百二段 kantaのメモ その1
世阿弥一族の悲劇
猿楽出世の恩人で観阿弥の後援者だった将軍義満が死んだ。義満の後を継いだ義持は田楽に力を入れたが、観世の猿楽もほぼ従来通り重用された。世阿弥は応永二十九年(1422)出家し、観世太夫を長男十郎元雅に譲った次男元能や甥の元重も成長し一座は充実し、世阿弥はこの頃多くの伝書を書き、能を創作し、演じ、指導者としてはりきっていた。
ところが、将軍義持が死に、出家していた弟が還俗して義教となった頃から世阿弥一族の運命は傾き始める。
義教は世阿弥の甥の元重を偏執的に寵愛し、勢い世阿弥父子の利権を次々に奪って元重に与える。「観世座」の凋落は必至であった。もはや世阿弥個人の技芸や業績はなんの役にもたたなかった。次男元能は家業を捨てて出家し、長男元雅は伊勢の地で没した。彼は「隅田川」「盛久」「歌占」「弱法師」などの佳作を持ち、能作者としても役者としても特異な才能を示した観世太夫であった。彼の死で「本家世阿弥座」は破滅した。
永享六年(1433)七三才の世阿弥は老体をして佐渡に配流された。理由は定かでない
酒澆胸次之磊塊 さけはむねのうちのかいらいにそそぎ
菊制短世之頽齢 きくはみじかきよのたいれいをとどむ
墨以傳千古文章之印 すみはもってせんこのぶんしょうのしるしをつたえん
歌以寫一家兄弟乃情 うたはもっていっかのきょうだいのじょうをうつさん
江山萬里倶頭白 こうざんはばんりにしてともにあたまはしろく
骨肉十年終眼青 こつにくはじゅうねんなれどついにめはあおし
連床夜語雛戎暁 とこをつらねてよるかたればにわとりはあかつきをいましめ
書嚢無底談未了 しょのうにそこなくものがたりばいまだつきず
有功翰墨乃五如此 かんぼくにこうあることはすなわちかくのごとくなれば
何恨遠別音書少 なんぞとおくわかれてたよりのすくなきをうらまんや
炊沙作糜終不飽 すなをかしぎてかゆをつくるもついにあかず
鏤氷文章費工巧 こおりをきざみてぶんしょうをたくみをついやすのみ
要須心地収汗馬 すべからくしんちにかんばをおさむるをようす
孔孟行世日杲杲 こうもうのよにおこなわるることひびにこうこうたり
有弟有弟力持家 おとうとありおとうとありてつとめていえをささえ
婦能養姑供珍鮭 つまはよくしゅうとめをやしないてめずらしきさかなをきょうす
兒大詩書女絲麻 むすこはだいにしてしとしょとをよみむすめはいととあさのわざす
公但讀書煮春茶 もちはただしょをよみてはるのちゃをによ
ダイエット考
何度も何度も挑戦するが、駄目。 原因は食べ過ぎとわかっている。でも本来体が肥満(脂肪の過剰蓄積)を阻止するようにできていると思うのだが。遺伝子異常があるのかもしれない。 視床下部にある食欲中枢は空腹を察知して摂食行動をとる。現在市販のマジンドールはこの中枢を麻痺させて食欲を減退させる。満腹中枢もこの視床下部にある。 そんなに肥るほど食べていないのにというのは、脂肪代謝の問題かもしれない。レプチン産生異常、レプチン受容体異常、TNF-〆、β3アドレナリン受容体変異など。 いずれにしても摂取と消費のアンバランスなのは違いない。
私の場合両親からしてヘテロ的にどれかがあてはまるかもしれない。ということは人一倍のたゆまゆ努力が必要なのか。
あきらめようかな。
*レプチン〜ギリシャ語の「やせ」を意味するレプトスからきたホルモン。主に脂肪細胞で合成され血中を介し視床下部に働きレプチン受容体を介して結合し、エネルギー消費、糖及び脂肪代謝の調節をおこなう。
*TNF-〆〜tumor necrosis factor(腫瘍壊死因子)のことで一時夢の抗がん剤といわれた。重篤な感染者、癌患者がなぜやせるのかということから研究された。リポ蛋白リパーゼやアセチルCoAカルボキシラーゼ及び脂肪酸合成酵素活性を抑制、脂肪蓄積を減少させる。
*β3アドレナリン受容体〜脂肪組織にはエネルギーの蓄積の場である白色脂肪組織と熱産生臓器である褐色脂肪組織とがあるが、このレセプターは脂肪組織に多くみられ褐色脂肪に特に多く、熱産生を活性化し、また白色細胞では脂肪分解を促進する。
唇歯輔車(しんしほしゃ)〜互いに助け合って成り立つ関係。「唇歯」はくちびると歯、「輔車」はほほ骨と歯茎のことで、片方が失われれば他方も立ち行かない密接な利害関係。
酔生夢死(すいせいむし)〜酒に酔ったり夢をみているような状態で一生を生きるかつ終わること。ただ漫然と一生をすごすこと。
粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)〜米の一粒一粒が農民の辛苦の結晶であることから、物事を成就するため苦労を重ね地味な努力をつづけること。
拳拳服膺(けんけんふくよう)〜常に心に抱いて忘れず守ること。「拳拳」は両手で捧げ持つこと。「服膺」は胸につけること。
行尸走肉(こうしそうにく)〜無学、無能の人をたとえていう。尸(したい)肉にすぎないものが歩き走ること。
「突然応援隊」の出現
阪神や近鉄が上位になると突然ファンが表れ、応援隊が出現する。
ゴメン。小泉応援隊になった。頑張れ頑張れ、橋本、江藤、亀井の妨害に負けるな!と。今君が頑張らないと、自民党いや日本が潰れる。第二電電応援隊になった。君が頑張らないと日本の通信事情がよくならない。外資系銀行・保険会社応援隊になった、君が頑張らないと日本の金融・保険の目が覚めない。どうも人間というのは競争がないと動かない動物のようだ。
その調子でいうなら、第二電車、第二電気、ガス、水道。第二市役所(同じ町に2つの行政組織があり、市民は安くて、サービスの良いと思われるほうに税金を払うシステム)などができれば、それに建築、医療業界がもっと開かれ、淘汰されたならこの国ももう少し未来がみえてくるかも。 合掌
松本明慶師から師の作品の入ったポストカードがお礼状として送られてきた。
沢山の人が行かれたのに多分全員に送られているのだろう。
なんか、タレントからサイン入りのプロマイドをもらったような、とても気恥ずかしいような、恐縮至極ただただお礼を述べるしかない。 「ありがとうございました」
我思う断片
この地球にとって「人類」とはまさに「癌細胞」そのものではないか、と。地球と言う体から生み出された人間という癌細胞は今や60億個にならんとする。
この「癌細胞」はいまも限りなく無制限に増えつづけており、しかもたちの悪いことに転移も激しい。肺「である森」の正常細胞はどんどん減少し、血管「である海、川」は汚され侵食され、堰きとめられ閉塞状況を呈し、他の細胞(人類以外の生物)との調和も取れづ、傷つき、悪臭を放ち、その悲鳴も人命尊重の名のもとかき消され、将に死に体同然ではないのか。余命幾ばくもないのだろうか。体のもつ自浄作用も圧倒的多数の前にはなすすべもないのか。
ただ幸いなことに、この「癌細胞」の中にわずかではあるが、自分たちは地球という体が健全ではじめて生き長らえるのだと自覚する細胞もあるということだ。
一時も速くこの「自覚細胞」を培養(できればPCR法を使って)し、体中の組織に浸透させ共存を図らなければならない。
思うに地球が健全に存続できる為の人間の数とはどのぐらいなんだろう。なんの制限もなく人間の増加を黙認していてもいいのだろうか。
他の種は、増えすぎれば自然淘汰と言う原理が働いている。人間も同じでいいのだろうか。さすれば、どこそこでの飢餓や寒さや暑さによるネクローシス、あるいは同種殺戮も自然淘汰として看過されるべきなのか。人道的キャンペーンで人類は皆兄弟などと援助協力を訴えるが、それと同時に国際超法規の創設の基人口調整をはかるべきではないのか。
