九十九段 西安・ウルムチ・敦煌の旅 その2
観光3日目
観光もいよいよ佳境に入ってきた
タリフでは7時モーニング
9時ホテル出発
トルファンから新疆高速鉄道で敦煌
敦煌のホテルで小休止して市内のレストランで夕食
その後駱駝で鳴砂山に登り月牙泉に行く
ホテルに帰るのは23時予定
ホテル9時出発

出発前の周辺の散歩
砂漠のど真ん中にあってもトルファンは落ち着いた
綺麗な町だ
トルファンの高速鉄道駅は砂漠の中
高速鉄道に乗るには飛行機並みのセフティーチェツクがある
身分証明書(我々はパスポート)と荷物検査
飛行機なら果物ナイフなどは預け荷物に入れておけばいいが
列車の場合は預けが無いので
ツアーメンバーの2名がナイフを取り上げられた
う~ん 日本ではどうかな
1時間に2~3本出ているのかな
敦煌の最寄り駅「柳園」まで4時間の旅

各国のパクリとは言えなかなか素晴らしい

速度は190km前後
中国新幹線は300km以上らしいがこれは高速鉄道という名前
外気が39℃
ほぼ一直線をほとんど砂漠の中を走る
音も静か 揺れも無い快適である
これは手ごわい

ミニ竜巻 塩
昼食は車内でホテルでもらった弁当
トルファン付近の外気は39℃だったが
4時間走ると段々気温が下がってきて「柳園」駅では31℃
全員が口を揃えて「ああ~涼し」だって
ここは甘粛省(省都は蘭州市)
「柳園」駅周辺も全くの砂漠 あるのはタクシーと出迎えの観光バスのみ
馬さんとはこの駅でお別れ
変わって現地ガイドは中国人のチョウさん
大きな声でよく喋る 日本語はまあまあ
内容がイマイチ
敦煌までガタガタ道を2時間
高速鉄道 いくら直線でと言っても極端な線引きである

ホテルに着き荷物を置いて近くのレストランで夕食



いつも同じようなメニューで写すのもめんどくさくなる
レストランから15分ほどにゴビ砂漠 鳴沙山がある
ゴビ砂漠はここから先 北のモンゴルにかけて広がっている
皆さん靴に砂が入らないように靴カバーを借りる 30元

出来れば駱駝に乗りたくなかったが 上まで歩いて40分かかるというので
乗った
以前エジプトのピラミッドで「1コブ駱駝」に乗り
肛門周辺がえらいことになり懲りている
でも今回は「2コブ駱駝」少しは柔らかいかな
乗ること40分
尻の痛みは以前ほどではない

駱駝は中腹までで終点 10分休憩

その間に持ち帰りを頼まれていたゴビ砂漠の砂をボトルに入れる
(砂をご希望の方はメールをください少しですがお送りします)
下りは20分だが これがきつい
登りの時の何倍もの揺れがある
もう肛門がもたない
体を持ち上げたり 横にずらしたり 駱駝の背中で七転八倒
もう2度と駱駝には乗らない
日が陰ってやっと涼しくなった
駱駝の隊商も夜歩いたらしい
これで夜の10時頃
「月牙泉」
右端が泉になっている オアシスである
塔は観光用に造られたもの
スノーボードではなくサンドボードを楽しんでいる
この時間にこの人である
ホテルに帰れば22時半
希望者はロビーに集まりガイドのチョーさんと敦煌の「夜市」に行く
5人ほどが来た


全然大したことが無いので
スーパーに行ってビールを仕入れに行った
缶・ビンともビールは3元からあった
でも冷えたのは無かった
連泊なので冷蔵庫で冷やす
今日も良く遊んだ
お休み
観光4日目
今日は今回のメイン 莫高窟見学である
6時半モーニング
8時ホテル出発
莫高窟から「敦煌博物館」
昼食後「玉門関」「漢代長城」「陽関」そして夜光杯工場見学
夜 ゴビ砂漠で星空鑑賞
莫高窟はホテルから約25kmバスで30~40分ほど
まずりっぱな映画館で2本映画を見る
1本は敦煌の歴史とその背景(大型スクリーン)
2本目は隣の部屋で360度スクリーンで莫高窟の内部などの記録
映画監督が北京オリンピックのプロデュサーとあって
映像の綺麗さ 迫力 約50分 これだけでも値打ち
昨年から遺跡保護の為1日の入場者最大6000名としている



