安土町(教林坊・信長の館館・安土城考古博物館・・安土城跡)をサイクル

2025年11月21日(金)



「教林坊の紅葉は素晴らしいですよ」と教えて頂いたので行ってみた
当初は11月28日位を予定していたが 昨日の桂坂の紅葉を見て 昨今の冷え込み具合で
もう少し早めた方がと思い 天気も良さそうなので急遽変更した
安土は過去に2回行っている 1回は考古会で周辺の古墳を巡り
もう1回は60年ほど前 その時は安土城址跡もほとんど整備・調査もされてなく 
長い石段の下の方から整備しているところで  ごろ石と地道の坂を天守閣跡まで登ったことがある

城跡の近くに焼失した天守閣を再現した「信長の館」や城跡の遺物の博物館なども寄ってみた
これだけ行くとなると歩いては難しい 循環バスも無さそう 自転車で周ることにした

JR安土駅    駅前の信長公の銅像 後はレンタサイクル店

高齢のおばあさんが1人でやっている 
5時間で電動自転車2500円 「帰りは何時ごろになるか」と聞くので
4ヵ所巡るので4時か5時かというと 「出来たら4時くらいまでに帰ってくれないか」という
「今日は4時から医者に行くので」と言う なんとか頑張りますと答える
確かこの周りに2~3軒の貸自転車をNETで見ましたがというと
「いいや 皆 年で辞めたんよ 私ももう辞たいんやけど 閉めてても戸を叩かれるんや
子供が家に帰って来てもいいと言うから 店の仕事を継いでくれるんかと思ったら
店の仕事はせん と言うんや」   こんな会話をして店を出た

今日の相棒 青ちゃん

自動車道だが 自転車道も広く 整備されているので走りやすい
道沿いに安土町役場が有った
確かここは近江八幡市と思っていたが 調べてみると 安土町が近江八幡と合併時
安土町の強力な反対が有り 地域自治区ということで話がまとまったとか

少し迷ってうろうろしていると 中年の叔父さんの自転車に出会った 千載一遇
「教林坊はどこですか」と聞くと丁寧に教えてくれた
その後 周りの歴史的な場所や人の名前がずらずら出てきて説明してくれる
さすが地元の人はよく知っているなと感心
礼を言って別れしなに「私 駅前で本屋をやっておりますのでお帰りの節には お寄りください」と言う
なるほど物知りなはずだ


32番札所観音正寺には何回も来ているが ここは戦国大名佐々木六角の城跡なんだ
33ヵ所でも登頂難関の一つ
石寺楽市の村中を山手に入ったところに教林坊がある
『かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである~ 
~ここで私の興味をひいたのは、慶長時代の石庭で、これが中心の庭になっているのだが、いきなり山へつづく急勾配に作ってあり、
よく見ると、それは古墳を利用してあるのだった~
~その石室の巨大な蓋石を、そのまま庭石に使ってあるのだが、不自然でなく、
日本の造園の生い立ちといったようなものを見せられたような感じがする・・・・・ 』
白州正子
女史は近江をこよなく愛している 女史が愛した金勝山(こんぜやま)狛坂摩崖仏も何年も前から
行きたいと願っているが 臨時バスが春と秋の2~3週間の土・日・祭しか走らない
加えて今年は寺周りで熊情報が有り 止めた 来春にはと思っている



円窓から見えているのが石棺の蓋だろうか
確かにこの寺の裏山などは古墳の様に見える
古墳を城や庭(高槻市今城塚 京都府八幡市松花堂の月山)や石棺を庭石や沓脱石などに利用したものは
沢山ある 平城京も多くの古墳が潰された 先日行った豊中市の桜塚古墳群も周知の通りである

日当たりの加減か 紅葉の見頃はあと3~4日かな
紅葉と苔のハーモニーが素晴らしい

ここから一気に「滋賀県立安土城考古博物館」と隣の「信長の館」に行く

右の白い建物が「博物館」 左は「信長の館」




展示物は物足りないが 大きなスクリーン5枚を5角形にした大きなシアター室での映像は素晴らしい
3人の観客がスクリーに囲まれ安土城の天主になった気分だった

「信長の館」は天主閣の部分だけを実物大に再現したもの
館内が狭く全体は1枚の写真では収まらない

再現と言っても本当の姿の物は未だ解明されていないという
完成から3年で全焼し 図面も絵画も無い(バチカンに送られた唯一の襖絵が今も所在不明)
多くの学者が天主閣跡地の寸法や出土遺物などから推定で設計図を作成した
確定を目指し現在も発掘や文献研究が進められている


