九十八段 九寨溝・黄龍・楽山・都江堰の旅 その2

4日目

昨日は西方浄土に来た様な心持で感服した

今日はここより130km南の「黄龍」に行く
黄龍は地表に出た鍾乳洞とも言われ 石灰石を含んだ地に清流が流れ
3650mの高さにある「五彩池」から谷に沿って下りながら鑑賞する
トルコに同じような所がある
パレッカムである
そこは石灰石が真っ白で 遠くから見ると雪山のようであるが
ここは黄土を含んでいる石灰石なのか 少し黄色い
上から見ると黄色い龍が谷筋をうねっているように見えるのだろう

ホテルを7時半に出発
途中4200mの峠を越え黄龍の入り口は3000m
高山病に注意しなければならない
全員に酸素ボンベが配られた


 



途中チベット族の村に立ち寄る
お婆さんたちが我々に一生懸命なんか話しかけるが全く判らない



ラベンダー畑



宝石店にも寄りました
手も足も出ません パス



ヤクの放牧      高度4200mの看板



気圧を観る為ポテトチップの袋をかざしている
パンパンに膨れ上がる

黄龍の手前のレストランに到着
ここで昼食



その間 雨が降ったり 止んだりである
雨具の用意をして ロープウエイまでの専用シャトルバス乗り場に向かう






世界遺産「黄龍」


トイレも済まして



黄龍のチケットとロープウエイの切符



3800mまで上がる

ロープウエイの山上駅から
3650mの「五彩池」まで少し下る
道は全て木道で歩き易い



おお! 木道にリスが



だんだん見えてきた



天気が良ければここから玉翠山(5100m)が見えるというが
山頂は雲の中
この反対側には「雪山梁(4328m」「雪宝頂(5588m」
山々に囲まれたこの谷間だけが雲の隙間になっている



五彩池
ここから先は説明がいらないと思う






























雨の中8km近くの散策 至福の時を過ごした

帰りは又4200mの峠を越えて九寨溝のホテルに帰る

ロープウエイを降りて五彩池に向かう途中少し頭痛がして
息苦しく 体がふらついた
酸素ボンベをしながら歩くスピードを落として下山まで優に5時間はかかった
しかしおかげで念願の九寨溝と黄龍を完走することができた

謝謝!



高山病予防に控えていた泡般若を今日は10元高めの「雪花 純生」
とやらにしたが 味はさほど変わらなかった
しかしのところ 旨い!

5日目

今日は定刻の5時半起き 7時半出発
成都まで1日かけて帰る 移動日である
途中成都近くの都江堰市にある世界遺産「都江堰(とこうえん)」に寄る





少数民族の村々を通り



古城も通り



ヤクも暇そうにしている



こんなおばさんを「トイレ清掃公務員」にすればいいのにな~



岷江沿いの「文(文にさんずいが付く)川市 ぶんせんし」が四川大地震(文川地震とも言う)の中心地
 
2008年5月12日 M8 死者・不明者 9万人
この街は壊滅
今は全て政府が建て直しているとガイドの説明

”黙祷”



都江堰市(人口60万)に入る








唐さんが入場券を買っている
こういう所に入るには必ずパスポートが必要でその都度集められる
今までのホテルに泊るにも 九寨溝も黄龍もバス中で集められた
面倒なことだ

都江堰とは紀元前3世紀に河の洪水で悩むこの地域で
「李氷」という人が岷江の真ん中に人口の島を作りここから水を分岐させ
水量を調整すると同時に5300km2の灌漑用水して利用されるようになった
岷江沿いには「李氷」の銅像や社のようなものが多くみられた



画面中央の島の先端を「魚嘴」と言いここで分水している



2本の河の奥が岷江本流

堰に行くのには道教の寺を通って行く





あ!苦手な楷書体



お!苦手な隷書体



や!苦手な草書体



つり橋を振り返れば降りてきた寺が山の上に見える
このつり橋よく揺れる 写真が撮り辛い



先に立つと 水が右の方に入っていくのがよく判る





毎年4月に多くの市民が集まって「李氷」の徳を偲ぶという

さあもう少しで成都
 




今日の晩御飯は「和食もどき」と唐さんが笑かす
成都市内の繁華街で「北海道」という店で「和食もどき」らしい





ここはビールが安い
アサヒスーパーが20元 青島ビールが18元
(現地で生産しているからかな)
ただし日本酒は1合で50元(これは輸入品) 在庫は5本も無いようだ
遠くの方で「酒が無い 酒が無い」の悲鳴



