五十九段 志明院


もう何年も前から訪れたかった 志明院 とにかく交通の便が悪い
それがまた神秘的な京都の最後の秘境スポットとして残されているのかも
車でいけばそう秘境でもないのだが
バスでいくとなると大変
数年前にもがけ崩れで半年ほどバスも行けなかった 結局 京都バスや京都市バスも運行を止めてしまった
この時は7000名の反対署名があったが 無駄であった
それに手を上げたのが「ヤサカタクシー」8人乗りのマイクロバスにとって変わったのだ

地下鉄烏丸線「北大路駅」を上がるとバスセンター
ここから「志明院のある北山の岩屋橋に行く
しかし「ヤサカタクシー」の「岩屋橋行きもくもく号」の乗り場が何処にも無い
「市バスの案内所」で聞いたのだが 30分ほどあっちやこっちや探し回る
朝8時40分これしかない あとは14時50分の一日2本

今日はもうだめかなと思って帰りかけたらなんと反対側の車線に「もくもく号」と書いたマイクロバスが止まっている
もう無我夢中で広い北大路の中央分離帯を乗り越えてバスに飛び乗った
わからないはず 京都バスの停留所を借りて止るらしく そんなこと一切どこにも案内が無い
市バスの案内所で2回も聞きに言ったが わからない
タクシーの運転手に聞くのが一番早いとは後で知った

乗客は私一人 料金は500円(タクシーなら3~4000円くらい)

とっても愛想よく よくしゃべる運転手で年が同じくらいなのか話がはずみ 30分があっという間だった
京都という街は車で30分はしれば別世界
降りたところが「岩屋橋」



終点の岩屋橋と「もくもく号」




岩屋橋の上から 秋は紅葉が良さそうだ



さてここから歩きます
目的地まで1.4km 志明院だけならそれほどきついという距離でもない




                   橋のたもとにある料理屋さん



惟喬神社

途中の道は車が十分に通れる広さ
その脇は清流と北山杉



 
                やがて「志明院」の文字
                      ここは駐車場のようである

門前の社務所にいくと 拝観料300円とある そして荷物の預所がある
すると突然犬の吼え声 それとほぼ同時に 奥様と思われる女性が来る
お金を払い手荷物を預ける
この寺は修行場のため 寺内では一切の飲み食いも撮影も出来ないと説明をうける
ここから先は寺のパンフレットなどを掲載

門から本堂をみる


                             飛龍の滝と護摩壇




                            護摩の岩屋

昼間でも鬱蒼としていて 一人では少し居辛い 今様で「なんとかスポット」
畏怖を感じる
ここで志明院のことを パンフレットから抜粋して説明すると

岩屋山 志明院略記
『当山は650年役の行者が草創する。829年弘法大師が 淳和天皇の御叡願により再興
本尊不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられ 根本中院本尊眼力不動明王は宇多天皇
の勅願により菅原道真公の彫刻で以来皇室勅願所として御崇敬深く 秘仏として御即位に祭し勅使を迎え開扉
され 宝祚延年 万民安穏の祈願を籠めされた
日本最古不動明王顕現の神秘霊峰である
後奈良天皇 1522年天下静謐の祈願に諸堂開扉の詔あり その後勅願成就の御慶として志明院の宸願と南無不動明王
の六字紺地金泥の宸筆を賜る
皇室の御崇敬の一因には鴨川の水源地である洞窟の湧水を重視 水神を祀り 清浄な鴨川の御用水を祈願したと伝えられている
水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」がある
1831年失火により山門を除く殆どが焼失の悲運にあったが幸い本尊不動明王はその災厄を免れた・・・』

飛龍の滝

『弘法大師三密の秘法を修し一顆の玉を授けると忽ち化して竜となり滝に入る
依って一宇を建立し飛竜権現と言う
浴すれば心願成就するといわれ 鳴神上人が護摩行のためにこもった』

護摩の岩屋

『役の行者 弘法大師の跡 鳴神上人が護摩行のためにこもった』

鳴神

『歌舞伎脚本 歌舞伎十八番の一 本名題「雷神不動北山桜」
これはインドの波羅奈国の山岳に修行していた一角という聖者の話と言われる謡曲の「一角仙人」
を題材にしたものと言われている
「雷神不動北山桜」は五段続きで 四段目の中と切とが鳴神の条で三段目に「毛抜」
五段目の大切に「不動」があった これらは後に分離 独立して発展 七世団十郎によって「十八番」に制定された
当山の僧 鳴神上人は朝廷にお願いを立てたがお許しがないのを恨み 三千世界の竜神を飛竜の滝壺に封じ込め
黒雲坊白雲坊を従えて護摩の岩屋にこもる 
早魃となって苦しむ民百姓を救うため朝廷は雲の絶間姫という洛中一の美女を遣わす
姫は色仕掛けで上人を迷わせて破戒させ 竜神を封じ込めた護摩の岩屋の注連縄をきる
上人の法力は破れ 竜神は天にのぼり雨が沛然と降る
この物語は人間のもろさを大胆ににしかも生き生きと描いている点に
近代劇的な味をもっており時代や国境を越えて観客の心をうつものがある
十八番中の傑作といえよう』


