今年最後のミニ旅となる 誕生会と兼ねるのは昨年の讃岐の旅と同じ
今回は近場の温泉や観光スポットを日帰り旅とした
数十年前武田尾温泉(武庫川を挟んで宝塚市と西宮市に数軒ある)に高級宿「「紅葉館別庭あざれ」が出来たとあった
(「あざれ」~ふざける・くつろぐ・洒落た振る舞いをするなどの意)
なるほど1名様は素泊まりで44000円から 料理付きで5~7万円 う~ん
最近よく見ると日帰りコースがあることに気づいた
➀入浴のみ 1800円
②入浴+昼食 6800円
③露天風呂付き部屋+昼食 35000円
とある
本来なら➀を選ぶところ今回は誕生会奮発として②を選んだ
予約して早速ミニ旅のコースを組む
宝塚・西宮・箕面・芦屋などは関西の山の手
下町生まれの下町育ちのKANTAには山の手は疎い
温泉は武田尾温泉と宝塚温泉「宝の湯」
観覧は「清荒神」「手塚治虫記念館」「中山観音」相当タイトなスケジュールとなった

宝塚に行くには➀阪急梅田から宝塚線②阪急西宮北口から宝塚③JR大阪駅から宝塚線
伊丹空港からだとモノレールで蛍池で阪急宝塚線と接続している
いづれにしても中心地から30分程である
今回は梅田から宝塚までの途中にある清荒神から始まる
宝塚駅の一つ手前の清荒神駅と次の売布神社駅と中山観音駅と3つも宗教施設名駅が並んでいる
これも珍しいし この地域のパワースポットぶりが知れる
➀清須荒神
駅から商店街をぬけ徒歩15~20分 緩やかな坂道 参道には多くの屋台が並んでいるが早朝の為 開いている店は僅か

そもそも「荒神」とは
AIのまとめ
『荒神(こうじん/あらがみ)は、日本各地で古くから信仰されてきた
火・台所・家の安全を守る神霊の総称。
地域や時代によって姿や役割が大きく異なる、とても多層的な神。
火を扱う場所を守る神として、家庭の台所に祀られることが多い。
火災除け、家内安全、食の豊かさをもたらす存在とされる。
三宝荒神(さんぼうこうじん)
仏教の「三宝(仏・法・僧)」を守る神としての側面。
恐ろしい姿で描かれることもあり、粗末に扱うと祟るとされる一方、丁寧に祀れば強い守護を与えるとされる
地荒神(じこうじん)
屋外に祀られる荒神で、山の神・屋敷神・村落神などと結びつき、地域の守護神として信仰される。
特に
西日本(瀬戸内海沿岸)で盛んで、岡山・広島・島根などに多くの荒神社がある
台所の壁や柱にお札を貼る
荒神棚を設ける 南または東向きに祀るのが望ましい』とある
よくわからんが 科学が未発達で 頭で理解できない恐怖や現象は得たい知れずで拝む物に置き換えたんだろう
しかし雷神・風神はあるのに地震はナマズに置き換えているのは面白い
清荒神は火災の神霊とか 京都の愛宕さんの感じかな 愛宕さんは往復5~6時間かかったが
ここは 坂も緩く短い バスは土・日とか祭神時に出るらしい
参道を横切って中国道高速道路 大きな自動車の音が響く 中国道は何度も通っているが
その下にはこんな所が有ったんだ




