六十四段 世界自然遺産小笠原諸島に行く

2011年 「白神」「屋久島」「知床」についで日本で4番目の世界自然遺産に認定された
その時にみた 島の地名が「父島 母島 姉島 弟島 妹島 姪島」
と家族的な命名 興味があった



ここは「日本のガラパゴス」 周りは全て海
アメリカからの返還も45年前である
空港がないため 移動手段は船のみ
東京の竹芝桟橋から「小笠原海運」の「おがさわら丸  全長131m 6700t 770名乗 時速42km」
朝10時出港 翌昼11時30分父島着 25時間30分の船旅である
料金は季節によるが往復48000円ほど

竹芝桟橋はJR「浜松町駅」から徒歩10分
駅構内から真下に「旧芝離宮恩賜公園」がある



その向こうにモノレールの浜松町駅があり その奥が桟橋



桟橋には出港前の「おがさわら丸」  遠くに東京スカイツリーが見えている
ここに立てば 東京タワーやスカイツリー レインボウブリッジが一望



出発前の待合所 3~400人はいるだろうか
学生や仕事人 島人 還暦前後組など
老若男女 個人 団体 様々
一度出れば 船の運行上 最低5泊6日以上になる



出港前のデッキ



レインボウブリッジをくぐり 羽田空港沖を通過 
房総半島を遠くに見ながら 3時間かけて ゆっくり東京湾をでる



房総半島と行きかう船

湾を出たとたん 急激に波風が強くなる
デッキは閉鎖され 全員船内へ



船内は食堂 喫茶 自販機 シャワー トイレなどそこそこの設備
1等室 と特2等はどんな部屋かは わからないがたぶん良いのでしょう
2等は船低でマグロのようにごろ寝
最初はTVをみたり 本をよんだり IPHONをしたり 雑談をするが
そのうち横揺れがひどくなり 立ってられないし歩行も困難になってきた
頭を底につけていないと 気分が悪くなる



特に消灯の10時以降に雨風が強くなり
波が船腹をどんどんたたく
横揺れはひどく 手足に力が入る
朝方まで3~4回 全員が横にずれてそのたびに
マグロが頭を上げて「おお おお」と又元の位置までもどる
当然食欲も無く(船内食堂は最低の内容も理由) 25時間ほとんど競のマグロ状態
尻 腰 背中が痛む
なんとかもちこたえた 接岸の一時間前と放送 やれやれ
デッキも開放されて上に出る



やはり海は広い 遠くに父島の北側が
すこし波も静かかな
その内 額に ビターと何かが当たる「痛い」とおもって手を当てるとなんと上を飛んでる
カモメの糞が直撃 なんとウンの悪いこと


三日月山の麓が大村湾

村の全機能がここに集中している


多くの島民や業者 関係者 なぜか警察官も
接岸前風景


3日間お世話になる民宿「サンシャイン小笠原」の40歳代のおかみさんも
迎えにきていた 島は暖かい ほとんどが半そで 半パン
一年の平均気温が23度という亜熱帯だ



港から歩いて5分ほどのところに
「サンシャイン小笠原」 少しベランダがこわいですが
まあ寝泊りには十分 食事も家庭料理で 船内の食堂に比べたら もう・・

部屋に着くと早速水着に着替えて 13時出発の「半日 イルカ 鯨ウオッチングと遊泳」
に出かける
泳ぐつもりでいったが すぐに判った「勘違い」
ここで言う水着とは ウエットスーツのこと
おっさんの水着ではない
集まったのは 若い女性2人組 と30歳代の夫婦 男子学生風1名
はみんなウエットスーツ
もう一人の中年のおっちゃんは はなから泳ぐかっこではない
中途半端な老人は「今日は寒いから泳ぎません」とぼけました
とりあえず沖に出る
まあ 船が飛び上がっている 
波が競り上がってくる





島の南側は厳しいが北側に来ると波もおだやかになる
皆でイルカ 鯨を探すも影も形も無い
とりあえず島を一周して観光







船長が岩陰の波の静かなところに錨を下ろし「ここで30分ほど泳いでください」
と食パンを海に撒く
するとたちまち池の鯉のように魚がパンを取り合う



船長が再度泳いでといってもだれも泳がない
このときの為に水中カメラを買って持ってきたのに
だれも泳がないなんて 1人でも泳いでくれたらカメラを渡して水中撮影してもらえるのに
仕方が無いから カメラを海に突っ込んで写したのが下の写真



