「邪馬台国はどこだ!」
こんなストレートなタイトルの講演会が有り参加した。
「全国邪馬台国連絡協議会 近畿・東海支部」主催の第一回講演会
が奈良県大和高田市「さざんかホール」で開催された。
パネラーが「畿内派」は石野博信氏「九州派」は安本美典氏と言う畿内派と九州派
の最両翼の激突だというので興味深々で参加した。
各氏1時間半の講演と50分の質疑応答と対談というスケジュール
最初に石野氏が車椅子で登場(前橿原考古学研究所副所長、橿原考古学博物館館長や徳島文理大学文学部教授
、二上山博物館館長、現兵庫県県立博物館名誉教授でその著書に邪馬台国は「纏向遺跡」だと発表。『邪馬台国時代の
王国群と纏向遺跡』など多数ある。)
もっぱら同氏の過去の出版物の話、トピックスは「邪馬台国時代、吉備・出雲連合は大和に新王権を樹立したか」
である。その推測根拠として三輪山の周辺に三ヵ所から壊して埋められた祭祀用の銅鐸が発掘された、先生の
推測では何か大きな自然災害とか王権の危機があったので古い祭祀を壊し新しい祭祀を迎えたのではないか」
それに対し
安本氏(京都大学文学部卒現代古代史研究所に専念著書に『誤りと偽りの考古学・巻向』『邪馬台国は福岡県朝倉市にあった!』など)は全く相手に容赦のない講演である。
http://yamatai.cside.com/(邪馬台国の会)
「ペイズ統計学」による確率計算で福岡県出土の鉄鏃数は398個、鏡30面、絹製品15点、ガラス製勾玉・翡翠29個これに対し奈良出土の鉄鏃数は3個、絹製品2点、ガラス製勾玉・翡翠3個である。
そこからこの統計学的には99.9%の確率で九州説が正しい。畿内説の確率は0.1%である。
そしてその場所は「箱式石棺」の数の集中度からして朝倉市・八女市を中心とした地域にあると氏は断定される。

歴史小説を多く著作された黒岩重吾氏は「八女説」であったので1992年に
八女市の「磐井の墓」や朝倉市(当時は甘木市だったと思う)の
朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)に行ったことがある。
。
俗に「ベニバナ論争」というのがあって
纏向遺跡からベニバナの花粉が発見され当時これこそ綿(当時は絹の事)の染色に使われたと大きく
報道されたという。しかし安本氏によればどの資料にも当時の赤色の染料は茜(アカネ)であり
ベニバナ(末摘花)は化粧用だと推定されるという。
因みに現在糸島市の平原遺跡群(ひらばら)の1号墳や石塚山古墳や祇園山古墳等が卑弥呼の墓として有力視されている
対談は安本氏の一方的な論破に終始、時間も相当遅くなったので途中で退席した。
考古学の世界も単に思い入れとか願望のもとに比定の試みは許されない
純粋に科学としてのみその存在意義があるんだと感じた。
了
