豊中市 桜塚古墳群を歩く

秋晴れの快晴の元 大阪府の北部伊丹市・箕面市と隣接する豊中市
伊丹空港の一部は豊中市である
大阪府では東大阪市に次ぐ4番目 40万人の人口

阪急梅田から雲雀丘花屋敷行の各停に乗って15分 岡町駅に着く
駅前広場に80~90名ほどが集合 
好天日にしてはいつもより少ない人数 先生も「紅葉狩りに負けたかな」感


桜塚遺跡は岡町駅の西側と東側に点在していた


AIに要約してもらうと

豊中桜塚古墳群は、大阪府豊中市に位置する古墳時代の大規模な古墳群で、
かつては36基(大正に建てられた「桜塚碑」には48基と記されている)存在したが、
現在は5のみが現存し、国の史跡に指定されています。
(吉村先生の話では「明治43年阪急宝塚線が古墳の古墳群の中央を南北に横切るように開通し、
その周辺の宅地開発が進むにつれ、その殆どが消滅した」とのこと)
           概要と歴史的背景           
所在地:大阪府豊中市岡町・中桜塚・南桜塚
築造時期
:古墳時代前期後半4世紀)から後期初頭(6世紀)にかけて
構成数:かつては36基、現在は5基(大石塚、小石塚、大塚、御獅子塚、南天平塚)
地理的特徴:豊中台地の低位段丘上に分布し、阪急宝塚線岡町駅周辺に広がる

️ 古墳群の分類

桜塚古墳群は以下の4群に分類されます

西群:大石塚・小石塚古墳中心
中央群:荒神塚古墳など
東群:大塚・御獅子塚古墳中心
南群:曽根駅北東部に近年確認された古墳群

現存する主な古墳

大石塚古墳 ~全長80m以上の前方後円墳。3段築成。1段目と2段目のテラス面には玉砂利が敷かれ、
壺棺・円筒埴輪・朝顔形埴輪が並べられていた 4世紀中頃

小石塚古墳~大石塚の北側に大石塚の主軸を揃えた位置。全長49mの前方後円墳。後円部径29m。葺石は無い。
 後円部では長さ7,4m幅3,1mも粘土槨竹形木棺が出土 4世紀後半

大塚古墳~直径56m高さ8m以上 周囲には幅12~13mの周壕を伴う3段築円墳。
埋葬主体部3基が認められ、鏡・甲冑・鉄刀・鉄鏃・玉類などの副葬品が出土
東槨では棺内中央部のみで水銀朱が認められ ここに北頭位で1体が埋葬されていたことが確認されます

御獅子塚古墳~南北に主軸をとる前方後円墳で周濠を巡らす 墳丘は2段構築 全長55m
後円部35m長さ4m 前方部幅40m 周濠部を含めた長さは70m
第一主体部には粘土槨を持った竹割方木館(頭骨片と歯)薬400点の玉類・短甲・冑・刀剣・鉄鏃
馬具・朱塗り革製盾
 第二主体部には木棺直葬で大刀・槍3・頚甲・短甲・鉾4など出土

南天平塚古墳(みなみてんぴんつか)~直径20m 高さ6m 二段構築の円墳(現在4分の1残る)
六獣形鏡・短甲・鉄刀・鉄剣・鉄鏃・三冠玲が副葬
第一主体部の木棺は長さ3mで蓋と身は鎹(かすがい)で結合されていた
第二主体部では棺内から仿製方格規矩鏡1・短甲1衝角付冑・鉄刀・鉄剣・鉄鏃

特異な点と出土品
東群の古墳では鎹(かすがい)を用いた棺の構造が確認されている
貴重な出土品:金銅製鳳凰文透彫帯金具、細線式獣帯鏡など

となる

今日は上記の5ヵ所の古墳を巡る


駅から3分程の住宅地の中に公園のように2基の古墳が縦に並んでいる

大石塚古墳の後円部
普段は柵が有り 立ち入り禁止も この日は豊中市教育委員会の係の方が
大石塚・小石塚・御獅子塚の開錠をしていただいた

後方部
大石塚古墳の隣が豊中市立伝統芸能館
謡曲や茶室や書道など出来るコミュニィテイの施設 玄関に大石塚古墳から出土の埴輪棺が展示

窓の横が大石塚古墳丘


復元された埴輪棺(埴輪を利用した棺)


