百四十三段 日本最大の海賊「村上海賊「の軌跡と芸予諸島2日間

昨年からこの上記コースを窺っていた
個人で行くコースを組んでみたが船の時間や島を渡る路線バスの本数など多くの障壁があり
余計な時間が多すぎるのでツアーを検索すると C社にあった
時期が来たら申し込もうと思っいたら 殆ど同じコースでJ社にもあった
違いはC社は往復岡山まで新幹線 J社は梅田からバスである
宿泊宿も同じで昼食も2回付いている
なのに J社の方が2万円安い 勿論J社にした
これだけツアーに参加してきたがJ社のツアーは初めて
余り本数が無いのと料金が高いと思い込んでいたのだが
コロナ後 C社は極端に単価が上がり しかも宿や食事回数・内容が悪くなった
コロナ関連で社員が詐欺をしたり観光バスで多くの死傷者をだしたりと不信が募っていた
今回 J社に参加してこれが思いの外 大当たり 第一になんと!観光バスにバスガイドが付いている
今時 久しぶりの体験 運転手さんも始終にこにこ 女性添乗員さんも優しそう
バスガイドは60歳前(違ったらゴメン) 兎に角 面白おかしく身振り手振りしゃべりっぱなし
もしうるさいと思われたらいつでもお知らせください 音を下げます(止めますではない) しかも「知の宝庫」の様に
歴史あり・名産物あり・名所案内あり となんでもこい 史上有名な場面では登場人物の声色と身振りが入る
バスのフロントが舞台である
梅田から三木・明石・姫路・岡山・福山・尾道と飽きることなくガイドの話が続く
よくあの小さい頭にあれだけの知識がはいっているもんだ
しかも じじいの様に「あれあれ それそれ」の代名詞など一切ない 固有名詞がポンポンポン
最近 神田伯山に感動したがこのガイドさんにも感動した
1日目

梅田茶屋町のモータープールが集合地

刃物の町三木市のサービスエリア

参加者は男女9名ずつ 推測平均年齢70歳前後 バスは36名乗りのshortサイズ

岡山のサービスエリア
ガイドさんの受け売り
「桃太郎物語は 厄除けの話です 干支の牛・虎は鬼門でその裏鬼門が猿・犬・鳥
牛・虎は虎柄のパンツを履いた角のある鬼と表現し 縁起の良い果実 桃が猿・犬・鳥を使って
鬼門封じするという物語です」という なるほど そんな考えもあるんだ


シャインマスカット 1粒100円くらいかな これが高嶺花というやつや
高速山陽道の西福山で降り 尾道の町と天寧寺の3重の塔を右下に見て

新尾道大橋から向島をぬけ因島大橋を渡り因島に降りる

因島を一周するスカイラインを走るもバス1台分の幅 しかも両側の木の枝が行方を阻む
なんとか島の中腹にある「ホテルいんのしま」に着く 景色の良いレストランで昼食だ



「ホテルいんのしま 鯛のかぶと煮付き水軍定食」
かぶと煮と刺身が美味
ホテルの周辺は公園

島の至る処に「島ごとぽるの展」となんかエロっぽい旗がある
ガイドさんの話では「ポルノグラフィーというロックバンドの構成員の3名が因島出身」だとか 知らんな~
東ちずるさんが出身だというのは知っている




昼食後 多々羅橋を渡り大三島の「大山祇(おおやまづみ)神社」に行く
神社のHPでは
『愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、
さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島である大三島に大山祇神社は鎮座しています。
御祭神は大山積大神一座。古事記・日本書紀には、「山の神」とあり、伊予国風土記には「御島に坐す。
神の名は大山積・・・一名(またのな)を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされています。
神武天皇の御東征に先駆けて四国に渡った大山積大神の子孫である
小千命(おちのみこと)がこの大三島に勧請鎮祭したと云われております。
天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の皇妃として迎えられた木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の父に当たる
大山積大神は、皇室第一の外戚として、また我が国建国の大神として、全国津々浦々にその御分社が奉斎されています。』
その歴史
『大山祇神社社殿後方には【鷲ヶ頭山-わしがとうさん】【安神山-あんじんさん】【小見山-おみやま】の三山が見える。
本殿が再建された頃作られたとされる大山祇神社古図(国指定重要文化財)には、
御本社・上津社・下津社の神体山として描かれている。島内最高峰(436.5m)の鷲ヶ頭山は古くは神野山(ごうやさん)と呼ばれ、
現在でも頂上西側一帯は神野の地名を残している。安神山は毎年1月7日の生土祭に用いる赤土を山麓にて拝戴する。
小見山は「お宮の山」が変化したものとされ、いずれも大山祇神社との深い関係を伝えている。
当宮の例祭日は旧暦の4月22日と定められているが、これは養老3年(719年)4月22日、現在の地(大三島町宮浦)
に遷座された佳日によるものである。それ以前は大三島南東部にあたる瀬戸(上浦町瀬戸)に祀られていたとされる。』


