5月16日に続く

5月15日

将軍をくじ引きで決める
「メモ」4月30日の能面の文中、「出家していた弟が還俗して義教となった」というのが不可解だったのでもう少し調べてみた。ら歴史てこれだからやめられない。
室町政権は足利将軍家三代は金閣の義満、次が四代義持、義持は義量(よしかず)に五代目を譲って隠居したが義量は酒色にふけり19歳で急死。残された義持もすぐにあとを追おうのだがその家来(護持僧の満斎)が後嗣を聞くために垂死の義持の枕もとに寄るも答えがない、では「くじはいかがでしょう」と進言すると、「そうせい」となった。
有資格者は四人いる。四人とも三代義満の子である。
くじは満斎がつくった。義持が死んだ翌日四人が六条の八幡に参拝し、神前で管領の畠山満家がひいた。
当たりくじは、粟田口の青蓮院の天台座主義円(1394〜1441)という僧。若い義円は手を打って喜び、いそぎ還俗して義宣と称し翌年永享元年(1429)六代将軍になり、義教(よしのり)と名をあらためた。
事実は小説より・・というがいつの時代にも同じようなことをしているわな。(密室の決め事よりはましかも)

「栗花落」は何と読む・・・
「栗花落という姓がある。ツユリが正解。ツユリとはめづらしい読み方だが、「梅雨入り」は、陰暦5月のはじめで栗の花の落ちる頃。それで栗花落とあてた。神戸市には数戸ある。今も神戸市(兵庫区矢部町)には「栗花落井(つゆいり)」という名勝地と神社がある。この水が四方の田畑をうるおすので雲井とあがめられた。梅雨の入りのころ、日照りのために困った農民が、この神社に祈って雲井の水をいただく。この祭りが「栗花落祭」(つゆのまつり)。姓はこの「栗花落」からきたのだが、この神社の神官が用いたのか、氏子または居住者が用いたと思われる。栗花墜、とも栗花落とも書き、ツユ、ツイリ、ツユオチなどとも読む。栗花だけでもツユイと読む。」初めて栗の花を見たとき、うそ〜と思った。大きな毛虫かと思った。
でも落花した後にはかわいい海栗の子供のような、青いコンペイトウのような「実の卵」がちょこんちょこんと観れるのもまたいとおしい。

5月14日

喜左衛門井戸について
これは井戸であって井戸ではない。かの柳宗悦(1889〜1961)が言う『喜左衛門井戸は天下随一の茶碗だといわれる。茶の湯の茶碗は三通りに分かれる。支那より将来せるもの、朝鮮より伝来せるもの、日本にて作られしもの。中で最も美しいものは朝鮮の茶碗である。その朝鮮ものにまたさまざまな種類がある。「井戸」「雲鶴」「熊川(こもがい)」「呉器」「魚屋(ととや)」
「金海」等々。その名は甚だ多い。だが中でも味わいの最も深いのは「井戸」である。「井戸」もまたさまざまである。「大井戸」あり、「古井戸」あり、「青井戸」あり「井戸脇」がある。(国名などの表現が今に合わないかもしれないが原文のまま記す)
この名物手の「井戸」は今日登録せられたもの総じて二六個である。だがその中で、大名物中の大名物は「喜左衛門井戸」である。名器多しといえども・・・天下第一の・・・茶碗の極致はこの一個に尽きる。』『和敬清寂の茶鏡がそこに含蓄される』
と言う.その後氏は昭和六年この茶碗を感慨無量で手にとってみることができたという。そして『いい茶碗だ。だが何という平凡極まるものだ。・・・それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が普段ざらに使う茶碗である。全くの下手物である。一番安い並者である。・・』と言う。そして更に『だがそれでいいのである。それだからいいのである。それでこそいいのである。・・・坦々として波瀾のないもの、企みのないもの、邪気のないもの、素直なもの、自然なもの、奢らないもの、誇らないもの、それが美しく無くしてなんであろうか。へりくだるもの、質素なもの、飾らないもの、それは当然人間の敬愛を受けていいのである。』と。又『致純であればあるほど、美しさは冴える。これが私の学び得た芸術の法則である』と結ぶ。
ゥ・ゥ・ゥ無言絶句。
*「喜左衛門」とは人名。姓は竹田、大坂の町人で,彼が所有していたので「喜左衛門井戸」と呼ばれる。名物(みやげものなどの名物はもともと茶碗のこと)は戸籍が明らかである。慶長の頃本多能登守忠義に献じられた。そのため「本多井戸」ともいわれる。越えて寛永十一年泉州堺の中村宗雪に、寛延四年塘氏家茂、そして安永の頃あの雪州不昧公の手に渡った。
その時、金子五百五十両である。直ちに「大名物」となり「天下の名物也。永く大切に致す可きもの也」としている。
余談ではあるが、この茶碗を所有するものは腫れ物に祟るという。

