八十三段 神戸の博物館に行く
2013年12月5日
神戸ルミナリエの始まる日に「神戸市立博物館」での開催
「プーシキン美術館展」(フランス絵画300年66点が来日)の切符を頂いた
ルノアール・アングル・ゴッホ・ピカソ・マティス・モネ
など
ロシアの富豪がコレクトしたものを 「美術館」の改装中に
日本に貸し出しているらしい。
なんとチケットを求めて行列が出来ている

作品のある所は撮影禁止だが
館内は超満員
頭ごなしでしか見れない
頂いたものなのでというわけではないが
少し甘く見ていた
ルノアール『ジャンヌ・サマリーの肖像』
ドミニク・アングル『聖杯の前の聖母』
ポール・セザンヌ『パイプをくわえた男』
ポール・ゴーギャン『エイアハ・オヒバ(働くなかれ)』
フィンセント・ファン・ゴッホ『医師レーの肖像』

パブロ・ピカソ『マジョルカ島の女』 『逢引き(抱擁)』
パブロ・ピカソ『扇子を持つ女』
等々
なかなか見ごたえがある
しかしこの会場の熱気はなんだ
そうか今日から「ルミナリエ」なんだ
会場を出てJR元町付近まで歩き
神戸の「中華街」に出る

途中 神戸の町は本当にお洒落


850円のセット
しっかり店を選んだ心算がハズレ
身も心も満腹 満腹
以下は数年前にも神戸市立博物館に行っていて
旧「kantaのメモ」に掲載していたものを再掲載します
kanta神戸に行く
神戸市立博物館で「ポンペイ展」が催されている。
久し振りに神戸に行った。
ポンペイといえば、20数年前「期間内欧州乗り放題」という列車で
ヨーロッパを周ったことがある
イタリアではローマで2泊
1日目はローマ市内
2日目はローマから日帰りということでナポリにでかけた。
ナポリ駅に降りると大勢の観光案内人が取り巻く。
英語、ドイツ語、フランス語、と聞かれるが仕方なく英語のガイドを雇う。
当時イタリア経済は最低、リラは円の半分位だった。
65歳前後の からの大きいおじさんのイタリア英語と日本英語の会話の始まりである。
旅行はフリーが一番面白いが海外は言葉の壁が不安でもありまた面白みでもある。
おじさんの説明では「ポンペイコース」にするか、
「カプリ島とワイン付き食事とブルーなんとかコース」で
船賃とワイン付き食事とガイド料で一人15000円、
他にも何か言ってたとおもうが「なんか判らないコース」。
さああなたならどっち。
当時歴史や遺跡にほとんど興味も知識もないkantaは後者を選んだ。
今なら「ポンペイ」の為にもう一度行きたいと思うのに・・・
でも地中海に浮かぶオリーブの島カプリは歌のように素晴らしかった。
紺碧の海と絶壁の上のレストランでのワインは
それだけで充分価値があった。
ところでその「ブルーなんとか」てなんじゃいなと思っていたら
kantaの乗る大きな観光船が ある島の崖の前で停泊
すると2~3人乗りのボートが何隻も出てきて乗客は観光船から乗り移る。
そして地中海の波に揺られてボートが何隻もぼーと待っている
kanta意味が判らず舟酔いでむかむかしてきた。
船頭はイタリア語オンリー、他のボートはラテン系やゲルマン系ばかり、
モンゴル系はここ一隻。当時この辺でモンゴリアンを見るのはめずらしいらしく
、同乗の他民族の人々が一緒に写真を撮らせろと何人も来た。
15~20分ほど揺られていると歓声があがった。
眼前の絶壁の波の下から黒っぽい洞窟の入り口が見えてきた。
そうか、潮の引くのを待っていたんだ。
10隻ほどのボートが順番に一隻ずつ穴に吸い込まれていく。
kantaの番だ。後ろで船頭がなんかわめいている。
手まねで頭を下げろと怒鳴っている。
言われなくても船に体を沈めないと確実にギロチンだ
。
する~。そこは別世界。なんということだ。
洞窟内は真っ暗なのに船の底は透明なマリンブルーの水槽の上に漂っている。
夜空の天地がひっくり返った幻想におちいる。