伊予国の一の宮なんだ 軍人さんは必ずお参りするという
見どころは境内の大楠と宝物館ですとガイド


御神木
『本殿正面にそびえる御神木は「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」と呼ばれ、
大山積大神の子孫「小千命」によって植えられたと伝えるもので、その時代は神武天皇御東征前と云われています。樹齢は2600年あまり。』


大山祇神社拝殿 国指定重要文化財
切妻造り(きりづまづくり)。素木。唐破風付き向拝。屋根檜皮葺き。大山祇神社拝殿 国指定重要文化財室町初期に再建


大山祇神社本殿 国指定重要文化財
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり) 胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。室町初期に再建


宝物館
『全国の国宝・国の重要文化財の指定を受けた武具類の約8割が、ここ大山祇神社宝物館に保存展示されています。
甲冑の保存は全国一で、日本最古の平安中期の鎧をはじめ、鎌倉期~戦国時代まで各時代の代表する名品が展示されています。
故に、当地大三島は「国宝の島」とよばれています。』

写真は神社HPより
宝物館は自由参加だったので
35℃の中もう暑さで降参 じじいはバスにもどり一休み
次回来ることがあったらゆっくり拝見します
揃ったところで今日最後の観光地大三島から大島の南端にある「亀老公園(きろうこうえん)」からの風景







来島海峡大橋
『来島海峡大橋(くるしまかいきょう おおはし)は、愛知今治、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国結ぶ長大橋で、
来島第一大橋、来島第二大橋来島第三大橋の総称である。本州四国の尾道・今治ルートを構成する橋の1つ。
3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊り橋であり、
全長は4105 mである。
中央西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で北側に自転車歩行者道、南側にバイク道を併設している。』NETより
島を橋げたの土台にしているんだ
この展望台は夕日の景色で有名な所 この時期は少し夕日が遅い 気候の良い秋が最高だろう


潮の流れがよくわかる

向いは愛媛今治市街 真ん中の高いビルが今夜の宿泊ホテル
ラウンドマークの「今治国際ホテル」


日差しがなければ何時間でも居れる所

「今治国際ホテル」は今治造船の子会社運営 建物が船型である(ホテルフロントマンの話)
22階建て 101、7m






本館(和式) 明日 今治造船で進水式があるとかで会社関系の人達の宴たけなわだった

18階の部屋から ホテルの船形状の影が延びている
その左に今治城の石垣と左端に天守閣が見えている
天守閣は本来もっと真ん中(緑の木の生えている所)にあったが明治に廃城となり本丸跡に
吹揚稲荷神社・吹揚神社が祀られたため北隅に 昭和55年再建された

今治温泉 20℃加温 ナトリウム泉となっていた

隣部屋との壁も厚いのか音無 ゆっくり寝れた
2日目
いよいよ今日は目的の能島上陸だ


今日は昼食があるので朝食はセーブしょうと思っていたが
やはり貧乏人根性まる出しで目いっぱい食べてしまった
ホテルから5分で「今治城」に着く
以前(2022年11月)に来た時は駅からタクシーに乗った
こんな高い大きな今治国際ホテルには気づかなかった 新館は20年前に出来ていたらしい
なかなか落ち着いたいいホテルだった