5月13日

母は強し・・・こんな記事が
「母親は総じて長寿なのに、父親の老後はどこかもろく短い。このパターンは人間社会だけでなく、ゴリラやチンパンジーなど人間に近い大型の類人猿でも同じで、雌のほうがはるかに長生きという。
サルの仲間、霊長類全体でみても、ほとんどの種で雌のほうが雄より寿命が長い。その中に、際だった例外が3つある。
小型類人猿のフクロテナガザルと、南米にすむヨザルとティティモンキーは、雄は生存率で雌を上回り長生きする。3種に共通するのは、子育てにおける父親の役割が母親より大きいことだ。ヨザルやティティモンキーは出生直後から、フクロテナガザルは生後1年してから、父親が育児の主役となる。
体重に比べて巨大な脳を持つように進化してきた霊長類は、赤ちゃんの脳も他の動物に比べてずうっと大きい。みな頭でっかちで生まれてくる。その脳が成熟するまで、たくさんの手間とエネルギーをかけて、長時間保育する。雌であれ雄であれ、育児という大事業を担う性が、より高い生き残りの確率を備えるというのが、進化の結論らしい」
ということは、私はもう死んでいる!?。

鉢植えのみかんに花が
みかんの花が咲いている。赤いカーネーションならず、白いみかんの花が満開。
鉢植えなので過去1個だけ果実になった。ほとんどの花弁が撤下して、そのままだ。柑橘系は特に虫がつきやすく、この時期割り箸とカンカンで虫取り。
ほとんど鳥たちが餌に持っていってくれるが、敵もさるものどこの世界にもいる要領のいい奴が残る。しかし鳥と共存共栄の精神は続く。
一番の大敵はカナブンである。殻が堅くて同盟軍にとってもあまり食欲がわかないと見えてシュロの実にわんさと群がっている。指で摘もうとしてもつるつるすべって捕獲の確率は2分の1である。捕まえても指でつぶすわけにいかず、回りをキョロキョロしているうちにブ〜ンと飛んでいってしまった。逃げてくれるのも一つの解決法かな、と変ないらだちと安堵感が交じる。
そうそう自家製フライパン茶、青臭さが消えて結構いける。味をしめて次は2番茶を待つ。

5月12日

居ながらにして情報が
インターネットで色んな情報が居ながらに手にはいる。時にはその多さに癖々として整理に困ることもあるが。
全国の考古学の活動が自動的に入ってくる。以下は最近の一部
●安徳台遺跡群現地説明会(福岡県)
安徳台遺跡群から、弥生時代中期の竪穴住居跡が100軒以上発見されました。
日 時:3月10日(土)13:30〜
問い合せ:那珂川町教育委員会(電話:092-952-2003)
●「東京駅八重洲北口遺跡」現地見学会
東京駅八重洲北口遺跡は江戸時代、江戸城外堀に隣接した大名屋敷や道路の一部だった。
これまでに屋敷跡や道路跡、金ぱくで装飾された軒瓦や中国から輸入された磁器などの生活
用具も発見されている。
日 時:3月10日(土)13:00〜16:00
場 所:千代田区丸の内1
問い合せ:千代田区立四番町歴史民俗資料館(電話:03-3238−1139)( こんなのがあるんだ〜)
●中越遺跡現地説明会(長野県)
中越遺跡では、死者を埋葬した縄文時代後期の石棺墓3基がまとまって出土しました。
日 時:3月17日(土)13:40〜
場 所:宮田村町一区
問い合せ:宮田村教委(電話:0265-85-2314)

