にやさしいところもありましたな。その純也先生が亡くなられて後継者の話で、福田赳夫先生が「純一郎君を呼び戻せ」ということになりましたんですが、その時、小泉総理は英国の大学で経済学の勉強をしており、学者になるつもりやなかったのかなと思います。
 それが突如、政治家に転身せよと呼び戻されたわけですから、ご本人は容易ならぬ抵抗もしておりましたが、結局福田先生の説得とご尊父の周辺の方々に口説かれて、選挙に出馬することになりました。その当時のことを思うと、まさか総理大臣になるとは想像もできませんでしたな。小泉総理は、福田先生の鞄持ちとして修行されておった時からまことに一刻な人で、自己主張の強い、しかも人が考えつかんような発想を口にするような言動が多かったと思います。それだけに福田先生も、「あれは必ず大物になる。もし失敗したら手に負えなくなるよ」とおっしゃっていました。
 また、他人と安易に妥協することが嫌いで、しかも正義感の強い人でしたから、それが「変人」と見られるようなところもあったんやないかなと思います。言い出したら聞かん人ですから、付き合い、交際するのも難しいと言う人がありますけれども、私はそうは思いません。非常に義理を重んじ、気持ちは純粋な人ですから、交友は永く続く人であります。
 今、総理大臣として大胆な改革に挑戦しています。戦後50数年、日本の社会・経済はソレ行けドンドンの右肩上がりで、モノ中心の精神文化に酔っとりましたが、21世紀に入ってその転換が求められており、思い切った改革が必要になるのは当然であります。
 小泉内閣の誕生は、1979年英国でのサッチャー首相出現と酷似した政治ドラマだと思っています。タブーにメスを入れたというのは、ほんまに一刻な小泉純一郎やなぁ、と思います。
 NHKで現在「その時歴史が動いた」という番組が放映されています。21世紀の冒頭、つまり、世紀の変わり目に、小泉総理で「その時歴史が動いた」ということになるんとちゃいますか。』とある。笑った笑った。こりや人気もでるわな。

6月14日

道教について
 道教なんて今やだれも関係ないと思っているし、信じる人もいないであろう。
そもそも道教というのは紀元前から中国にあった民間の思想で仙人のいる神仙の世界からきている。仙人の「仙」は人と山とあるように、山の中には神秘的な人が住み、不老の秘薬や長寿の食物を取り極楽の世界を造っていると考えた。道教の根幹は、この神仙思想と不老長寿なのであり、仏教と違って長寿を保ち健康で、現世を楽しむという思想である。これに嵌ったのが秦の始皇帝である。方士徐福を東海の三神山に遣わし、不老長寿の薬を探させた、というのも有名な話。三神山とは蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)のことである。
ところで六十才になると還暦といわれ赤い頭巾やちゃんちゃんこ、丙午の女は妻にするな、友引には葬式をしない、五月五日の鯉のぼりや疫鬼退散の鐘馗様、新築などの方位、二十四節気や土用、など結構現代社会の風習の中に道教思想がみられる。
考古学的にも四方四隅の「八紘(はっこう)」という言葉が登場する。日本書紀、神武天皇即位序文に「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)にせむること亦可からずや」とあり、「八」と言う数字は大切にされた。「八咫鏡」、陵だけに許された八角墓、高御座中壇の八角屋形、高松塚、キトラ古墳の壁画や天文図は「八角形の宇宙哲学」思想を表現したという。

快楽主義とは・・・
 快楽主義者エピキュリアン(epicurean)はギリシャ末期の哲学者エピクロス(BC341〜BC270)の思想で、「幸福とは快楽」であるとういのが骨子であるが、この快楽も一時的なものではなく一生追い求めていかないとけない快楽である。こういうと一生楽しく遊んで暮らす、デカダンス的な理解もされるが、少し誤解されているように思う。彼の結論は、一生追い求めても快楽は続くことはないし、途切れたりして不幸なこともある、したがって永続的な幸せを求めるなら積極的な追求をするのではなく、いかなる事態に直面しても心を乱したり不快を感じることのないような平静な心を持つことだ、といっている。

