大津市歴史博物館で「大友皇子と壬申の乱」展が開催されている
期間は10月8日~11月23日とある
「壬申の乱」物語ファンとしては是非行ってみたい
大津京跡も観たいと出かけた


大津市博物館に行くのは初めて
地図を見ると三井寺の隣 久しぶりに三井寺もと巡った
住宅街から疎水沿いを山手に歩く15分

京阪電車びわ湖浜大津駅
ここから石山寺方面と比叡山坂本方面と別れている

京都市地下鉄東西線は山科から地上に出て大津市内では路面電車に変わる
電車が民家とすれすれに走るのも面白い


疎水は普段は満水状態だが どこかで工事止水をしていて今は少ない

受付に行くと憧れのワイドカメラをもった韓流スタイル風の青年と
受付人が料金をめぐってなんだかんだと話している
きいていると
入山料が600円で寺内にある特別宝物拝観は更に600円必要であるらしい
若者はその特別宝物拝観だけしたいので600円にしろと言って受付人と押し問答しているのだ
そうこうしていると青年は後ろにいた観光客の爺さんに「入山だけですか」と問う「はい」と爺さんが言う
すると入山と特別拝観券がセットになったもの(1100円)を爺さんと一緒に1枚買って
それを半分にして別々に持っていきますと青年は訴える
3番目に並ぶじじいは600円を握りしめてイライラ
受付人は苦笑いで拒否 青年は考えますと言ってその場を去った
これってデズニーランドの中のアトラクションだけ見たいから 入場券は買いませんと言っている構図だよな
「そんな奴おらんやろ」とつっこみたくなる
洒落た格好で憧れのカメラをぶら下げた青年に3人はあっけにとられた
驚いたのはそれだけではなかった
観音堂から降りてきた駐車場と小川の土手の下からその青年が上がって来た
無銭侵入だ
例のカメラを持っていたから間違いがない
目を合わすと下を向いて通り過ぎた
まあ 罰が当りませんように 合掌

観音堂

観月舞台

紅葉には少し遅かったようだ

金堂

一切経蔵

三重塔

三井の梵鐘

仁王門から道路に出て隣の丘の上に博物館がある


その間に「大津市伝統芸能会館」無料とある
入ると誰もいない なにか展示物でもあるのかと思いきや能舞台と客席だけ
失礼しました
博物館はこの奥だ

常設展は330円特別展開催時は800円


(真中が天智天皇右が大海人皇子左が鵜野讃良皇女)珍しい絵らしい
正面に目に付くのは「パンプキン型爆弾」と「大津市で最大の地蔵像」が並んでいた
パンプキン型爆弾はアメリカが原爆を投下する前に日本各地に計49発を投下した
400名の死者と3000名の負傷者がでたという
これにより原爆投下のデーターを採っていたと言う
ロシア・ウクライナの比ではない
特別展の撮影は禁止
仕方が無いのでメモに書いていると係員が来てボールペンで書かれていますかと言うので
はいと言うと鉛筆でないと駄目なんですといって鉛筆を渡される
裁判所に来たような重々しさ
大友皇子は天智天皇と伊賀采女宅子娘の間にできた子供
天智天皇と大海人皇子(後の天武天皇)とは実の兄弟といわれている(欣明×斉明)
大海人は知力・武力に優れ人望厚く時期天皇を望む声が大きかったが
天智にすれば自分の子を天皇にしたい
病に伏した天智の枕元に大海人をよび「時期の天皇はお前が継いでくれ」という
大海人は即座に「いいえ大友皇子が継がれるべし 私は仏に仕え頭を丸めて吉野に入り天皇と皇子の安泰を
念じます」というや忽ち鵜野讃良皇女(後の持統天皇)や草壁皇子らを連れ
山科から宇治・飛鳥の嶋宮・吉野の宮滝まで一気にかけ逃れた
天智はもし大海人が承諾すればその場で謀反の罪で討とうとしていたという
やがて天智は亡くなると大友皇子や近江政権は不安である
天皇の御陵造りと称して兵を集め吉野に攻め入るのを機に大海人は近江攻めを決意
伊勢は大海人の公地公民(後の荘園)
近隣や遠く東北からも不破に集まり琵琶湖や大和に兵を2分し近江に進軍
悉く近江軍を打ち破り 大友皇子は大津京の裏山の木に首を吊ったとされる
(日本書紀)
20数年前考古の会で「壬申の乱を巡る」という企画が有って1年間でバスや徒歩で
大津から山科・宇治・飛鳥・吉野・宇陀・不破・伊勢を周ったがあいにく参加できたのは山科からであった
今回これを機に大津京跡も行く
今回の展示会は大友皇子が主役である
後に天武天皇となって「日本書紀」編纂を命じたがよもや大友皇子が天皇だったとは書かせないはず
もし大友皇子が天皇であれば謀反である
従って大友皇子に関する裏の話は尽きない(資料が無いだけに)
明治政府は大友皇子は弘文天皇として即位していたと認めている
その御陵は三井寺の北東の隅に「弘文天皇長等山陵」としてある