かつては「まびき」現在は「堕胎」という同意的殺人がおこなわれているが、二酸化炭素の排出量を取り決める前に人間の生産数制限をやるべきではないのか。地球という箱舟が沈没する前に。
謡曲「道成寺」で有名な和歌山県川辺町の道成寺では4月27日鐘供養がおこなわれる。
鐘供養大蛇なかなか現われず 嶋 杏林子
小泉純一郎が勝った。
彼に捧げよう。
葡萄美酒夜光杯 ぶどうのびしゅ やこうのはい
欲飲琵琶馬上催 のまんとほっすれば びわ ばじょうにうながす
酔臥沙場君莫笑 ようて さじようにふするを きみわらうことなかれ
古来征戦幾人回 こらい せいせんいくにんか かえる
王翰
考古学断片
- 大正五年 喜田貞吉博士は「日本天皇家の祖先は扶余・百済系である」
- 司馬「われわれの文字の元祖は百済にある。この文字は漢音か呉音かを考える。呉音は百済から来たのであって、呉音は具体的にいえば蘇襲州とか揚子江の南、江南語であって百済と六朝との関係から中国音といえば呉音なのだ。呉音では正月(しょうがつ)漢音では(せいげつ)という。統一新羅では呉音を捨て、一語一音だが、日本では併用になってしまった。
- 百済王氏の活躍は百済王敬福に象徴されるがその登場の土台は古くから交野の里(枚方)を中心に政治、経済、文化に大きな役割を果たした百済系渡来人につながる。後に桓武天皇が「百済王らは朕が外戚なり」という。
いよいよ癌治療にも遺伝子治療が始まろうとしている。
癌治療の限界を突破する治療法がなかなか見つかっていない現在、燭光が見えてきた。アメリカのバイオテクノロジーのベンチャー企業、イントロジェン・セラビュ―ティクス社が「PPR/ING N201」というアデノウィルスをベクタ―としてP−53を1本1ccのバイアスとした商品を出した。もっとも商品といっても現在未承認で第3フェーズまでなのだが、世界中20時間以内に届け、配送代のみ徴収するという。日本でも現在数千人が試用中だが勿論一切の保証は無い。末期患者のボランテア精神に頼っている。しかしP-53が的確に患部に届けばその効果は抜群で、身襲少なくして活動性細胞の停止、縮小を図れるという。ここでP−53とは、日々身体に生じてくる癌細胞を監視、死滅させるいくつかの蛋白でも最も強力とされ、癌細胞のDNAに入り込んでそのアポトーシス(その細胞がある状況、時期がくると自分自身を殺す、いわゆる自然死と訳される。ギリシャ語の枯葉からきている)をひきおこす。問題はいかに的確にその遺伝子のDNAに到達させるかである。現在は直接癌細胞に注入する方法だが、将来経口でもDNAに届く技術が開発されれば、在宅でも治療できる可能性もある。ここ1〜2年で承認、5年以内に世界中で使用されるものと思われる。
今世界中の企業がこのDNAへの運びや(ベクター)捜しにやっきになっている。イントロジェン社はレトロウィルスのアデノウィルスを選択しているが、より効率のいいベクターがのぞまれる。HIVの毒性を完全にぬいてしまったものをベクターにしようという試みもある。
そして更にすすんだ方法として1998年、フィラデルフィアにあるキメラ−ゲンというバイオベンチャー企業はキメラプラストというDNA修復機能を持つ人口ヌクレオチドを使う方法を発表した。生体が本来持っているDNA修復機構を積極的に活用し、異常遺伝子を直すということで、人口ヌクレオチドはその修復能力をうまく引き出し正しい方向づけを与えるための情報分子として働くという。
これこそ夢の治療法ではないのか。期待をもって見守りたい。
韓国の高速通信化が進んでいる。韓国1600万所帯の内この三月末で510万件を突破した。世界で十位以内の「情報化大国」をめざすものとして画像なども自由にやりとりできるブロードバンド通信に拍車がかかっている。
今や情報後進国となった日本ではやっと高速通信の入り口に来たところだ。この遅れの原因はなんなのか。
これ又韓国の情報。韓国の国家プロジェクトとして次世代技術のナノテクノロジー(極微細技術)が一歩先んじている。
十億分の1mを意味する「ナノメートル」サイズの加工や分子を操作するナノテクは、電子部門だけでなく医療品や新材料など応用は多岐にわたる。
頭を染めて喜んでいる場合ではないと思うが・・・・
我思う断片
電車に乗った。一瞬どこかの国にまぎれ混んだのではないかと思った。。皆の頭が赤い。床に座り込んでパンとジュースを食べている若者群。耳に飾りをつけている男の子。しゃべっている言葉も理解できない。確か数年前まで頭を染めているのは特殊な職業の女性と白髪隠しのおばあちやんという認識が強いが、今や猫も杓子も子供も大人もにいちやんもおばはんもか。別に何をするのも個人の自由ではあるが、問題は彼等の美意識が見当たらないことだ。本当に似合わない、汚らしい、みすぼらしい。お金を使って髪の毛を痛め、それで汚らしいのだから処置無しだ。男の子が毛染めに時間を費やしている姿を想像するだけで憂国の念に絶えない。『徒然草』に「何事も古き世のみぞしたはしき。今様は、むげにいやしくこそなりゆくめれ」とある。古代の倭人は体中によく絵を書いたり入れ墨をした、と魏志倭人伝にもあるが、これは海人を生業をとしていた倭人が鮫避けの目的でもあったらしい。電車の彼らはその末裔であろうか。
若者の体力、モラル、学力低下が叫ばれて久しい。ぼちぼち、彼らの頭の中を美意識のある色に染める時代がきてもいいのではないかと思う。
メガ(毎秒100万回の処理能力)メガ(100万バイトのメモリー)メガ(毎秒100万ビットの情報をやりとり)
ギガ( 〃 10億 〃 )ギガ(10億 〃 ) ギガ( 〃 10億 〃 )
テラ( 〃 兆 〃 )テラ(兆 〃 ) テラ( 〃 兆 〃 )
ぺタ( 〃 千兆 〃 )ぺタ( 千兆 〃 ) ぺタ( 〃 千兆 〃 )
*バイト・・・コンピュータの単位のことで、0あるいは1で表される2進数の一行をビットとよぶ。これが情報量の最小単位で8ビット(8桁の2進数)が1バイト。
1バイトは256種の情報を表すことができる。数字、アルファベット、かな文字は1バイトで表現できる。漢字は2バイト。
中性脂肪(トリグリセライド)が高い。家族性だ。運動不足か、食べ過ぎか。
敵のことがもう一つよく判らない。
体内には@コレステロール・・・細胞膜の構成要素。ステロイド、胆汁酸の材料
Aリン脂質・・・細胞膜の構成要素。疎水性物質の親和性を保持
B中性脂肪・・・エネルギー源として蓄積。
C遊離脂肪酸・・・エネルギーとして利用。
の4つの脂肪がある。 このうちCはアルブミンと合体してエネルギーとして使われる。BとCをあんこのようにAとアポ蛋白とで包んだものをリポ蛋白といい、血液中に入って全身に運ばれる。
りポ蛋白の構造(ペイントで書く)
このリポ蛋白にも5種類ある。
一、カイロミクロン・・・比重0,95以上の粒子で極めて大きく脂質成分が85%をしめそのほとんどがトリグリセライド。
二、超低比重リポ蛋白(VLDL)・・・・比重は0,95より大きい直径はカイロミクロンより小さい、トリグリセライドを主体としている。
三,中間比重リポ蛋白(IDL)・・・比重は1,006より大きく1,019以下の粒子。直径はVLDLの約半分、肝性トリグリセライドリパーゼの働きで低比重リポ蛋白へ変換される。
四,低比重リポ蛋白(LDL)・・・比重は1,019より大きく1,063以上の粒子。約半分がコレステロールエステル。悪玉コレステロールと呼ばれる。