6月13日

牧野富太郎の紹介が・・
 『独学で世界的な植物学者となった牧野富太郎博士(1862〜1957)が描いた植物画などを紹介する「牧野富太郎と植物物語」が、大阪市東住吉区の市立自然史博物館で開かれている。独特の精密かつ力強い筆致の植物画は「牧野式」と呼ばれ、95年の生涯を植物研究にささげた日本の「植物学の父」の精随を宿している。』という記事があった。
思うに、確か小学校のころ、漫画の伝記で博士を読み、植物に対して非常に興味を持ち夏休みはいつも豆植物博士になっていて、宿題は必ず押し花であった。数年前高知を旅行した時、高知市を見下ろす「五台山」の山頂にその植物園と博士の博物館があった。なんでこんな所にと思ったら、博士は高知県佐川村(現佐川町)の生まれということを、そこで初めて知った。
『小学校の授業に飽き足らず、独学で植物学を学んだ。全国の山野でフィールドワークを行い日本の植物をほとんど調査した。数多くの新種を発見し、命名した植物は2500種に及ぶ。40年に刊行の「牧野日本植物図鑑」は植物学を学ぼうとする人のバイブルとして現在も生き続けている』とある。子供の頃読んだ本が深く脳に記憶されているのか今も植物に興味がある。
今の子供達が「人や動物や植物などの自然をないがしろにする漫画」「無差別に生き物を抹殺するようなゲーム」に出会っているとすれば、この子供達の脳裏にどんなものが刻まれているのだろう。平気で子供を無差別に殺傷するような漫画があったのだろうか。

今年はなんか生り物が・・

  今年は色んな生り物がめまぐるしく登場する。
この枇杷も近くのスーパーで苗を買ったのが、今年は豊作。
もぎたての徳か、水々しい。
この美味さは決してお金で買えない、最高の贅沢だと思った。



     枇杷すすりをはりし双手宙にせる   岸風三櫻
     黒髪を持つ優さ枇杷の熟るるころ   三木照恵

6月12日

「吾妻鏡」の中から
 吾妻鏡は鎌倉幕府の公式記録である。「養和元年二月二七日、申辰、安田三郎義定の飛脚、近江國より鎌倉に参上す、申して伝ふ、平氏の大将軍中宮亮通盛開朝臣、左少将維盛朝臣、薩摩守忠度朝臣等、数千騎を相率いて下向し、巳に尾張の國に至る、重ねて軍使を差して、防戦の儀を構へらる可きかと云々。」
「二十九日、丙午、鎮西に於て兵革有り、是肥後國の住人菊池池九郎隆直、豊後國住人緒方三郎惟能等、平家に反くの故なり、隆直に同意の輩は、木原次郎盛實法師、南郷大宮司惟安、惟能に相具する者は、大野六郎家基、高田次郎隆澄等なり、比外、長野太郎、山崎六郎、同次郎、野中次郎、合志太郎並びに太郎實奉巳下、六百餘騎の精兵を率いて關を固め、海陸往還を止む、仍つて平家の方人原田太夫種直、九州の軍士二千騎を相催して、合戦遂ぐ、隆直等の郎従、多く以って疵を被ると云々。」 毎日、実に細かく、詳しく記述してある。思うに「平家物語」にしても「太平記」にしても是だけ個人名と行動、言語が記録されると、子々孫々や名誉の為には命がけだろうし、名誉を守る為の潔さが見えてくる。我々観る側も顔と名前をパンフレットを見比べながら観覧できるが、近年はだれが悪役でだれが善役か、もうひとつ顔、名前がはっきりしない。新米大臣も誰と喧嘩しているのやら、どこのだれがどのようにしてこの国をだめにしたのか、いまもって不明のままだ。
東京の「ヒロ」さんから作品を送っていただきました。

「初めて透明絵の具を使いました。
  頑張って勉強していますので、描けましたら、又次送らせてらせていただきます。
    
     題名は サンダーソニア(花の名前) です。」
      





        

