百四十八段 広島・宮島・岩国・美又温泉(みまた)の旅


広島平和公園や宮島は何度か訪れているが 
             今回 広島城(大本営址)・縮景園・美術館を巡り 宮島ではいつかは上がってみたかった弥山(みせん)
              や岩国の錦帯橋 そして全国うる肌湯日本一に輝いたことがある「美又(みまた)温泉」に行ってみた
                                          
     1日目   

新幹線は早い 朝8時に乗ると9時半には広島駅に着いている
一部にまだ建築工事が残っているものの新しいJR駅やその周辺のビル群を見ると
さすがに中国地域の中心だ その発展ぶりに熊本市と同じ様に驚いた
駅前から市内循環バスが走っている
どのくらい乗るか判らないので600円の1日周遊券を買った
乗車1回240円なので3回乗れば元が取れる
一番目は10分足らずの縮景園と隣の市立美術館で降りる


NETに因ると
『縮景園(しゅっけいえん)は,江戸時代初頭の1620年(元和6年)から,
広島浅野藩初代藩主 浅野長晟(ながあきら)が別邸の庭園として築成した大名庭園で,
作庭者は茶人としても知られる家老の上田宗箇(そうこ)です。
 古くは,「お泉水(せんすい)」又は「泉邸(せんてい)」と呼ばれていましたが,儒学者の林 羅山(らざん)が
2代藩主光晟(みつあきら)の求めに応じて作った詩の序文「海山をその地に縮め風景をこの楼に聚む」から
「縮景園」の名称が付いたと言われています。
 その後,1758年(宝暦8年)の宝暦の大火による,園内の多くの建物の焼失や1783年(天明3年)からの天明の大改修を経て,
1940年(昭和15年),浅野家から広島県に寄贈され,同年,名勝の指定を受けています。
 そのわずか5年後の1945年(昭和20年),広島に投下された原子爆弾により壊滅的な状態になりましたが,
1949年(昭和24年)から始まった復旧は約30年をかけて完成し,現在に至っています。』





一周りすると隣の建物が「広島市立博物館」
NETでは「ダリ展」だというので楽しみで入館するも 受付で「現在は何も催しが有りません。ダリ展の予約を
受付しております」の話 そうか じじいの早合点だ。それにしても常設展もないんだ
次の「広島城」に行く 受付の人に城までの時間を聞くと歩いて10分足らずというので歩く

そうなんだ あの原爆ドームから見たらほぼ裏手に城が有ったんだ

そしてこの場内に「大本営」が有ったという


確かに城内の真ん中に「大本営」と書いてある
広島城とは
NETから
『現在の広い市域を誇る広島の歴史は、小さな島や砂洲が深い入り江に点在した太田川河口のデルタに、
城と城下町を築くことから始まりました。
応安4年(1371)、九州へ向かう今川了俊の 紀行文『道ゆきぶり』には
「かひた(現在の安芸郡海田町)」から 「佐西の浦(現在の廿日市市か)」に向かう途中、
「しほひ(潮干の浜)}だった現在の広島の市街地を通る様子が描かれています。
鎌倉幕府の重臣大江広元を祖に持つ毛利氏と安芸国のかかわりは
鎌倉時代に安芸国吉田荘(現在の安芸高田市吉田町)に地頭職を得たことに始まります。
その名の由来となった相模国毛利荘(現在の神奈川県厚木市)を失った後、
毛利氏の本拠地は越後にありましたが、南北朝時代に吉田荘を本拠として後、郡山城を中心に勢力を固めていきました。
戦国武将として名をはせる毛利元就が家督を継いだころは、毛利氏は、
山口の大内氏と山陰の尼子氏の二大勢力に挟まれ苦労していました。
尼子氏方にあった元就が大内氏の陣営に戻ると、可部・温科深川久村などの所領
安堵されることで広島湾頭南下への足がかりを得ました。
武田氏が滅亡すると、可部・温科代所として緑井・温井・矢賀・中山などを預けられ、
また息子の隆元大牛田・小牛田を預けられて、さらに所領を拡大しました。
当時佐東川と言っていた太田川の下流域は川の内と呼ばれていましたが、
元就は武田氏が残した川の内衆という有力な水軍を手中に収め、彼らに積極的にデルタの干拓を行わせました。
弘治元年(1555)、厳島の合戦で陶氏を打ち破ったのち、広島湾頭を確保した元就は、
急速に中国地方の領有化を進めていきました。
広島湾頭の政治的・経済的・交通の重要性を誰よりも認識し、佐東の地を拠点としようとした元就の構想は、
やがて孫の輝元の広島築城によって発展していくことになります。』