五,高比重リポ蛋白(HDL)・・・比重は1,063より大きく1,210以下の粒子。善玉コレステロールとよばれる。
今まで高トリグリセライドと動脈硬化との関係がもう一つよく判っていなかった。これが高いとHDLが低いという逆相関の現象は認められていた。が最近の疫学調査結果では動脈硬化症との関係が定説となりつつある。
VLDLからLDLにいく途中の中間型リポ蛋白(中性脂肪とコレステロールが半々)レムナントと呼ばれるが、これが血管壁に入りやすいとか内皮細胞障害性があるとかが指摘され直接的、間接的に関係があるという。
治療法としては、やはり食事療法、運動(一日30分以上の早足歩き)薬物としては、フィブラート剤(ベザフィブラート、フェノフィブラート)、ニコチン酸製剤(コレキサミン、ペシリット)などがある。
うどんが好きだしな〜
年年歳歳花相似 ねんねんさいさいはなあいにたり
歳歳年年人不同 さいさいねんねんひとおなじからず 劉廷芝
人の世は山坂多い旅の道
年令の六十にお迎えがきたら
還暦(かんれき六十才)・・・とんでもないよと追い返せ。
古希(こき七十才)・・・まだまだ早いとつっぱなせ。
喜寿(きじゅ七十七才)・・・せくな老いらくこれからよ。
傘寿(さんじゅ八十才)・・・なんのまだまだ役に立つ。
米寿(べいじゅ八十八才)・・・もう少しお米を食べてから。
卒寿(そつじゅ九十才)・・・年に卒業はない筈よ。
白寿(はくじゅ九十九才)・・・百才のお祝いが済むまでは。
茶寿(ちゃじゅ百八才)・・・まだまだお茶が飲み足らん。
皇寿(こうじゅ百十一才)・・・そろそろゆずろうか日本一。
念ずれば花ひらく
記憶について
記憶というのは何によらず2つの要素を結びつけることの上に成立している(人の名前と顔、言葉の音とつづり、場所とそこにあるもの、などなど)。何らかの結びつきを覚えることが記憶ともいえるわけで、記憶の基本メカニズムはNMDA受容体の独特の性格による2つの信号の結びつけ能力にあるのではないかという推測がある。
もう一つNMDA受容体が記憶と関係が深いと推測される理由は、必要な信号の片方は何らかの繰り返し刺激から生まれるという性格である。
記憶の基本メカニズムとして前から強い仮説となっていたのは、繰り返し刺激によって神経細胞のシナプス部分の信号の通りがよくなる「長期増強(LTP)」現象である。頭で覚えることでも、体で覚えることでも、くりかえせば繰り返すほどよく覚えられるということは誰でも経験しているはずである。
実験事実としてもニューロンには、繰り返しによる長期増強現象があらわれるが幾つかの実験で確かめられたしかしなぜLTPが起こるかはまだ不明。
*NMDA受容体・・・脳の中では多くの神経伝達物質とその受容体が働いているが、これはそのうちでも興奮性の速い神経伝達をになうグルタミン酸の受容体で記憶など高次の神経機能にいちばん関係が深いとされている受容体。
第四十回仏像彫刻展にいった。
松本明慶師以下20名の作品である。師は現在日本でも最高峰の大仏師で、若い有能な仏師の養成と共にその集団としてのパワー、作品の完成度、プロ集団としての規模、どれをとっても今や日本を代表する仏師集団、「明慶派」として「松久派」と
双璧をなしている。残念ながら、写真撮影禁止、カタログもなし。現地でしかその作品はお目にかかれない。毎回拝仏後刀を捨てようと思うが、彼等はプロだと自分に言い聞かす。
会場の隣に仏具会社の展示会があった。その中に「刺繍両部曼荼羅」があつた。北宗の都。開封に宮廷刺繍として栄えた最も繊細優美な技法で3年の歳月をかけている。宮廷内に「文繍院」が設けられ全国から優秀な繍女を三百名も集め、皇帝・后
妃・宮廷貴族の為のご服、生活用品、装飾品に刺繍を施してその技量は中国一と言われる迄に発達した。
この宮廷刺繍又は官繍といわれる開封刺繍の一番の特徴は、髪の毛程の細い刺繍針を使い毛髪の五分の一程の細かい絹糸・金糸を使い
独特の刺繍秘法で色の濃淡、精緻な表現力で「中国一絶」と表される。古くは中国国宝絵巻の「清明上河図」の再現、最近では国内外の国賓の肖像画を表し、称賛されている。一般的に蘇州の蘇繍、長沙の湘繍、広州の粤繍、成都の蜀繍を中国四大刺繍と云われる。
壬生念仏(みぶねんぶつ)・・・・壬生寺で四月二十一日から二九日に行われる鎮花法会の行事で、円覚上人が悪疫駆除のために法会を営み、融通念仏を唱えたのが始まり。これが壬生狂言に発達、国の重要無形民族文化財。
壬生狂言うなずき合うて別れけり 岸風三桜
春惜しむ鉦とこそ聞け壬生念仏 安住敦
字はどのようにしたら上手に書けるか、簡単に言ってしまえば,第一に基本の筆法をよく練習すること、第二に字の結構を詳しく知ることである。筆法と結構は同じではない。筆法は筆画一つ一つのの筆画をどう書くかということであり、結構は字の組み立て方である。
各々のことなった筆画を組み合わせ、一つの完全な美しい形をととのえることである。唐時代の人は書法を重んじ、用筆の法を研究するとともに、また形の調和にも心をくばった。欧陽詢のハ法と善奴に与えた筆訣はこの両面について独特な見解を示している。結構についての著書の中で、最もすぐれているのは欧陽詢の名にかこつけられている「結体三六法」と明の李淳の「大字結構八十四法」である。両書とも重点は字の重心の説明にあり、偏旁の避譲、比例から、いろいろな点画の配置の原則にまで及んでいる。点画の配置は、初めは平正になるようにつとめるべきで、平正にできるようになったのち、はじめて単調にならないように変化を求めるがよい。変化というのは、俯迎、向背、分合、聚散、端正、欹斜に外ならず、これに書者の思想や感情が結びついて、字の結構の上に精神、意態、韻味、神理などがあらわれるので、あたかも親しくその人を見るような気持ちになる。だから最高の書芸術は、その人の生命とその人の書いた字とが融け合って一体となり、全人格の表現となるのである。とは言うものの・・・・
友が総裁選のコメントを書けというが「目くそ、鼻くそを笑う選挙」にはちょっと・・・
せめて各候補のホームページアドレスをあげておくから勝手にみてね。
小泉純一郎 http://henkaku.jah.ne.jp/
橋本龍太郎 http://www2.odn.ne.jp/%7Ecap47570/hasimoto/top.html
亀井静香 http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~shisui/
麻生太郎 http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/index2.htm
春なれや名もなき山の薄霞 芭蕉
まぶた重き仏を見たり深き春 細身綾子
アマゾンのこと
古代ギリシャの伝説によれば、アマゾンと呼ばれる種族がコーカサス地方にいた。アマゾンは女性だけの国で,子供を産むため他国の男と交わるのだが生まれた子供は男なら殺すか不具にし、女なら右の乳房を切り取った。というのはアマゾンの女たちは、戦闘と狩猟をもっぱらとし、主として弓を武器としていたからだ。右の乳房の出っ張りは弓を引く邪魔になるのである。