説明はイヤホーンの国別番号を合わせれば日本語がでる
映画館から又専用バスで10分
莫高窟の入り口に着く




莫高窟の専用ガイド 彼は日本の城西大学に2年間交流学生で在籍していたそうだ
「莫高窟は4世紀の北涼時代から14世紀の元代まで1000年以上の間永々と掘り続けられ
現在は492の窟が残っている窟内はさまざまな題材による色取り取りの壁画で飾られ
砂漠の画廊と讃えられる
仏教伝来の足跡を記す貴重な遺産でる」
「最盛期には石窟数は1000を超えたといわれているが 敦煌の400kmにある嘉峪関が閉じられた
明代以降 敦煌は一時的に忘れ去られた存在だった
1900年道士の王円禄が16窟の壁に塗り込められた小さな部屋を発見
そこから 以後 敦煌文書とよばれる大量の古文書が見つかった
それから オーレル・スタイン、ポール・ぺリオ、大谷探検隊など多くの海外からの学者や
探検家が多数の古文書や資料 壁画の一部まで持ち去ったそれは1951年まで続いた」
なんでみんな元に返さないんだろう
世界中の著名な博物館(特にヨーロッパ)にはこんなコソ泥行為の遺産がいっぱいある
散逸した5万点の経典 コソ泥は早く戻してください
窟の内部は一切撮影禁止なので
買った絵葉書を掲載
「東洋のモナリザといわれている」とガイド
なんでそんな西洋目線で比較しなきゃならんのだろう



本当に感動した
よくこれだけでも残してくれた
色がとっても鮮やか
平等院の飛天はまさにここからなんだ
市内に戻り「敦煌博物館」に寄る



昔の莫高窟
付近の農民達はこの窟の存在を知っていて
国に何度か言ったらしいが 全く問題にしなかったらしい(ガイド言)
盗るやつも悪いが 盗られるやつにも責任があるんだろうな
領土となるとこんな訳にはいかんのじゃわ
見学後2連泊するホテルに戻り昼食
今日は先が長いので皆アルコールは控えていたようだ
今回はほぼ同じ世代の人ばかりか
とっても和気藹々で 皆言いたい放題 大笑いの旅行だった
バスで現地ガイドが「中国では安い給料で ローンを抱え・・・」
なんて言うと あるご婦人が「私達も同じように
ローンを払い 親を見送り やっと思うところに旅行しているのに
そんな話をしないでください」という
一瞬ガイドも声を詰まらせてあとはしどろもどろ
関東の人達も結構灰汁が強いな~と思った
食後敦煌周辺の遺跡を巡る
「陽関」
シルクロードを守る関所で敦煌から70kmのところ
この北には「王門関」があり
南北の関所となっていた
漢の時代のもの





上の写真は遺跡(陽関)の近くに再現された建物
博物館としてもある
実際の遺跡はほとんど土塊に帰している
しかしいくら命令とは言え
どんな思い出でこの極悪の地に赴任したのだろう
北海道に左遷くらいの話ではない
「陽門」の北側130km バスで1時間半にある「王門関」に行く途中
漢代の長城が残っているところに寄る

明代の石積みではなく版築
雨が少ないからここまで残っているんだろうな
ここから10km先
「王門関」遺跡がある



コンビ二も携帯もTVも電気も水道も・・・無い
出来ることと言えば自由な精神活動
あのエレサレムの岩砂漠の人々も インドやこの砂漠の人達も
星を見 砂を見 人々の生死を見るなかで
人の生き方や「絶対者」を見出せざるを得なかったのでは
いやいやそれとも熱中症による単なるうわ言だったかも
いずれにしても現在の環境の我々からは歴史に影響を及ぼすような人は
生まれようもない
さて今日の観光はこれで終わりなのだが
この成田発のツアー参加の決め手になった2つの内の1つ
砂漠での星の鑑賞である
お気づきであろうか
朝の空の様子とすぐ上の写真の空の違い
毎日朝はピカピカの天気だが 昼から雲が多くなり 今日は特に雲が多い
と言うことは星空鑑賞中止せざるを得ない
残念
(もともといい星の元に生まれてないのだから仕方ないね)

帰り道 どっちを見ても砂の中
夕食は市内の有名店

毛沢東の関係者かな
13名が同テーブルは初めて
添乗員が「1日目の飛行機が遅れたのと 今日は星鑑賞いけなかったので
今日のアルコールは会社が全部負担します」という
一同歓声
皆がおもいおもいに「赤ワイン」「紹興酒」「ビール」「白酒」「焼酎」「日本酒」「ウイスキー」
あるわけないやろ
結局「ビール」と「赤ワイン」「白酒」になった


「白酒」初めて飲んだがアルコール度数48 いい臭いがする
麦と米と高粱が原料と書いてあった
女性も含めてみんなよく飲む
ワインもなかなか上手い
(この夜は料理の写真を撮るのを忘れた)
ホテルに帰るバスの中で1人の男性が
「ハミ瓜(中国で最高の人気の瓜)を買ったんだけど ナイフを取り上げられたので
どうしょう」というと
女性の1人が「まな板とナイフを持ってきてます」という
彼女はあの鉄道の検査の時ひっかからなかったのだ
それで
ホテルのロビーに集合してみんなで瓜を食べた
本当に美味い