●神畑遺跡現地説明会(栃木県)
神畑遺跡では、縄文時代後期の集落跡や珍しい耳飾り約20点などが発見されました。
日 時:3月17日(土)10:00〜
場 所:足利市菅田町
問い合せ:足利市教委(電話:0284-20-2222)
●藤本観音山古墳現地説明会(栃木県)
藤本観音山古墳は、栃木県内最大の前方後方墳で足利市の重要文化財に指定されて
います。
日 時:3月17日(土)14:00〜
場 所:足利市藤本町
問い合せ:足利市教委(電話:0284-20-2222)
●吉備池廃寺(飛鳥藤原第111次)発掘調査の現地説明会(奈良県)
日 時:3月20日(火) 13時30分 小雨決行
場 所: 桜井市吉備 吉備池南側 発掘調査現場(近鉄:大福駅下車 南々東 約1.5km)
問い合せ:奈良国立文化財研究所 (電話: 0744-24-1122)
●妻木晩田遺跡ボランティアガイドによる遺跡案内の開始
  および妻木晩田遺跡第4次調査(洞ノ原地区環壕)の現地説明会について

平成13年2月10日に設立された「妻木晩田遺跡ボランティアガイドの会」よる遺跡案内
が始まります。また、併せて、鳥取県教育委員会 文化課 妻木晩田遺跡整備室が行っ
ている妻木晩田遺跡第4次調査(洞ノ原地区環壕)の発掘調査の現地説明会を開催し、
最新の調査成果を発表しますので、下記の通りお知らせします。
日 時:4月1日(日) 9:30〜15:00
場 所:妻木晩田遺跡現地(京阪電車がゴルフ場開発していて発見された、私も破壊反対の署名をした所、あまりにも規模が大きすぎて全容が判るには相当な時間と資金がいる)
興味のある人は
http://www.cgc.co.jp/mukibanda/002.htmlをみて下さい。写真も載って結構楽しいですよ。
<当日の予定>
・遺跡案内ならびに現地説明会〈午前の部〉
10:00〜10:25 ボランティアガイドの会認定書授与・スッタフコートなど貸与式
  (9:30から、ボランティアガイドによる遺跡案内開始を記念する植樹式を行います。)
10:30〜12:00 現地説明会ならびに遺跡案内                 
  (ボランティアガイドによる遺跡案内により、現地説明会会場まで見学者を誘導、妻木
晩田遺跡整備室文化財主事により発掘調査の現地説明。)
・遺跡案内ならびに現地説明会〈午後の部〉
13:00〜14:30 現地説明会ならびに遺跡案内                 
  (ボランティアガイドによる遺跡案内により、現地説明会会場まで見学者を誘導、妻木
晩田遺跡整備室文化財主事による発掘調査の現地説明。)
<催しもの>
・ドングリすいとんのサービス 10:30〜15:00
  地元・宇田川で古代食を研究されている方々と、ボランティアガイドの会による心ばか
りのおもてなし。温かいドングリすいとん、古代米おにぎりなどのサービス(無料)を行い
ます。
・むきばんだ市場              10:30〜15:00
  地元の方々による手作り市場。大山おこわ・古代米のぽん菓子・どんぐりクッキーなど
を販売します。
問い合せ:鳥取県教委・文化課 妻木晩田遺跡整備室現地事務所
      (電話:0859−37−4000)
               同文化課 妻木晩田遺跡整備室
      (電話:0857−26−7934)
●横尾貝塚隣接地遺跡・現地説明会(大分県)
横尾貝塚に近接しており、縄文時代後期の貯蔵穴、大量の縄文土器、石器が出土している。
日 時:4月28日(土)13:00〜15:00
場 所:大分市大字横尾2241−1
問い合わせ:大分市教委(電話:097−534−6111 内2093)

●下郡横穴墓群現地説明会(大分県)
下郡横穴墓群は、7世紀前半から中頃に造営された横穴墓群で37基が確認されています。
日 時:4月28日(土)10:00〜12:00
場 所:大分市大字下郡字加納1495番外
問い合わせ:大分市教委(電話:097−534−6111 内2093)
●青谷上寺地遺跡現地説明会(鳥取県)
世界的にも貴重な「弥生人の脳」など重要な出土品が相次ぐ青谷上寺地遺跡(青谷町青谷)
で、現地では最後の説明会が開催される。脳が残っていた頭骨など5000点を超える人骨が
出土した溝状遺構はじめ、発掘現場はほとんど埋め戻されているが、調査員が現場で発掘
の様子や出土状況などを説明し、土器など出土品の一部も展示される。
日 時:5月13日(日)13:30〜
場 所:青谷町青谷の青谷上寺地遺跡調査現場
(去年の夏、行ったのに残念)
参 加:5月13日(日)13:00、青谷町露谷の町農林漁業者トレーニングセンター前駐車場
に集合。
問い合わせ:鳥取県埋蔵文化財センター(電話:0857-27-6711)