アマゾンとは、ギリシャ語でa(without)+mazos(breast) つまり乳房なしの意味である。ここでは男性と女性の地位が我々の世界とは逆転し、軍人、役人、政治家その他一切の公務は女性によってなされた。16世紀に南アメリカを探検(というより侵略)したスペイン人オレラナは、コニヤ・プ・ヤラと呼ばれる女族と遭遇している。彼女たちは農耕に従事していたが、弓矢の戦闘にも習熟していた。そして毎年一回だけ隣接する種族の男たちの訪問を許して子供を産んだ。生まれた子供のうち、女の子は自分たちで育て、男の子は父親たちのところにひきとらせた。オレラナはこの種族こそ古代ギリシャの伝説にいうアマゾン族に違いないということで、コニヤ・プ・ヤラ族の住む土地を流れていた南アメリカ最大の河にアマゾン河という名前をつけたのである。
ホタルがエネルギーを光に変換する効率は90%以上と蛍光灯などの既存の光源が最大20%程度なのに比べ各段に高い。ホタルは酵素を介した生化学反応で得たエネルギーを利用して光をだす。その時にほとんど熱を出さないため効率が高い。
これを利用して新しい照明装置を開発する試みがあるらしい。青山いたる所に宝ありき。
御身拭(おみぬぐい)・・・嵐山清涼寺で4月19日に営まれる法会。釈迦堂本堂の釈迦像を香湯に浸した白布で洗い清めることからこの名がある。その白布を死後の経帷子(きようかたびら)にすると極楽往生できるといわれ、式後信者は競ってこれをいただく。
香湯もつ侍僧は美男お身拭 岡部六弥太
百の燭天井を染め御身拭 太田穂醉
臨死(near death)に興味がある。
臨死体験の本では立花隆が有名だが
1970年代にアメリカ国内では「死後の世界」に対する興味が大きなうねりとなった。これは2人の医師の著作が脚光を浴びた結果で、1人は『死ぬ瞬間』でお馴染みのキューブラー女史で、彼女は千人以上の男女及び子供と擬似死(ニアデス)体験について話しあってきたといい。もう1人はレイモンド・ムーディー博士の書いた『かいま見た死後の世界』だ。この本はアメリカでベストセラーになり、世界の20ケ国以上の国で翻訳された。これは主に、「ニアデス」についての研究成果をまとめたもので、約150の実例が記録されている。この2人によって、「死後の世界」のテーマは、市民権を得ることができたが両者の調査と確信にもかかわらず、「死後の世界」が科学によって確認されたということにはならない。そこで、科学的に調べたもう1人の学者がコネティカット大学の心理学教授のケネス・リングで、その研究の成果が『いまわのきわに見る死の世界』(講談社刊)にまとめらた。彼は1977年5月から13か月、100人以上のニアデス体験者に会い、その時の体験をまとめた。
ニアデス体験のバターン
死後の世界をかいま見て、再び世界は戻ってきた話には、ある共通のパターンがあることが分かる。それを大まかにまとめると次のようになる。
「死にかかっている男がいる。彼は医者が、自分の死を宣告しているのが聞える。そのあと、耳障りな音がきこえはじめる。大きく響いたり、うなるような音が聞こえ、それと同時に自分がすごいスピードで長いトンネルのなかを移動していくのを感じる。そのあと彼は、突然自分が肉体から抜け出ているのを感じるが、周りの状況は以前と同じである。彼は自分の身体を遠くに、まるで見物人のように見ている。彼は自分が医師によって蘇生を行なわれているのを見ているが、内心不安である。しばらくすると落ち着きを取り戻し、自分のいる異常な状況に慣れはじめてくる。彼は肉体を持っているが、それは自分が地上に残してきたものとは、性質もそのパワーも、違うように感じている。まもなく、誰かが彼の方にやって来る。彼らはすでに死んだ肉親や友人達である。また以前には見たことのない愛と暖かみに満ちた光の精霊達が現われる。この精霊が、無言で自分の人生を評価するように求め、彼の生涯の主な出来事を、一瞬のうちにパノラマ的に見せる。そのあと彼の前に現実世界とあの世との境域が近づいてくる。彼はまだ死ぬべきではないと思い、地上に戻ろうと考えるが、しかし一方では死後の世界を受け入れ、地上に戻りたくないという気持になっている。彼は肉体を離脱した今、喜びと愛と平和の気分に満たされているのだ。しかし、そうした思いにもかかわらず、彼はどういうわけか、自分の本来の肉体と結合し、蘇生する。」
これがムーディが描写したニアデス体験の基本的パターンである。これまとめと
ニアテス体験者の6割が、安らかさ、あるいは平安を感じている。
- 表現できない安らぎ
- 自分の死の宣告を聞いている
- 平和と静寂の気分
- 騒音
- 暗いトンネル
- 肉体からの離脱
- 他者との出会い
- 光の存在
- 生涯の回顧
- 生と死の境界
- 肉体への生還
ケネス・リングの調査では、死にかかっていると意識する経験に先立って、多くの回答者が説明しようのない安らかで満ち足りた感情を味わっている。盲腸の破裂で死にかかったある婦人の場合「私は全く安らかな気持でした。全く何一つ心配のない穏やかな感じです。そういう本当に安らかな感じだったんです。私は何も怖くありませんでした。」
臨終のときの表情(日本での研究)
名古屋内科医学会元会長の毛利孝一の『生と死の境』(東京書籍)のなかに、臨終のときの表情で、人が死んでいくときに「みんなもがいて死んでいく」のは考えにくいということで、ある調査データを載せている。井上勝也が1,175名の老人の臨終時の表情を調査した統計で、これを見ると約70%の人が「安らか」であり、「無表情」を加えると85%近くが、穏やかな死顔だったようだ。苦痛や緊張は12%にすぎない。もう一つ興味をひくのは、年代別に見た表情で、70歳から84歳までを5歳ずつ3段階に分けると、「安らか」の表情を示す人のパーセントが、高齢になるごとに5%ずつ増えており。このことから楽に死ぬ秘訣の一つは、長生きすることだといっている。
肉体がらの分離
ニアデス体験の第1段階は、名づけようもない穏やかな気分ということがいえる。次の第2段階では、肉体から抜け出る感覚だといわれている。心臓発作に襲われた男性の場合
「私は、その上の空間にいるようだったんです。私の心ははっきり働いていました。丁度頭脳だけが空間にいたみたいなんです。心以外のものは何も感じませんでした。重さもなくて、私は心だけだったんです。」
ニアデス体験をした約37%の人は、このレベルを体験している。
暗いトンネルに入る
ニアデス体験の次の段階は、この世からあの世への間の過渡的な世界に入る。この空間は、普通非常に暗く、大きさの分からない空間として体験されこれを体験した人達のなかにはこれをトンネルに例えている人がいる。脳溢血と一時的な盲目に襲われた婦人は、こういう。
「私はトンネルの中を通ったことを覚えています。本当に其っ暗なトンネルなんです。そんなに真っ暗なのに、怖くはありませんでした。それは、トンネルの向う側に、何かよいことが待っていると分かっていたからです。それでとても楽しかったんです。怖いという感しは全然ありませんでしたし、暗闇に結びつく恐れも何もありませんでした。私はただ、自分の体が非常に軽いのを感じました。私は浮いているみたいだったのです。」
光を見る
ニアデス体験の第3番目から4番目の移行の特徴は、光が表われる。普通、きらきら輝く金色の光と説明されているがこの光は常に柔らかで、目を痛めることはなく、何人かの回答者は、この光に包まれ、また3分の1の人がこの光の体験をしたといっている。この光の引き付けるような力について、或る婦人は語っている。
「私がそのまま歩いていたら、道のずっと向こうの端のほうに、小さな光が見えたのです。私は歩き続けました。そうすると、その光は、ぐんぐん明るくなってきました。本当に最後はとてもきれいでした。」
