斉明天皇の神まつりと吉野宮を体験する

残暑厳しい(日中35℃)9月の半ば
近鉄橿原神宮駅前に集合 観光バス3台で飛鳥稲淵宮殿跡⇒飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社⇒宮瀧遺跡⇒桜木神社⇒浄御原神社
など斉明天皇 天武天皇(大海人皇子)などが神まつりや古代の人々の理想郷などを橿原考古学研究所の重見泰先生のご案内で巡った

橿原駅前10時前に出発 石舞台から談山神社に行く途中国道15号に入り明日香村となる
飛鳥から吉野に行くには明日香村坂田・稲淵から柏森から芋ヶ峠を超える 又2017年(藤原道長大峰参詣道を歩く)に行った壺阪から高取を下って行く道がある
2017年は2高低のきつい20kmの工程に途中へばったが 今回は時期もありバスツアーとなる




石舞台付近でバスを降りミハ山を見その麓にある飛鳥稲淵宮殿跡マラ石・稲淵の棚田を通り男綱(おずな)・飛び石 
から伝南淵請安墓から飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社まで歩く



ミハ山~「出雲国造神賀詞」によると皇孫命の近き守神として賀夜奈流命の御魂が飛鳥の神奈備に置かれている
複数ある飛鳥のカンナビ候補地のなかでも最有力地がミハ山である(ミハ山はフグリ山の山塊一帯を便宣的に呼んだもの)
この周辺を最初に開発した渡来人が集在し 6世紀後半の大型方墳である都塚古墳からみると円錐形が美しい(重見)



マラ石~石造のオブジェは飛鳥時代の特徴である 庭園の噴水装置であったり水を用いる祭祀の場を構成することが明らかな亀形
石造物がある一方で 猿石のように写実的ではあるが用途の不明なものもある
マラ石も不思議な石造物のひとつである
標柱又は組み合わせの構造物の一部など様々な推測がある(文化庁パンフ)



飛鳥川を超えた所に
「飛鳥稲淵宮殿跡」が広がっている
飛鳥稲淵宮殿跡~ミハ山の南東山麓部に位置する7世紀中頃の宮殿跡 正殿とみられる九間×4間の東西棟建物を中心に後殿と脇殿の空間は一辺40cmほどの石を
敷き詰めた石敷きの庭になっている このような規模と計画的な施設は飛鳥宮宮跡や宮瀧遺跡と同じ王宮に類すると考えられる
           遺跡の造営時期は難波から飛鳥に遷都した頃なので中大兄皇子が皇祖母尊(後の斉明天皇)らを率いて遷った飛鳥川辺行宮の候補地と考えられる(重見)

稲淵の棚田風景ももう目に入らないほど暑くて汗びっしょり




稲淵~
ミハ山の南方 飛鳥宮跡から直線距離で約2kmのところにある集落「日本書紀」では南淵と表記されている
稲淵集落は飛鳥川の上流右岸に沿って形成され その入り口には悪疫を防ぎ子孫繁栄や五穀豊穣を祈る綱掛神事の「男綱」が川の上に吊り下げられており
集落を抜けた柏森には女綱が吊り下げられている
綱掛神事は毎年正月に行われる(重見)

飛鳥川の上流を象徴する飛び石が渡され飛び石は石橋といい【明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも】(万葉集巻11-2701)




又稲淵は推古16年(608)の遣隋使に随行した学問僧の南渕請安の居住地であり請安は中大兄皇子と中臣鎌足がともに書物をもって周孔の教を学んだという南淵先生
(「日本書紀」皇極3年正月条)のことだと考えられる
飛鳥川の上流稲淵川の尾根に伝請安墓がある(重見)



稲淵の集落をぬけると山側に飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社がある



途中「関西大学飛鳥文化研究所」を超え



飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社の麓には大きな淵がありそこは皇極天皇が南淵の河上で祈雨を行った場所で神社のある山が飛鳥のカムナビだという意見もある(重見)

バスはこの神社の前で待機していた

本当にもう少しで熱射病になるところ バスの冷房が効くのは30分かかる 到着の時間を計算して冷やしてくれる
天井からの冷気吹き出しを頭のてっぺんから浴びて生き返る

一度元来た道を引き返し「キトラ古墳」の駐車場でバスは停まり昼食タイム
バスの中でコンビニ弁当を食べる
30分後には出発 「キトラ」を見ないで去るとはなんと贅沢な考古ツアー

ここからは一路吉野に向かう
途中「比曽寺」に寄る
なんか来たことがあるような寺だと調べたら上記のように一度徒歩で2017年に来ている

「吉野郡最古の寺で吉野寺 現光寺などと呼ばれ本尊の阿弥陀如来や木造十一面観音像がある
中門の前には礎石の残る東西の塔楚があり縁起では東塔は用明天皇西塔は敏達天皇が建てたとある東塔はその後徳川家康
によって伏見から大津市の三井寺に移された(重見)



東塔の礎石と本堂の縁側の陶器の猫

宮滝遺跡は突然目の前にあった
何度か来た記憶があるがいつも対岸から見ていたように思う
実際はこんなに平らで広い空間なんだ



上の左の写真で石碑の向こうの林は吉野川  右写真の人家の山すそに「吉野歴史資料館」がありその辺までが宮の領域のようだ



航空写真では右からと左から写っている



「吉野歴史資料館」にある復元模型
説明文があるあたりが吉野川の岩場  船着き場になっていたのだろう

宮滝遺跡~縄文時代後期から古代にかけての複合遺跡で その一部が国史跡に指定されている
宮滝は遺物が出土することで明示20年頃には注目されており 吉野離宮を詠った万葉歌の地名や情景と合致することから
吉野宮の候補地とされてきた
吉野川を挟んで宮滝遺跡の南対岸には万葉集に登場する象山(きさやま)と三船山が目の前にそびえている
昭和5年に県が発掘調査をする
調査では石敷きや石組み溝が広範囲に確認され奈良時代を中心とする建築物と推定されたが吉野宮との関係については確定されなかった
その後2018年までに70次の調査が実施され斉明~持統朝の園地が見つかったり大型建物を中心とした建物配置や周りの地形などから
吉野宮の可能性想定することができる
持統天皇は31回も吉野宮に行幸している(重見)




(吉野歴史資料館パンフより)





宮滝遺跡から橋を渡って300m桜木神社がある


もうくたくたでなんとか神社にたどり着く

桜木神社~象山と三船山の間を流れる象の小川(喜佐谷川)の右岸に鎮座し大穴牟知命 少彦名命 天武天皇を祀る(重見)
吉野には壬申の乱で大海人皇子が近江から逃げ込んだが隠れたと言われる場所が多いここもその一つ

バスは最後の訪問地東吉野「国栖村」まで9km吉野川沿いを走る
どこにも飲料水の自販機が無い ひたすらバスの冷房を頼る




遥拝所と祠



以前から一度は来てみたいとおもっていた場所
これは遠い とても電車 バスではかなわない 今回これだけでも価値がある


浄見原神社~南国栖の吉野川に張り出した丘陵の断崖に鎮座し天武天皇を祀っている
この神社も大海人皇子が大共方の追ってから隠れ住んだといわれる
毎年旧暦の正月14日には国栖奏が奉納されている(重見)

酷暑の中バスに助けられ稲淵地区 宮滝遺跡 清見原神社と来れて本当に良かった
130名ほどの方々もよく頑張りました