AIによるまとめ
『 清荒神(きよしこうじん)は、兵庫県宝塚市にある
清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ) に祀られている荒神
関西では「荒神さん」として親しまれている
火の神・かまど(台所)の神として信仰されてきた神さま
家庭の中心である「火」を守ることから、
家内安全・商売繁盛・厄除開運 のご利益があるとされている
清荒神清澄寺は
平安時代・896年(寛平8年)創建 の由緒ある寺院
宇多天皇から「日本第一清荒神」の称号を授かったと伝わる
特徴としては
神社と寺院の風景が同居する
神仏習合 の寺院
境内にはパワースポットが多く、特に「荒神影向の榊」は金運アップで有名
火箸を奉納する文化があり、人の背丈ほどの火箸も見られる
富岡鉄斎の作品を展示する
「鉄斎美術館」も併設 』
とある
残念ながら美術館は10時開館なので今回は見れなかったが
富岡鉄斎美術館と神社の関係は 先代の住職が鉄斎ファン(押し)で鉄斎と交流が有り
鉄斎からも10数点の作品が贈られたとか
富岡鉄斎(1837–1924)
AIまとめ
『
職業:文人画家、儒学者、教員
生誕:
1837年
1月
25日(京都)
職業:文人画家、儒学者、教員(立命館大学)
生誕:
1837年
1月
25日(京都)
死没:
1924年
12月
31日
別号:鉄斎、鉄人、鉄史、鉄崖、百錬
など
称号:帝室技芸員、帝国美術院会員
<
死没:
1924年
12月
31日
学問と思想
鉄斎は幼少期から学問に励み、以下のように幅広い学問を修める
石門心学(家学として学ぶ)
国学・勤王思想(大国隆正に師事)
漢学・陽明学・詩文(岩垣月洲らに学ぶ)
仏典
大田垣蓮月尼の薫陶:人格形成に大きな影響
絵画
南画(南宗画・) 大和絵 ・明清画 ・水墨画に独自の境地を開く
深い学識に裏付けられた構成力
自由闊達で大胆な筆致 古典研究を重視し、対象を徹底的に調べて描く姿勢
「万巻の書を読み、万里の道を往く」を実践し全国を旅して理想の山水を追求
神官としての活動
明治初期、
石上神宮や
大鳥神社などで宮司を務める
古跡の調査・復興に尽力
代表作
「
不尽山頂全図 」
「
蓬莱仙境図 」


膨大な知識に裏打ちされた豪放磊落な画風
無類の旅好きだったとか 旅がただ好きなだけの浅学じじいとは大違い スミマセン


龍王滝
清荒神駅から一駅 阪急宝塚駅 大きな道路を挟んで向かいにJR宝塚駅が有る


新三田行きの各停で3つ目
武田尾駅はトンネルの中にある


駅の下は武庫川とV字谷



宿まで徒歩7~8分

足湯

「紅葉館別庭あざれ」の全景 あざれのホームページより
そうか紅葉が終わって一息ついているんだ


日帰り予約は11時~15時までの間に食事と入浴になっている
10時45分くらいに着いて手続きをして 先に風呂に入る


ラドン温泉のかけ流し 40.5℃くらいのゆったり 30分は独占状態
ほぼ茹で上がったので 食事処に行く

ノンアルコールを注文

あざれのホームページに 提供たものと同じ料理の写真が掲載されていたので使用(鍋は豚しゃぶだった)


全てが素晴らしい味付け
最後のデザートの杏仁豆腐が絶妙
至福のひと時 今日まで生きていたから味わえたんだ 感謝又感謝 さて来年は・・・・・
武田尾駅まで戻りJR宝塚駅陸橋を渡り阪急宝塚駅を抜けて「手塚治虫記念館」に向かう



子供の頃 宝塚にはよく母や姉や従弟などと来た
当時は宝塚劇場の少し先に「ルナパーク(宝塚ファミリーパーク」の前身)」や動物園を楽しんだが
その帰りに母親が好きだったのか いつも宝塚歌劇に入場させられた
(そう言えば晩年よく鼻歌で🎵すみれの花咲く頃~🎵と歌っていたな~)
キラキラの衣装で歌ったり踊ったり 子供心に退屈な時間だった
その時の道路が「花のみち」として保存されているんだ そうだそうだ確か地道だった
子供の頃 阪神パーク・みさき公園・奈良ドリームランド・あやめ池公園・さやま遊園地
ひらかたパークなど沢山有ったのに今では「ひらパー」だけになってしまった


宝塚ホテル

大劇場
阪急電車は当初(1911年)この周辺を「宝塚新温泉」として開発したが
客数が伸びず 周辺に動物園・植物園・プールや少女歌劇団や遊園地を加え
年間350万人ほどの集客が有ったが 現在は大劇場を中心にホテルと
宝塚音楽学校やその寮や駐車場や市立文化会館などになっている
手塚治虫記念館は この跡地の北の一端に建設された