光の世界に入る
この段階は光の世界に入っていき、ここに達した人は、本当に別世界にいたという感覚をもっている。そこはとても美しい世界で、そこの色彩も忘れ難いものだといわれている。ある人は牧草地のようなところにいたり、美しい花園を見たり、美しい音楽を聴いたりして、この段階を経験して生き返った人は、生き返ったことを恨めしく思うほどであるという。ニアデス体験をした人の約5分の1が、この段階に達しているといわれている。
生涯の回顧
ある人は、自分の人生の全様相を、あるいは限られた様相を、生々しく、瞬間的に、映像の形で体験する。普通これらの映像は、見ている本人は超然とした感覚になっているにもかかわらず、その気分を明るくするように作用しているといわれている。
ある存在との出会い
以前に亡くなった人に出会うという体験をもつことがある。この霊たちは、「まだお前の番ではない」「お前は戻らなくてはならない」という意味のことを伝え、その結果、それぞれの体験者は、自分の意志で、この世に戻るか、この世を越えた旅をさらに続けるかを決定することになる。体験者は自分の意志で、あるいは知らないうちに再び、この世界に戻されることになるのだが、いずれにしても死んでいく過程とは逆のプロセスをとって、この世界に戻ってくるという。
ニアテス状態での感覚作用
ニアデス体験をした人々の、死に近づいたときの感想では、判断力が明晰であり、感覚も鋭く正確になっているという。ただ味覚と臭覚は欠如しており、視覚と聴覚は残っているようだ。「全てがはっきりしていました。静かでしたから、どんなことでもはっきりと聞こえました。針が落ちても聞こえるような感じてした。見えるものも全てはっきりしていました。私は殆ど自分を見てたんですけど、自分を含め、私が見たどんなものも、はっきりと見えました。」
肉体、時間、空間
ニアデスを体験した人は、自分の肉体や空間、時間が特有の変化をするという。殆どの人は自分の体験を説明しようとして、それが普通の知覚や認識と全く異なるため、とても困難であるという。肉体の感覚では51%の人がなかったといい時間感覚は65%が、そして空間感覚は12%の人がなかったと答えている。
男性は事故が、女性は病気がニアデス体験を誘う病気あるいは事故、自殺によってニアデス体験をした人の男女の比率を見てみると、ある傾向を読み取ることができる。つまり男性は事故あるいは自殺の場合にニアデス体験が起こる傾向があり、女性は病気のときに、最も多くニアデス体験をするということだ。これを数字で表わすと、ニアデス体験をした男性の59%が事故や自殺で死に直面したときで、女性の場合は21%にすぎない。反対に病気が原因の場合、男性は35%、女性は72%という数字が出ている。
ニアデス体験は、死後の世界を信じていない人に多く、これをきっかけに死後の生命を構じるようになる。ケナス・リングの調査のなかで、最も説得力のある結論の1つは、死後の世界があるかどうかの質問にたいし、ニアデス体験者は大幅に、「分からない」から「強く信じる」に変わるということだ。そしてどういうわけか、ニアデス体験者のほうが死後の世界を信じていない傾向が強かったのだが、これをきっかけに、死後世界を信じるようになったそうだ。また同じ調査のなかで、ニアデス体験をした人の80%が、それ以来、死の恐れが減ったり、なくなったと答えており、それに対し体験をしていない人の場合には、そのような心理的変化が見られないということが分かる。
多くの例を見てみると共通のパターン化ができており非常に興味のあるところだ。
これらは生理的原因、例えばエンドルフィンのような麻薬物質によるものなのか精神的な単なる幻想によるものなのか、脳医学、精神医学的アプローチに期待したい。
黒服の春暑き列上野出づ 飯田龍太
去りゆきし春を種火のごと思ふ 藤田湘子
桜も満開と言うのに花冷えというやつか。万葉に「冬こもり 春さり来れば あしひきの 山にも野にも うぐいす鳴くも」「春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに 鶯鳴くも」 我が家の庭にも3日ほど前から鶯が鳴いている。万葉の時代で花と言えば「梅」、桜の歌は余り無い。数少ない中に、「足代過ぎて 絲鹿の山の 桜花 散らずあらなむ 帰り来るまで」もう一句
「をとめらが かざしのために 遊士が かづらのためと しきませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の におひはもあなに」芭蕉の句に「春なれや名もなき山の朝がすみ」「うぐひすを魂にねむるか嬌柳」「天秤や京江戸かけて千代の春」「我きぬにふしみの桃の雫せよ」「山路来て何やらゆかし菫草」「菜畠に花見顔なる雀哉」などなど。
今日は「ビールスバスター2001」というソフトを買う。MTXやその他のビールスも大丈夫。安心安心。
これを書いているとき静岡で震度5強の地震発生。ここのところ鳥取や広島や静岡など地震が多い。その内に・・・。
花村満月の「ブルース」を読もう。イチローが2安打、自分の中に民族意識が潜んでいたとは。
中国「金沙遺跡」3000年前の黄金仮面など1000点余り発掘。
以前から調査を期待されていたキトラ古墳の石室内部の写真が発表された。98年の時は白虎、青龍、星宿図が確認されているから今度は朱雀だ。なかなか高度な絵だ。高麗系だろう。2〜3度訪れたがもっと早く調査できないのかな。
11C〜13Cの中国西北のタングート族が創った西夏王国で創られた西夏文字は現在判明しているのは6133字で、一つとして漢字と同じ物がないという。対漢字意識が強かったのか。日本の「かな」との対比もおもしろい。
芭蕉の句に「姥桜さくや老後の思い出」「月ぞしるべこなたへ入るせ旅の宿」 21歳の時の句。
芭蕉は藤堂蝉吟に仕えるが、蝉吟はその俳句を貞徳門の北村季吟に師事しているから芭蕉も貞徳門と言えるかも。
ところでこの姥桜というのは八重桜のことで、花が完全に散ってしまうまで葉がでないところからついたらしい。
教科書問題で感じるのは内政干渉と思われるような抗議に少し疑問も感じるが、日本人の対応も少しお粗末。考えるに、世界歴史も西洋人の立場からの歴史観しか教わってないなと思う。コロンブスの大陸「発見」なんて西洋人からみたら発見だが、現地人からみたら単なる侵入に過ぎない。今、人道、平和、独立、民主など大きな顔で振りかざす国々の過去は侵略、略奪の歴史ではないのか。コロンブスなら自分の侵略をどう総括するのかな。
野茂が史上4人目の両リーグでのノーヒットノーラン本当にすごい。今メジャアーのほうが面白い。
緒方洪庵(1810〜63)江戸末期の蘭学医。岡山市足守に生まれる。大阪、江戸、長崎で10年、蘭方医学を修得。大阪で蘭学塾「適々斎塾」(通称適塾)を開く。遺品の薬箱に「摂綿(セメン)」・・サントニンの原料で回虫駆除薬、「将軍」・・大黄、便秘薬、「桂枝」・・所謂ニッキで風邪薬、などがあったそうな。
「猫」は歳時としては春になるんだって。
友の句に
拾ひきし老い猫とゐる春炬燵
春昼や雉鳩くわえ猫戻る
三毛連れて来し恋猫が餌ねだる
古草や猫五日間戻りこず
わけありの子らしきを連れ浮かれ猫
今日はギリシャに行ってみよう。
悪妻と言えば、「ソクラテスの妻」を思い出す。でも実名はしらなかった。「クサンペッチ」というらしい。ヒステリで傲慢で口うるさかったらしい。でも彼の葬儀では号泣したとも言う。本当のところは・・・