てな具合だ。勿論仕事を持つ身、その想いを自分の想像力に託しているだけだが、只々ネット観音に感謝、感謝。
こんな観音様を淫獣の手先に落とし入れようという輩が昨今目立つ。
ネットをしてると言うと薄ら笑いでみられてしまう風情にしてはならないと思うが・・・。

海外でのインターネットの接続
訪問先のモジュラーに合わせた変換プラグを忘れないこと。
ヨーロッパやアメリカのメジャ−なホテルの電話機の多くはサイドに「DATAPORT」がある。「RJ−11」と呼ぶ日本やアメリカで標準のモジュラー端子で、ここに持参の電話機を接続すればOK.
「DATAPORT」付きの電話機は仕事ができるデスク上にあるが、ベットサイドにしか電話機が置いていない遅れたホテルも多い。その場合は「DATAPORT」は期待できない。ベット周りの電話のコンセントを探し、電話機を引き抜き、その国のモジュラー形状にあわせた変換プラグを入れ、持参の電話線を引いてくる。この線は10mくらい必要の場合もある。世界の電話モジュラーは約四十種の異なった形状がある。最近では旅行用品店や成田などの国際空港の電気店でも主要国のものは買える。

5月11日

前島密から小泉純一郎まで
政治の世界が色めき立ってきた。通信分野、特に郵政がにわかに再クローズアップされてきた。その是非、成り行きは兎も角も、郵便は明治の郵便制度の父と言われた官僚前島密(1835〜1919)が維新後わずか4年でその制度を展開した。むろん官設の郵便役所(のちの一等、二等郵便局)は、東京、大阪などにつくられたが、面としての機能は津々浦々の「名主郵便局」が担った。建物は名主(庄屋)屋敷の一隅で十分だった。
駅逓頭(えきていのかみ)という職にあった前島は旧名主に郵便をあつかう気にならせる上で郵便事務が公務であること、局長は官吏に準ずる(特定郵便局)という礼遇をした。維新以前の士分の禄が米だったということで金銭で給与せずわざわざ玄米一日5合にした。礼遇を受けたとして旧名主たちはその公共的精神もおおいに高まったという。そんな公共性と面の広がりとがあいまって預貯金機能も付加されていったのも自然のなりゆきという感がある。

大倒産(淘汰される業界・生き残る会社)帝国データ−バンク情報部長 熊谷勝男 著 (東洋経済新報社)
を読んだ。愕然とした。毎日報道される倒産劇の最前線の生々しい報告である。どこかの兄ちゃんと姉ちゃんがくっ付いたの離れたのと言う”なんちゃらレポ−ター”ではない。関連会社、家族を含めると何万何十万の話である。その人間臭さと、羅列される冷徹無悲な数字が余計事態の深刻さをひきたたせる。
「2000年の負債総額は23兆9874億2400万円で、前99年の13兆5522億1200万円を大幅に上回り、初めて20兆円を超え、戦後最悪だった98年の14兆3812億2400万円をも大幅に上回り、記録を更新している。」「バブル崩壊の本質とその処方箋を理解しようとさえしない為政者たちが、根本的な解決を図らず問題を先送りし続けてきたことが、さらなる危機的状況を生み出している」「避けられぬ第二次金融危機と倒産ラッシュ」「瀕死の状態だが心停止ではない」「膿を出し切ってこそ復活の望み」なんて数字と実例を見せ付けられると、あの連休の平和な光景は夢か幻なのかと・・・・。