        「ヒロ」様ありがとうございました。
          素敵な作品、お待ちしています。   kanta

6月11日

我思う断片(私はお母さんを食べたのかも・・・)
 考古学探訪の途中、阿蘇の麓をドライブ中牧場があった。その真中に「新鮮」豊後牛という看板のレストランが有りさっそく立ちより注文した。汁の滴るような美味しいステーキを食べながら、窓から見える牧場に牛たちがのんびりと寝そべっている。まさに「新鮮」平和そのものである。だがまてよ。今食べてる肉は彼のお母さんだったのではないか、と思いはじめた。周りは家族づれで賑わっている。これが、人と牛の立場が変わっていたらつらいだろうなと思ってそこを離れた。
思うに、魚つりはやらない。いわんや鳥取りや狐狩りなどやらない。自分が生存するためにはやむを得ないが、単に遊戯心、だけで生き物をもてあそぶことはしない。こんなことを言うと、魚を釣っても「リリースします」と必ず免罪符のようにのたまう。しかし家族団欒で食事をしょうとしていると急にお父さんが「口」に針を引っ掛けられてどこかに消えてしまう。仮に戻ってきても、口の周りは穴だらけ。「金魚すくい」もいい加減なものだ。なんで今更「生き物」をおもちや扱いにしてゲームを楽しむのか理解出来ない。毛皮のコートもいい加減なものだ。ゴキブリを見ただけでもキヤ―キヤーわめく人間が、凍え死ぬわけでもないのに「ねずみの仲間」の皮を何百匹も縫い合わせて街の中をかっぽする。蛇や鰐の皮をはいでハンドバックにする。
自然は自然のままが一番自然ではないのか。ウオッチングの姿勢が一番美しいのではないのか。
一番こわいのは、当たり前と思っている自分たちの行為が多くの生き物の生命を奪っているということに、気が付いていないということである。案外こんな細かい視点の欠落が同種大量殺戮や、無差別殺人に繋がっているのかも。    合掌

第61回「仏像展」が終わった

 展示会場風景                 今年の出品作品はここに掲示(クリック)   合掌                                                                               

6月8日

納税者になって初めてその意味が・・・
681年(天武十年)天武は全官人を大極殿に集め律令政治の施行に向かって「恐れず、ひるまず、こだわらない」決意を表明し浄御原令の編纂の開始を宣言する。浄御原令が施行されたのは689年(持統三年)で、これを下敷きにして701年(大宝元年)に大宝律令が制定される。これにより日本で初めて律令政治が行われた。ただこの大宝律令にしても養老律令にしても原本は存在しないが、「養老令」は平安期の前期に編纂された注釈書「令義解(りようのぎげ)」や「令集解(りょうのしゅうげ)」によってほぼ全部がみれる。律は断片的にしかわからない。正丁とは健常者、次丁とは残疾者のこと。これ以外に兵役は一戸に正丁が三人いればその中から一人だす。徴兵期間は衛士が一年、防人が三年。租はどうかというと、当時一人年間一石くらい食べたというからその一石に一割増しの口分田が与えられた。生存の為の一石以外から来年の籾殻と租・庸・調を
捻出する。さてこういうのは非納税者だった頃、なんの感傷も感慨もなく受験的学習事項として通り過ぎてしまったが、今、納
正丁(21〜60歳の男子)
次丁
少丁(17〜20歳の男子)
   調 絹・布・綿・糸・地方の特産物 正丁の1/2    正丁の1/4
   庸 布2丈6尺(あるいは米か塩) 正丁の1/2     なし
   租 田一反につき稲2束2把 左に同じ 左に同じ
  雑徭 年に60日の労役 正丁の1/2    正丁の1/4
税者の立場になって見直してみると、これは大変じゃ。サラリーマンが今日から60日間、堤防工事や河川の修復工事にでかける。エンゲル係数90で残り10から納税と経費をまかなう、やっぱり逃亡するしかないかな。
                 養老令に定められた公民の負担

渡河の思想
古来、河を渡るとういうことは重大な意味をもった。仏教で三途の川をわたることは悟りの国に入ることだが、日本でも渡会(わたらい)郡というのが三重県にある。これは五十鈴川を渡って神(伊勢神宮)の国に入ることからくる。ワタライは渡会、度会などとも書くが要するに渡って神に出会うことだ。
同源の言葉に、亘・亘理・渡・度・渉などがあり、ワタリとよむ。河を渡ることは、身を清めることにもなるので斎の字も当てる。これらは地名と描字にみな存在する。
昔は橋がなかったから瀬を渡った。ここが渡瀬(わたらせ)、渡良瀬(わたらせ)である。しかし多くの人が渡るためには、渡部(わたりべ・わたべ)がいて、この重要な仕事に当たった。渡部とは、単に人を彼岸にわたすのではない。神の国、悟りの国に参る人々のお手伝いをするのである。この古代渡部が、いまは嵯峨源氏の渡辺と一つになっているという。