NETより
今回の展示会で大友皇子も墓の推定地は全国に5ヵ所ほどあり
その一つは大友は生き延び福島の地で亡くなったとか
又大海人に献上された大友の首塚も数か所ある
源義経の伝説様になっていることを知った
堪能した 撮影禁止が辛い
隣の大津市役所の前が京阪大津市役所前駅


2駅乗って近江神宮前で降りる
駅を降りるとそこは錦織町


ところでこの錦織とはどう読むんだろう
もともとは機織りの技術者集団の渡来人名
やはり市役所の方が正しいのだろう
50mほど歩くと住宅街のメイン通り この通りの両側に発掘地が並んでいる



地上に出ているのは柱が立っていたことを表す

柿本人麻呂歌碑

これだけ家が立て込んでいたら全貌を掴むには当分無理だ


宮は南北700m東西400m程の規模だったと推定されている
そもそも唐と新羅の連合軍に敗北して日本に逃げ帰り連合軍の日本襲来を恐れ
各所に水城や山城を築き都を飛鳥から大津に移した
大津なら水運・陸運の利があり日本海にも関東方面にも太平洋にも出やすい場所である
5年間程の都であったが京(大きい・量が多いの意)というより大津宮と呼ぶ方が妥当か
長年その所在が定かでなかったが昭和49年頃以前から知られていた錦織地域発掘調査で
遺構が見つかり現在に至る
遺跡の並ぶ通りをつきぬけると近江神宮にあがる参道に至る
鬱蒼とした森の中を山手に向かうと「百人一首競技大会」の会場で知られる神社がある

説明によると蠟燭で1本の糸が切れるのに1時間だそうだ

写真禁止で昔の時計(江戸時代)やら物置状態 300円 早々に退散
ここからが問題で「皇子山古墳群」に行きたいのだが
殿地図にもはっきりした道が書いていない

高速道路に接しているようだ
しかし新しい家がいっぱいで道も行き止まりが多い
谷川付近でうろうろしていると同年輩の叔父さんが向こうから歩いてきた
こんなところで人がいるなんて
「すみません 皇子山古墳に行きたいのですが」
「ああ 私に付いてきなさい この前も東京の学生さんが迷っていて案内したよ
ここは本当に判り辛い所です 私に合えたのはラッキーでしたね
今日は朝からなにかいいことしてきましたか でもいいですね こうして遺跡巡りなんて
私は競艇通いくらいですよ」と一方的に明るく喋る
「駅に行かれるのでしたら大体教えて頂いたらいいですよ」と恐縮して言う
「前まで行かないとわかりませんよ」と幾つかの細い住宅街の中を縫う様に歩く
ここです

叔父さんありがとうと後姿を拝みながら写す

急な坂道を汗だくで上がると墓は頂上に有った


皇子山一号墳
腹が減ったので琵琶湖を眺めながら古墳の上でサンドイッチとコーヒー 最高!

一号墳は前方後方墳で全長60m
葺石は今あるのは復元されたもの
4世紀後半と推測されている未調査のため詳細は不明
2号墳は円墳というので捜したら方墳の中ほどに微かにそれらしき盛土があった

直径20m 3世紀末と推測されている
いろんな人の御蔭で予定通り全部周れました
楽しいひと時でした
了