「もどき」でもなんとなく ほっとする

さあ観光もあと1日
シャワーではなく湯を張ろう

6日目

今日も定刻 7時半出発
成都郊外の「成都パンダ飼育センター」
と180km離れた街 楽山市に行き世界遺産楽山大仏を船から見学
夕食は本場の名店「陳麻婆豆腐店」にて「四川料理」

とタリフには書いてある

パンダセンターまでバスで3~40分ほど
我々が1番乗りのようだ(出る頃は人であふれ久しぶりに白人のツアー客も見た)



成都パンダ飼育センターには現在100頭ほどいるらしい
以前は九寨溝にもセンターがあったらしいが
地震後は全部ここに集められたという
園内を全部見るには丸1日かかる
今回は1時間ほどの見学

生まれたての赤ちゃんも見れるらしい






パンダはヤダケしか食べないらしい
(山地に生える多年草の笹)













高速道路で眉山にも近い次の観光地「楽山」に向かう







「楽」という字もちょっと読めないな







ここは長江の上流 
船を見てから乗るか乗らないか決めようと思っていた
事故を起こした船とはだいぶ構造が違う

救命胴衣を着けておればまあ大丈夫そう・・



人口150万の楽山市



対岸にある楽山大仏 10分足らずで着く







塩の売買で儲けた民間人が河川の鎮護を願って西暦700年頃に造った
弥勒菩薩の磨崖仏である

高さは71m (奈良大仏の5倍)
元はこれを覆う建物が有ったらしいが 明の時代に焼失
大仏の周辺にも小さな磨崖仏があったらしいが文化大革命の時に潰されたという



何でも10倍の国だけのことはあるな~

 



船が大仏から離れて行く時 ガイドが「どうです あの景色 涅槃に見えませんか」
という
確かに右が頭で少し向うを向いているように見える
「ではあの山の塔はシンボルかな」と小声で言ったのに
聞きつけたガイドが腹を抱えて大笑いする

船着場の近くでトランプ遊び(マージャンのときもある)をするおっちゃん
と働く女性 中国の女性はよく働きますよとガイド



さあこれで全ての観光が淀みなく終わりました

これから成都に戻り麻婆豆腐の名店とやらで最後の晩餐



成都は帰宅ラッシュの時間帯









まあ 野菜が1番美味しいね

さあホテルに帰って帰国の準備
飛行機は成都発13時半なので 明日はホテル11時出発
でも朝食は9時までだから 散歩でもするか

7日目

成都13時30分発上海行きに乗る
バスは11時ホテル発



ホテルの窓から見た成都の街
何となく懐の格差が見えてくる

ホテル周辺を歩く



市場があった






時間が来たのでバスに戻り空港に向かう
本来ならここでこの旅行記も終わるなずなのだが

終われない

ガイドの唐さんは今日は別の仕事が入って 変わりに日本語上手な中国人の
女性が来た

彼女は最近は日本人を案内するより 中国人を連れて日本旅行するほうが多いらしい
「皆さん一杯買い物しましたか? 中国人は日本で何10万元も使いますよ
お互い協力し合いましょう」と和気藹々のムード

ところが成都空港に着くと13時30分発MU203が何時に飛ぶかわからないという
「わ~またか」の声

予定では上海着が16時 上海発が18時25分
である

ガイドはとりあえず手続きをして搭乗口で待ってくれ
というが もし上海で乗り継ぎ出来なかったらどうするんだ
と多くの乗客が口々にガイドにせまる
険悪なムードになる
中国の女性は強い
とにかく一回空港に入ってくれと大声でどなる

もしかのときは 携帯に電話してくださいと番号だけいって
我々を送り出した

とりあえず荷物を預け チケットを貰い手荷物検査を受けて
搭乗口まで行く といってもフライトが決まっていないので
何番ゲートかも表示されない
適当なゲート前でみんな座っている

1時間ほどして召集がかかった
13時半の便は結局欠航と判明した


同じ便で上海までいき名古屋まで行く同じ旅行会社募集の17名のグループがいた
彼らのグループには20代の若い男性の添乗員がついていた
中国語がしゃべれないので といいながら しきりにどこかと連絡をとっている

ここでまた訳氏さんの登場である
この訳氏さんと 滋賀の12名のグループのリーダーさん(以後リーダーさんとよぶ)らが
名古屋組の添乗員と協議する
いろいろ骨を折っていただいたと思う