入れ食い状態
 
少し早めに帰ることに



夕日がすばらしい
風呂と食事とスーパードライでもう7時には床に
東京までの7時間の深夜バスと25時間半の船で2日間殆ど寝ていない
体の揺れが止まらないが
お休み

島内2日目

朝8時からバイクが借りれる
今日は一日陸から島巡り
50ccのバイク24時間で2000円プラス保険料300円プラス燃料費
借りたものの随分運転したことが無いので もたもたしていると
おじさん2人が「これがブレーキ これがアクセル これがセル」
「本当に大丈夫ですか 大丈夫かな」としきりに首をひねる
「大丈夫 大丈夫」といって乗ったものの 大丈夫かな



10分も走れば すいすい なんと気持ちのいいことか
ほとんど信号がない









北から南へとバイクを走らせる
どこを撮っても絵になる



道路は幹線一本だけだが さすが東京都 よく整備されている


それにしても人に会わない
同じ船の人達はどこへ行ったのだろう
この海岸で寝転がっていたが 地元のサーファーと2人きり





島のあちこちにマットがおいてある
ここで靴の底に着いている他土地の生物の種を落としてくれということである







亜熱帯らしい風景

宿に帰る途中「海洋センター」とある 立ち寄ってみると 多くの海亀飼育のセンター
である



水槽ごとに大きさの違う亀が入っている
100円で亀の餌が買える
「直接やると手を噛まれますよ」とボランテアの清楚な女性



まあ良く知っている 隣で餌をもらっていると知ってか 他の水層の亀もばたばたさわぎだす
「餌てなんですか」「餌というよりおやつかな これなキャベツなんです」
「この子は左目が見えないから 右のほうからやってください」
本当にかわいい



餌を食べたとき 同時に鼻から水を吐き出す
こんな目の前でこんなに馴れ馴れしく 餌をぱくついているのを見る
4時で閉館がとても惜しい



ここでは毎年2000匹を孵してこの海岸から放すそうだ
帰ってくるのは20~30年先
丁度人間の出産と同じ
しかし帰ってくるのはその内 数匹だとか
こんな楽しいところを又独り占めしてしまった
宿の食堂で皆の一日の報告会
この民宿では今回 70歳代の夫婦と60歳代男性一人組が3人
20歳代の男性1人の計6人
カヌーに挑戦した70歳代夫婦 趣味で全国の海岸のプランクトンを集めていると言う
20歳代の男性
戦時中の砲台の跡をみてきたという60歳代の男性
みんな思い思いに楽しんでいた
今日もスーパードライが旨い

島内3日目

朝7時30分出港の「ははじま丸」に乗り45km離れた「母島」に向かう



母島まで2時間10分 往復8800円




父島が遠ざかる



母島が見えてくる



父島より一回りこじんまりした感じ
港もこじんまりと落ち着いている
早速バイクを借りる





この島も綺麗に整備されごみ一つ落ちていない

母島の目的はとにかく島の南端の「小冨士」まで行くこと
船は9時45分に着き 14時にまた父島に帰る
その間約4時間で目的の場所を巡る計画

しかし南がわは出来そうだが 北半分は無理なのではなから諦めた



車の道路としてはここが最南端
先端まではここから歩いて約1時間
ということは往復2時間 
さあ出発



道はまさにジャングルの中
こんな道が1時間切れ目が無い
「小冨士」の終点は鉄の梯子

梯子を上りきるとそこは絶景









今回の訪島の最大の目的はこの「母島」の最南端から「姉島」
を見たかった
「姉島」は写真の島のはるか向こうで見えない
しかし 亡くなった父や母や姉がこんな素晴らしいところで
もし眠っていてくれたら
小山の頂上で手を合わせ「やっと来ましたよ」と声をかけた
涙が止まらなかった



今 登ってきた「小冨士」



さあ後は時間までにビューポイントに寄って港まで帰る



こんなところにも「トーチカ」の跡が
姉島のはるか向こうは「硫黄島」
ここでは太平洋戦争の激戦地 27000名が戦死
未だに遺骨も帰っていない人もあるだろう
遠く南の島で どんな思いで死んでいったんだろう



目的を達し 爽やかな気分で父島に帰った
またまたスーパードライが旨かった

島内4日目

東京行きは14時
9時に宿を出て港の真上にある「三日月山」まで歩いて往復2時間



民家の風景                      警察署 こんなところで事件なんてあるのかな



山の途中に砲台跡や火薬庫跡がある





登り切ると別世界







下りたところが大村海岸 
ここで弁当を食べて 船の時間待ち






途中スコールが
村の子供たちと一緒に雨宿り





1時間前から港の待合所は人であふれている



出港の見送りで多くの人が
ここではおまわりさんまでが 手を振って見送ってくれる(名物?らしい)

銅鑼がなって汽笛が鳴って船が出る
別れはいつも寂しい
お父さん お母さん お姉さん さようなら



ボートが港の出口まで伴送



船が傾くほどに全員がデッキから手を振った

さあ又 25時間30分の戦いがはじまる