6月7日

宇宙を測る物差して・・・
 光の速度は秒速30万キロメートル。一秒間に地球を7周半。これは中学か高校の時に教わったように記憶する。しかしいくら考えても考えつかない、絶対に実感としても想像としても理解できない。
その光が1年かかって進む距離、約9.5兆キロメートルを一光年というが、太陽から一番近い星でも4.3光年、もっとも近い銀河の一つアンドロメダ銀河は220万光年も離れている。つまり、アンドロメダ銀河からの光は発せられてから220万年たたないと地球に届かない。
アメリカの天文学者エドウイン・P・八ップルの名前をつけた「八ップル宇宙望遠鏡」が今地球上を回っている。1929年当時世界最大の望遠鏡を使って銀河の研究をしていた彼は、遠い銀河ほど距離に比例した速い速度で遠ざかっている、即ち宇宙が膨張していると考えた。
では広がる元の大きさはどうかというと針の先よりも小さい一点から、ビッグバンにより拡大しているという。ではいつおこったのかということは宇宙の始まりということだが、まだ不明。
セファイド型変光星というのがある、これは超巨星が膨張収縮することで明るさを変化させるのだが、この星を観察することで宇宙の年齢が判るらしい。この変光星を観察できるにのは「ハァプル望遠鏡」しかない。現在のところの推測では宇宙の年齢は150億年くらいらしい。
どこかの国や銀行の負債額のような数字が並ぶが、どう考えても自分の「物差し」には無い。無い。
しかし次から次と宇宙の情報が送られてきて未知の世界が明らかになる。こんな爽快なことは他に無い。日曜日の「NHKスペシヤル」はよくできている。人体でも宇宙でも最新の情報を最新の技術でシュミレーションしてくれているから、イメージすることが非常に容易である。
はやく役に立つ「物差し」を手に入れないと宇宙はどんどん広がって行ってしまう。

小林礫斎(れきさい)(1884〜1959年)の展示会
 「手のひらの美 ミニチュアの世界」が7月8日まで東京・渋谷のたばこと塩の博物館で開かれる。
礫斎とはごくごく小さい世界に分け入った奇才で、明治、大正、昭和を生きた真の工芸家。会場には礫斎以外のも含めて繊細、精巧なミニチュアの茶道具、楽器、玩具など約七百点が並ぶ。縦、横8cmの「碁盤揃え」は、ゴマ粒のような那智黒とハマグリの碁石が付き、碁笥は黒柿という本格派。「象牙蒔絵香箪笥」は幅2.6cm、高さ3,3cmという小ささだ。大正年間に来日した英国皇太子への献上品として、宮内省は礫斎の琴・三味線・胡弓の「三曲」のミニチュアを贈ったが、いずれもちゃんと弾けたそうだ。小さいものへの愛は普遍的にあるようだ。清少納言も「なにもなにも、小さきものはみなうつくし」といった。
あのヘレン・ケラー女史の生涯の愛玩品は、礫斎の象牙の箪笥だったそうだ」とある。
本当にいろんな人がいるし、いろんなことがあるんだな〜


6月6日

「能の表現」増田正造を読んで
『散ることをふまえた文化と、散らすまいとつとめる文化と―。日本と西欧の文化の方向を、こう単純に対比してみる。前者を散るからこそ花は美しいという把握とするならば、後者はその美を永遠ならしめようと努力する文化のタイプである。・・・石によって構築される西洋式の建築様式と日本の木造建築の質的な相違を例にひくだけでも、この差は容易に理解することができるだろう』『いつかは朽ちて土にもどる。土にもどることによってまたよみがえるという回帰の願いが心の底にある。時間とともに変化していく面白さを、なによりも大切に思う心がある。一方ではまた伊勢神宮の二十年ごとの遷座のように、ある時期にことごとく改めるという区切りによって、喜びを新たにしょうとする思いがある。』とある。この伊勢神宮は考古学的にも興味深い。式年遷宮は持統四年(690年)にはじまる、内宮、外宮の建物から敷地にある橋から川原石まで二十年毎に一新される。その理由は不明である。上記の如く「回帰」思想があるかもしれないし、建築学的には「掘建て柱」は二十年が限度だからという説もある。この「掘建て柱」というのに又興味がある。日本書紀や古事記(記紀)にもでてくる「板葺きの宮」「浄原宮」も当時は「掘建て柱」とある。現存の建築物ではなかなか見ることができない。京都、奈良の古寺ですら全部礎石の上に柱がのっている。柱を直接土に掘り込んで立てると柱が腐りやすくその意味でも伊勢神宮そのものが貴重な博物館なのだ。なんとか維持、存続したいものだが、その材料の檜の調達も大変だが、1993年の時は知人の宮司から「一度の遷宮で400億円かかるので」と寄付の依頼があった。次は2013年、生きているかな。