名古屋組の添乗員からこれからの行動方針の発表があった
17時半にもう1便上海行きがある(これでは関空行きの乗り継ぎ便には到底間に合わない)
のでそれに乗ってとりあえず 上海まで行く
そして大阪組は上海の現地ガイドの案内で空港近くのホテルで今晩1泊して
明日の便で帰る
ということになった

勿論名古屋組も上海で1泊する

上海まで名古屋組と共に行動してくださいと添乗員

それで49名がぞろぞろとゲート前から最初の航空会社のカウンターまでもどる

そこで預けた荷物を一旦引き取り 再度次の飛行機に荷物を預け
チケットを貰うが 途中で飛行機が満席なった
そりゃそうだろうな
我々以外にも変更している客も大勢なんだろう

たぶん少しの時間差で2機出たんだと思う
大阪組は18名と14名と分かれて飛行機に乗ることになった

どちらか早く着いた組は荷物受け取り場で待つことになった


そして
また手荷物検査を受け フライトゲートの表示を待つ
この飛行機も30分ほど遅れたがなんとか飛んだ

この国では30分1時間の遅れは正常の範囲内ですよとだれかが言う

早いほうの便で上海に着き 荷物の出てくるのを待つが 出てこない
その内 周りにだれも居なくなった
ベルトのレーンが4つほどあるが どこにももう荷物は流れていない
暫くして 航空会社の社員と訳氏さんが来て「nothing ? nothing ?」と言うので
両手を広げて「nothing  nothing」と答えた

3人で4列のコンベアーの奥まで探したが無い
事務所に行き 紛失の手続きとなった
訳氏さんが横について社員との通訳をして下さった

出てくれば自宅に送りますということである
最後にサインをして 3人で事務所を出て もう一度レーンを確認しょうと
入ったところ なんと隣のレーンに1ヶだけ回っているではないか
さっき皆で探した所なのに!

訳が判らん!!

とりあえず荷物を取って事務所の前を通ると 女性事務員が遠くの方で
さっきの書類を頭の上までかざして びりびりと破って見せた

軽く会釈した

バスにはもう遅い飛行機組も到着して乗っていた
現地中国人ガイドもいた
自分の所為ではないけれどなんとなく居心地が悪い

ホテルには30分ほどで着いた
名古屋組も同じホテルだった



部屋は2人1部屋にしてくれとガイド
夫婦とかグループが先に決まっていった
1日目の南京の臨時ホテルの時と同じ 2才年上の男性と同室となった

明日は15時の飛行機なので 昼食を食べて11時30分にホテルを出ます
今晩は10時半頃に食事が出来るように交渉します
という

2人で部屋に入り旅の最後になって部屋で自己紹介
どちらももう食事はいらないとなって順番にシャワーをした
いろいろ話しているうちに 共通の知人がいたり 話がはずんで夜遅くまで
ギャーギャー言いながら話し込んだ

7日目

本来タリフにない予定表

 上海航空 上海発 関空行き FM821 15時飛ぶ予定






「中国東方航空」のグループとして吸収された「上海航空」で無事帰国

思うに「トラベルはトラブル」
とは言うけれど
今回のグループに訳氏さんと リーダーさんが居られなかったら
と思うと恐ろしい
あちこち走り回って汗をかいていただきました

リーダーさんは過去数十回も中国に来られ 九寨溝も3度目だとか
「この国はなんでも有りということがよく判りました」とおっしゃる
お2人には本当に感謝

謝!謝!

恐ろしさが隣り合わせなのが逆にこの国の魅力なのかもしれないが
とにかく早くトイレだけは普通になってほしい

お疲れ様でした



追記

 80歳過ぎの女性の書道の先生が昔 九寨溝・黄龍に行った事が
あるとおっしゃっていたので帰国後 
「先生 本当に九寨溝・黄龍にいかれたんですか」と聞くと
「ああ あの水の綺麗な所でしょ 黄龍は若い男性2人の籠に乗って上がりました
確か1人1万円くらい払いましたよ
乗り方が悪かったのかひどく揺れて酔ってしまいました」
「それは高山病ではないのですか
「そうそう 酸素ボンベ2本もらっていたので 使いました」
「それでトイレなどはどうでした」
「戸も何も無いので 反対に座ったら顔が前になってお尻は余り見えないでしょう
はっはっはっ」ですって

これくらいの根性がないとな~