矢田丘陵の周辺を歩く
大阪からJR大和路快速で約50分 JR法隆寺駅集合
沿線の王子や法隆寺周辺も随分家が建て込んでいる
駅に着くと長梅雨の最後のあがきの様な凄まじい雨

しかし出発の頃には青空が覗く
日が差すとむしむしで一気に汗が吹き出る
案内の西脇清秀先生によると
「矢田丘陵は奈良盆地の西北部 生駒山地と西の京丘陵に挟まれた東西約2km 南北約9km
余りの丘陵である。
この丘陵の東には富雄川 西には竜田川が流れている。
この丘陵の周辺部には古墳が綿々と営まれているが
特に矢田丘陵の南端部の小泉、斑鳩、平群地域に古墳が集中する
斑鳩・小泉の古墳
この地域には150mを凌駕するような大型の前方後円墳は認められないが
前期古墳から後期において着実に地域の首長の系譜を追える古墳が築造されている
その系譜ををたどると 先ず小泉地域に竪穴式石室を内部主体とする
小泉大塚古墳が3世紀から4世紀にかけて築造され ついで斑鳩地域に竪穴式石室
もしくは粘土槨の斑鳩大塚古墳が4世紀末から5世紀初めに築造され
小泉地域に近い瓦塚1号墳・2号墳は5世紀前半
そして小泉地域に六道山古墳が5世紀中頃に築造されたと考えられる
それ以後 前方後円墳は築造されない。
6世紀以降 斑鳩地域特に西部は上宮王家に関わることが指摘されてい。
しかし東部にある小泉地域の笹尾古墳は6世紀末から7世紀の大型横穴式石室
を有する円墳で この地域の支配者層を考える上で重要な位置を占めている」



斑鳩大塚古墳
直径35m 高さ約4mの円墳
1954年に墳丘部上に忠霊搭が建設された際 埋葬施設が検出された
破戒された粘土槨の一部が残り 銅鏡2 石製石釧1 石製菅玉1 筒型銅器1
短甲1 肩甲1 頸甲1 刀剣14 など出土
法隆寺の東側に藤ノ木古墳がある
過去に数度来ているが 今は環境が様変わりしている


国史跡となって周辺の土地を買い取りきれいに整備されている
年に二回開口部から内部にはいれるようだ
1985年からはじまった発掘は連日新聞紙上をにぎわした
考古学に全く興味が無かった者でも興味が湧いた
法隆寺から350mほど西に未盗掘の円墳があったのだ
当時最新のファイバースコープで石棺内部を見るというので
興味津々だった
澄んだ水に衣類の断片が浮かび 底には骨の一部や靴 鞍 土器 刀 装飾品
など当時の有力者の葬儀形態がほぼ完璧に出土したのだ


古墳から100mほど南に「斑鳩文化財センター」があり
埋葬品の石棺などレプリカを展示して来訪者に説明している
本物は橿原考古学博物館に展示されている
石棺だけは外に出せないので今も古墳内に眠っているという





朱塗りの石棺内部には2人の遺体がある
1人は17〜18歳くらいの男性
もう1体は膝の骨の1部の残りから20〜40歳くらいの男性らしい
(京大教授片山一道の説)
この方は日本の男性BONESと言われる骨博士
著書「骨考古学と身体史観」に書かれている
いや男性同士は有り得ない 女性だという説もある
穴穂部皇子と宅部皇子だ とか
穴穂部皇子と崇峻天皇だとかの説がある
古墳後期 6世紀の末 舶製か邦製はわからないが
素晴らしい技術が醸成されていたのだ
予定には無かった見学場所であるが館長自らの案内で 面白かった
道を東に向かい法隆寺の門前を左に見て上宮遺跡に向かう

上宮(かみや)遺跡
遺構は奈良時代のコの字に配置された大型掘立柱建築群や平城宮や平城京で
仕様された瓦が出土することから「続日本記」にみえる称徳天皇の行宮「飽波宮(あくなみのみや)」
の有力な推定地である



ここで40分の昼食タイム
とにかく暑い 500ml 2本もってきたが足らない
北に向かう
駒塚古墳に向かう
途中遠くに田んぼと新興住宅に挟まれていまにもくずれそうな
調子丸古墳
が見えている
調子丸古墳
百済の聖明王の弟の長男といわれる「聖明王」を祭ったという伝承から
ついた名前とか 未調査のため詳細は不明
駒塚古墳
そこから100mほど北西に駒塚古墳がある
平成12〜14年に調査された
前兆55m 前方後円墳


墳丘には葺石が二段に巡るが埴輪は伴わない
墳頂には径約12〜13mの平坦面が存在しその下には棺を収める墓抗の存在が確認されている
出土した壷の赤色顔料から4世紀後半のものと推定
この古墳の名は聖徳太子の愛馬「黒駒」を埋葬したとの伝承による
100mほど北にいくと
中宮寺跡
がある
聖徳太子建立7ヶ寺の1つであるが その創建は不明
現在の中宮寺はここから400mほど東に17世紀に移ったとされる

中宮寺は門 搭 金堂 講堂が一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置
だが現在門と講堂は確認されていない
出土した飛鳥時代の軒瓦には「奥山廃寺式」と「高句麗系」の2種類が認められており
620年頃の製作時期が考えられる
暑くて足も攣りそう
何度もびっこをひきながら こむらがえりも克服しながら
15分ほど山手に上がる
三井瓦窯跡

1932年に国史跡に指定された
地下式登窯
長さは4,9m
この窯からは平瓦・丸瓦片が出土
ここからどの寺院に供給されたかは不明
しかし7世紀末から8世紀初めに法隆寺や法輪寺に供給されたと思われる
軒瓦も出ている

法輪寺を横に見ながらひたすら歩く
法輪寺は三井寺とも呼ばれる この地名が三井である

足をひきずりながらJR大和小泉に近いところまで来た
病院の領地の一角に
笹尾古墳がある

絶対静粛にをなんども念を押され少人数ごとに近づく
待っている間雨がぱらぱら 雷がごろごろ
墓の前で寂しい思い
順番がきた やれやれ



国立療養所の建設工事に伴って発掘された
径約27mの円墳でこの地域では非常にめずらしい
両袖式の横穴式石室でる
石室内は盗掘が著しく 出土したのは凝灰岩製家型石棺片 鉄釘 須恵器
など 6世紀末から7世紀前半の構築とかんがえられる
この近辺は古墳がかたまっている
小泉大塚古墳


小泉の町を見渡せる丘陵のコンビニの裏手にある
自分の墓の横にコンビニができるなんて思いもしないだろうな
前方後円墳であるが前方部は古くから削平されており
現在は後円部のみ保存されている
径50m 同高さ7m 竪穴式で銅鏡7 鉄製品 土器など出土
土師器は布留1式にあたるため 3世紀後半から4世紀頃の築造と考えられる
最後まできたぞ〜
六道山古墳
全長100m 後援部75m 同高さ14m
前方部幅50m 同高さ6m
葺き石は確認されていない
前方部は1970年代に削平を受けている

葺き石や埴輪もなく2度の調査も時期を決定できる資料はでていない
ここで解散 本当にお疲れ様
途中のバス停で何人もがリタイアしていた
よっぽどそうしょうかと思ったが
完歩できて良かった
次回の予定は生駒山の「くらがり峠越え」だとか
もうちょっと鍛えておこう
了