九十段 和歌の浦に遊ぶ
真夏の和歌の浦に行った
お墓参りの帰り 和歌の浦周辺に紀州徳川家の菩提寺や別荘
などがあるというので寄ってみた
まず国指定名勝元紀州徳川家庭園@養翠園(ようすいえん)
パンフによると
『養翠園は元禄元年より同8年に亘り紀州徳川冶宝(はるとみ)
により西浜御殿(冶宝の隠居所)からの清遊の場として水軒御用地内に造営された
大名庭園である

養翠園は松を主とした約33.000m㎡におよぶ大名庭園で 池は海水を取り入れた
汐入の池で全国的にもめずらしく 池には魚(いな)がはね四季折々の花木が季節を感じさせる
庭園内にはお茶屋 養翠亭(要予約)が有り・・・・
明治維新前までは55万石の大藩として又御三家の一と誇った旧藩主の遺跡として旧状に旧地のまま
良く保存され 国指定名勝となっている
また 平成18年11月より和歌山の施設として 湊御殿(みなとごてん)が移築公開されている』
とある
蓬莱島に3つ橋を渡る
大名庭園には普通鯉などが泳いでいるのに 生物の気配がない
なんか不気味な感じだった


庭のすぐ外側は海になっていて 水はここから取り入れしている
庭の借景もこの港を挟んでの山
松は塩害にも強いのだろうか
もともと大名庭園は永遠不滅を願い常緑の松を好む
栗林公園などはその極みであろう
海から船で来る船着場 写真は干潮の為水が無い状態
予約でしか入れない養翠亭とこの庭はNHKの大河ドラマ「八代将軍吉宗」のロケ地となった
園の端に「湊御殿」がある
パンフによると
『湊御殿は現在の和歌山市湊御殿1丁目にあった紀州藩主の別邸で 2代藩主徳川光貞が元禄11年の造営
その後歴代藩主が使用 その後いくどか焼失し 天保5年(1834)に完成
書院造りが大名住居に取りいれられた姿を今に留めた稀有な建築物であり
建築用材には上質の栂(つが)の柾材が使用され天井には「紙王」といわれる鳥の子紙が貼られ座敷の
杉戸には紀州藩に仕えた絵師による彩色画がえがかれている』


御殿内撮影禁止の為パンフよりのスキャン画
養翠園から車で10分足らずの所に「紀州東照宮」がある
徳川家康と紀州藩初代藩主徳川頼宣を祭る
関西の日光と言われるように 装飾は日光東照宮に類似している
もっとも規模はまったく小さい
下の駐車場からは見上げるほどの階段の上に門がある
階段は108段で「侍坂」と言うらしい


本殿には左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵もあるらしい
小規模とは言えこれを維持するのは大変だろうな
段上からは和歌の浦の海が見える
下から一服の清涼の風が来る
ここから車で7~8分
和歌の浦の海岸である
天橋立のような砂嘴が長くのびている
今は海岸線にホテルやらマンションやら工場の煙突などが並んでいて
しかも行った時が干潮の為水が干上がっている
妹背山は周囲250mの小島 水が無いとわびしい感じ
でもこの干潟を山辺赤人は
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
(和歌の浦の干潟に潮が満ちてくると鶴が葦の生える岸辺に鳴き渡るんだ)
と唱んでいる
凡人には無理!無理!
ここは万葉会館があるほどの万葉の里
他にも
和歌の浦の芦間に潮やみちぬらむ千世をこめたるたづのもろ声(後鳥羽院)
和歌の浦あし辺のたづの鳴く声に夜わたる月のかげぞ久しき(後堀川院)
和歌の浦に年へてすみし芦田鶴の雲ゐにのぼる今日のうれしさ(藤原重家)
和歌の浦の葦辺のたづのさしながら千年をかけて遊ぶころかな(藤原良経)

道路を挟んで直ぐ前が「玉津島神社」「塩竈神社」

風吹けば 白波騒き 潮(しほ)干(ひ)れば 玉藻刈りつつ 神代より
しかぞ貴(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)
(山部赤人の短歌の1部)
玉湯島神社の前の岩山の反対側の岩の中に祠がある
入るのも少し不気味
塩を作るときの釜を祭ったかなにかかな よくわからない
今は安産の神さまのようだ
塩竈神社の前の道路を渡ると「不老橋」

『徳川家康を祀る紀州東照宮の和歌祭の際に、紀州徳川家や東照宮関係者の人々が
御旅所に向かうために通行した「御成道」に架橋したものである』
と説明されている
結構な勾配で雨のときはちょっと怖そう
砂洲のほう行く橋
もう熱中症になりそうなのでここで終わり
了