2021年の秋を遊ぶ
その1
小春日和の早朝鞍馬山方面に向かった
鞍馬山やその足元には何度も行っているがまだまだ行けていない所も多い
2021.11.17日(水)快晴

出町柳で鞍馬行には少し時間があった
目の前に金筋入りの帽子を被った恰幅のいい駅員さんに
「紅葉はどの区間ですか」
「市原から二ノ瀬の間です」
「今はくらま温泉はどうなっているんですか」
というと急に表情をくずして
「そうやねん なんぼ連絡とっても連絡つかへんにや」と友達感覚
「ええ温泉なんやけどな~」と心底残念がる様子
というのも
この叡山電車は2020年8月12日の大雨で市原ーニノ瀬間の崖の崩壊でバスに振替
2021年9月18日に開通したばかり
温泉側にしてみたらコロナと電車不通のダブルパンチ
前回くらま温泉に来たときは外人であふれていた
くらま山の紅葉には遅いし温泉はだめなので「紅葉トンネルキャンペーン」しているところで引き返す

早朝でも沿線には「京都産業大学」「京都精華大学」と学生も多い
観光客もそれなりに乗っている






こんな駅に降りる人はまずいない
折り返しの電車を待って殆ど人が乗っていない車内から紅葉を狙うも
時期的に早いものか遅いものかよく分からない内に過ぎ去った


一乗寺駅に降りて狸谷山と反対側「東大路」にラーメン屋が並んでいる通称「ラーメン街道」に向かう





当然開店前なので見るだけ
一乗寺駅を東に白川通りを横切り狸谷山に向かう

白川通りから詩仙堂迄 以前はほとんど住宅が無かったが今は
びっしりと立て込んでいる
山際は古くからの端正な住宅が並ぶ

詩仙堂
殆どの観光客はここで引き返す
筆者も3度ほど来ているがここから圓光寺などに向かう
この先が狸谷である



詩仙堂の西隣の八大神社
境内の「宮本武蔵像」にご挨拶
今回初めて気が付いたが像の台座の右側に「2002年 八大神社に建立 柴田篤男作」の文字
通っていた仏像教室の先生である 2年ほど前に亡くなられた ご冥福をお祈り

今月一杯「秘仏公開」である
ここからはただただ登り一本道



人も無くいるのは狸ばかり哉である








ポンタ君 じいじ頑張ったよ

清水寺の舞台と同じ「懸け作り」

関所でお布施500文


岩屋の不動明王
正視するには勇気がいる
このお寺は洞窟を守るための建屋なんだ

一乗寺駅付近の町屋が望める


こんな名前のアイドルグループも面白いかも 「男厄坂48」・・・・

詩仙堂迄降りてくるとすぐ下の角から250mの案内看板

目当ては「金福寺」である
住宅街を通り抜けると入り口が判らないほどひっそりとある







寺を出た時は予定より1時間以上早かった
次の白川通り「天下一品総本店」にはお昼時を外したかったが
こうなると少しでも早く行って並ぶのを避けたい

幸いにお昼前とあって並んではいなかったが
店内は満席状態 辛うじてカウンターの一席が空いていた

コッテリの細麺ニンニク掛けを注文 770円
まあ他の支店と変わりない味 少し麺が堅かった
一度総本店に来たいだけ まあ来れて良かった
白川通りを5分程下がると「京都芸術大学前」から市バスに乗り「銀閣寺口」で降りる
東に少し歩いて銀閣寺手前の「白沙村荘橋本関雪記念館」に行く




1万坪の敷地だが他にほとんど人はいない
ひとり存古楼に座って庭を観ていると

80才位の老人が
「ボランティアの者ですが説明させてください」という「喜んで」と答える
庭木や庭石や仏像・半夏・馬酔木などの雑談を楽しんだ
どうもここは夏の半夏と蓮の頃が良いようだ
存古楼の前に掲げている「松竹梅のポスター」について教えてくれた


一人は石原裕次郎であとひとりはだれかな
写真で乗っている石は間違いなくこの場所の鞍馬石だ


展示館はモダンな建物



展示館の2階に座ると
目の前の山に「大」の文字が迫る
ボランティの叔父さんの話では関雪は多くの知人をここに招いて
送り火を過ごしたようだ

駐車場の銀杏もいよいよ秋たけなわである
了
その2
今日も快晴 張り切って行きましょう
滋賀JR草津線石部駅前からの循環バスで長寿寺行が9時50分しかないということで当初京都駅8時30分
と計画していたが天候に浮れて30分も早く来てしまった
当然石部駅に9時前に着いた 駅前に循環バスがいた



これはラッキー 臨時便だと思ってバスの運転手に「長寿寺に行きますか」と問うと
「これは行きません あと50分待ちです でもこの9時発のバスは常楽寺まで行きます
常楽寺から長寿寺迄1.2kmなので歩かれたらどうですか」という
それは結構な話
駅から常楽寺まで4km バスで5分 歩いて 1時間である 料金は1乗り250円
バスは常楽寺200m手前の四辻を寺とは反対の左に曲がって駅まで帰る
何本かに一本かが右に曲がって長寿寺まで行くようだ
正直 行くまで常楽寺のことは知らなかった
駅のポスターに