海水の取り入れ口 この堀は海水と真水と混ざりあっているらしい


藤堂高虎は関ケ原の戦功で伊予半国(20万石)を領し 慶長7年(1602年)にこの地に築城を開始
約6年を掛けて完成 直後に高虎は伊勢・伊賀に移り 今治城には養子 高吉が在城する
後に久松松平氏が城主となり明治の廃城になる 内堀や石垣は完全に遺っていた

櫓の木組み

天守閣から見た国際ホテル
しまなみ海道を引き返し「村上海賊ムュージアム」と「能島上陸クルーズ船」のある大島に行く

船は乗合なので時間厳守 11時45分発
期間/令和6年4月~令和7年3月
出航時間/1便/9:45 2便/11:45 3便/13:45 (2月は2・3便のみ運航)
運航日/期間内の土・日・祝日(一部除く)
一週間前迄の要予約で しかも10名に満たないと出港しない これでは旅計画に入れにくい
なかなか厳しい運行状況
今日は金曜日なので団体の臨時便なんだ
時間まで船着き場の向かいにある「村上海賊ミュージアム」を見学



10分ほどDVDを見る
村上海賊とは
『瀬戸内海には、かつて海賊がいた。戦国時代、『日本史』を記した宣教師ルイス・フロイスに「日本最大の海賊」と言わしめた村上海賊である
彼らは、理不尽に船を奪い、金品を略奪するパイレーツではない。掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易や流通の秩序を守る役目を担っていた。村上海賊の本拠地である芸予諸島は、島々が密集して連なっている。海は一見おだやかに見えるが、狭い海峡にいざ船を進めると、潮の干満による激しい潮流が容赦なく襲いかかる。古来より、船乗りを悩ませてきた海の難所である。「船に乗るより潮に乗れ」。この地に語り継がれる漁師たちの言葉だ。だからこそ、海に生き、潮を読み、複雑な地形を知り尽くした村上海賊の力が必要とされたのだ。海賊たちは、地の利を最大限に活かして、瀬戸内海の覇者となった。
村上海賊が歴史に姿を現したのは、南北朝時代である。船を警固する小勢力から、やがて芸予諸島の全域を掌握する一大勢力へと成長した。
それを可能にしたのは、因島、能島、来島で同じ村上姓を名乗った三家の強い同族意識である。三家はそれぞれに海城を築き、因島村上氏は本州側の航路、能島村上氏は中央の最短航路、来島村上氏は四国側の航路を押さえていた。海城を要衝に置くことで、海の戦いに備えるだけでなく、海の関所として瀬戸内海の東西交通を支配したのである。フロイスの船から航海の安全を求められた村上海賊は、「怪しい船に出会った時にみせるがよい」と、紋章が入った絹の旗と署名を渡した。のちに『過所船旗』と呼ばれる通行許可証である。村上海賊は、この旗と水先案内によって他の海賊や航路の難所から船を守り、対価として通行料を徴収していた。
瀬戸内海を通行する船は、大名でも商人でも、村上海賊の掟に従うことによって、安全に航海することができた。
こうして海の安全保障者としての名声を得た村上海賊だが、実は、いくつもの顔を持っていた。
島々を物流の基地として、国内外を産地とする高級な陶磁器などの流通に携わる商人の顔。名だたる大名たちも顔負けの優雅さで、香や茶や連歌をたしなむ文化人の顔。そして、瀬戸内海で獲れる新鮮な魚介類を扱う漁業者でもあった。それは、海の幸を豪快に食す、地元の郷土料理にも受け継がれている。
想像を超えるスケールで今もこの地に色濃く残る、海賊ゆかりの史跡や文化。尾道と今治をつなぐ芸予諸島を行けば、息をのむほど美しい多島海の景色とともに、「日本最大の海賊」と称えられた村上海賊の記憶をたどることができる。』NETより






