三輪山参拝登山と泊瀬朝倉宮推定地に行く
2024年3月13日
念願の聖地と憧れの遺跡を歩いた
1ヵ所は大神神社の御神体三輪山である
裾野からは何度も見上げているが元禁足地とあって近寄りがたいものがあった
いつか参拝したいと思って20年 今回余命少なき今こそとおもい出かけた
三輪山はウェキペディアによると
『三輪山(みわやま)は奈良県桜井市にあるなだらかな円錐形の山。
奈良県北部奈良盆地の南東部に位置し、標高は467.1m、周囲は16kmである。三諸山(みもろやま)ともいう。
そのほか記紀においては「美和山」、「御諸岳」などとも記される。
大物主大神に対する信仰
大物主大神を祀る
大神神社(大和国一宮、奈良県桜井市)が三輪山の西麓にある。大神神社は
三輪山を神体山として扱っており、
山を神体として信仰の対象とするため、
本殿がない形態となっている。
こうした形態は、自然そのものを崇拝するという特徴を持つ
古神道の流れに大神神社が属していることを示すとともに、
神社がかなり古い時代から存在したことをほのめかしている。
『古事記』『日本書紀』にも
三輪山伝説として大物主神の伝説が記載されており、三輪山が神の鎮座する山(
神奈備)とされている。
延喜式神名帳には
式内大社の大神大物主神社として載せられていて、
別名は三輪神社であり、
三輪氏の氏神であった。
鎌倉時代に入ってからは
慶円がこの三輪神社を拡大し、
本地垂迹説によって三輪
明神と改め、
別当寺として
三輪山平等寺を建立した。この三輪明神は
徳川将軍家などに篤く信仰された。
その後明治維新を迎え
、1871年(明治4年)に神社が奈良県にあてた口上書には、
「神ノ山とは三輪山を指す」という記述があり、大神神社の神体山として三輪山が正式に記録された最初の記録とされる。』

被葬者は卑弥呼ではと言われる箸墓古墳(手前)と三輪山 NETより
自宅よりJR奈良駅を経過してJR三輪駅に向かう



目的の三輪駅は桜井駅の一つ前 この線は「まほろば線」と呼ばれ「「山野辺の道」に沿っている
どこで降りても古墳・遺跡に当る
三輪のひとつ前は「巻向」である駅前から見渡す限り大集落の跡だが今は元に戻されて何もない
「邪馬台国」と高く評価されている遺跡
余談だが奈良駅の次が「京終」という駅
何と読むか「きょうばて」が正解 この京というのは地理的にいって奈良の都をさすんだろう
又「帯解駅(おびどけ)」も帯解寺(安産)で知られる


朝9時20分にJR三輪駅に着き大神神社の左川の山麓にある摂社「狭井神社(さい)」に行く





醒井から狭井になったんだろうか神水が飲める


受付の横に住所・氏名・連絡先を書く用紙がある
それに記入し300円を添えて神官に渡すと「ここは神様そのものです。神様の胎内に入ると言う事なので
登山やハイキングでは有りません。撮影禁止・水以外の飲食禁止・トイレは無い・午後3時までに戻ること
白地に「三輪山参拝証」と書いた襷を首に巻く

登山口で山に向かって御祓いをしていその一歩を踏む

上の地図を見ながら登るが登拝口から1番迄でも息が切れる
大丈夫かな 不安がよぎる
いたって普通の山の景色だが「三光の滝」「中津磐座」など多くの綱代が貼られ神山の趣
頂上の手前に「高宮神社」がありその上の頂上には数百の大小の岩が重なったり散在したり
周りは綱代が張られ禁足地を将に感じる
この磐座が神拠なんだ
周辺は大木に囲まれているので下界は見えなかった
取り敢えず水分だけ補給し 一礼して下る
登りで相当苦しかったが下りは脚の筋肉がへたり踏ん張れない
若い人たちがどんどん追い抜いていく
「三光の滝」当りから大きな声が聞こえる
この小さな滝で修行をしているんだ この休憩所の様なものは着替えなどする修行者の小屋だ
9時40分くらいに上がり12時40分に降りてきた
JRの桜井行の時間を見ると12時51分で次は13時51分
12時51分は間に合わないので大神神社を参り






神社鳥居前で「三輪そうめん」を食べる


柿の葉寿司とにゅう麵セットで体を温めた
三輪駅から一駅でJR桜井駅
ここで近鉄桜井駅と合流
ホームに上がるとすぐに「大和朝倉」行が来て一駅乗る
目指すは「脇本遺跡」

朝倉は三輪山の北部の山裾
桜井から伊勢方面の谷筋は初瀬の谷と呼ばれ「王家の谷」である
多くの大王の宮や墳墓・墳丘がある
大和王権の中心である


桜井市のNETでは
『脇本遺跡は奈良盆地の東南部に位置し、三輪山と外鎌山(忍坂山)に挟まれた、
泊瀬谷の入り口にあたる場所にあります。
春日神社のあたりはその中枢部があり東西約300m、南北約250mの範囲に遺構が散在していた可能性が指摘されています。
飛鳥に宮が移るまで三輪山の西南麓から香具山あたり一帯は、大王(天皇)や皇后の宮が13もあったと伝えられ、
大和王権の中心地域でした。
しかし伝承地は、ほとんど調査されることなく今日に至っていますが、
脇本遺跡に限っては過去18次にわたる調査が橿原考古学研究所と桜井市教育委員会によって行われ、
5世紀後半、6世紀後半、7世紀後半の大型建物跡などが発見され、
5世紀後半の遺構は雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)跡と推定され発見された南北方向の掘立柱建物2棟は
脇殿で正殿は春日神社西側の集落内にあったのではないかと考えられています。
(雄略天皇は万葉集巻1の巻頭歌でも知られる第21代の天皇で、当時は大王と呼ばれていました)』

上は桜井市のNETより
重い足を引きずりながら遺跡まで行く


立派な家の多い村だ
その中にひなびた神社がある 春日神社



この神社の前が上の田んぼの調査地域である
体を休めるとともに千数百年前の華やかかりし情景を想う
雄略天皇(ワカタケル)の銘の入った剣は東は埼玉古墳(埼玉古墳)=行田市 西は玉名の菊池川のほとりの
江田船川古墳から出土(いずれも国宝)
江田船川の剣は東京公立博物館に展示され
埼玉の剣は現地の博物館に展示されている 目の前でみれて感動
船山は墳丘には自由に入ることが出来 ガラス越しの石室に感動
ワカタケルの力はこんところまでに広がっているのだと驚愕
しかしもう脚の筋肉が引きつってよれよれ
どうにか駅にたどりついた
行違う学生が 糞じじいがなんでこんなとこよろよろしてるんじゃと思うじゃろうが
許せ これがじじいの生きがいじゃ
長年行こうと思っていてもなかなか行けなかったが
今行かないともう行けないだろう
来れて良かった
了