「湖南三山巡り」てあるんだ
「湖東三山巡り」は有名で毎年多くの観光バスが出る
常楽寺はそんな内の一つだったんだ


常楽寺の前の西教寺銀杏が見事 常楽寺はこの奥


本堂と三重塔が国宝である
紅葉真っ盛り




寺のパンフによると湖南三山は平成16年(2004)に石部町と甲西町が合併し湖南町が誕生
その翌年に古刹で国宝を有する寺「常楽寺・長寿寺・善水寺」で三山としたとある
善水寺はここから9kmとある 今回はスルー

歩いて15分 長寿寺を目指す




門前から本堂迄紅葉のトンネルになるらしいが少し早い

国宝本堂
パンフによると
『桓武天皇天平(729~748)に良弁僧正により建立された勅願寺であり現在国宝に指定されている
戦国期に織田信長により三重塔は安土城へ 楼門は栗東町の蓮台寺へ移築され現在は本堂の国宝
重文の阿弥陀堂 丈六阿弥陀如来像などが残されている


門前の「十王寺」

バスの来る時間まで40分あるので 最初に降りた循環バス停まで戻れば
もっと便数が有るとだろうと1.4km歩く
しかし目論みは外れた 結局バスは再び長寿寺を通り駅まで行くことになる
しかし三文の徳か「常楽寺」に行けたのは良かった
石部駅に戻り草津経由でJR膳所に行く
それにしても京都から石部まで又その反対の車内は非常に混んでいる ほとんど座れない
近年 草津市周辺の賑わいは凄まじい
草津駅の隣 南草津駅周辺も高層建築や一戸建て住宅建設が広がる
滋賀県の中でこれだけの平野が広がるのはそれほど多くない
昔から湖南~三重県境不破の関まで大きな穀倉地帯なんだ
嘗ての東海道はここがメイン
JR膳所駅と京阪電鉄膳所駅は隣り合わせである
膳所駅から琵琶湖に向いた商店街を7~8分歩くと目的地その中にある
その義仲寺は以前から機会があれば来たかった
芭蕉が生前に「死後はここ埋めてくれ」と言った所



庭には芭蕉が


木曽義仲の墓
寺のパンフによると『義仲寺は大津市馬場一丁目にあり旧東海道に沿っている
古くは粟津ヶ原といい琵琶湖に面し景勝の地であった 朝日将軍木曽義仲の御墓所である
治承四年(1180)義仲公は信濃に平氏討伐の挙兵をし寿永三年(1183)5月に北陸路に兵士
の大軍を討ち破り7月京都に入られた よく元暦元年 鎌倉の源頼朝の命を受けて都に上がって来た源範頼
・義経の軍勢と戦い 利なくこの地で討ち死にされた 享年31歳』

義仲の墓に並んでいるのが芭蕉の墓

芭蕉翁墓
パンフによると
『芭蕉翁は元禄七年(1694)10月12日午後4時頃
大阪の旅舎で亡くなられた 享年51歳
遺言に従い遺骸を義仲寺に葬るため その夜 去来・其角・正秀ら門人10人 遺骸を守り
川船に乗せて淀川を上り伏見に至り 13日午後義仲寺に入る 14日葬儀 深夜ここに埋葬した
門人ら焼香者80人 会葬者300余人に及んだ
其角の「芭蕉翁終焉記」に「木曽塚の右に葬る」とあり 今も当時のままである
墓石の「芭蕉翁」の字は丈艸(内藤丈艸)の筆といわれる
芭蕉翁の忌日は「時雨忌」といい 当寺の年中行事で現在は毎年11月の第2土曜日に営む』
とある
(ああ先週だったんだ!)


これで念願の訪問ができた
芭蕉が見ていた当時の風景とは違うだろうが何故自分の墓を
ここにしょうとしたのだろうか
合掌
商店街をぬけ京阪膳所駅に行く
ここから石山駅から来る電車で坂本比叡山口駅まで行く
一部路面電車である


近江神宮前行の電車だったので一旦降りて次の坂本比叡山口行を待つ
この近辺も錦織など嘗ての大津京の遺跡が多いのでいつかゆっくり来たい所



目的地の西教寺まで歩いて30分ほど
駅前からあと15分ほどでバスが来るので待つ
バスで6~7分


何度か来ているが紅葉の時期は初めて


琵琶湖が霞んで見える


本堂


このお寺はなんといってもこの明智光秀一族のお墓があることだ
パンフレットによると
『元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際 当時も災禍をこおむりました
その直後に築かれた坂本城の城主となったのが光秀でした
光秀は西教寺の檀徒となるに及び復興に大きく力を注ぎました
・・・
天正10年にここの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子(ひろこ)や一族の墓とともに
葬られています』



