京都地下鉄烏丸線に沿って
昨
年の7月廬山寺の桔梗を見ようと思っていたらコロナで閉山
今年は8月中頃まで見ごろと出ていた
TV
番組で「京都国際会館」の紹介があり是非いきたいと思い調べると
見学は月1回15名程度 指定日にガイドの案内で10時半と14時の2回 各1時間
と
ある
「京都迎賓館」「仙洞御所」「桂離宮」「修学院離宮」よりも回数が少なくしかも抽
選とある
残念と思っていたら「お知らせ」覧に7月22日~25日の間はガイドは付かないが予約なしで
館内が撮影出来るとあった
知人が「相国寺で若冲展が有りますよ」と知らせてくれた
上手くこの時期にまとまった
調
べると京都地下鉄烏丸線上に沿っていた
国際会館前駅は烏丸線の北の終点である
南は近鉄京都線と乗り入れていて奈良・吉野まで行ける
地下鉄と会館は地下通路と地上の橋を渡れば徒歩
5分
会館入り口から見た「イベントホール」と比叡山
10時開場に10名ほどがロビーの展示物を見ながらで待つ
設計者大谷幸夫のプロフィールや来館者の名前や写真が展示されている
会館の紹介挨拶文
『
ICC Kyotoは京都市内という日本の文化の中心にありながら、市内中心部からも15分程度と恵まれたアクセス環境にあります。1966年の開館以来、15万6,000㎡の広大な敷地に、本館、イベントホール、ニューホール、アネックスホール、日本庭園のほか、隣接するホテルを擁し会議専用のコンプレックスエリアを形成してまいりました。「人は自然の中に集い話し合う」というコンセプトの下、設計されたICC Kyotoには、風光明媚な宝ヶ池を借景にとりこんだ日本庭園があり、シンボル的な存在となり多くの方に愛されています。この庭園を望む四季折々の風情が楽しめる宴会場や、ICC Kyotoの中心的な場所に位置し、多くの人々をお迎えする広くて開放的なロビー・ラウンジと70室に及ぶ会議場等が一体となって「人々の交流の場」をつくり出しています。開館以来、1,200万人の方々をお迎えしてまいりましたICC Kyotoは、これからも人々の交流のための貴重な舞台でありつづけるために、2018年に、あらたなステージに進みます。』
エントランスからホールに向かう
メインホール
ここで歌ったら気持ちいいだろうな~
サイドの通訳室
庭に面したレストランでアイスコーヒ(300円)を飲んで庭に出る
結構なお点前でした
駅に向かう頃には多くの入場者が続いていた
地下鉄の駅で5~6ヶに今出川がある
地上に上がると今出川通りを挟んで右側京都御所 左側が同志社大学今出川キャンパスである
大学のキャンパスの間の道の突き当りが目指す相国寺である
相国寺のNETによると
『
京都駅の前にのび、京都の真中を縦貫する大通り、烏丸通りを北上すると、ほぼ京都の中心あたりに京都御所があります。京都御所の北の門、今出川御門の前の通りを北上すると相国寺があります。
この地はもと、伝教大師開創の出雲寺、源空上人の神宮寺(後の百万遍知恩寺)、安聖寺の旧跡にまたがっています。創立当時の相国寺は南は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町、西は大宮通にわたり、約百四十四万坪の寺域がありました。現在でも東門前には「塔之段」という町名が残っており、かつての七層宝塔の旧跡といわれています。「毘沙門町」は毘沙門堂址であると言われています。
現在は相国寺の南には同志社大学、北には京都産業大学附属中学・高校がありますが、これら学校の敷地の大部分は天明の大火以後復興できなかった寺院や、明治維新後廃合した寺院の址地です。幕末に諸堂が再建され旧観を復するにいたったのですが、現在の寺域は約四万坪あります。
境内には本山相国寺をはじめ、十三の塔頭寺院があり、山外塔頭に鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺があります。また全国に百カ寺の末寺を擁しています。』
とある
撮影禁止の為ここまで
今回若冲の出品作品で特に感動したのは
「釈迦三尊像図」
「月夜芭蕉図」
「鶏の若冲」のイメージが強いが2m近い三尊図の前に圧倒される
金閣寺の壁に描かれている「葡萄図」や「芭蕉図」の中でもこの「月夜」は構図と言い色のバランスが絶妙
「群鶏図」
しかし何といっても「鶏」には若冲そのものが入り込んでいるように思った
(上三点はNETより)
流石に相国寺 展示物には若冲以外にも「丸山応挙」「与謝野蕪村」などもあった
猛暑の中御所に沿って御所の東端 寺町通りを南に下る20分
寺域は寺町通りに面し河原町通りまで
寺の隣の「京都府立文化芸術会館」では毎年「仏像展」があり
すぐ前の「梨木神社」や「御所」には来ていたがこの廬山寺はいつも門が閉じられていた
「追儺」と「桔梗」が有名でこの時以外は開けないようだ
今回廬山寺へは庭に行くのとは別にもう一つの目的がある
寺の南側の端の通路の奥に墓地がある
立派な方のお墓が並んでいる
これが目的ではない
墓の東端 河原町通リにも面している土手が目的である
上の写真で赤い太い線が秀吉の「御土居図」である
鴨川の氾濫から京の町を守るために作られた
その一部が現存するのがこの場である
京都市文化財保護課のホームページによると
『 御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。
江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。
昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,また,広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され,現在9箇所が指定地となっています。
また,これら指定地以外では,北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも,部分的に御土居が残っています』
「史跡御土居」の石碑は廬山寺からしか見れない
上の写真は河原町通リからみたもの
ただの雑木林の様に見える
河原町通リを挟んで向い側は「京都府立医科大学」である
御土居の一部はJR京都駅の北端「丹波方面行き」のホームとなっている
寺の門前に戻り500円の拝観料を払い源氏物語に関する作品や資料を見て
「桔梗の庭」にでる(写真は庭のみOK)
縁側に座り込む
涼しい風が背中から吹き通る
紫式部もこの風にあたったのだろうか
河原町丸田まで出て帰途に着く
いつもながら鴨川は透き通っていた
了