淀川の北部遺跡を巡る

10月とはいえ連日30℃前後の真夏日が続く
青空は素敵なんだが果たして最後まで歩けるだろうか

四条河原町駅から阪急電車の特急で途中長岡天神で普通電車に乗り換え「大山崎駅」で降りる
京都・大阪間は新幹線と阪急電車とJR東海道線と淀川と名神高速道路が並行している
数十年前に来たときは高架駅では無かった

駅から歩いて3~4分の所に大山崎町歴史資料館がある
兎に角この地は歴史的にも要衝の地である
政治経済の中心だった大阪・京都の特に京都の入り口に当たる
背後の天王山と前面の淀川との間が狭いのでここに集中するのである
山崎の津から荷物を降ろし物集街道(もずめかいどう)から京の街に物を運んだ
特に菜種油・荏胡麻(えごま)の流通・生産が行われ商人達の隆盛を極めた
 資料館は撮影は禁止
入り口の兜だけはOKだった

展示はパネルや映像などでわかり易く今時の展示方法なんだ
「山崎合戦コーナー」や「利休コーナー」「古代コーナー」など
「利休コーナー」に因ると山崎の合戦後秀吉は直ぐに大阪には入らず
大阪城を築城するまで山﨑城にいた
その時には利休も一緒であった
JR山崎駅前あたりに妙喜庵という庵(国宝「待庵」は犬山の如庵・大徳寺の密庵戸ともに国宝三茶室
を結んでいた
その再現複製があった(現物見学は要予約で今はコロナで閉鎖中)

(NETより)

妙喜庵の目の前がJR山崎駅(駅の山手に行くとアサヒビールの美術館がある「モネの睡蓮」で有名)

(歴史観パンフより)
山崎津と河陽(かや)離宮の模型
そして模型の河陽離宮が有ったと言われる本八幡神宮はここから5分程の所

これだけの心礎というのは相当大きな建物だったんだ
 

河陽宮故址の同じ石碑の左面は「本邦製油発祥地」の文字
NETによると『
山崎には、大山崎油座という、鎌倉時代から戦国時代にかけて、山崎地域で荏胡麻(えごま)油を、原料の仕入れから製油・販売までを独占して販売し発展していた座がありました。座の構成員は主に離宮八幡宮の神人であったといいます。石清水八幡宮の神事に携わったことから、当時の幕府や実力者達から保護を受け、崇敬心や神威をかざして巧みにふるまい特権を拡大していました。大山崎を「荏胡麻製油家の元祖」として,諸国の関所や渡し場を自由に通行できるようにし,課益を免除しました。おかげで最盛期には近畿内だけでなく、美濃・尾張まで広げていたそうです

大山崎油座は、応仁の乱による山崎の荒廃、さらには戦国期の織田信長の楽市・楽座の制により繁栄の終焉を迎えます。やがて菜種油が普及するにいたり崩壊をむかえました。現在の大山崎の地では、離宮八幡宮所蔵の資料や碑によってでしか確認することができません。

 

さて、ここで出てきた荏胡麻(えごま)油ですが、当時の油は、この荏胡麻(えごま)油が主流でした。油は、主として照明用の灯油として用いられ、灯油の最大の需用は寺社の灯明用でした。江戸時代に菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えば、このエゴマ油でありました。材料であるエゴマはシソ科の一年草であり原産地は東南アジアです。種子から絞った油がエゴマ油ですが。中世以降は生産されなくなっていきました。山崎では絞る絵が、いくつか残されています』

菜種の前は荏胡麻だったんだ
いつの世も油は利権の元なんだ

(ほんまかな 誰が見たんや)

吉川英治の作品にも登場していた
(主人公足利高氏が難波津から山﨑まで淀川を上った時の文)

宮を出て西国街道を西に歩くと水無瀬川にある

(本当に水が無い)
川を挟んでここはもう大阪府なんだ
「水無瀬川」の看板の左の電柱との間にみえる白い角の様なものが「サントリー水無瀬工場」

新幹線と阪急電車と並列で走る高架沿いを10分ほど歩くと住宅地の中に森が見える
 承久の乱で隠岐に流され亡くなった後鳥羽上皇が生前住いした水無瀬離宮の跡地に
1240年建立されたという


都忘れの菊やら梅やら よほど都が良かったんだ


名水の前にはいつもポリタンクの列が
一口とか500mlだけの人が後ろにいたら拙者だったら優先してあげるが
夫婦で3タンは長い
そんなに冷たくもなくま~美味いと言っておこう
ここから阪急電車の次の駅水無瀬駅まで12~3分 暑い! 離宮の水もすぐ無くなる

水無瀬駅から2駅で高槻市駅
駅から約1km京都寄りに次の目的「安満(あま)遺跡公園」がある

(道路に貼ってある)がんばるぞ~
この公園はNETによると
安満遺跡公園 (あまいせきこうえん)は、 大阪府 高槻市 八丁畷町 12番3号にある 都市公園 (歴史公園)である 。 高槻市 中央部の八丁畷町にあった 京都大学大学院農学研究科附属農場 (以下、京大農場)跡地に所在する広大な歴史公園である。 京大農場の移転に伴い、弥生時代の遺構が残る安満遺跡の保存・活用及び高槻市中部における防災機能の向上を企図し、その跡地を含めた一帯を「安満遺跡公園」として整備した。 公園内は大きく 2019年 (平成31年)3月に開業した南西部の1次開園エリアと、 2021年 (令和3年)3月に開業予定の2次開園エリアに分けられ、1次開園エリアには公園の中核となるパークセンターや飲食店などが、2次開園エリアには歴史拠点施設や多目的広場などが設置されている。
とある 設備も真新しい


(パンフの一部 空から見た環濠集落の範囲 白いのは白砂 赤い屋根は資料館))


遺跡を中心に野外スタンドやレストランや芝生広場などが有り天気もよく多くの家族連れで
賑わっていた

資料館では短い映画がある

スクリーンが床まであるのでまるで自分がその世界にいるような気分になる

上の写真の3分の1のところから手前が床である 上手くできている
「酔いやすい方はお気を付けください」と書いてある

広場から見た高槻市中心部
タワーマンションのあたりがJR高槻

JR高槻駅前から次の訪問地今城塚古墳行のバスが出ている
歩いて15分 暑い!
古墳前までのバスは土日以外は午前中1~2本
古墳から歩いて10分のコースのバス停で降りる
それは突然目の前に現れた
道路のすぐ傍

ここに来るのは3度目だが来るたびに整備が進んでいる
天皇陵と言われながらもやはり立ち入り自由というマニアにとっては貴重な古墳である
NHKで何度も特集し殆どの学者がこちらが本当だと指摘しても
宮内庁は巌として近くの太田茶臼山古墳を継体天皇陵としている


以前は上のような埴輪など一切無い
古墳としての輪郭も保てない広場のようだった

整備前と整備後の写真
やはりマスコミの取り上げ方と財政豊かな街にあったのが幸いしたのかな
古墳の隣に「今城塚古代歴史館」がある

さすが高槻市 入館無料!
展示館も展示物も展示方法も素晴らしい
展示物が多く上げればきりが無いが
何といっても軍事関係の多さ

石棺もすごい

埴輪も素晴らしい

力士

展示法も素晴らしい

見ていたら際限がない

洋の東西も無く1500年前の人間の所作がよくわかる
タイムスリップも終わり暑い道中を家路に着く
楽しい1日でした