太郎坊宮・勝楽寺:城跡を巡る
天気予報では晴天で真夏日だという
第7波の行動自粛宣言が出る前に少しでも計画書の消化を試みる
京都駅8:21分発快速で近江八幡まで行く
相変わらず湖西は賑わいがある
若いサラリーマンや学生が嘗ての高度成長期の様にひしめきあっている
大津駅~瀬田を過ぎると沿線の住宅やマンションが繋がり 駅前はどこの国に迷い込んだのかと
思うほど今のこの国の鉛のような停滞感を払拭している
特に草津・南草津の進展は来るごとに変化がある
広い近江平野には田畑と新興のIT産業を中心とした近代的で精悍な工場とが混在する
JR近江八幡駅で隣のホームからでる近江鉄道八日市線で太郎坊宮まで行く



無人駅はいいけどスレート小屋のえらい駅じゃ
駅から徒歩18分程にこの神社はある

駅前から正面に見えるとんがった山が赤神山357.2m 別名太郎坊山
その中腹に寺社がある
如何にも霊験あらたかな今風に言うとパワースポット



参道には石灯籠と桜が


聖徳太子が四天王寺を建てための瓦を焼くための作業場と同じく赤神山の麓に阿賀社(赤神社)
を建てその後成願寺と神仏習合となったという
この赤神山には太郎坊という天狗が住んでいてその弟次郎坊は愛宕山に住んでいるらしい










山腹にはいよいよお目当ての「夫婦岩」がある その岩の割れ目の奥に本殿がある
これを知った時
これはいつか行ったヨルダンの「ペトラ」やんかと思った
(つれずれ87段その1参照)
ペトラの規模には遠く及ばないが発想は全く同じだと思った







なごり花
近江八幡駅に戻りJR琵琶湖線で彦根の2つ手前
河瀬駅で降りる
途中「安土駅」には城郭資料館併設とあった
この駅も新しくなって関連設備も そして城までの交通も良くなったんだろう
以前訪れた時は麓から天守閣跡までの大通りの石段の整備をしていたが
又来てみたい
河瀬駅前から正楽寺口前迄バスに乗る
予定より1時間早かったので1時間に一本に出るバスだが1時間早いバスに乗れると思ったが
そうは問屋が卸さない

なんと12時のところがぬけている
いやな予感はしていたが
1時間少々の待ち時間
駅前の交番に行くとお昼休みなのか鍵がかかっているが
色の黒い短髪の小柄な50才代のお巡りさんが書類を見ている
ノックすると鍵をはずし対応してくれた
「すみません ここから勝楽寺まで歩いてどれくらいかかりますか」とストレートに聞いた
「勝楽寺? どこかな」
とスマホと地図で捜す
「これは彦根管内ではないな。隣の甲良町だ。国道を超えて尼子駅を超えて甲良町役場を超えて
だから直線で8kmあるぞ~」と言う
「そりゃ歩くと2時間半はかかりますね。1時間のバスを待ちます」
といって出ようとすると
「まあ時間は沢山あるから入りなさい」
と言う 奥から甲良町の地図を出してきて勝楽寺周辺の事を調べてくれる
「帰りはバスの運転手さんにバスの時間を確認してね」
「有難うございます」といって交番をでる
といっても駅周辺を歩くも人は無く 店も無い
駅構内に戻ってベンチで涼む
ミニバスは西武バスの色

バスは正楽寺口前で降りた
しかし寺らしきものは見当たらない
自動車整備会社に人がいた そっけなく「あの山や」と面倒くさそうに言う
すみませんお仕事中に
通りから裏に出るとかなりの距離で山が見える
多分 麓の桜の有る所だろうと向かう 約18分 暑い 真夏日
あの山を登れるだろうか

勝楽寺は紅葉の名所湖東三山の間にあるんだ
三山は車で何度か来ている

「はさらとおり」だ!
この道に間違い無い
勝楽寺は鎌倉から室町に移行する動乱期に生きた武将佐々木道誉(京極道誉)
はこの勝楽寺近辺が本拠地で 亡くなったのもこの寺
お墓も寺内にある
時代の変換期には多くの人々が登場する
平安から鎌倉では平清盛・源頼朝・後白河天皇・源義経・木曽義仲
鎌倉から室町では後醍醐天皇・足利尊氏:直義・楠木親子・高師宣・北畠親房・佐々木道誉
室町から江戸には徳川・織田・豊臣
江戸から明治には幕府と維新
いつの戦乱期でも大活躍した者・成り上がった者や没落者・戦没者など悲喜こもごもである
今回 婆沙羅の代表と言われる「佐々木道誉」の本願地と城跡を訪ねた
バス停は正楽寺口前となっているがどうやら明治の時に何故か改名している
それにしても「〇〇口」というのは気をつけた方がいい
「雲仙温泉口」とか「〇〇登山口」とあるのはそこから遠いということである
寺に着くまでに500mlのお茶が既に半分になっている
周りに自販機らしきものは無い






戦国武将でありながら時代の流れを紆余曲折と乗り越え
連歌・田楽・猿楽・茶道・香道・立花など多くの外護者となりこれらの発展に寄与している
世阿弥や観阿弥との絡みも面白い
尊氏死後は義詮の執事として権力を誇る
来るときに通過してきた尼子の地名は京極尼子の出生で出雲の尼子に繋がる
安来の月山富田城の2度に渡る毛利氏との戦いで敗れるが縁者は播磨上月や津和野藩として生き残る
やはりこの地域は食料品や水や水利が豊かで東と西の結節点という地の利が大きい
その証拠にすぐ近くにあの織田信長も安土城を築いたのだ
さて本当に山に登れるのだろうか
まあ時間を決めて登れるところまで登ろう



道の途中に金網が
鹿や猪が入らない様に自分で鎖を解いて自分で閉めてくださいとある







本当に急な坂道だった
先日の洲本城址も同じ700mだったが勾配が遥かにきつい
根っこを掴んだり四つん這いになったり

なんとか無事下山
のこり花を見て自販機を捜すも無い
畑の一軒家におばあさんが見えた
「すみませんこの近くに自販機はないですか」
「そこをまっすぐ行って左に折れたと処に有ります」と教えてくれた
行きかけると後ろから
「お水で良ければ差し上げますよ。自販機迄結構遠いですから」と声を掛けてくれる
「すみませんがお願いできますか」
と空のペットボトルを差し出す

おばあさんの後姿だけ撮らせていただきました
本当に「命の水」である その場で一気に飲んだ
ここの水は特に美味しんだとおばあさんが言う
合掌してお礼をした

バス停の近くのお寺の門前にお地蔵さまがおられた
了