いいな〜
東京都千代田区にある歯科で歯科医が患者の口の中をのぞき込んでいる。「キーン」という特有の音も患者の苦痛の顔もない。医師が手にしているのは「カリソルブ」という薬剤を先端に浸した綿棒。虫歯にこの薬剤を塗り、3分ほどすると歯に侵
された部分が溶けていく。溶けた部分を棒でかき出し、後は白い合成樹脂を流し込むだけ。10分で完了。麻酔注射もいらないし型もいらないから再診もいらない。ただ神経まで達した虫歯には使えないのと保険適用外のため1本1万円程度かかる。
カリソルブはスェーデンのルンド大学で開発された治療薬。主成分は次亜塩酸ナトリウムと3種類のアミノ酸で歯のエナメル質やぞうげ質を傷めず柔らかい虫歯の部分だけを溶かす。
レーザーと薬剤を併用すれば「キーン」は無くなる訳だ。普及するまで我慢するかな。

6月5日

「公益法人」−隠された官の聖域ー北沢栄・・・を読んで
『総理府の調査によれば、公益法人数は99年10月1日現在、26354そのうち法人12872、財団法人が13482.・・職員数は約54万8千人で、うち理事数が42万3千人近くに上る。公益法人の設立許可と指導監督の権限は主務官庁に与えられているが、このほかに機関委任されている各省庁の地方支分部局の長、都道府県知事、都道府県教育委員会も同様の権限をもち、これらは公益法人の「所管官庁」とよばれる。」「警察庁所管の財団法人「保安電子通信技術協会」はパチンコの形式試験を独占的に行う指定法人である。・・・役員は会長の他理事11人、監事が2人。内会長(非常勤)が元警察庁長官。専務理事が元通信局長、常務理事が元東北管区警察局長と元警察大学付属警察通信学校校長。このほか非常勤監事も元警察高官が占める。」「国民休暇村の職員829人に対し常勤役員は4人。うち理事長が元環境庁事務次官。理事長の年収は1950万円。財団法人「船員保険会」会長、特殊法人・環境事業団理事長を渡ってきた。常勤の常務理事3人中2人も許可した公園「特別地域」内の事業に、O・Bたちが天下る。』とある。当然、特別地域の指定がある為民間は許可されない。
これは官も民も無い官ばかりの、崩壊したソヴィエト連邦の話ではない。

安藤正樂(あんどうせいがく)紹介の記事が・・
『安藤正楽。慶応二年(1866年)愛媛県宇摩郡土居町に生まれ、非戦論を唱え、芸術を愛し、激しくも自由奔放な86歳の生涯を送った。・・明治30年代瀬戸の小島に据えられた砲台を遠望して「平和の神よ見そなはせ我が日本は叛逆の国」と歌い、昭和20年8月終戦には「月涼し腹は得切らぬ狸ども」と俳句を詠んでいる。
正楽は明治二十五年明治法律学校を卒業した後、郡会議員、県会議員を務めた。しかし、学問好きで理想主義者であった正樂の肌に、政治は合わなかっただろう。「県会は猿芝居だ」と言い捨てると、四十歳を過ぎて歴史学や考古学に没頭し、「日本古代史紀年論」「石器時代図文綜観」など十五編の論文を草している。それにもまして、美術文芸に独自の世界をひらき、絵画、短歌、俳句、漢詩、篆刻、焼き物など、相当数を残した。
同世代の同県人に正岡子規がいる。正樂が一つ上である。二人に面識は無かったが、共通の友人に画家の下村為山がいて、お互い消息くらいは聞いていたのだろう。子規が三十五歳で亡くなった時、香典五円を送っている。じつに正楽らしい』とある。