5月10日

数年前に近くのスーパーで買ったのが
30cm程のサクランボの苗木が今2m程に成長した。花見の後の宴が始まった。降って沸いたような数の花も実もあった。
2〜3日前から盗賊と戦っている。この時期、家族とヒヨとのバトルである。彼らは何でもってその食べ頃を知るのだろう。明日はこれと目に付けているのが朝にはもう無い。奴は一族郎党早朝食をしたのだ。
でも今年は事情が違う。葉の数より実のほうが多いのである。人も鳥も食べきれない。今朝、庭でひよならず賑やかな人の声がした。
ご近所の奥さん数人がこの木の周りでわいわい、サクランボ狩りと洒落ている。見る間に米ざる一杯になった。まだまだこの3杯は採れそうである。
去年は、ヒヨと、往診の女医さんのつまみ食いの分くらいしか出来なかったのに、なんでかな。季節をお金で買いつける風情からして桃源郷の様子である。
尾籠な話だが、雪隠の窓からこの木が見える。この縄文期の牧歌的収穫風景を私の「ボコボコ」でかき乱したくないので、そっと職場に向かった。
明日は我輩の黄金のShit 君に無事対面出来るかなと思いつつ・・・
             
         摘みたし右の二つのさくらんぼ   力
              (ご投稿ありがとうございました。こんな素敵な句を。
                                                                                         感謝感激です。)

                              

5月9日

人名・地名に興味がある
人名、地名を追求するだけでも結構その背景があらわれる。人名では「秦氏」(波田・波多・幡多・羽田・畑・旗・畠・幡)が面白い。これだけでも何冊も本が書ける。地名では飛鳥(朝鮮古語でアスク、町とか集落とかの意らしい)、と那賀の意味(どなたか教えて)などが面白い。
ところで、府中市というのが東京都と広島県にある。日本に同名の市があるのはこれだけだ。中途半端にややこしい。
この2つの市は昭和29年に市制を施行した。広島の府中市がつくられた一日あとに東京都の府中市が市になった。
本当ならあとのほうが、武蔵府中などに変更すべきなのだが、自分たちは日本の中心にいるのだといい、地方都市に後れを取ることを嫌がって意地でもその名称を使用した。広島は広島で我々のほうが早いのだといいはる。結局いまだに2つある。そもそも「府中」とは古代の国府の置かれた所をさし、東京都府中市には古代武蔵の国府跡があり、武蔵国総鎮守大国魂神社が京王線府中駅の近くにある。広島県府中市は備後国の国府があったところで、広島県には安芸国の国府にちなむ府中町の地名もある。因みに住所確認は「市」の後の「町」などで判断するそうな。この話本当かな。
懐徳堂
享保9年(1724)から明治2年(1869)までの146年間、藩校のなかった大坂に町人の財力で開設維持された学校である。本来は三星屋武右衛門、道明寺屋吉左衛門、舟橋屋四郎右衛門、備前屋吉兵衛、鴻池又四郎の5人の豪商が、三宅石庵を師として招き建てた私立の漢学塾であるが、享保11年(1726)に幕府の許可を受けて半官立となった。そのあと2代学主中井甃庵(シュウアン)、3代三宅春楼、4代中井竹山と続き、士庶共学、特に儒学教育の場として繁栄した。また中井竹山の時代には弟履軒とともに独自の学風を形成した。塾生は武士から庶民まで幅広く、席順も身分に関係なく、商人のことも考え遅刻・早退も自由であった。門下生として富永仲基・山片蟠桃(バントウ)らを輩出している。明治45年には懐徳堂記念会として再興され京大教授、その他の有力な学者により、昭和20年の空襲で焼亡するまで続けられた。その時焼亡を免れた蔵書等は大阪大学に寄贈され毎年春秋2回、懐徳堂講座が大阪大学の企画で行われる。

5月8日

アリューシャン列島に日本の古代天皇様が!
地球上にはホットスポツトといわれる活発な火山活動をつづけている活火山がある。ホットスポツトの多くで、マグマはプレートより深いところから上がってくる。そういうところでは、プレートが移動してもマグマの噴火口そのものは従来の位置に残るから、火山の位置がずれ、前の活火山は死火山となり、新しい活火山が生まれる。
7000年前からこのことがアリューシャン列島で起こっている。これを発見したアメリカの海洋地質学者ディ−ツは、第二次世界大戦後日本に来て、旧海軍の水路部にあった海底地形図から発見した。そこで日本に対する感謝の意をこめて、海山のひとつひとつに神武から明治まで天皇の名前をつけた。これは天皇海山列と呼ばれている。太平洋プレートの、1年間に8cmという移動スピードは、明治天皇海山の7000万年で5600km移動という事実から算出されたものである。

