物部氏の首長墓巡検(南部編)

秋晴れの紅葉の時期
紅葉を兼ねて天理の古墳巡りをした

天理は隣の桜井市と共にこの国の成り立ちに大きな意味を持つ地域
石上神社(物部氏)から桜井・飛鳥を通じる「山野辺の道」は過去なんども通った

今日は樫原考古学返球所の小柴明彦先生のご案内で総勢142名が天理駅に集合して巡検した



天理駅はJRと近鉄がくっついている



駅前から長い商店街をぬけると天理教本部がある
何度かきているが本部を見たのは初めて 西本願寺の趣がある

山手はほとんど天理関連の建物が占めている
古墳もこの施設内に散在している





天理高校


小栗先生
~前回(H・30年12月では布留遺跡の北側を行きました(塚山古墳・ダンゴ塚古墳・別所鑵子塚古墳・袋塚古墳・
別所大塚古墳・石上大塚古墳・ウワナリ古墳・岩屋大塚古墳・ハミ古墳など行きました
                 今回は布留遺跡周辺に分布する物部氏の首領墓と目される古墳を周ります。



➀西山古墳~三段の前方後円墳 後方部の一片は93m 墳丘長は185m前方後方墳としては全国でも最大級
類似には岡山県勝田郡の高塚古墳がある又後円と後方墳の違いはあるが桜井茶臼山古墳と規模がほぼ同じなど両古墳は同じ設計図
に基づくものと思われる(小栗)
出土品(鏡片2 管玉 鉄剣片 碧玉製鍬片 鉄鍬 円筒埴輪 家型埴輪 石棺墓など)



 

横は天理大馬術部

②塚穴山古墳~西山古墳のすぐ隣にあるが普段は天理高校の敷地内のため入れない
今回は特別ということで先生も「今日来た人は得でしたね」

 

飛鳥の石舞台より大きい 
小栗先生~墳丘径63.4m 濠底幅9.5mとさらに外堤を備え外提外周の直径は118m
横穴式石室は巨大な花崗岩積み上げたもので全長17.1m 玄室長7m 玄室幅2.9~3.2m
残存高4m 当時の墳丘高は8m以上と考えられる船頭は長さ10m幅2.1~2.2m前面に礫が敷き詰められ玄室床面の周辺は
幅20cm深さ30cmの排水溝を巡らせている
この横穴式石室は規模や巨石の積み方など石舞台古墳の石室と共通点が多くみられる
築造時期は周濠から出土した須恵器がTK209型式であることかなどで7世紀第Ⅰ四半世紀と考えられる

天理高校のテニス部の横をすりぬけてすこし山手に行くと天理高校野球部の練習場がある
今日は日曜日だが大学や高校のブラスバンドやテニスや野球と忙しそう 毎日日曜日集団とは大違い



③峰塚古墳~野球練習場から少し山のうっそうとした竹藪の中に墳丘はあった
でもその道幅は狭く142名が一列になるととても長い
墳丘までも長いが10名づつくらい玄室に入るが順番が来るまで3~40分待つ





小栗先生~三段構築の円墳 直径35.5m 高さ8.5m周辺には周濠の痕跡がある 山寄せ式の終末古墳
埋葬主体部は花崗岩でl両袖式の横穴式石室で玄室長4.5m 玄室幅2.6m 玄室高2.4m 羨道長
6.7m 羨道幅1.9~2,3m 羨道高1.7m この横穴式石室の形状は岩屋山式とよばれる

石舞台式から1世紀後の7世紀Ⅱ四半期につくられたのではないか

お昼も12時過ぎて昼食場所の「親里ホッケー場」へ急ぐ
ホッケー会場て全国的にも珍しい ここはオリンピック規定でも正式だそうだ



観覧席で弁当を食べトイレもお借りして出発

ホッケー場のすぐ裏山に
④東乗鞍古墳がある



  
小栗先生~前方部を西に向ける前方後円墳で紛糾は良好に残存している
墳丘規模は後円部径44m 墳丘長72m 墳丘高役10m 墳丘は2段式で後円部に南へ開口する
昨年と今年に円筒埴輪片が複数出土した
石膣は左片袖で土砂が流入していて詳細は不明だが玄室5.7m 幅2,4m 高さ3.3m 羨道長4.6m以上 幅1.7m 高さ1.5m
玄室内には奥にに阿蘇溶結凝灰石製のくりぬき指揮家形石棺が手前に二上山産凝灰岩性の組み合わせ式石棺の2基置かれている
挂甲の小札や馬具の杏葉など出土 6世紀中ごろの古墳と考えられる

ホッケー場を挟んで道路沿いに西乗鞍古墳がある





⑤西乗鞍古墳~東乗鞍から200mに位置し前方部を南に向ける2段構築の前方後円墳
小栗先生~後円部径約70m 墳丘長118m 墳丘高20m 墳丘の周辺には周濠と外提が巡る
墳丘裾からはTR47型式の須恵器の土師器や円筒 朝顔形 蓋 家 人物などの埴輪が出土
5世紀第3Ⅳ四半期と考えられる



⑥小墓(おばか)古墳は道から望む
小栗先生~⑤の西乗鞍古墳から200m北西にある周りの耕作でかなり変形しているが前方部を南西にむける2段構築の前方後円墳
周濠の堆土からTK3型式からTK23型式からTK15型式までの須恵器や土師器のほか円筒 朝顔 家 蓋 鞍 盾 甲冑
水鳥 鶏 馬 猪 人物などの多種多量の埴輪が出土又笠形 盾形 さしば形 太刀形 などの木製品も多く出ている
墳丘長は85mくらいと推測される
6世紀第Ⅰ四半期と考えられる

そしてその反対側遠くに



⑦焼戸山古墳~⑥の小墓古墳から100m北にある。先生によると1960年代まで幅40m前後長さ70mの前方後円墳らしきもの
があったそうだが現在が段々小さくなって出土したものも無く古墳かどうかも確認できないらしいが
周辺の首長者の墓の構築の流れからして この辺にこの時代のものがあってもおかしくないので
先生は古墳と考えたいと話す

今回は比較的平坦な8km前後のコース
でも足の衰えを感じた
2~3km先の天理市役所までで解散




本物の「モアイ像」も見れ 紅葉も奇麗 天理市最高