6月4日

我思う「文明の臭いが・・」
仏像の教室は鴨川沿いにある。月に一度であるがその川の四季を味わう。時にはミヤコドリ、鴨が踊り、雪、月、花、犬の散歩、学生達の楽器の練習、映画の撮影、二人つれ、春雨、日向ぼっこ、ジョギング、魚取りと。私は京都の市街はあまり好きではないがこの位地は別である。東北に比叡を臨み、東に連峰、北に下鴨、上加茂神社、鞍馬とつづく。山城、葛野の地は秦氏の支配する山紫水明の閑村であったが京(みやこ)になって以来まさにこの国の歴史を醸成する。このことは今は置く。
今、この鴨川がもし、この川の下流域のように腐敗と異臭の汚水であるなら、あの四季三昧はあるだろうか。かつてこの河原も「飢え死ぬるもののたぐひ、数もしらず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界に満ち満ちて、変わりゆくかたち有様、もあてられぬ事多かり。いわんや、河原などには、馬・車の行き交う道だになし。」(方丈記)とあるように死体で歩けないという光景もあったらしい。
思うに、文明の臭いとは「透き通った水」である。どんなに近代的、文化的装いの都市といえどもその糸球体からの濾過水に濁りがあるのは私にとっては「不文明」なのである。いつか、ケルンの大聖堂から観たライン川、ビッグベン前のテムズ川、ルーブル・ノートルダム寺院のセーヌ川、も「透き通った水」ではなかった。恵みの「濁り」である黄河やインダス・ガンジスも好きではない。万葉にある佐保の川も本当は生活・生理排水で異臭がひどかったとか。
政令都市京都は、西は保津から嵐山を経て桂川になり、中央は北山・鞍馬からの鴨川、高瀬川、東は琵琶湖からの疎水と宇治川少し離れて三笠からの木津川(以前の泉川)と、どの川の水も「透き通った水」である。
こんな話しをすると友が是非広島の太田川を見てくれと言う。
もし、この愛すべき鴨川や流域人口の少ない四万十川に「濁り」があるようでは、この国からは文明の臭いがしてこないと思う。

         疾く来てもみてましものを山城の高の槻村散りにけるかも   高市黒人
         宇治川を船渡せと呼ばへども聞こえざるらし楫の音もせず   作者不明

6月1日

ヒトゲノム解析の意義(抜粋)・・・ヒュービットゲノミックス(株)村松正明
「昨年6月にヒトのゲノムが解析された。といっても30億のDNAの文字列が判っただけで、人体の設計図が手に入ったというだけだ。ここからポストゲノムで、実際的な臨床研究や、生命現象の研究が加速されるということだ。
ゲノムの個人差(かつて特異体質、現在、一塩基多型をSNPと呼ぶ)は300万ヶ所ぐらい有るといわれる。SNPを研究することで疾病とか、薬剤に対する感受性の個人差などの判明が期待される。例えば、具体的には薬の代謝酵素P−450は多型が多いのだが、人によって薬の投与量、種類を変えていくことでその有効性と副作用の最適化を図るなど。医者に行く時は遺伝子情報を書き込んだICカードを持って行く、オーダーメイド医療などができるのだ。
癌にかかりやすい遺伝子の人とそうでない人と同じ保険料でいいのかなどが将来問題になるかもしれない。」

哲学断片
「哲学のすすめ」・・岩崎武雄
『科学が驚くべき発展をとげている現在、「科学というものが事実についての知識である」ということを忘れ、科学によって一切を割り切ろうとすると、我々は人間自らの創りだした科学によってかえって支配されてしまうのではないか。
科学をつくりだした人間はあくまで科学を自由に用いる、科学の主人としてとどまらねばならない。この為には我々は科学によっては解決できない価値の問題が存すること、そして哲学というものが必要であるということを理解しなければならないと思う。』
敬愛する友の句に                                               
                
                   山雀が猫をからかふ梢かな
                    
                   山吹やお薬師跡にひそやかに

                                     侘住居また揺がせて春疾風

                                    夏の風受けて軒擦る枝打ちぬ  
                   
                    摘草を携へ人目避く孤独               
                                             わぐねりあん