製茶
庭に一本の茶の木がある。多分2〜3回分くらいの量しかないと思うがとにかく一番茶である。蒸すところまではいいが、次の行程の火であぶりながら手でもむ、ということが出来ない。面倒だからフライパンで炒ってしまった。のめるかな〜
          製茶の香大和づくりの門入れば     大島民郎

5月7日

我思う断片
決断とは断を決するということだが、これが又厄介だ。決断と言わなくとも「決める」という作業は日々の生活上5分おきにある。今日のご飯は、服は、右に行く、左に行く、何を買う。
1年も2年もあれこれ推敲して悩みに悩んだ末、決定して断行する、これが私にとっての決断だ。
仏像の展示会が近づいてきた。決断の時期がきた。どの線で決定するか、これが最大の落し所。あと2mm細くするか、右にもってくるか、左にするか、と1年間悩む。時には頭を空白にしたり、他の素晴らしい作品を監たり自分の線を捜し求める。
時には見つからないままタイムアップ。つくづくアマチュアでよかったと思う瞬間だ。
いずれにしても「創造」するということはたいへんな作業だ。絵画にしても、彫刻、書道、陶芸、などの芸術又小説や論文などの締め切り、全てあてはまる。勿論芸術や小説だけではない、新しいものを創り出す世界は全てこの決断の積み重ねなんだろう。産業界は勿論政治の世界こそ最も大きなこの決断をせまられるのだろう。現実はどうか。大胆、かつ迅速、的確な決断がおこなわれているのだろうか。
現状が正しいかどうかは歴史が判断するのだろう。しかし決断に10余年というのは、ちとプロとしてはずかしいのでは・・・

幕末の長州藩の藩主は毛利敬親(1819〜71)。若い頃窮乏していた藩財政を大改革して成功させたが、幕末の動乱期になると家中の派閥(中道、尊攘、佐幕)の上に立って超然としていた。中道派が政権をとった穏やかな“航海遠略策”を立てた時も「そうせい」でありついで尊王派(吉田松蔭派)が主導権を握り、下関通過の外国艦隊に砲撃を加える時も「そうせい」。尊攘派が没落、佐幕派が藩政を握った時も「そうせい」。再転して尊攘派が権をとり幕府による長州再征に対し抗戦しょうという言上にたいしても「そうせい」、このため世間では゛そうせい侯”とよんだ。
明治後敬親にきいたところ、ああでなければ殺されていたでしょう。といったという伝聞がある。

5月6日

能面の種類
世阿弥が能面について述べたのは、不思議なことに『申楽談義』にとどまるが、そこには「翁」「鬼の面」「女の面」「年寄りたる尉」「笑尉」「顔細き尉の面」「男面」「若き男面」「飛出」「天神の面」「大尉見」「子尉見」「ちと年寄しく有女面」の名が見え、「猶猶名誉の面ども有べし」と付け加えられている。能面研究の中村保雄氏によると、能面の数は二百五十〜六十種に及び、名称の固有名詞が急増するのは、室町末期であり、すでに五十八種を数えるされている。
能面の創作は桃山から江戸初期まで継続されるが、今日の能面の種類について考えるとき、基礎的なものと、変形面の区別をどの線で区切るか、つまり変形面の範囲をどこまでとるかによってその数に大きな差がでてくる。
逆に考えると、何点の能面があれば現行の曲目をほぼ全部演じられるであろうか。大体六十点ぐらいに集約される。
能の作品の創作が一応終了する室町末期には、能面の基本形はほとんどと整っていたと考えられる。

萩焼〜豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に日本に移住させられた朝鮮人陶工の手で焼かれた。江戸時代毛利藩の御用窯として盛隆「一楽、二萩、三唐津」と呼ばれ、茶陶として高く評価された。近代は藩の庇護が失われ、瀬戸や有田の大量生産の陶磁器に押された受難の時代だったが、昭和以後は三輪休和、休雪など桃山陶芸を意識した茶陶で有力作家を生み、鑑賞陶器あるいは現代美術の一分野へと積極的に作域を拡大している。