寺を出てバス停に行くと次のバスは40分待ち
日吉大社迄徒歩15分 又歩きだ


大社の入り口まで来たがここから駅まであと1km近くある
もう山に登る腱力・気力がなくなった
駅までぶらぶら撮影しながら下る



この近辺は穴太積が満ちている

駅の近くにある有名蕎麦店「鶴喜」 いつも客が並んでいる 数年前に一度食べたことがある
「味は1番 電話は2番 角から3番目」のキャッチコピーが駅にあった
帰りは京阪浜大津で太秦天神川方面に乗り換えると
一部路面から地下鉄に入り京阪本線三条駅に繋がる
平日ではあるが例年と比べて団体客が殆ど無くどこも空いていた
疲れたがいい1日だった
了
その3
今回は打って変って大雨注意報発令の日
個人旅なら絶対行かない天候だが 団体バスツアーに申し込んでいる
このコースはこの時期毎日催行されている人気のツアーなので変更も出来ない
家を出るときから本格的な雨

集合場所は阪急西宮北口
あるTV番組で高源寺の案内があった
紅葉が奇麗に映えていた
アクセスを調べると大阪から福知山線で福知山の手前「柏原」で降り神姫バスで40分
更に歩いて1時間とある(タクシーで10分)

これは一ヶ寺でも一日がかり
それでバスツアーを捜すとH交通社がひっかかった
高源寺とあと2ヶ寺と松茸ご飯食べ放題と土産まで付いて11800円
ところが出発地が姫路・加古川・西宮・宝塚・尼崎と全て兵庫県
どうやら兵庫県のキャンペーンの一画らしい
県民は5000円補助されますとある
じじいは補助は無くてもこのコースなら願ったりかなったりだ
早速 残り少ない空き日の中から申し込んだ
すると5000円引いた金額が提示されOKとなった
何となんと丸儲けの気分 県民の方に申し訳ないとほくそ笑んでいると
3日ほどして旅行会社から「他県の方はあと5000円頂きます」の電話
そして大雨 紅葉進度も不安
もう花より団子(松茸ご飯)の気分

乗車前に全員のコロナワクチン接種完了証明と身分証の提示を求められる

宝塚駅周辺と武庫川の雨


JR宝塚駅と阪急宝塚駅とはほぼ隣合わせ
久しぶりに訪れるこの町の発展に驚く
子供の頃家族と「ホワイトタイガー」がいたりする宝塚ファミリーランド(現在は廃止)や歌劇によく来た
どことなくほっこりする匂いがあった
バスは時間調整と昼食を兼ねてアウトレット村に暫し滞在
ここは じじいには「坊主にかんざし」見るだけの世界



北近畿豊岡自動車道などを使って紅葉の進む山並みを臨む

高山寺は殆ど平地にあるが・・・

そうか 高山が平山になったんだ


しかし思わぬ映えの紅葉





そして円通寺










雨と紅葉具合の心配は全くの杞憂だった
次は当初目的の高源寺



じじいにはちょっときつい石段が続く
しかし雰囲気が怪しい
木を見上げるよりも地を見る方が紅葉の数が多い
やはりここは時期を逸したのだ





左は調子のいい時の高源寺(入山チケットより)
高源寺のホームページによると
『高源寺は、1325年(鎌倉時代)に遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開創された、臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)(幻住派(げんじゅうは)とも)の本山です。甲斐(山梨)の栖雲寺(せいうんじ)が東天目と呼ぶのに対して、高源寺は西天目(にしてんもく)と呼ばれ、丹波屈指の名刹として知られています。
開山の遠谿祖雄禅師は、当地青垣町の遠坂地区にあった山垣城(やまがいじょう)の城主足立遠政(あだちとおまさ)公の孫の光基(みつもと)の三男です。遠谿祖雄は、幼少の頃より出家し、1306年に中国に渡り、杭州天目山の中峰国師(ちゅうほうこくし)のもとで約10年修行をして悟りを開きます。そして、帰国後、霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建します。
1326年には後醍醐天皇より高源寺号を賜り、また後柏原天皇の代には、勅願所の礼遇を許され、住職は末代紫衣の宣旨を受けました。そして、全国に末寺を持つ大本山となりました。
しかし、天正年間、織田信長の丹波攻略で建物をことごとく焼失しました。その後、享保の始めに天岩明啓(てんがんめいけい)禅師が再興し、1799年には、弘巌玄猊(こうがんげんげい)禅師が柏原藩の援助を得て再び再建し、現在に至っています。
建物は現在、惣門・山門・仏殿・方丈・鐘堂・多宝塔などがあります。
また、紅葉の名所としても知られています。』とある
腹も減った下山するとしょう





マスクをしていなければコロナ禍にあったとは思えない盛況ぶり
ぼちぼちでんな~


一応 丹波牛と松茸 どれも味はよかった

H交通社の定番「おみやげ」付
帰りは宝塚で降りてJRで帰った
お陰様で今年の秋も紅葉で目もお腹もいっぱいになりました
ぼちぼち来年の紅葉計画を立てないと・・・
了