「大本営」に関しては
日清戦争直前の1894年に敵地に近い 鉄道の最西(東京から)の地で兵站が容易
敵の上陸にも猶予がある などの点でこの地に定められたとか
天皇の御在所(第五師団司令部)があったので いわばここは日本の首都になる
事実 天皇は7ヵ月ほど滞在し 国会議事堂も建てられ帝国会議も開かれている 


「明治二十七八年戦役広島大本営」の石碑と基壇
思ったよりこじんまりとひっそりある 知らなければ見過ごす

今ある天守閣は原爆で倒れた後 コンクリートで外観復元され図書館や展示館となっている
エレベーターはないので5階まではきつい
天守閣からは広島の街が一望出来る



 
堀幅が広い



 
城の守衛さんに「ひろしま美術館」の場所を尋ねると
表御門の前の道を横切った所 ここもバスを乗るほどではなかった



雰囲気が もうすでに美術館になっている


円形の建物に5部屋の展示室がある



















絵画のオールスターや!
よくこれだけ集めたもんだ どこがスポンサーかと調べたら広島銀行だった
こんな贅沢な常設展が700円(じじいは高齢者割引で560円)とは 本当に有難い

美術館からドーム迄は5分とかからない




何度か来ているのに今日は何故か胸が詰り暫く正視出来ない
ウクライナやガザで何万人もの虐殺が起きているが
全市民を一括で抹殺するなんて 同じ人類ができることなんだ 人間て何でもするんだ
合掌 

原爆記念館にはとても入れない 以前来た時は観光気分だったが・・・
再び合掌

記念館前から循環バスにのり広島駅に戻る
市立美術館が見れなかったりもあって予定時間より2時間も早く駅に着いた
バスは2回しか乗らなかったがこの街は高齢者に優しいのだ
マイナンバーカードで縮景園は無料 城は半額 ひろしま美術館は2割引き お釣りだ出るほど

今夜の宿はJR宮島口駅の近くのホテル
時間があるのでとりあえず宮島口まで行き フェリーで宮島に渡り明日の下見をする
今日は天気が良いが風が強い 黄砂も酷いようだ 

フェリー乗り場までは5分くらい JRフェリーは往復500円(内100円は入島税)


15分間隔の運行でも下船・乗船は人の波(しかも多くが外人)


明日の朝から厳島神社の背後にある弥山展望台(535m)を目指す

船着き場から厳島神社まで結構距離がある
多くの商店が並び外人に溢れ まるで京都嵐山の風景



神社には何度か来ているが他は全く知らないので今回はそれを巡る
弥山(みせん)のロープウエーの乗り場は少し山手にある
紅葉谷公園から無料の送迎バスがある その場所も確認した

豊国神社



桟橋にもどりフェリーで宮島口に渡る
ホテルは宮島口フェリー乗船場のすぐ前にある

「宮島口ホテルコーラル」
チェックインをして部屋に荷物を置いてすぐに晩飯に行く
以前から宮島の「アナゴ飯」を食べてみたかった
NETで調べてもフロントに聞いても「うえの」が良いと思いますという
JR駅とフェリーの間にあるので客数が多い
来るときも並んでいた 多くの人が街路樹の横のベンチで順番待ちをしていた
まだ16時過ぎだったが材料が切れたら閉まりますよとホテルのフロントが心配そうに言う