5月5日

「年貢の納め時」というが
一体年貢というのはどんな風情だったのだろう。暫く時間をかけて今後追求してみたい。
江戸時代、幕府直割の天領は比較的税率は緩やかだったようだ。四公六民(ときに三公七民)で、八代将軍吉宗の財政改革時でもこの四・六は守られた。天領は全国三千万石のうち大雑把にいって四百万石くらい。奈良、倉敷、日田などがそれにあたる。しかしそれ以外の大名領はひどかった。各行政官の禄、参勤交代や社交費、幕府の命ずる公共事業、など高い経費、費用を農民に負うた。特に紀州五十五万五千石は山が多く穀倉地帯が少ない上に御三家なるが故に家来数(公務員)も多く顕門だけに出費も多かった。八公二民だったといわれる。
思うに日本の統治者の変遷はこの「税」の収奪の利権争いの繋がりではないのか。貴族が獲るのかのか武装農民の武士が獲るのか。
そもそもこの「税」なるものとは何であるのか。時代は違えてその呼び方、採りかた、盗り方、使い方それに比して現在はどうなのかなど。興味が膨らむ。

茶摘
茶の芽摘みは産地によって相違があるが、東海地方では八十八夜前後の四月中頃から五月下旬に行われ、以後一ヶ月以上の間隔をおいて摘む。四月下旬のものを一番茶と呼び、最上とする。
                                   茶を摘めるしずかな音が移り行く      西島陽子郎
            一番茶摘みて畑小屋水もなし        石川桂郎

5月4日

久し振りに仏像に向かう。
よく人に無宗教なのによく仏像が彫れるものだと言われる。仏教は宗教では無いと思っている。哲学であり生きるための方法論、具体的には解脱の為の方法の教えである。解脱とは煩悩の束縛から解き放たれて自由自在を得ることである。戒律とか行とかはあるが神や仏はない。ましてや教義や救済や霊魂などない。宗教とは、必ず神というような名前の絶対者がいる。
その絶対者の存在を信じるかそうでないかが分かれ道だ。そういう意味では私は無宗教者だ。
救済の思想は釈迦の本来の仏教には存在しないでその没後数百年をへて出現した大乗仏教(教義として体系づけられたものの初めてのものは東大寺の華厳教、その後親鸞の浄土真宗ではキリスト教的救済性をもった)の中に現われる。
江戸中期の思想家富永仲基は大乗経典はすべて釈迦とは無関係な偽経であると考察し仏教会に衝撃を与えた。しかしいまだにこの説は破られていない。
ま、ともかく本来の仏教的「行」?として久し振りに仏像に向かう。

どんたく〜五月三日〜四日、福岡市内全域で行われる博多の伝統的な祭。現在の日程になったのは戦後。古くは1月15日に行われ、松囃子(まつばやし)の名残をとどめているといわれる。
            猫の頭を撫でてどんたく遠囃子      今井 俊三

5月3日

十年程前から「免疫」に興味がある。
1986年利根川進氏が『抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明』によってノーベル生理学・医学賞を受賞。
当時は意味不明。今や免疫学や遺伝子学が兆児となっている。
この賞の簡単な説明。
体外からの異物の侵入に対し生体はそれを阻止しょうというのが免疫だが、その大きな作用として抗体がある。抗原にくっついて抗原を無力化してしまうのだ。抗原は蛋白を中心に何万、何百万の数がある。従ってそれと同じ数の抗体もあるわけだが本当にそれだけのの数の抗体が準備されているのかそれとも違うメカニズムが働くのか長年免疫学の世界の謎とされていた。大きくは以下の説に大約される。
  • 遺伝子情報の中に全ての抗体産生情報が含まれる(「生殖細胞系列説」ジャームライン説)
  • 細胞が伝える遺伝情報はシンプルだがそこから体細胞が発生分化していく過程の中で遺伝子情報に変化が起こり多様化する(「体細胞変化説」ソマテック説)
である。利根川氏はマウスの胎盤細胞とミエローマ(骨髄癌細胞)のハイブリッドを使い免疫グロブリンのV領域の可変性の証明に成功した。すなわちソ マテック説が正しいことを証明した。彼のこの時期相次ぐ遺伝子学、分子生物学上の発達、発見のバックアップを看過できない。特に1970年スミスが発見した制限酵素(1978年ノーベル賞)やサンガー法、マクサム・ギルバート法(1980年受賞)などその成功に至るには周辺の環境と相互補完しあって進歩していくのだと思う。
それにしても科学の世界は唯一の真理のために熾烈な競争を繰り返し、当たり前のように見ているいろんな世界の最先端の発見、発明は全てノーベル賞とかの最高の栄誉を与えられているものの繋がりだと思った。

