橿原考古学有史会70周年記念講演
2025.9.13
社会福祉総合センター(近鉄橿原神宮前下車)
残暑の中 記念講演に出かけた
橿原神宮前駅から徒歩5分 12時開場だが多くの人々で会場(570名定員)はほぼ満席

来賓祝辞の後
以下の記念講演があった
ヤマトとローマの国家形成の過程の考古学的視点からの考察
講演Ⅰはヤマトや卑弥呼の存在は日本最大の考古学の論争点であるがKANTAが興味を持ち始めて
有史会に入ったのは25年前 当時も 古くからの」九州派」と「近畿派」の論争が続いていた
その中で今回の寺沢薫先生の考察はこの問題を考える最新の最先端の考察ではなかと 感動した
AIの見解
『現在の学術的な見解では、卑弥呼とヤマト政権(ヤマト国)との関係性については、いくつかの説が並立しており
、完全な定説には至っていません。ただし、考古学・文献史・政治史の観点から、以下のような有力な見解が浮かび上がっています。』
卑弥呼と邪馬台国の位置について
九州説:卑弥呼が治めた邪馬台国は、北部九州(特に筑後川流域や伊都国周辺)にあったとする説。
魏との外交の中心地であり、鉄器や鏡などの交易品が豊富に出土している。
近畿説(纒向遺跡):奈良県桜井市の纒向遺跡が邪馬台国の中心だったとする説。
3世紀後半から前方後円墳や大規模建築が登場し、祭祀・政治の中心地として機能していた
。
現代の学術的姿勢
邪馬台国=ヤマト政権という単純な図式ではなく、「倭国連合の分裂と再編」「外交軸の移動」「地域王権の連携」など、
より複雑な国家形成プロセスとして捉える傾向が強まっている
。
邪馬台国論争(九州 vs 近畿)は依然として続いているが、最近では「この国の成り立ちをどう理解するか」という
本質的な議論へとシフトしつつある』
とある
AIにおいても現在は九州勢力と近畿勢力の対立構造ではなく融合的な説を臭わせている
この論争に寺沢先生は考古学的な地検から動乱衰退分散した九州勢力や周辺クニなどへの他国(中国・朝鮮)の外圧が強くなり
(先生は明治維新の如くと表現される)
畿内勢力などオールジャパンで国難を乗り越えるがごとく協議・再編・統合されていったのであろう。
将に大連合 オオヤマト 「大倭」「大和」である
そして倭乱後2~30年後に桜井の
纒向に忽然と「国・大王都」が出現したのだ
それは九州勢の大型鏡や武器・埋葬遺体状況などと畿内の銅鐸と全国の前方湖後円墳などとの関係を示され
十分な科学的資料の元に推測されたと思った
1時間半が短く感じられた
続いての講演Ⅱは古代ローマ史の日本の権威青柳正規先生の専門的な単語や事例などを交えられ
大学の講座を彷彿させた
専制的な原始ローマの発祥から7代大王暗殺後の共和制への移行など「ローマは1日にしてならず」
の言葉通り世界征服までの礎となる過程を教わった
今回は「ローマの成立」は掲載しないが興味ある諸氏は先生の多数の著書にて確認されたし

過去2回程纏向遺跡に行っているが 私有地を掘り進めるには時間がかかる
発掘調査もかなり進んでいると思われるので 近々行ってみたい
楽しかったです