青臭みの無いメロンの様
いい気分で寝れそう
明日は昼から又飛行機で西安に戻る
お休み
5日目
7時モーニング
9時ホテル出発
今日は市内の「白馬塔」「夜光杯工場」
「沙州市場
ホテルにもどって昼食後 敦煌空港15時50分発
西安行き
移動日である
「白馬塔
」
鳩摩羅什の白馬が病死し、馬を弔(
とむら)って塔を建てたことから「白馬塔」とよばれる


塔より周りの村の風景に興味が湧く
おじさんが一生懸命話しかけてくれるが・・・
写真OKと聞くと うなずいてくれた
どの家の前にも同じような飾りが
「招福」なのだろうか

ごめん お休みのところ
次はお付き合い
夜光杯工場
夜光杯
『中国の珍しい伝統的な工芸品である酒泉の夜光杯は酒飲みの器の一種で
それは、二千年あまりの歴史をもち、シルクロードにある酒泉で生産されている
この杯は祁連山の玉石をたくみに細工したもので、質がよく、滑らかで透きとおり
卵の皮のようにうすく、模様は天然の美しさがある
酒をついだ杯に月が映ると、真白な色になり、きらきらするから
「夜光杯」と呼ばれている』
涼 州 詞 (唐.王翰)
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回
詩 意
夜光の杯に注がれた葡萄の美酒を飲もうとすると
馬上で掻き鳴らす悲しい琵琶の音が聞こえてくる
酔いつぶれて砂上に臥してしまった私を,君よどうか笑わないでおくれ
古来、無事に戦場から、故郷に帰れた者は数少ないのだから
以上NETより
この詩は非常に有名らしくいたるところで見る


それにしても中国人は字が上手い
なんで漢字を略字にしてしまうのだろう
韓国も漢字を捨ててハングル
機能的かもしれないが 単語の持つ味が判らないのでは
もったいない

5000円しか両替していない者には全く手が出ない
終活 終活
見るだけね


次はホテルに帰りバスを降り 歩いて沙州市場に行く
沙州とは敦煌の昔の名前
前々日の夜 有志で行った所



私しゃこういう所歩くの好きなんだな~
ホテルにもどり昼食
ここから敦煌空港まで30分足らず
飛行機飛び立ちまで3時以上ある
本来昨日行った「敦煌博物館」は今日の予定だったが
添乗員が飛行機のことを気にして変更していた
それで気を使って
「お一人いくらかずつ出していただいたら近くに千仏窟が有るので
オプションでどうでしょうか」という
皆 ああじゃこうじゃ
もう歩き疲れたので
「空港で2~3時間待つのは普通だから 予定通りでいいですよ」
と言うと
そうなった



敦煌と砂漠

砂漠と岩と天山の雪山
飛行時間2時間
再び陝西省西安である
空港には最初のガイド ボクさんが迎えに来ていた

渋滞に巻き込まれホテルまで1時間以上かかった





24階建ての このホテルなかなか豪華で綺麗
宮沢喜一が宿泊した時の写真があった
ここの21階で2日間の連泊である
荷物を置いてレストランに行く
精進料理らしい
今まででも ほとんど精進料理のようなもんだ と皆大笑い


スーパードライは中国で作っているのか
10元くらい高いが扱い店が多い
この精進料理が又美味い
久しぶりに日本の中華料理の味
チャーハンも美味い
「明日もここにしてくれ」と皆 勝手なことを言う
どれも完食である
明日が観光最終日
持ってきた「景虎」をちびりちびりやりながら寝ますか
6日目
観光最終日
今日はお目当てNO.2の「兵馬俑」博物館
秦の始皇帝陵を車窓見学
そして期待の「青龍寺」
そしてお付き合いの「宝石店」
夕食は「餃子専門店」


「兵馬俑」「始皇帝陵」は西安の市街 東方向バスで小1時間
「華清池」付近 踊るのは楊貴妃か
西安は周辺に多くの遺跡がある
京都と同じで1度や2度来たくらいでは・・
夏休みとあってか家族つれや学生が多い

見学は1号館 2号館 3号館 と馬車館
発掘は主に1号館で2、3号館はほとんど発掘されていない
というのは 発掘してしまうと 変色・変性が生じる
保存の技術が確立されるまで 現状維持という
「始皇帝陵」も同じ理由で発掘されていない
おるおる

前列は捕虜を並べているとガイド
全部顔が違います もし同じ顔を見つけたらビールおごりますとガイド
修復前は地震でドミノ倒しのようになって土くれのようになっている
まあよく修復できるものだ
蒸し暑く うるさい中で扇風機一つで修復ご苦労様です