コーエンとボイヤーの遺伝子組替え技術〜1973年、スタンフォード大学のH・ボイヤーとカリフォルニア大学のS・コーエンは、制限酵素とプラスミドを用いて組換え遺伝子をつくる手法を開発した。これは遺伝子工学の基本的な技術として世界中に広く用いられている。この手法には特許が成立しており、大学の研究者には無償で利用だきるが、企業が利用する場合には年間一万ドルの特許使用料を支払わなければならない。そしてこの技術を用いて商品生産が行われた場合は、その売上の1〜0,5%を特許料として支払わなければならないことになっている。

5月2日

「統帥綱領」「統帥参考」という2冊の本が昭和3年に参謀本部から出た。勿論これらは外には一切持ち出せない。参謀本部の統帥に関する事項を受け持つ将校にしか閲覧出来ない。それによると、
・・・・之ヲ以テ、統帥権ノ本質ハ力ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ。
・・・・従テ統帥権ノ行使及結果ニ関シテハ、議会ニ於テ責任ヲ負ハズ。議会ハ軍ノ統帥・指揮ナラビニ之ガ結果ニ関シ、質問ヲ批評シ、論難スルノ権利ヲ有セズ。
・・・・・然レドモ、参謀総長・海軍軍令部長等ハ、幕僚ニシテ、憲法上ノ責任有スルモノニアラザルガ故ニ・・・
・・・・・兵権ヲ行使スル機関ハ、軍事上必要ナル限度ニ於テ、直接ニ国民ヲ統治スルコトヲ得・・・
という内容だ。
超法規とは、憲法以下のあらゆる法律とは無縁だ。
国家が戦争を遂行する場合、作戦についていちいち軍が議会に相談する必要はない。
我々は天皇のスタッフだから憲法上の責任は無い。
超法機関である統帥機関は天皇の統治権そのものを壟断若しくは奪取する。
こんな考えだから満州事変や、ノモンハン事変ひいては太平洋戦争につながって行くのだろう。
一体この手の人種はどんな輩なんだろう。私の周りに何食わぬ顔をして善良面をして小市民として生き長らえているのだろうか。何も知らない国民を「陛下のために、お国のために」と言わせて殺した罪は決して拭えるものではない。
思うに現在において、この国をつまらないものにしてしまった張本人達は何食わぬ顔をして余生を楽しんでいるのだろうか。
いつの世も悪い奴ほどよく眠るのだろうか。

惆儻不羈(てきとうふき)〜ある種の独創家、独志の人、あるいは独立性の強い奇骨といった人格をさす。はすぐれていて拘束されないさま、儻は志が大きくてぬきんでていること、は馬を制御するたづな不羈は拘束されないということ。
大隈重信が自分の出身藩である肥後佐賀藩の藩風を『大隈候昔日譚』の中で批判をしている
「一藩の人物を悉く同一の模型に入れ、為に惆儻不羈の気象を亡失せしめたり」とある。

5月1日

今年も庭のボタンが咲いた。毎年4月26日〜5月3日ぐらいの間に開花する。中国では花王という芍薬は花相という、唐代には木芍薬とも呼ばれた。牡丹と芍薬の違いは、牡丹は木で芍薬は草である。
まさに花王の名にふさわしい威風堂堂とした風情だ。
牡丹は寒気に強い為枯れた枝の先に、燃えるようなあるいは炎のような若芽が吹き出すのは独特の感興を呼ぶ。
     誰が触れるることも宥さず牡丹の芽     安住 敦
鑑賞用としてもすぐれているが、薬用としてもすぐれている。
漢方薬としては根皮を使用する。
用途は鎮痛、鎮徑、駆悪血剤、生理不順。
処方例として大黄牡丹皮湯、桂枝茯苓丸、牡丹散など。

読)りようごしんしんのぶ 
 訳)友人などとの良き面会は心情精神がのびのび
する。

            読み)うらやまのめぶきをはやみふえて
                   くる はるどりのこえ しじにかなしも
                                          (中村憲吉)
        訳)裏山の雑木の芽吹きが早いので日毎に
       数を増やしてく春鳥の声のなんと賑やかに いとしいことよ。









(はずかしながら・・・・・)