家康に出した饗応膳

金キラ金のもん造って 小児の如く喜んでたんだ
多くの農民から搾り取ってな 今でもこんな人間 世界中に大勢居るよな~

東海道本線のガード下をくぐって琵琶湖方向に向かうと「安土城跡」がある

安土城跡

城跡のパンフのより
『織田信長公が天下統一を目標に、天正四年(1576)一月十七日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え、
標高199mの安土山に築城させた平山城。
岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。
現在は四方とも干拓により陸地となっているが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、南方のみが
開けた地形であった。
そのわずか3年後天正七年五月わが国で初めて天守閣(天主閣)をもつ安土城が一応完成をみせた。
ところが、天主完成から3年目の天正十年(1582年)六月二日未明、中国毛利へ出陣途中の
明智光秀の謀反により信長公は京都・本能寺で自刃(四九歳)
混乱の中六月十五日に天主などを消失、一夜のうちに落城した。
原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説や敗走する明智光秀軍による放火という説もある

城の入り口 入城料ではなく「総見寺」の拝観料となっている
調べると安土城跡は総見寺の地所 観光ではなく参拝なんだ 税金の関係かな

城址一周は約1時間~1時間半
大手道は信長の館下まで連なっている

1段1段が高い 30cm以上はある199mだから単純計算で660段
直線ではないので1000段くらいかも
入り口から上がってすぐの所に秀吉の屋敷跡がある

大手道を挟んで向い側に前田利家の屋敷跡
その上の仮総見寺あたりが家康廷邸

天主閣の周りには親族や森蘭丸の屋敷跡が有る
この配置関係も相当面白いところである
お出かけのお殿様はこの階段を上り下りするのかな
籠や馬なら駕籠かきや馬は大変
簡単に 外でチョイ飲みして帰りまっさ~ではすまないな

あれやこれやと汗をふきふき登る

階段の一部に石仏が使われている
石臼などよくあるが 石仏は珍しい しかも階段に 石不足何でも有り
(人不足何でもありの時代かな)
これにお賽銭を添えるのも面白い これを拾って帰る輩も又然り
大手道を登り切ったあと、天主閣方面に向かって右折する
信長公本廟に立ち寄ってから本丸跡を通り天守跡へ

本丸跡(パンフより抜粋)
『天主から少し降りた所ある。「信長公記」によれば、この建物には天皇を招き入れる「御幸の間」
があったと記載されている。その後の調査で京都御所の清涼殿に似た構造になっていた
この礎石から高床式で天主取り付け台などと廊下で繋がっていたことが判明』

調査は続く

来ましたよ 天主閣跡


天主から真横下に見える 信長公本廟((秀吉建立:先日の大徳寺総見院も秀吉)
信長は何を想うのか 何も思わんだろうな (光秀以外は)総見したんだから

二の丸近くにある石碑

森蘭丸と織田信澄(信長の甥・光秀の娘婿だったため疑われ堺にて晒し首)邸跡

一息ついて下る

元来た道と別れる所 総見寺跡経由大手道とある 
又少しきつい坂を上がる 失敗したかなと思いながら上がると
視界が開けた

総見寺木堂跡
パンフより抜粋
『臨済宗妙心寺派。天正4年信長公が他所より移築、安土本丸の西方の峯に自らの供養塔にしたと伝えられる
天正10年の際には焼け残ったが安政元年(1854年9に火災により本堂など殆ど焼失

今にも崩れそうな三重塔
これは改修できるのかな

西の湖

天橋立の様な所に家が並んでいる 絶景 こちらに回ってきて正解
あの岬 家の重みで沈まないのかな

あかん!足が笑ろてきた

この門もボロボロ これは寺も大変だ拝観料を10倍にしてもな~
バルセロナのサグラダファミリアの拝観料は今40ユーロ(約7500円)とか
何百年も寄付で賄ってきたが 観光料金をとることで一気に2026年頃完成予定とか


やれやれ なんとか大手道に合流しそう

NETに安土城跡全体のCGが載っていたので拝借

3年で消滅 贅沢の極みである

良いハイキングでした