(インターネットより)
するとあの怒鳴り船頭がカンツォーネを歌いだす
ベネチアのゴンドラごときではない。これが「青の洞窟」なんだ。
最近同名のスパゲティーのTVコマーシャルをみた。
港 ナポリからローマに帰る汽車で同室(コンパートメント)になった
老夫婦とその若夫婦と親しくなった。
老夫婦はイタリア語以外は まるで駄目 若夫婦は少し英語がわかる
イタリア語とイタリア英語と日本英語がまた混じる。
その内日本の歌を教えろというので「さくらさくら」などを歌う、
kantaは元声楽家志望だったのでカンツオーネ(イタリアの民謡)
を原語で覚えていたので歌うと
なんで日本人が
おらさ国の民謡を しかもイタリア語で歌えるんだと おったまげて
後は「寿司くいねえ」「アンドイッチくいねえ」と自分達の弁当を次々に差し出す
ふと廊下をみるとドア付近に他の部屋から乗客が集まってきて
ニコニコ笑っている。
kanta調子づいて
「スルマーレ ルティカ ラストーダル ジェント♪♪♪
ブロスペロイアル デント サンタアルウ チイア♪♪」
そんな想い出もあるが
やはり「ポンペイ」も行きたいな~とず~と思っていた。
JR三宮と元町の中間歩いて10分ローマ風の建物である。

「79年8月24日午後1時 天地を揺るがす大音響と共に 山は火柱を噴き上げた。
巨大な噴煙からは火山灰と真っ赤に
焼けた軽石が降り注ぎ 真昼の町は瞬く間に暗闇に閉ざされた。
それはべスビィオ山が300年の眠りから目覚め 噴火した瞬間である。
ときおり稲妻が闇を切り裂く。風向きは南東
松明を頼りに逃げ惑う人々の上にも火山灰は容赦なくふりかかり
目を覆い 肺を塞いだ。
予兆はあった 噴火の17年前にも
一帯はべスビィオ山の活動による地震で大打撃を受けており 復旧作業が続く町に
自然は再び牙を剥いた。
翌25日 高熱ガスと灰が混ざった熱雲が凄まじい勢いで町を襲う。(火砕流発生)
それまで豊な恵みをもたらした山が 人々を 町を飲み込もうとは
誰が予想したであろうか。
天変地異に慌てふためき 逃げ遅れて装飾品や
財宝を握り締めたまま息絶えた者もいた。
発掘後に推定された死者は2千余人、その多くは火砕流による窒息死であった。
そしてこの運命の日を境に活気に満ちたポンペイは
約6mの灰の下に埋もれたまま人々の記憶からも消え去った。

1763年スペイン国王カルロス3世の命で始まった発掘の現場から
「灰の中から蘇った都市ポンペイ」の報が入る。
雑草や雑木林に埋もれ付近の農民達は
由来も知らぬままこの地を「チビタ(町)」とよんでいた、
16世紀末には偶然に大理石の板が出土したといわれるが
たびたびの火山噴火で本格的な発掘は出来なかった。
実に1700年の歳月がたっていた。
ポンペイ発見のきっかけは
隣町エルコラーノで 大理石製の柱の一部が出土し
その発見に刺激されたカルロス3世は「宝さがし」のため
発掘を開始その結果の発見である。
調査が進むに連れ噴火当時のポンペイの人口は
1万2千人と推定とされる。
灰の中から現われた町並みは
八つの門から延びる道で整然と区画され
舗装された街路にはくっきりと轍が残る。
山麓にはブドウやオリーブ、野菜や穀物が実り、
町ではワインやパン、オリーブ油、
魚からとる調味料が豊富に生産されていた。
織物工や金細工師、染色工、外科医や薬剤師もいた。
居酒屋、パン屋、娼館のほか公共浴場や
プールをそなえた体育場、野外劇場や闘技場
、さらに町の南西部には神殿や市庁舎、市場が並ぶ公共広場、
活発な市民生活の姿が次々に浮かんでくる。
市内の通りには35軒のパン屋、12

