考古学探訪 平成13年5月20日
今日は奈良県磯城郡三宅町を中心に近年発掘調査が進んでいる遺跡と奈良盆地低地部の古墳群を歩く。
なんて書くと先を読む気がしない。本当に今日は暑かった。「探訪」の好条件は「一に曇り、二に草・虫・蛇無し、三,四が無くて、五に曇り」要は冬がいいのであるが。平坦といっても11kmの炎天下は老体にはきびしい。グズグズ言わないで先に進む。ちょっと退屈だが、正式記録なんで。
伴堂東遺跡は近鉄橿原線石見駅の北西700mに位置し、弥生前期から古墳中期の方刑周溝墓や土抗、古墳後期から飛鳥・奈良時代、平安時代の集落などが検出されている。古墳は現在五基が確認されている。五号墳以外はすべて墳丘を削平されていた。古墳は5後〜6世紀のもの。京奈和道路の工事に伴って(写真@)の調査だが、ここでも「開発と破壊の矛盾」がみられる。                                                                  写真@

古墳がどのように埋没、削平されるのかがよく判る遺跡でもある。奈良時代には古墳周壕の埋め立てが開始される。鎌倉時代には一帯が耕作地となるが、この頃には古墳の墳丘や周壕はその痕跡をのこしているが 、完全に墳丘が削平され、平坦な土地に変えられるのは戦国時代から江戸時代にかけてで、その地割りが踏襲され現在にいたる。太子道は斑鳩と飛鳥地方を結ぶ古道で、屏風という地名は太子に立てかけたからとか、太子が腰掛けた石(A)とかその様子を描いた絵馬も残る。              写A

また屏風の北側に位置する川西町面塚は能楽発祥の地で知られる。周辺は面塚遺跡で、弥生中の遺物が出土。
(いつの頃にかこの地に

天から「翁の面とねぎ種」が降ってきたという伝承があり「面塚」とした。伊賀の国小波多に座を創った観阿弥、世阿弥親子がこの地に移り結崎座と称して芸道に精進した。親子はここより春日大社、興福寺能に参勤し、その後京都にて室町幕府三代将軍足利義満に見出され、その知遇を得て益々円熟の芸に到達していくのである。大和にはこの結崎座のほかに円満井「金春」外山「宝生」板戸「金剛」の三座がありいずれも南都の能に参勤していた。これらを大和猿樂の四能と称する)
鳥の山古墳(B)は墳長190mの前方後円墳である。周囲には幅35〜40mの周濠があり平成八年には前方部頂で粘土郭が発掘された。棺内からは鏡、玉製合子、管玉状石製品などが出土。                                                                                              B                                       

寺の前古墳は前方部を南東に向けた墳長32mの前方後円墳。明治の初め頃に盗難にあい内部の石室から多数の須恵器や冑が出たという。その東方に安養寺山古墳(墳長50mともいわれるが消滅)。その南に茄子塚古墳。さらに高山古墳アンノ山古墳とあり三宅小学校の南に天皇塚古墳とつづく。
ここで昼食。半分ミイラ化した体に水とブドウ糖とアミノ酸が滑り込む。
そうそう以前この近くの「探索」に来た時、畑の畔で昼食を摂っていると急に大雨に合いどこにも逃げるところもないし面倒なので、両手に弁当と箸、肩に傘を挟んで立って食べたことを思い出した。こんな形で昼飯を食べてるのは今世界でも私だけだろうと自負したが、人が見たら「アホチャウ」。今回は三宅町役場の玄関をお借りした。
さあ又頑張るぞ。三宅古墳群の南端いあたるのが田原本町黒田に所在する黒田大塚古墳である。周辺には縄文時代からつづく複合集落である保津・宮古遺跡や法楽寺跡、黒田廬戸(いほど)宮伝承地などがあり、桃太郎伝承の地としても知られる。
黒田大塚古墳は6世紀前半の前方後円墳で墳長約70m。周濠からは円筒埴輪、形象埴輪、鳥形、棒状の木製品が出土。
記紀にある第七代考霊天皇の黒田廬戸宮はこのあたりだといわれている。
法楽寺は聖徳太子の開基と伝えられ、室町時代には25宇を数える大寺院であったという。近鉄橿原線の石見駅と田原本駅の間、線路の東側にこんもり繁った森が笹鉾山古墳(一号墳)であり、この古墳を中心に、周囲に小規模な古墳が数基あり、笹鉾山古墳群と呼んでいる。田原本町に鎮座する鏡作神社は正式には、鏡作坐天照御魂神社といい、御神体に外区を欠いた唐草文帯三神一獣
鏡を祭っていることで知られている。鏡作神社の西方、八尾池から田原本小学校の一帯は羽子田遺跡である。特に田原本小学校のあたりでは削平。埋没古墳が集中しており、羽子田古墳群と呼んでいる。羽子田一号墳は明治時代に牛型埴輪が出土、他にも4世紀後半から6世紀代の古墳が10基以上確認されている。また、弥生中期から古墳時代中頃の集落も見つかっている。
このすぐ東側が邪馬台国ではという人もあるくらいの大規模集落地「鍵・唐子遺跡」であり、今回探索したところとの繋がりなどを今後検討しなければならない。
今回はちょっとマニアックなコースであるが、「探索」のほとんどがこのような目立たない、地味な存在と活動なのである。こんな中に突然新聞誌上を賑わす大発見もときには有るが。
家に帰ってニュ−スを見ると30度とか、水に5%のアルコールと多くの泡と税金の入った何とか言うドリンクの美味いこと美味いこと。お疲れ様でした。