能島のガイドのおじさん

山の上に「大島石採掘場跡」がある 今は公園と見晴台になっている

能島までは約10分


時間的には凪というが潮の流れがわかる


波の浸食で島が削られる 護岸工事の跡

桟橋

少し離れた鯛崎島 嘗ては橋が掛けられていたとか
2島で能島城としていたのだろう


チケットの写真でみると 船の先に桟橋が有り少し離れた島が鯛崎島

上陸記念証


島からは周囲が全貌できる






水は対岸の浜の湧水場から運んでいた

くじら地蔵
『ずぅっとむかしの話じゃ。宮窪の沖に鯛崎島というこんまい島があろが。その島の磯の上に石の地蔵さまが立っとってのう、ある年の春のことじゃが、子クジラがようけと親クジラとが遊んどったんじゃ。子クジラはみんな仲よう遊んどるんでのう、親クジラは安心してねや、うとうとと大けな岩の上で昼寝を
はじめたんじゃ。ところがねや、おおごとになったんじゃ。しらんまに潮が引 いてしもてねや、親クジラが目をさましたときはのう、浅そうなってしもて泳
げんようになったんじゃ。大けなからだからだは、どうもでけんようになって しもたんじゃ。そのうちに子クジラも気がついて大さわぎになったんじゃ。親
クジラは、いっしょうけんめいばたばたしたんじゃが、どがいにしても大けな からだは岩からはなれんのじゃがいや。えらい苦労しとる親クジラとまわりで
さわいどる子クジラを見てのう、地蔵さまはかわいそうになってきたんじゃろ ねや。すっくと立ちあがって、衣のすそをからげて、磯のさきまで歩いてこら
れたんじゃ。そいでの。海をじっとながめておられたのじゃが、両手をむすんで、衣の下で動かしておいでじゃったが、「ふうっ。」と大けな息をふき出されたんじゃ。ほいたらの。タコ・イカ・スズキ・ギザミ・ホゴやなんか魚がようけ出てきての、親クジラのまわりに集まってきたんじゃ。ほいての、お地蔵さまが「よいしょ。よいしょ。」とかけ声をかけたんじゃ。それに合わして、集まったようけの魚たちも、「よいしょ。よいしょ。」とかけ声をかけ、力を合わして親クジラを深い海へおろしてやったんじゃ。クジラは、大よろこびでのう、地蔵さまの前を何回も行ったり来たりしよったんじゃが、子クジラといっしょに、「ほんまにおおけに。わたしらは、来年から毎年、なかまといっしょにお礼まいりにこさしてもらいます。」とあいさつをして、泳いでいったそうじゃ。それからはのう、毎年お礼まいりに来よるんじゃ。多い年は30頭にもあまるが、少ない年でも3、4頭はきまってお礼まいりにやって来るんじゃ。土地の人はのう、クジラの群れが、大けなからだを半分ほど海の上に出して泳いどるのを見るとねや、「ああ、ことしもクジラが、お礼まいりに来とるぞ
。」というて、お地蔵さまの方を向いて、両手を合わせたということじゃ。 このクジラは、イワシをえさにしよる「イルカクジラ」じゃそうな。からだ
は、2~3間(約4~6メ-トル)ぐらいもあるそうじゃ。
──宮窪町誌より一部手直し──』NETより
港に帰って船着き場の食堂で昼食 海鮮丼(あまり鮮ではなかった)

島は全く日陰がない
この時期に行くのは少し考えもの なんでも春・秋がいいね
食堂のTVにDVDが流れていた
「NHKブラタモリ」でタモリが島に上陸した時のVである
結構見ているのにこの回は見ていなかった

最後の観光地 因島村上水軍に行く

因島にも多くの歴史・遺跡が有る
「因島水軍城」に行く
『因島水軍城は、因島村上氏が残した武具や遺品、古文書など歴史資料を展示している資料館です。
水軍のふるさと因島にふさわしいものをと歴史家奈良本辰也氏監修により昭和58年(1983年)に建設されました。
二の丸は展示室、隅櫓は因島水軍まつりの写真を展示、本丸は水軍資料館として一般に公開されています。
水軍資料館には、因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充が中国から持ち帰った釈迦の捏槃図や
小早川隆景より拝領された甲冑など水軍ゆかりの品々が展示されています。』NETより





因島村上の当主 村上典吏子さん

兎に角暑くて冷房車から離れられない
階段の上がり降りも結構ありました
そんな中 運転手もガイドも添乗員も客もよく頑張りました
久しぶりに暑さ以外は何の不快感も無く旅を終えました
楽しい旅でした
了