幸いにも一人用のカウンター席が空いていた
一番スタンダードな「アナゴ弁当並」と生中を注文した

アナゴ弁当並 2800円 生中770円
残念ながら期待外れ 只々アナゴの焦げた臭いが強いだけ

さあ明日の登頂に向けて早く寝よう

 

2日目

7時半のバイキングを食べて9時のフェリー仁乗る

少し高めだったが部屋も奇麗 食事も良い フェリー往復乗車券付き 揚げ紅葉饅頭引換券ももらった
朝のフェリーはさすがに昼間より空いているが 昨夜に宮島口に宿泊している人や
観光バスの団体も多く 結構混んでいる

客は相変わらず外人が多い 
この感じはナポリからカプリ島に渡る時を思い出した
残念ながら地中海と海の色が違うが

海は べた波  昨日の様な波はない 強風になればロープウエーが泊まるので心配していた

やはりここは水が有っての絵

下船後 一直線にロープウエー送迎バス停に向かう
ロープウエーは9時始発なのでバスは既に運行していると思っていたらバス始発は9時50分
そうかそこまで見ていなかったな~
まだ30分ほどある バス停の看板に「バスで3分 歩いて10分 時々走って8分」と書いてある
他の客もじじいも「歩こう 歩こう 時々走ろう」と笑いながら歩き出す

紅葉谷公園を川筋に上がる
途中 鹿の「集会所」らしき所もある 人間の子供が固まっていた

往復2000円 片道1100円 一応下りは足で降りる心算で来ているが 
目的の弥山展望台はロープウエー展望台から向いの尾根にある
一旦下って又登る事になる 往復1時間 

弥山から下山ルートは3ヶ所ある
NETによると
➀紅葉谷コース~一番初心者向きの弥山登山定番コース。(登1,5~2時間)
前半は緩やかな登山道ですが、後半はやや急な階段があります。
②大聖院コース~石段の多いコ-スです。(登1,5~2時間)
大聖院仁王門手前、橋を渡らず、左手が登山道入口です。
大聖院登山コ-スには「丁石[ちょうせき]」があり、一丁が109m、山頂までは二十四丁(約2.6km)です。
途中の見晴らしはとても良いコ-スで、お地蔵様や御堂があり、信仰の深さがうかがえる道です。
③大元コース~弥山原始林を歩くコース。(登 2~2.5時間)
森林が生い茂り、巨岩も多く、歩きながら散策を楽しめます。分岐点も多いので道を間違えないように注意してください。
また途中の駒ヶ林分岐点から約5分で駒ヶ林に行くこともできますが、危険な岩場では足下に注意して下さい。
石段が多い方が歩き易そうなのでを選んだ

取り敢えず弥山まで行って無理だと思ったらロープウエー駅までもどり片道切符を買えばいいのだ
5人乗りのゴンドラに乗り 途中の駅で20名位乗れるロープウエーに乗り換える
ゴンドラには60歳代の日本の夫婦 と60歳代の恰幅の良い白人の夫婦と瘦せこけたじじい1名が乗る


