檜前・真弓の古墳・集落を歩く

年末の寒い朝(当日5℃)近鉄吉野線壷阪寺駅前10時集合
 好天 総勢150名前後

 

このコースは過去2~3度来ているが 橿原考古学研究所の坂靖先生の
お話がきけるのも面白い



近鉄電車で壺阪駅から飛鳥駅までアップダウンの多い丘陵地をくねくね約6km
丁度いいハイキングコースだ
坂先生の話ではこの一帯(飛鳥一帯)を整備して世界遺産に登録するようである
国と自治体が一体となって環境・施設・インフラ整備をしている

今日のコースは一般に飛鳥と高取の間の檜隈(ひのくま)と言われる所
檜隈といえば東漢氏(やまとあや)の居住地である
「日本書紀」には応神天皇二十年の条に倭漢直の祖である阿知使士とその子都加使士
が自己の党籍十七県を率いて来帰したの記載があり
こののち坂上氏が東漢氏の末裔であることを自称する
「続日本紀」の宝亀三年(772)の条で坂上苅田麻呂が〝大和高市郡の郡司職
は檜前忌寸である 阿知使士を先祖とし 応神天皇の御世に十七県の人を卒いて
夫婦となり詔を賜い 代々檜前に居住してきた
およそ高市郡内は檜前忌寸および十七県の人々が地に満ち溢れほど居住し
東漢氏と関連のないものは十のうち一つか二つにすぎないと奏上している

坂先生「東漢氏は一体の血族集団ではなく 国外に出自をもつ(渡来人)ことによる
同族意識をもった集団であったと考えられます」

ではその渡来人との出自とは・・・・

これが又多くの説があって大きくは
   ⑴朝鮮半島説
          ⑵中国と朝鮮半島混合説
⑶中国説

兎も角歩きながら話しましょうと坂先生

①観覚寺遺跡



町道と住宅開発で発掘調査がおこなわれ
大壁遺構(方形状に溝を掘った中に多くの柱を立て、その上から土などを塗り固めて壁を作り建築した
住居で朝鮮半島から伝えられた当時最先端工法 滋賀県の穴太や安曇の渡来人居住区
から多く発掘されている)
や石組L字形竈(オンドル式竈) 韓式系土器など五世紀後半~七世紀前半にかけて建て替え
ながらが継続しており長期に渡る渡来系集団の居住区と推測される

②キトラ古墳・四神の館

キトラ古墳は直径13,8mの円墳で 漆塗りの木棺を安置した二上山産出の凝灰岩製の
横口式石槨を埋葬施設とし 石槨内は漆喰が塗られ壁面には四神(清流・白虎・玄武・朱雀)
と獣頭人身の十二支像のうち子・丑・寅・午・戌・亥の像 天井には天文図が書かれている





現在古墳には何もない
古墳のすぐ隣の「四神の館」に収納・展示されている






石槨内の出土品は木棺の飾り金具・刀装具・玉類




石室の内部一面に絵が描かれている
エジプトや世界のお墓も同じように装飾をして死者を葬る
人間独特のものなんだ

それにしても半地下式のりっぱな建物に映像室や展示(壁画など遺物の展示は劣化を少なくするため
見せる期間は決まっている因みに平成29年は5/14~6/11迄だった)
さすが国営

以前九州の吉野ケ里遺跡もあまりにもりっぱな展示になっていたので聴くと
国営なんですとのこと

ところが阪先生は県立の研究所
それでこの近辺も中心部は「奈良文化財研究所」が担当し 我々はその周辺なんですと
皆を笑わす

③檜前遺跡群




国営公園の整備にともない檜隈寺跡周辺の調査がされ大壁遺構・掘建柱が6棟検出され
中心建物だったと推測される

④檜隈寺跡



檜隈寺跡は現在於美阿志神社の境内となっており 塔跡には平安時代に建てられた
十三重石塔(重要文化財)がある



1979~82年の調査では瓦積の基壇をもつ講堂・金堂・西門が確認され
7世紀後半から末に建立されたとされる



寺跡の休憩所で昼食




休憩所から谷を挟んで向かいの尾根の中腹に「高松塚古墳」が見える
この辺は将に古代日本史の真々中

それにしても都のすぐそばに 何故多くの渡来人を住まわせたんだろう
今なら皇居の周りにチャイナタウンやコリアンタウンを置いているようなもの
キトラや高松塚やこれから行くマルコ山などその被葬者が誰なのかを多々意見が
あるがいずれにしても身分の高い人には違いない
渡来人と被葬者はどんな関係だったんだろう

