六十七段 平城宮跡を歩く
久しぶりに平城宮跡を歩く
この近辺は佐紀楯列古墳群(さきたてなみこふんぐん)にあり
宮跡の北にはヒシアゲ・コナべ・ウワナベなど200m級の古墳が連なっている
宮城建設時も多くの古墳をつぶした痕跡がある
最近多くの新たな発掘がなされ1300年前のこの国の都の姿が
想像のロマンからより具体的な姿が見え始めている
近鉄「大和西大寺駅」で降り駅から歩いて3分のところに
西大寺がある 都の両サイドにある官寺であった東大寺と対にある
東大寺を訪れる人は多いが西大寺は観光地から少し離れているせいか
人はまばら ここが毎年マスコミに出るのは1月15日の成人の日
の「初釜大茶盛式」
かつてはこの何倍もの寺域があったのだろうが
今は五重塔も失われ その基壇のみになっている
本堂と五重塔基壇

駅の反対側に出て歩くこと20分 平城京跡が広がる
以前は駅から商店街を歩いて一直線だったが今はスーパーやマンションや住宅が立て込んで
全く様相が変わっている
それというのも 奈良から大和西大寺を経て神戸や三宮まで阪神電車と近鉄電車が相互乗り入れ
非常に便利になっている
西の端に「国立奈良文化財研究所(奈文研)」の「平城宮跡資料館」がある
実は20数年前この資料館に初めて来たときにその展示物に興味を覚え
それから「kantaの考古学」がはじまった
発掘物が所狭しと積まれている
建物は新しくなり 展示方法もより見やすく 科学的実証的風に変わっている
第一次大極殿の模型
現在大極殿(180億円)と朱雀門は完成しており 周囲の築地塀は簡単なものが一部
出来ている
なんでも先の政権は築地塀の費用として100億円しか認めなく
今政権になって早くも400億円の予算が付き 写真のような幅10mの
本格的な築地塀が平成26年から施工されるようである

紙は貴重なもので一般には木片に文字を書く
用が済めばナイフで削って又書く


ベルト 双六と碁

サイコロ 木トンボ あやつり人形
こんな展示物をみていると とても1300年前のものとは思えない
現代でも全く同じ物を同じように使っているものが多い
考古学なんてまったく興味も 関心も無かったものが
時代は違え同じ生きた人間なんだと思った
そんなことから 当時の人々の暮らしや人生観 などどうだったんだろう
という興味が湧いてきた
トイレはどうしているんだろう
生理はどう処理していたんだろう
妊娠や病気のときはどんなんだろう
恋愛観や死生観 宗教観 人生観など次々に興味が湧く
最近の研究では トイレは飛鳥・藤原・平城 と全て水洗トイレ
したがって周辺の池や川が非常に不衛生だったとか
また 紙が貴重で使えないので 高貴なところは 木片へら
一般は木の葉とか木の枝で用を足した
「万葉集」にも 「これこれそこのお嬢さん そんな木の下で
用を足されては困ります」なんていう意味の歌が出ている
これは日本だけではなさそう 以前ベルサイユ宮殿に行った時の説明で
「この宮殿にはトイレがないのです みんな前の広大な庭で用をたしていたのです
だからご婦人のスカートが長く大きく広がっているのです」
でもあのスカートで用は足せても後の始末は・・・・
今 左上の資料館 東に行けば「第一次大極殿」


資料がないので当時のいろんな建築物から推定して 9年かけて建造された
一階はガラスがはめられているが 当時は吹き抜けだった
高御座(たかみくら)
これも推定
北京の紫禁城などに比べると使用材料に石が少ない分
軽い感じがするが 使用している木材は最高級のヒノキだと思う
だとすれば 柱一本数千万 いや数億円かも
こんな木がまだあるんですね
なんでも吉野のヒノキらしい
この維持管理は大変だろうな
伊勢神宮の遷宮は100年単位で木の確保計画をしているらしいが
ヒノキならなんでもいいというのではない
日陰の斜面で数100年かけてじっくり育ったものでないと
年輪が詰まらない
台湾ヒノキのように暖かく日当たりのいい場所のは
育ちが良すぎて年輪の間隔が荒くなり 木がもろい
この建築物は全て本式の復元だ
すばらしい

金物も金鍍金
東大寺の大仏も大量の金の鍍金で覆われ 近年大仏殿の近くで鍍金製造の跡が
発見されたという
でも当時は水銀中毒者も多く出ただろうな
この木材の色は「丹土(につち)」(赤色硫化水銀を含んだ土のこと)で着色
因みにベンガラとは酸化鉄を含んだ土
手間かかってまっせ~
遠くに若草山がはげている
一直線上に朱雀門がみえている
第一次大極殿を東にいくと第二次台極殿跡がある
フウテンの天皇 聖武天皇が難波や恭仁京(くにきょう) 信楽と変遷して
帰ってきて又この第二次に移動したという
第一次の大極殿は恭仁京に移築されまた信楽にも移築したんだろう
信楽では大地震 火災ですべて灰になった
移築の際は部材を平城山を超え 木津川(当時の泉川)を遡って運んだんだろうな
現在滋賀県の東側は結構坊主山が多いのは 奈良時代にここの木を多く
切り出し 燃料や建築物にしたらしい
現在の木津市はまさにこの木の港
余談はさておき
さらに東側に 20数年前にも来たことがある
「遺構展示館」
この辺は内裏とよばれる 宮殿の裏方の役所跡


大木をくりぬいた井戸


下水の土管ではなく 木管
長屋王邸跡からの木簡とか 上の木簡など 木簡を見ているだけで
当時の生活の一端がわかる
伊豆国からカツオのなまり節をいくら送ってきたとか
「子生犬一米一升受長麻呂」この木簡は長屋王邸で飼われていた犬
に子供が生まれたので犬に米を支給したという記録
主な用途は お金の付け札 詩や歌 呼び出し状 支給証 通行手形 勤務評定
キーホルダーなど まさに現代の携帯電話のようにいろんな情報を入力
していたのだ
おもしろいですね

実際の役所を再現したもの
当時はこんな吹きさらしで寒かっただろうな
でも本当に1300年前タイムスリップしたような
ひょこっとどこからか人が現れるような
臨場感がある
宮跡の一番東の端に特別名勝「東院庭園」がある
昭和42年に発見され平成10年に復元が完成
平成22年に特別名勝に指定

池にせり出した朱塗りの建物が「続日本記」にでてくる 「東院」
称徳天皇はこの近くに「東院玉殿」を建て 宴会や儀式をしたという
中央の石組の様なものは飛鳥・藤原では無かったという
中央の高いのは須弥山を表しているのでは(kanta伝)
さて一番南の中央にもどって 朱雀門に行く
1991に始まり1997年に完成
これも資料がなく推測らしい
遠くに第一次大極殿が見える
毎年予算がつけられ 段々と地上部に奈良の都が顔を出す
今日行ったところは全部無料である
これは大変なことだな~
お疲れ!!