軒のケーキ屋、200軒以上の飲食店のほか
惣菜屋や洗濯屋、金物屋などが軒を連ねていた。

(左の写真は居酒屋のカウンターで酒や料理が並んでいた)
市民は昼食のあと公共浴場や劇場 闘技場にでかけた。浴場は3つ、入浴係りがいて毛抜きやマッサージもおこなわれた。
観劇も人気で収容人員5000名喜劇や悲劇が催された。
最も人気なのが闘技会で20000人収容で
人気剣闘士の出場となると市民のほとんどが押し寄せたという。
市民の平均寿命は男41才女39才
子供は15才までに半分が死んだという。」
とまあ、延々と解説が続くが
館内は重厚な造りで日曜日とあってなかなかの賑わいである。
若い女性が多いのにはおどろいた。
なんといってもおどろくのは 紀元前後のこの時代
日本ではまだ国もない縄文の末期 魏志倭人伝では 人々は体に入れ墨をし
貫頭衣で腰にひも
同じ時代でもこんなにも文明の差があるんだ。
あえて言うならニューヨークの街とアフガニスタンの街並ぐらい
いや もっと差があるのではないかな。
(どの家もりっぱな中庭付きの豪華さである。)
そんな「近代都市」から出てくる品々は現在のものとほとんど変わらない。
ガラス容器、陶器、木製品、貴金属、金属食器、
家々も間取りが広く必ず中庭があり、壁には豪華な壁画が書かれている。
今回の展示でもこの壁画が多かつた。
当時の市民の肖像画はすくないが
写真は「パン屋の夫婦」という題の肖

画。
もう一枚は美しい壁画。(上)
よくまああんな灰の中から無事に出てきたものだ
本当に感心することが多い。
街中 鉛の水道管が敷かれ水道の蛇口をひねるなんて ほんまかいな。
医療の発達にも驚かされる。
白内障の水晶体手術やお産用のかんしやメス
カテーテル はさみなど
現在のものとほとんど同じ。
距離を測る測定車、携帯日時計、オリーブや
ブドウ酒つくりの道具、布を織る機、
これは2000年前というより近年の民族展というほどに質が高い。
しかし一瞬にして やはりこれは悲劇の産物なんだときずかせる展示物がある。
灰に埋もれた生物の有機物は消滅してしまった跡が
空洞になっており、発掘時にそこに石膏を流し込んで掘り出したのが下の写真。
人 豚 鳥 犬など現物はやはり衝撃的である。

2000年の隔たりを全く感じさせない感激のタイムカプセルであった。
外に出ると館の横の通りが「ルミナリエ」
夕暮れせまる中、なんと照明されているではないですか。
あれ~今日はその日なんかいなと思ってこれはラッキーと
おもわずシャツターをきったが
どうも様子が変 観客もいない
いるのは イタリア人らしき 電気工事の集団5~6人
どうやらこれは電気の接続をしているらしい
それで今照明されているのは テスト中なのだ

こんなかたちで見れるとは
思えば震災直後 この三宮から元町を歩いたが、
サンロードに面しているビルはほとんど傾いたり 崩れていた
商店街も1歩入れば瓦礫の山 歩道は全部めくれあがり
所々大きな穴や断層が口を開けている
人々は皆リックを担ぎ 食料や水の確保に 右往左往している
三宮の駅から山手の駅前商店街は特にひどく
つぶれた家々は ゴミ処理場のようであった
火の出た一帯は将に地獄絵 ただ呆然とたちつくす
きしくも今 火山灰に埋まった街と地震で壊れた街をみた
両街とも復活した しかしポンペイには再興はない



写真は再興した神戸の町並み
了