ご案内

『京都を貫流する千古の清流 鴨川の水源をなし 広大な森林に夏なお寒い飛竜の滝等の霊場
は古くから有名である
頂上付近の石楠花の林は京都市の天然記念物に指定されており 秋の紅葉 冬の樹氷と共にその景色
は見事である
修行大師の一番より八十八番まで三山に連なり行場道があり 静寂な環境を保っている』




しゃくなげが咲いた時
この時期には多くの人が訪れる



本当に静かなところだ
聞こえるのはただ水の音だけ

「水はみな音たつる山のふかさかな」山頭火







30分ほどで回れる
本堂から降りてきて荷物を受け取る
先ほどの奥様と話し込んでしまう
「もう70になるんですよ 一週間に一人も来られない時もあるんですよ 拝観料300円ではとても
この寺の維持管理ができないんですよ なんとかいい方法はないものでしょか 一日10人こられないでしょうかね」
にはじまり
「こんなに自然に囲まれよく羨ましがられるんですが もう40年も住んでいるんです 最近は鹿が増えてその被害も多く
冬の雪には本当に困るんです 体に堪えるようになりました」から
「昭和48年に司馬さんが産経新聞京都支局の時にこられましたよ ミヤザキハヤオさんがこられここで
もののけを思いつかれたんですよ」
そして空海の話とたっぷり3~40分しゃべりこんでしまった
帰りしなには何度も何度も頭を下げ 多くの人にここの良さを知らしめてください
多くの方に来ていただくようにお願いしますと言われた
 

参考

司馬遼太郎と宮崎駿の対談集「宗教と日本人」(文春文庫)

『48年夏 25歳の時司馬遼太郎は 京都の北西の山中 まさに深山幽谷というべき地にある志明院という
真言の寺を訪ねたことがあった。そこは山伏の行場となってはいたが 大峰山 愛宕山など方々をめぐった行者でも怖がる
という寺であった。
なぜか
物の怪がでるのである。夜中に山の峰から天狗の雅楽が聞こえたり みなが寝静まった自分になると障子が
ガタガタ鳴り出したり 本堂では物の怪が四股を踏むような音がしたり
そんなことが八百年来つづいているというのである。陽気な物の怪で害はないのだが うるさくて仕方が無い
というのである
「一晩泊まってみると なるほど本当にそうなるんですね。障子が鳴り出す それも一枚や二枚でなしに 全部
を外からツカンデ動かしているみたいな感じなんですよ
田中さん(田中良玄住職)の説では 平安から室町くらいにかけては 物の怪は京都の辻々や公家屋敷
の庭 あるいは御所の屋根の上に沢山いたであろうというのです
ところが物の怪という奴は光を恐れますから だんだん世の中がひらけてくるにつれて
京都に居れなくなって愛宕へ逃げ 貴船へ逃げして そこにもやっぱり安住できなくて もうたまりかねて
今ではこの志明院にだけ棲息しているのではないかというわけですね
ちょっと面白いでしょう」(「密教世界の誘惑 二」司馬遼太郎「司馬遼太郎全集」12月報)より

司馬遼太郎は堀田善衛 宮崎駿との座談の席で宮崎駿にこの志明院での体験をつたえ
「宮崎さんに一つ作ってほしいテーマがあるのですが。
平安時代の京の闇に棲んでいいた物の怪のことです」
「電気の無い闇というもののすばらしさを 宮崎さんのアニメでひとつ表現していただきたいのですな。
電気のない闇にはいろいろな物の怪が住んでいることがわかりますから」と発言した



9時10分に岩屋橋を降りて 11時 もう少し歩いて弁当にしよう
と桟敷ヶ岳に向かって歩く


                    先日の大雨で道もふさがれている



静寂と山の清涼な風の中でコンビ二弁当も旨かった

「水音おべんたうひらく」山頭火

さらに歩こうとしたが 足が動かない
この辺は距離が無いのだが急峻な坂道が多い
もう寄る年波か引きつってきた
休み休み 足をひきずりながら
なんとか14時20分の下山バスに間に合った



貴船と同じように「川床料理」がある

地下鉄が走るところから車で30分 こんな聖地が数百年も前から脈々と繋がっている
京都は奥深い
でもあの奥様の嘆きが脚の痛みとともにいつまでも心に残る