ギリシヤの神々(この表wordで作る)
明日ありと思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞
俗に政・官・財というが、政は失敗すれば選挙というシステムで一応制度的に淘汰される。財は失敗すれば、倒産する。問題は官だ。失敗してもどう責任をとる、とらせるシステムがあるのか。歴史はいつもこの官の横暴さ、無責任さをあらわしている。
特に長期安定した政の下にある官の腐敗、堕落、無能は歴史の必然のような観がある。今は将に平安末期、江戸末期の様相を呈している。この閉塞感を救済してくれる英雄は誰ですか。橋本さん?それとも・・・
それよりもっと深刻なことは、「人」が育っていないということだ。人真似、コピー天才人間はうじゃうじゃいるのに、創造的、独創的人間が多くは見当たらない。記憶術に長けた人間を重宝・登用させるシステムの限界か。
「国敗れ金も無ければ人もない」
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
今年ほど花をめでた年はないだろう。青い空と花吹雪、一時の幻想に酔う。
神功皇后ほど謎多き人物はない。メモ帖につながりもなく単語が並ぶ。
神功皇后=卑弥呼=金首露王の娘=「三国遺事」細鳥女=「古事記」息長帯日売命=妙見王女
アルタイ語・・おき(子・東)なが(長)たらし(軍政官)ひ(日)め(女)。
大加悦の伊珍阿鼓王(イジナゴワン)=いざなみのみこと
対馬・・・韓国語「トゥソム」2つの島の意。
今日から能面「蝉丸」を打ちにかかる。
蝉丸の句「これやこの行くも帰るも別かれては知るも知らぬも逢坂の関」
普段は花粉症の無い私も、今年ばかりはまいった。相当花粉の数が多いのだろう。
そもそもアレルギー異常てどうして起こるのか。医学的にも不明な点が多い。アレルギーのメカニズムはほぼ解明されていると思う。石坂夫婦の貢献が光る。問題は治療法だ。現在、抗ヒスタミン剤を筆頭に、抗アレルギー剤、免疫抑制剤、民間薬など多々あるがいずれにしても根本治療とはならない。唯一の治療法は「減感作法」であろう。しかし患者負担が大きすぎる。
毎日抗原を体内に注入してその抗原に免疫の「寛容」を獲得させる、というすこぶる原始的だが確実、実理的な方法だ。
問題は時間がかかるということだが、ここで最近の「遺伝子治療」の登場である。
最近の医学界もなんとなく壁にいきあたっている感がある。まさにそれを突破するのが「遺伝子治療」であろう。
「癌」を筆頭に各種免疫疾患、生活習慣病、征服したかのように思えた感染症、どの疾患も治療法の確立に今一歩届かない。身襲少なくして効果100というような夢のような治療法が今後期待されるのが上記治療法だと思える。
時間のかかる減感作もベクターに抗原を運ばせる、とかIL5、IL6の発生を抑制する遺伝子の作成の開発など可能性は無限にひろがる。
治療法はいいとして、さらに問題は花粉にすらこんなに異常反応を起こす近年の先進国人間の生存環境はどうなんだろう。
「癌」「免疫異常」「生活習慣病」どれも人間の体の精一杯の抵抗の証ではないのか。
普段何気なく使っている言葉に仏教用語からの転用語が結構多い。
- 挨拶(あいさつ)・・・・もと禅宗で用いられた。挨は追っていくこと。拶は切り込んでゆくと言う意味。門下の修行僧が問答をもちかけて答えを求めること。また門下の僧と問答して、その悟りや見識の程度をためすことをいう。
- あばた・・・・梵語のarbudaから転じた。腫れ物、かさぶたの意味であった。この意味から天然痘にかかった人をさして隠語として用いられたのであろう。
- 阿鼻叫喚・・・・八大地獄の第八番目に位置する最も苦しい阿鼻地獄において、剣樹、刀山などによる激しい苦痛に亡者が苛まれるさま。転じて事故、災害などの惨状において多数の人々が救いを求めて泣き叫ぶ様子を形容する。
- 有り難い・・・・ありえない、めったにないという意味である。人間としてこの世に生まれてくることの難しさ、さらに仏のの教えにめぐりあうことの難しさを意味しており、これにめぐり合うことによる仏教的感謝を言う。室町時代には、感謝の意味には「かたじけない」の方が用いられ「ありがたい」は法悦の意味の感謝のほうに用いられた。
- 以心伝心・・・禅宗で悟りの極意を伝えることに用いることば。師と弟子との間の法の伝授は、文字や経典によらず、心を以って心に伝えられるものであることをいう。釈尊が霊鷲山で、大衆に向かい華を拈じたが、迦葉(かしょう)のみがその意を理解し微笑したという故事に由来している。
- 一蓮托生・・・・二人以上の者が死後に極楽浄土に住生し、同じ蓮華の台の上に生まれること。これが転じて善悪に関係なく集団で行動、運命をともにすることを意味するようになる。
- 引導・・・・元義は人々を教え導いて、仏の道に引き入れるという生者に対しての教化を意味した。今日では死者の済度という面が強調されて、葬儀の時に導師の僧が死者に法語を与え、死者が涅槃常住の世界に赴くように教示することをいうようになった。真言宗においては、死者に秘印明を授けて、死者をして成仏せしめることを指す。また日常語としても「引導を渡す」として、覚悟を決めさせる意で用いられる。
- 懺悔(さんげ)・・・・懺は梵語のkushamaの音写で人に認容(ゆるし)を請うの意。悔は梵語のdeshanaがあてられ告白の意である。自己の罪過を告白して許しを請うこと。原始仏教では比丘は罪を釈尊または長老比丘に告白して裁きを受けることになっていた。大乗仏教では、自己の罪を認めたものは諸仏の前に懺悔し、罪のおそれから開放されると言う形のものになった。
- 三途の川・・・・人が死んでから七日目に渡るといわれている川。川中に緩急の三っの瀬があることから三瀬川ともいわれる。生前の行いによって渡るのに三通りある。川のほとりに奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)のニ鬼がいて、死者の衣服奪うという。
- 宿願・・・・多年にわたる前々からの願い。過去世からの願い、宿望、願いには大きく分けて二つある。すなわち、この世のあらゆる衆生を救済度することを望む菩薩の願いと、未来仏である弥勒がこの世に出現する時に生まれ、教えを聞き悟りを得たいと望むなどの衆生の側の願いとである。
- 自力・・・・自己の智慧、能力・功徳など自分の備わった力をいう。またこうした自力を頼みとして修業を励み、行の結果として解脱・成仏を得ようとすることを他力にたいして自力という。聖道門の実践態度であり、娑婆において惑を断じ得道を期するのである。
- 奈落・・・・梵語のnaraka(ナラカ)の音写語。地獄のこと。あるいは、地獄に落ちること。俗に物事のどん底のことを「奈落の底」と言う。劇場の舞台や花道の下に設けられた地下室も奈落という。
- 不可思議・・・・不思議とも言い、思議でないこと。言葉で言い表したり、思慮することができないこと。仏の悟りの境地や智慧・神通力などを形容するときにも用いられる。思ってもみない、考えも及ばないようなこと。
- 楊枝(子)・・・・歯の垢を取り除き、清潔にするための道具。もとは仏家の具で、比丘十八物の一つ。インドで小枝の先をかんで細かい筋のようにして使用したところからおこり、その汁で歯をみがき口をあらった。歯木とも言う。また呪物として病気を治したり人に害を与えたりするためのまじないに用いた。
