コロナ禍の中
日帰りお散歩

  
その1


 
京都八幡市橋本の国史跡樟葉台場跡から国宝男山八幡まで歩く



子供たちがサッカーなどしている
楠葉とか樟葉とか葛葉とかクズハと書いて大阪と京都の中間地で少しハイカラなイメージのNEWTOWN

古事記(中)崇神記(三)建波邇安王の反逆
『またこの御世に多毘古命をば高志道に遣わし・・・・・・
ここに日子国夫玖命乞ひて伝わく「其方の人まず忌矢弾つべし」といひき、ここにその健波爾安王
射つれども得中てざりき。
ここに国夫玖命の弾ちし矢は、即ち健波爾安王を射て死にき。
かれ、その戦 悉に破れて逃げ散けぬ。ここにその逃ぐる軍を追ひ迫めて、久須婆の渡に至りし時、皆迫め窘められて
屎出でて袴に懸りき。かれ其地を号けて屎袴と謂う。(今は久須婆と謂う)』
とある

日本書紀には
『武埴安彦先射 彦国葺。不得中。後彦国葺射埴安彦。中胸而殺意焉。
其軍衆脅退。則追破於河北而斬首過半。屍骨多溢。故号其処羽振苑。
亦其卒怖走 屎漏干褌。乃時人号其脱甲而逃之。知不得免叩頭曰 我君。
故時人其脱甲処曰伽和羅 褌屎処曰屎褌。
今謂樟葉訛也。』
とある

なんと夢の無い地名の由来
紀記には地名の由来が多く出てくるがこれは最悪の部
天の下には臥しておこう


この寺内にも勤王の志士たちに追われた大阪城に向かう幕府の侍たちはいた



「橋本」の遊郭街の趣を残す

橋本の駅前から男山に登る道を駅前のクリーニング屋のおばさんに聞いたら
よくわからないと言う
「今 砲台跡から男山迄歩いているんですけど」と言うと
「その砲台跡てなんですか」と聞く
「いや~そこのマツモトキヨシの店の後ろに大きな広場があるじゃないですか」
「へ~そうなん」
「ここと川向の山崎にも砲台があって京都の町を守っていたんですよ。新選組は伏見から逃げてくるとき 橋本で一休みしている時に
山崎からの砲弾で多くの隊員が亡くなったんです」など言うと
「へ~ 50年から住んでいるけど知らんかったわ ええ話聞かせてもらいましたわ」
チコちゃんは絶対吠えると思う



この花の名は



最近国宝となった本殿



現在の「松花堂」は2kmほど離れた場所にある
ここが元松花堂のあったところとは
「泉坊」と言っていたんだ



どこの神社も山全体が敷地だったんだろうな
特に寺関係は明治の廃仏毀釈はその痛手が大きい



毎年「放生」のTVニュースを見るがここでやっているんだ



これが正式な大鳥居



名物「走井餅」はここが本家なんだ
駅前からケーブルに乗るとまずここには来ない
何度も来ているがしらなんだな~

滅茶柔らかくて美味いのだが値段がね・・・・・

追記

時改まって水無瀬近辺の案内書を読んでいると「八幡市の岩清水八幡宮」は水無瀬の「岩清水八幡宮」から
分祀されたとある。
八幡岩清水八幡宮(H・P)の歴史説明では
平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
とある
しかし水無瀬離宮の説明には

『貞観元年(859)清和天皇が国家鎮護のため、平安京近くに八幡神を勧請せよと勅命を下されました。勅命を受けて僧行教は、九州の宇佐八幡宮に向いました。八幡神の分霊をいただいて戻ってくる途中、山崎の地で夜耀く光が見え、その地を掘ると岩間に清水が湧いたので、ここに社を建て、「石清水八幡宮」としました。そしてこの場所は嵯峨天皇の離宮「河楊(かや)離宮」の跡地であったので、離宮八幡宮と改名されました。
また淀川の対岸にも分祀され、以後はそちらが「石清水八幡宮」と呼ばれるようになりました。』
とある

さてさて真相はいかに


その2


私市から天の川・星のブランコから磐船神社まで歩く

京阪電車私市線私市駅から往復6~7kmくらいだろうか
天の川沿いにハイキングコースがある
磐船神社は何度か車で行ったことがある
ここは京都と奈良と大阪の端境の三角点に位置する
桓武天皇が交野離宮を敷て以来皇室の御料地となり禁野の地名も残している
大阪府交野市とあるが交野とは「河内国」一帯をさし和歌ではその枕言葉である

俊成に『またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪ちる 春のあけぼの』
女御入内屏風『またもなほ 人にみせばや 御狩する 交野の原の 雪の朝を』
とある 

大阪市大研究の植物園もあるがコロナ禍で閉園

へえ~国定公園なんだ

同年輩の人達が崖登りをしている
マスクも何も世間とは別の世界があるんだ


神社の先のトンネルを超えると奈良県になる


ここからの下りの坂が滅茶 急だった



岩巡りはコロナ禍で休止中

神社の横の喫茶店でアイスコーヒを飲む
ここにバス停があるがこのバスは土・日しか走っていない

帰りは少し楽かな
登りもあるので結構なハイキングでした 云爾