葛下川流域の古代寺院と終末期古墳
今回は橿原考古学の入倉徳祐先生のご案内で奈良と大阪の境北葛城郡・香芝市近辺の
寺院と古墳を巡る(行程約11km)
先生「この地域は古代には片岡あるいは葦田と呼ばれ、7世紀の寺院跡や終末期古墳が存在する
点に特徴があります。
寺院跡については『日本書紀』等の史料に記されている聖徳太子にまつわる伝承が濃厚に絡んでおり、
その創建を考える上で重要な手掛かりとなっています。」
ということで朝10時JR王寺駅前に約140名が集合。


先生「終末期古墳は敏達天皇系皇族の墓とみられることから、7世紀以降敏達天皇系皇族が
片岡の地に進出し、それが奈良時代の長屋王に引き継がれていったとする説が有力視されています。」
①西安寺跡~王寺駅から歩いて15分ほど小高い地域(王寺町北東部)の船戸神社周辺にあったとされる。
『続日本後記』に「在大和国廣湍郡西安寺俗号久度」とあり周辺で古瓦や礎石らしきものも出土した。



船戸神社周辺のトレンチと出土の瓦(7世紀前半のもの)


王寺は近年JR関西線「大和快速便」が走り大阪中心地から30分で来れるようになり又近鉄線や
JR和歌山線などの中継地としての利便性もあり人口も増え開発も進んでいる

(クリックで大きく)
住宅街をJR和歌山線沿いに南下する
道路きわに②「達磨寺」がある




元は達磨寺古墳群があり1~3号墳迄確認されている
鎌倉時代中頃に1号墳の上に本堂が建てられ現在は臨済宗南禅寺派の寺院となっている
JR関西線王寺駅の次は法隆寺駅である
この地域は都と難波に繋がる重要地点だったのだろう
面白いのは街の道路端に「ようこそ雪丸のまちへ」の看板がある
何だろうと思っていたらこの達磨寺に聖徳太子の愛犬「雪丸」の墓があった
人の言葉を解しお経を読んだとされる雪丸は自分が死んだらこの地に葬ってくれと言ったらしい
(達磨寺のパンフより)


犬の像は渋谷だけかと思っていたらここにもあった
達磨の横に雪丸のグッズが並んでいた


本社横の2号墳とわずかに覗いている開口部
③片岡王寺跡・放光寺は達磨寺から道を挟んですぐの所
片岡王寺はこの地の名前の由来になっている
四天王寺式伽藍が存在したようで瓦から7世紀前半という
創建は敏達天皇系の王族説 聖徳太子の皇女片岡女王説がある
(遺跡は小学校敷地内の為入れず)
現在では放光寺として存続
④片岡神社は放光寺の鎮守社


⑤芦田池
「日本書紀」推古天皇15年に聖徳太子の進言によって4つの池を造ったという記事があり
その内の片岡池をこの芦田池に当てる説


⑥国指定史跡尼寺廃寺跡(にんじ)
王寺町から香芝市尼寺町(にんじ)に入る
北廃寺と南廃寺がある
北廃寺は東向きの法隆寺式伽藍配置で廻廊は南北71.4m東西44.8m
塔基壇は1辺13.6mでこれは日本最大級の大きさ




(尼寺廃寺パンフより)


ここで昼食
⑦平野窯跡
香芝市平野の丘陵に所在する窯跡群で三郷町の勢能・辻ノ垣内窯跡と並んで奈良盆地では
最も年代の古い須恵器窯である
現在公園内にあり窯跡は土を盛られその原型は見えない


⑧平野古墳群・平野塚穴山古墳
平野窯跡と同じ丘陵の南側に存在する7世紀の古墳群


塚穴山古墳に入る道は狭い
140名が1人ずつ順番に見るには約40分ほどかかる
手前の平野杵築神社で順番を待つ




柵で中には入れない

⑨上牧銅鐸出土地
香芝市から上牧町に入る

江戸時代に観音山から出土
(現在静岡市の「登呂博物館に展示)
島根県加茂岩倉遺跡の17号墳銅鐸と兄弟銅鐸とみられている

上牧町パンフより
⑩上牧九渡古墳群
上牧町西部の丘陵上に所在し平成23年からの住宅開発に伴う調査で7基の古墳が確認された


最も古い3号墳は墳丘の一番北に有り上の「画文帯神獣鏡」が出土
他鉄剣・鉄鍬・土器 土器から古墳時代前期に位置づけられる

一番高い所 1号墳(全長約60mの前方後円)を見る

2号墳は丘の南側にある直径16mの円墳で7世紀のもととされる
この墳丘は約400年間のタイムカプセルとなっている
下まで住宅が迫る
古墳丘は町の所有となり消滅を免れた
空梅雨の暑さの11kmは疲れた
足も少しつりかけたがなんとか乗り切れた
上の写真の住宅の向こう側が都から難波に出る道が有り「関屋」(関所)が設けられた
そこは馬見丘陵の端になり都の出入口でもあった
法隆寺など有力者たちの領地や寺が多く並んでいた
都から難波に出るには大なり小なり「大坂」を越えないといけない
「大坂」の地名が推測される
了
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