- などなど
Buddhist image offer a moment of calm
During a short trip,I visited the Byodo-in Temple in Kyoto. Originally,the edifice by the Uji River had been a villa of Fujiwara no Michinaga(966-1027),who wielded vast power as sessho or regency. The nobleman is known for a"I regard this world as my world..." poem, which he composed to boast of the enormity of his power. His son, Yorimichi, turned it into a Buddhist temple. The conversion work took until the middle of 11th century to complete.
I spent some time in the famous Hoodo(Phoenix)Hall, sitting with my feet under me in front of a three-meter-tall image of Amida Nyorai(Amitabha Tathagata), to whom the temple is dedicated. With downward-looking eyes and lightly pursed lips, the Amida's fase is picture of elegance. The image was made by Jocho, one of the greatest Buddhist image sculptors who ever lived in Japan. As I sat looking at the image, a greenery-sented wind was blowing through the hall-having, I noticed, a calming effect on my mind.
Ordinarily, the white walls above the windows around the image of Amida Nyorai are hung with 52 image of Buddhist saints collectively named Unchu Kuyo Bosatsu strumming guiter-like string musical instruments, playing the koto( Japanese harp) and flutes, striking drums or holding trays filled with flowers. Probably the works of Jocho and his disciples, these images were on Loan to Tokyo and other cities for an extended period.
An exhibition of national treasures from the Byodo-Temple, under way at the National Museum in Tokyo, accorded me a look at the Unchu Kuyo Bosatsu images after I returned from my trip. In the Hoodo Hall, these images are hung five or six meters from the floor, which makes it difficult to discern details. Special exhibitions like the Byodo-in show give visitors the pleasure of looking atartistic tresurea up close, instead of from a distance, as they normally do.
Looking for details, I found one of the Unchu Kuyo Bosatsu sitting atop a mass of flowing clouds, playing the koto in its lap, inclining its body slightly to one side, with its lips parted as if humming a tune. Another had a smile playing around its mouth as it danced pliantly, twisting its hips and raising a footー seemingly intoxicated by its dancing and the accompanying music. Free and unconstrained, both figures were a perfect match for the Hoodo Hall, which is said to have been designed to show what the Land of Perfect Bliss would look like in this world.
Realizing the Land of Perfect Bliss in this world was a dream of the nobles of the predominant Fujiwara clan. With the decline of that clan, the Byodo-in Temple was to go through a long period of hardships. Thinking of these and other things, I lingered in front of the Unchu Kuyo Bosatsu images, forgetng the passage of time.(Asahi Evening News,Jul.6)
When we do the best that we can,
we never know what miracle is wrought
in our life, or in the life of another.
― Helen Keller―
自分なりに精一杯最善を尽くせば、
自分の人生に、またひとの人生にも、
すばらしい奇跡を生み出すことだってできる。
If one has an image of a journey's end,
one may, in the end, surely reach it, after
no matter how many detours and deceptions
and abandonings of hope.