後続のゴンドラの客が20名程に貯まるとロープウエーが動き出す


ロープウエー展望台 


ここからでも景色は良いが  弥山は向いの峯
70歳台のグループは「70過ぎたらここで引き返したほうが良いね」とべちゃくっちゃ
じじいの心は50歳だよ

さあ行くぞ~



胸突き八丁 上からゴンドラで一緒だった日本人夫婦が降りて来た
やはり若い人達は早い ご主人に「頑張ってください」と励まされた




岩場を越えると目の前が開け 弥山展望台が現れた
思ったより平易だった
 

この島全体が弥勒山(しゅみせん)として宇宙の中心と見据えたんだ

ロープウエー駅が小さく見えている
黄砂の所為か天気が良いのに もやっている

展望台で暫し菩薩になり 下山する
ここからが地獄の入り口階段

本当にすごい  この石段はここから終点の大聖院まで隙間なく石段になっていた

大聖院中門

よくこれだけ階段を作ったもんだ 金毘羅さんなど比ではない
何度も休憩と補水をした
休憩しているとゴンドラで一緒だった恰幅のいいゲルマン系風白人夫婦が降りて来た 彼らとは弥山展望台でも顔を合わし
会釈を交わした 何と彼らもこのコースで降りて来たのだ 優しそうなご主人が片言で「ガンバッテクダサイ」と言って
下って行った

かなり下って来たようだ 小枝の隙間から鳥居や人の影が
満潮時の厳島神社と鳥居はそれなりに美しい
しかし自然が作るこの島の美しさと雄大さは たとえ清盛でもかなはないし むしろ見窄らしく思える

2時間半かけて大聖院まで降りて来た

ふくらはぎ・太腿がもうぱんぱんである
桟橋に向かう平地も歩き辛い


相変わらず商店街も混雑 そうそう空き腹にホテルでもらった券で もみじ饅頭でも


引換券指定の店に行くと2~30人の行列 
饅頭を一箱貰えるのかと思ったら饅頭一個に櫛を差し油で揚げたもの1本
それも餡子が薄く油臭い これを店頭で1本350円 他のクリーム入りは400円
観光客相手とは言え「阿漕な商売」 これが行列? 狸と狐の世界(今回は無料券だと思うと腹の虫も収まる)

足を引きずりながら フェリーに乗り荷物を預けていたホテルに寄り 駅まで行く

山陽本線「宮島口駅」広島行きはいっぱい
反対方面岩国行はがらがら

JR岩国駅
駅前の中央通りから5分ほどに今夜の宿「ホテルα―1」

ホテルの前のコンビニで 今夜は冷麺とサラダと泡缶
風呂は16時から入れる 多分 今は1番風呂だろうと思い 10階の風呂場にいくと
全くの貸し切り状態 兎に角 足の乳酸を血中に戻さないと明日は無い
しっかり浸かり しっかり寝た

3日目
朝はホテルのバイキング

瓦蕎麦があった そうかここは山口県なんだ
 先年亡くなった知人が「行きそびれていた錦帯橋に行きました」と
言っていた そうか じじいも行ってないなと思い来てみた
今日から雲いきが怪しい いつ降り出してもおかしく無い
岩国城に上がるロープウエーが9時だが予定より早いバスにして橋を見て城に上がる

柱は掘っ立てではなく石の上に置かれている
 釘は1本も使ってない 技術もだがデザインも素晴らしい 

橋の向こうの山上に天守閣が見える
吉川広嘉てセンスが良い

川辺の桜も未開花



麓の武家屋敷周辺も奇麗に整えられている
塵一つ落ちていない

旧目加田家住居
NETによると
『旧目加田家は18世紀後半頃の建築とみられる中流武家の住宅である。木造一部二階建て、屋根は入母屋造りである。
旧目加田家住宅の内部には様々な部屋があり、江戸時代岩国の武家住居の様相を残している。
正面玄関は住宅の南側にあって、手前に板敷の式台が設けられている。
武家住宅では居住者より身分の高い人物の出入り口として使用され、居住者は普段は北側と東側の土間のある入口から出入りしていた。
座敷は客を迎え入れる表座敷と内々のことで利用する裏座敷があり、表座敷の前には次の間と呼ばれる控えの部屋がある。
このほかにも、台所や、主人の身の回りの世話をする中間がつめる中間部屋などがある。
屋根は瓦葺きで、その葺き方は両袖瓦と平瓦を利用した「二平葺き(にびらぶき)」と呼ばれるもので岩国地域でしか残っていない独特の葺き方で、
岩国では18世紀初頭にこの瓦や「二平葺き」が完成されていたようである。
こうした特徴をもつこの住宅は総体的に用材が小さく簡素で以ありながらも端正な意匠であり、
250年近く経ちながらも当時のままの姿がよく保存されており、建築史上たいへん貴重である。』
目加田家は 近江の愛知群の出身で天正年間に吉川元春に召し抱えられ 吉川広家が慶長5年関ケ原の戦いの後
出雲国富田から岩国に移封された時に広家に従ってこの地に移り住んだ