修復された土像





これだけのものを作るのに要した人と費用は膨大
しかしそれ以上に炉で焚く木の量も相当なものだったろう
奈良の都で使用する材木は滋賀から運んだ
木津川(当時は泉川といった)の木津は奈良に近い木材の川港
その為当時滋賀の山々はほとんど丸坊主だったという
人の歴史はエネルギー使用の歴史でもある


3号館に「ラッキー男」がいる
上の彼だけが全く無傷で無修復
少し色も残っている


今にも動きそう
馬車館

「始皇帝陵」は車窓見学
石榴畑の奥
兵馬俑を発見した人が経営するという食堂で昼食



海産物などは絶対出ない
次はお付き合い
「宝石店」
民間なのか 公的なものか「研究所」となっている

結構資格書みたいなものが・・・
全員白衣を着て説明
翡翠の説明
「ここに4つの玉があります どれが本物でしょう
この2つが本物です
1つは ルーペで見ればすぐ判ります ガラス玉は真っ黒に見えます
次はこの2つを触り比べてください
1つはつるつる 1つはいくら磨いても少しざらつきます
つるつるの方は川で取れた貴重な翡翠です
ざらつく方は 山で多く取れる翡翠です 工芸品などに使います
値段が全然違います
最後の4つめは石英岩玉です
見た目はほとんど同じですが 成分も 価格も全く違います
当所では全て鑑定書つきです」

店内には著名人の来店の写真が
終活中 終活中
これが一番気になった
木が石になったという 木の化石らしい
さて次は期待の「青龍寺」
いつか司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだ
この時から一度「青龍寺」に来たかった
「青龍寺」は予想に反し ひっそりしていた
この寺を訪れるのは日本人だけという

「日本真言宗祖師空海」の字が読める

空海と先生の恵果のレリーフが並んでいた
立ち並ぶマンション群の一角に公園と共にある
公園には毎年日本の四国4県から桜の苗を送られてきて
春には桜公園としてその時だけ中国人がくる
その苗も「尖閣」で現在途絶えているらしい
この碑も四国4県の寄贈
日本人の団体が来たときだけ別の所から朱印帳を書く人が来る

朱印帳をもってきている人は50元
無い人は100元もしくは2000円 賽銭箱に入れてくれという
確かに「第0番札所」だ
これを機会に海外旅行やめて四国88ヶ所にしようかな
さて最後の観光は「大雁塔」
「青龍寺」と違って人でごったがえしている
大雁塔は左に少し傾いている
「東洋のピサ」とまた西洋目線でガイドが言う

綺麗なお顔
大雁塔には30元払って 268段上る
268というのは
題目8字 正文260字 合計268文字の「般若心経」である
大雁塔とは652年インドから唐に仏教を持ち帰った玄奘
三蔵が経典や仏像
などを保護するため高宗に申し出て建てた塔である


公式観光はこれで終わり
夕食は「餃子専門店」興味がある




次から次と10数種出てくるが
焼き餃子は1つであとは水餃子か蒸餃子
なんとなくもちもちしてイメージが違う
やっぱり餃子はぱりぱり感がいいかな

メンバーの一人が今日が誕生日らしくケーキでお祝い
ホテルの帰りにオプションで「千手観音」の踊り
日本でも話題になったもの
そういえば大雁寺の千手観音に似ている
数名が参加されて降りられた
明日は朝4時半モーニング
5時半ホテル出発
ホテルで弁当をもらって
空港までのバスの中で食べる
西安8時出発 上海10時着 上海発12時 成田15時55分着
である
思えば嘗て 多くの遣唐使や安倍仲麻呂や空海や最澄がこの地に来ている
帰国できず この異国の地に骨を埋めた方も大勢いるだろう
飛行機や列車やバスで乗り継いでくるだけでもこれだけ大変なのに
そこにはどんな心境が秘められているのだろうか
国家関連 真理追求 知識欲 好奇心 宗教心
いづれにしても
「命がけ」だったろう
そういえば今回は一度もトイレチップを出すところはなかった
汚くて我慢したというところも無かった
飛行機の遅れも最初の1回だけ
まあどれも
「命がけ」にすれば小さいことですが
思うに 今回 続けて2度の中国の旅行
一番端のどちらかといえば田舎方面
象の尻尾を見て全体は語れないが
とにかく想像を絶する大変な国 いや 世界だ
日本をそのまま10ヶ並べたような国
好き嫌いにかかわらず こんな国が隣に有るというのも事実である
この国もいろいろ問題を抱え浮き沈みもあるだろう
しかし今この国との関わり方をしっかり考えないと
子供や孫の代に大きな禍根を残すことになる
「普通の国」ではないだけにそれは本当に難しいことだと思うが・・・
楽しい旅行でした
了