記念館は現在外装工事中だった



1階と2階が有る 撮影は1階のみ許可

愛用のベレー帽と眼鏡・筆記用具



懐かしいな~ 子供の頃必死になって読んでいた
今 読んでも全く時代の垣根が無い むしろ先を行っている




漫画教室
再び阪急宝塚駅に戻り「中山観音駅」に向かう
電車が動き出してホームを出ると横に別方向行きの線路がある
あれ~ 来る時と何か違う そうか梅田行ではなく北西宮口行きに乗ってしまったんだ
あわてて次の駅で降り 地下道から宝塚行のホームに駆け上がった
丁度向うから宝塚行の電車が来た
宝塚に着くと隣のホームに梅田からの電車が入ってきた この電車は直ぐに15:00分発 梅田に折り返す
なんとか3つ目の中山観音駅前からの送迎バス15時13分発に間に合った
送迎バスは1時間に1本 歩くと20分かかる
どこかと言えば「宝塚温泉 宝の湯」である
温泉情報で「宝の湯」は有馬温泉と同じ金泉が楽しめるとあった
来てみると国道沿いの田畑の中 大きな駐車場には50~60台の駐車
浴場は2階にあり多くの人で混雑 男性湯には50名ほどが入っている
プール程の大浴場と露天風呂 湯は全くの透明な真水
これでは只のスーパー銭湯やないかい!
あちこちうろつく 有った!!
露天風呂の一番隅っこに3~4人くらいが入れる小さな岩風呂が2つ
岩には石灰が分厚く固まっている
いい湯だ


写真はNETより
「この温泉は地下800mから自噴しており 温度は27.8℃ 火山性ではなく大陸棚が落ち込む際に
海水を巻き込んで落ち込み摩擦熱で温められた海水が何百年も溜まり上がって来たもので
有馬温泉とほとんど同じ成分です」と書いてあった
確かに超塩辛い
滞在時間は40分ほどだったが素晴らしい湯に入れて良かった
送迎車で阪急中山観音駅まで送ってもらい 駅から150m程の今日最後の訪問先
「中山観音」に急ぐ
12月の16時半はもう大夫暗い


五重塔の下までエスカレーターやエレベーターがある 儲かっているんだ
運転は16時30分まで
ここは西国33ヵ所巡りの24番目 何度も来ているが滅茶豪華になっている
AIまとめ
『創建 開基:聖徳太子(伝)
創建時期:6世紀末〜7世紀初頭と伝承される
目的: 仲哀天皇の皇后・大中姫、皇子(麛坂皇子・忍熊皇子)の追善供養
物部守屋の霊を鎮めるためとも伝わる 中山寺は「日本最初の観音霊場」とされ
聖徳太子が自ら開いた寺として古くから信仰を集めてきた
本尊と寺の特徴 本尊:十一面観世音菩薩(重要文化財
宗派:真言宗中山寺派 大本山
別称:中山観
音
歴史の流れ
奈良〜平安時代
奈良時代には
比叡山や高野山に匹敵する大寺院だったと伝わる
『続日本紀』にも記録が残る古寺 平安期には花山法皇が復興した際に現在の札所番号に定まる
中世〜戦国時代
源頼朝をはじめ武家の信仰を集める
豊臣秀吉が子授け祈願を行い、淀殿が秀頼を授かったと伝わる
多田源氏の祈願所となり、源氏の信仰を受ける
江戸〜近代
秀頼が片桐且元に命じて伽藍を再建(慶長
8年〜) 現在の伽藍はこの時期の桃山建築
皇室の崇敬も篤く、明治天皇の御平産に際して腹帯を授けた寺として知られる
西国三十三所第24番札所
開祖・徳道上人が授かった「閻魔大王の御宝印」を中山寺に納めたことから、巡礼の中心地となる
安産・子授け祈願の寺として全国的に有名 』

本堂 超豪華な装飾 日光東照宮の様

五重塔は400年ぶりに2017年に再建された 高さ28m
知らんはずだ

太子堂
帰りもなんとかエスカレーターが動いていた
慌ただしい日帰りツアーもお開き

阪急中山観音駅
お疲れさまでした
楽しい誕生会となりました