食後
⑤檜前上山遺跡
住宅地の中に7~8世紀の掘立柱建物・柵列・土坑・溝など検出
交通の要衝の公的施設と推測される



⑥マルコ山古墳

マルコ山古墳は過去4回の調査があり墳形は6角形の可能性ある
対角長は24m 高さ4.5mと想定される
外周にはバラス敷きの排水施設がある



横口式石槨で 内側には全面に漆喰が塗られキトラや高松塚と似た石槨であるが
壁画は描かれていない

出土品は乾漆棺の破片・金銅製六角形金具・30歳代と推定される
男性人骨など
7世紀末~8世紀初頭の築造が想定される


飛鳥の町が下の方に見える



⑦カヅマ山古墳



カヅマ山古墳は終末期古墳が並んでいる真弓集落の南斜面にあったが
地震により大きく崩れ埋め戻されて今は見れない
結晶片岩と漆喰を使用した磚積(瓦を積むこと)の横穴式石室

⑧真弓スズミ1号墳

村道建設の為調査された
一辺10mの方墳で片袖式の横穴式石室
2基の木棺が玄室床面に安置され 土師器壺 又棺外からミニチュア籠・鍋・甑(こしき)
の炊飯セットがでている

このミニチュア炊飯具を古墳に副葬することは 渡来系集団の証であり滋賀県・奈良県・大阪府
の渡来集団と関連する地域で集中して出土している
但し朝鮮半島ではこうした風習はあまり認められず
この真弓地区の古墳からは全てこのミニチュア炊飯具セットが出土しているので
これが中国系渡来人説のもとになっている
墓自体は村道工事により消滅

⑨真弓鉗子塚古墳



真弓鉗子塚古墳は直径40m 高さ約8mの円墳
玄室はドーム状に石材を持ち送り その高さは6,5mに達し全国屈指の規模
出土遺物はミニチュア炊飯具・須恵器・銀象嵌刀装具・玉類・金銅製獣面馬具・鉄鍬など



柵があり全く近寄れない


⑩牽牛子塚古墳(けんごしつか)



超有名な墓は 全体がビニールで覆われていた
近年の大雨の影響だろうか

牽牛子塚古墳は対角長18.5m高さ約4mの八角形墳
埋蔵施設は二上山の凝灰岩礫岩の巨石をくりぬいた横口式石槨で中央に仕切り壁
を有している
両側の墓室床面に棺台が掘り出されている

古墳の南西で横口式石槨が検出され塚御門古墳と名づけられた
牽牛子塚からは1953年に七宝亀甲形金具・金銅製八花形座金・金銅製金具残片
乾漆棺残片が出土し全て重要文化財となっている
何が超有名かといえば
「日本書紀」天智六年には被葬者は第35代・第37代天皇「皇極・斉明天皇」(重祚)
と舒明との娘「間人皇女」の合葬
さらに墓の前の御門塚古墳は中大兄の娘「大田皇女」である
と記述が有り現在高取町にその陵墓としてあるが
2010年からの調査で牽牛子塚は八角墳(八角形を使えるのは大王及びその近親者しか使えない)
と判明しこの牽牛子塚古墳が皇極・斉明天皇陵としてほぼ確定された



3名づつなので順番が回るのに20分待つ



⑪岩屋山古墳

近鉄飛鳥駅の山手側歩いて2~3分のところにある
一辺45mの方墳とされるが八角墳ともいわれている

埋葬設備は整備な切り石により玄室2段 羨道1段の石材を積んだ横穴式石室
7世紀中葉の築造とされる


  
以上が坂先生の解説
最後に先生曰く 面白いことに今日巡った所と関連して
「檜前氏や坂上氏などの渡来系集団をさらにまとめていったのは
誰なのか
それは曽我氏ではないか」
といったような内容で来年4月頃出版されるとか

以前から曽我氏は渡来人だったという説はあったが
考古学的に検証を試みるということだった 乞うご期待



ほどよく疲れて完了