駅の反対側行く
昭和のレトロ感一杯 江戸時代から続く岡町商店街の真ん中に「原田神社」がある


原田神社

AI基本情報
所在地:豊中市中桜塚1丁目2-18
主祭神:須佐之男命(牛頭天王)をはじめ、櫛稲田姫、大日孁貴女尊、月読命、高龗命、天児屋根命、
住吉大神、仁徳天皇、菅原道真公など多くの神々が祀られている
天正6年(1578)荒木村重兵火にかかり消失 現在の本殿は江戸前期(1652)のもの
創建:社伝によれば4世紀中頃〜5世紀末に桜塚古墳群の故地に創建されたとされているが正確な年代は不明

️ 建築と文化財

本殿:慶安5年(1652年)に再建された五間社流造(ごけんしゃながれづくり)
檜皮葺の屋根に千鳥破風と軒唐破風がついている。国指定の重要文化財
摂社十二神社本殿:桃山時代の建築とされ、市指定文化財に登録されている
石鳥居:貞享5年(1688年)建立、市指定文化 例祭:毎年10月1日
獅子神事祭:秋に行われる市指定の無形民俗文化財で、地域の伝統が息づいて

先生『この神社社地(大石塚・小石塚近辺)の山林の枯松の根本から銅鐸が2口出土したがその内の1口が保存されている
銅鐸は外縁付紐2式の流水文銅鐸 高さ32.9cm紐高8,3cm
同笵は香川県我拝師山銅鐸であり その石製鋳型が茨木市東奈良遺跡で出土した』

豊中警察署・南桜塚小学校前に大塚と御獅子塚(おししずか)が道を挟んで見える
大塚の公園で昼食

大塚古墳



大塚古墳の上から御獅子塚古墳がよく見える
食事と一服したあと御獅子塚古墳に入る



頂頭部の主体部の位置と大きさを示す模様

葺石は二段目斜面にのみ施されている

正面の白い建物が豊中警察署



御獅子塚古墳から数百メートルの南に南天平塚古墳が有る
原型は殆ど無く 土崩れ防止のシートで覆っている

ここから服部緑地内にある梅塚古墳まで少し距離が有る
朝は6~7℃なのに昼からは20℃くらいまで上がる 1枚づつ脱いで歩く

公園の渕を流れる天竺川の緑橋を渡ると公園
秋の好天とあって広い公園には大勢の人々で溢れている

公園の中心部の円形花壇の片隅に「梅塚古墳」がある
今回の桜塚古墳群とは関係ない様だが 駅に向かう途中に有るので観察

これが高さ10mもあった古墳とは思えない

みんな知らずに座っているんだ

ここで解散 お疲れさまでした
此の会にしては珍しく徒歩距離は平地5km 
早く終わったので 昨年2024年11月25日に公園に来た時 公園内にある「日本民家集落博物館」に来たが
月曜日の休館日だった(ミニ旅その2 勝尾寺と服部緑地)
解散後急いで博物館に向かう
その模様は ミニ旅その2「服部緑地 日本民家集落博物館」にまとめました










追記

昭和54年(1979)奈良県此瀬町の茶畑から骨と木炭が出土したとの報告があった
調査の結果 墓だったという
直径約4.5mの円形墳丘
炭敷きの底面中央に木櫃が置かれていて
木炭に上下に包まれるように純度の高い銅板に被葬者の銘板があった
この時代の日本の墓の墓誌は極めて少ない
しかもそれはその人物の存在すら疑問視されていた「太安万侶」銘である
彼が実在していたということは 彼の編纂したと言われる「古事記」も実在したに違いない
と当時から考古界でも大発見となった
以後 墓は橿原考古学研究所付属博物館に展示されている
発見から45年経過し2025年に「太安万侶墓誌」が国宝に指定された
それを記念して
2025年11月3日 奈良県福祉総合センターに於いて講演会があった
以上

(写真は講演会資料より)