― Margaret Drabble ―
自分の旅の目的を心に思い描いていれば、どんなに
多くの回り道と挫折と希望の放棄を経験しても、ついに
はかならずそこに到達する。
「宗教」の名のもとにまた愚行に遭遇した。
どんな宗教を信じるかは自由だ。人間と宗教のかかわりは人類の歴史の一片でもある。原始的宗教、自然崇拝、呪術的宗教、小乗的、大乗的宗教、その種類、形態は様々である。人類と犬との関わりのように人のいる所宗教ありとも言える。特に自然の前に圧倒的に非力だった数十万年の人類にとってそれは自然にあるいは必然に発生、取得されていくのもよく理解できる。しかしそれを信じることで本人、あるいはその周りの人々が不幸になるような宗教は本当に宗教といえるのだろうか。
人類の歴史上、宗教によって殺されたり、抑圧されたり、そして現在に至ってもその問題がより大規模かつ凄惨をきわめている。そして宗教の名のもとに、人類の貴重な財産が破壊されていく。文化遺産の破壊は別に今にはじまったことではないのだが、あんなに堂々と世界の反対の声を無視して先日アフガニスタンのバーミヤンの石仏が破壊された。おろかな宗教とおろかな指導者の為に1500年の遺産が一瞬にして破壊された。
*タリバン〜イスラム原理主義にのっとった武装政治勢力で、タリバンは「イスラム神学生、求道者」といった意味がある。伝統的なイスラム全土の武装制圧を図ってきた。女性が仕事したり進学したりすることの禁止などイスラム法の厳格な適用を命令し、世界から人権侵害との批判も受けている。
朝鮮通信使に興味がある。
以前からその資料をさがしていたが、数が少ない。4月からNHKの人間講座に登場。教育テレビ午後11時より。
講師 仲尾 宏 (京都造形芸術大学教授)
第一回〔4月4日〕 室町時代の通信使
第二回〔4月11日〕 侵略の傷跡と国交回復まで
第三回〔4月18日〕 被虜人の送還と初期三回の使節
第四回〔4月30日〕 対馬藩の苦悩〜偽国書事件と通信使の復活
第五回〔5月2日〕 新井白石と雨森芳洲
第六回〔5月9日〕 通信使の旅(1)海路
第七回〔5月16日〕 通信使の旅(2)陸路
第八回〔5月23日〕 江戸聘礼と江戸の人びと
第九回〔5月30日〕 通信使の終焉と征韓論の登場
テキスト 560円
こんな予定。わくわくする。
*「通信使」とは信(よしみ)を通じるという朝鮮からの使いの名称で日本から派遣した使節は「日本国王使」
1403年足利義満、中国皇帝に上表文の奉呈、1404年明国皇帝から金印と「日本国王」の承認詔書を受ける。冊封。
1428年四代将軍義持の逝去を悼み、新将軍義教の嗣立の祝賀で朴瑞生を正史として来日(第一回)
1439年(第二回)1443年「嘉吉の変」で謀殺された義教をいたみ、新将軍義勝の嗣位の祝賀に来日(第三回)
http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/hosyu-3.htm
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/tuusinsi.htm
http://www.2005.co.jp/JIDAIKOBO/kaido/minoji/chousentsushinshi.html
http://www.koryomuseum.or.jp/event/event9808-001.htm
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/kaido/kaido-index04.html
http://www.mirai.ne.jp/~kat/gisi/oukannnituki.htm
http://www.geocities.co.jp/Athlete/1538/KANSHI/han009.htm
渡岸寺 観音堂(とうがんじ かんのんどう)
もと 慈雲山 光眼寺 滋賀県高月町
十一面観音〜国宝、一木造、素地仕上、彫眼、像高177.3cm(髻頂まで)、195cm(頂上面まで)このお堂に安置される十一面観音は、日本全国に7体ある国宝十一面観音の中でも最も美しいとされる日本彫刻史上の最高傑作。 先に亡くなられた作家井上靖氏も、そのすばらしさに感動し、「どうしてこのような場所にこのような立派な観音さまがおられるのか」とその著書『星と祭』の中に書いてる。肉付き豊かで官能的なプロポーション、大きくつくられた頭上面とその配置、「じとう」と呼ばれるイヤリングをつけるなど、数々の特徴をそなえている。いずれにしても、いのりの仏にふさわしい、慈愛に満ちたお姿の観音さま。注)国宝指定の十一面観音…7体
(奈良3…室生寺・法華寺・聖林寺、大阪1…道明寺 京都2・・六波羅密寺・
本寺)
仏像を彫る者なら一度は挑戦したいと思う。
こんなのあるんですが、土曜日・・仕事! いきたいな〜!
●「キトラ古墳特別フォーラム2001 "天翔る飛鳥の朱雀"」
日 時:4月21日(土) 12:50〜17:30
会 場:明日香村中央公民館
講 師: 網干善教、絹谷幸二、河上邦彦、宮島一彦、納谷守幸
定 員: 350人 当日先着順
参 加:参加費無料(資料代 500円)
問い合わせ:奈良県明日香村教委文化財課(電話: 0744-54-5600)
●「キトラ古墳 緊急シンポジウム飛鳥の神獣−キトラ古墳のなぞを解く」
日 時:4月28日(土)13:00 〜16:30
会 場:奈良県橿原文化会館大ホール
<調査報告> 関義清、納谷守幸
<パネル討論>門脇禎二、上村淳之、猪熊兼勝、永島暉臣慎
申し込み:往復はがき 住所、氏名、電話番号、年齢、職業を記入の上、下記まで申し込む
〒 530-8211朝日新聞大阪本社・朝日21関西スクエア「キトラ古墳シンポ」 係
締め切り:4月18日 (先着順/無料)
彼岸会の風のちりばる山ばかり 松沢昭
人絶えて暮るるを待てリ花御堂 相場遷子
長野の田中知事が「脱ダム宣言」を出した。その手法、表現はともかくこの時期非常に大事なメッセージだと思う。
昭和27年に日本の経済発展を支える電力エネルギーを開発・供給する特殊会社として主として国の出資により設立された電源開発株式会社 という会社が、沖縄県国頭村で実施している海水揚水発電技術実証試験(通商産業省より受託)は、計画から工事まで一貫して自然環境との共生を目標として建設を進め、1999年3月16日に実証試験運転を開始した。
沖縄県特有の貴重な動植物が生息するなか、工事関係者を含め関係者全員が環境保護に積極的に取り組み、周辺の自然環境と調和した発電所を完成させたという。
今後5年間の試験運転を通じてゴムシートで遮水した上部調整池に海水を貯めることによる周辺環境への影響の有無などを確認し、これにより世界初の海水を利用した水力発電技術を確立するという。
夜間海水を150mの山の上にあげ、地下発電所に海水を落として発電をするという。この実験に過去世界各国からすでに3万人ほどの見学者が訪れているという。
また、新しい水力発電技術として、地表改変面積を大幅に削減可能な地下貯水池による揚水発電方式の研究や、風力発電の開発にも取り組んでいる。今後も注目の企業だ。
秀吉が催した豪壮な花見で知られる京都・伏見の醍醐寺。創建千百余念を数える名刹は信仰と祈りの場であると同時に、芸術家たちにアトリエでもあった。
「風神雷神図」で知られる俵屋宗達。その没後に生まれた緒方光琳が師と仰いだ天才芸術家の生涯は謎に包まれている。
活躍したのは桃山から江戸時代初期にかけてだが確かな判っていることは、俵屋という扇の工房を主宰した裕福な京都の町衆だったことぐらいで、公家や武家と交流があり、醍醐寺とは深い関係にあった。
宗達がなぜ醍醐寺と深い関係にあったのか?。その疑問を解く鍵となりそうなのが、能である。能は当時の支配層、文化人に欠かせない教養だった。扇に絵を書いていた宗達を抜擢し世に出した本阿弥光悦など熱狂的なまでに能が好きだった。
醍醐寺は能と深い縁で結ばれている。能の前身である猿楽は、観阿弥・世阿弥の親子が古代から醍醐に伝わる曲舞(くせまい)を基に発展させたもので、世阿弥は毎年四月、醍醐寺で猿楽をつとめた。慶長三年(1598年)には秀吉が奈良・興福寺金堂前にあった能舞台を醍醐寺に移したとの記録もあり西本願寺と並ぶ能の中心であった。
光悦ー宗達ー光琳という琳派をつなぐ一本の糸、それをたぐっていくと醍醐寺に行き付く。
ちなみに、毎年四月に行われる「醍醐の花見」の舞楽に使われる現在の面の作者は私の能面の師でもある。
友の句に
新聞にじゃれゐる猫や春の土
ペンキ塗り終へたる屋根に春落ち葉
もの思ふための一部屋目貼り剥ぐ
菜の花の苦みを思ふ夕支度
春疾風笹鳴っているけもの道