山上駅から徒歩10分に城はある

天守閣からの展望

これで空気が澄んで花が咲いていたら最高なんだけど

幸い雨は免れた
バスでJR岩国まで行き 広島駅まで戻る
駅前から出雲の浜田駅までの高速バスがある
今回の旅は本来岩国で終わりだったのだが 浜田の美又温泉が高速バス線上の
バス停に有り 宿に問い合わせをすると バス停まで送迎しますというので
1泊増やして温泉に行くことにした
広島から2時間 インター金城(かなぎ)で降りる
インターから10分足らずで川沿いの10軒足らずの温泉街に来る

ここは2021年「うる肌部門日本一」になったところ
以前浜田の有福温泉や石見銀山の温泉津温泉など周ったことがあるが
美又は交通の便が無い 以前は温泉までコミュニティーバスが有ったというが
今はそれもない この近辺にはそういった多くの名湯が沢山あるのだが
送迎が無いと無免許者には厳しい
今夜は「かめや旅館」


改装したところか外壁も内装も奇麗
早速1番風呂に入った



う~ん いいね
肌がすべすべ 今迄で4番目くらいにすべすべ
1番は山梨の奈良田温泉2番和歌山龍神温泉3番熊本山鹿温泉
夕食まで時間があるので 宿の前にある共同浴場「美又温泉元湯」(宿から400円の無料券をもらった)」に行く

宿の風呂よりすこし小さめだがやはりいい湯
地元の人が2~3人入っていた
そしてその足で2件目の共同浴場「温泉保養センター」(600円)に行く

どこも露天風呂は無かったが このセンターはもうすぐ空き地に露天風呂の工事をするらしい
ここは大きな駐車場もあり多くの立ち寄り湯の客が来る
エレベーターで3階が女風呂 4階が男風呂 大きな窓からは周辺が見渡せるがいい景色とは言えない
湯はどこも掛け流しで素晴らしい 源泉は41℃なので少し加温が必要なのが残念

夕食時の食堂には8名集まった
同じ様な年恰好だけど 皆自家用車で自運転しているんだ





4日目

最終日は金城インターまで送ってもらって浜田駅から徒歩20分の浜田城趾に行く予定だったが
結構強めの雨が続くので中止して予約の大阪駅行き高速バスで帰ることにした
8時の朝食

小綺麗な盛り付けと味 それに器が良い
銘を見ても「鍋島」とかなんとか読み辛い 従業員に尋ねると女将さんの趣味とか
まさか あの「鍋島」では無いと思うがセンスが良いなと思った そんな感覚が宿全体にも出ているんだ
昨夜は夜8時頃までカジカの求愛が聞こえていたが雨が強くなりパタと止んだ
朝見ると蛍が飛ぶという清流も濁っていた
部屋の下が温泉の廃湯の流し口 そこは周りより温かいのだろう 多くの魚や鳥が集まる

金城インターから高速バスで2駅JR浜田駅
駅の待合所で大阪行のバスを待つ 今から7時間のバス旅である

JR浜田駅前の出雲神楽の仕掛時計




何度か行ったことが有っても意外と知らない所がまだまだ有るんですね
今回広島市の発展や「ひろしま美術館」の質の高さや弥山の自然・錦帯橋周辺の清潔感
美又温泉のすべすべ感 感動する所が多々あり 楽し旅となりました